願い
「綺麗ですね。じっと見ていると、手を伸ばせば届きそうな気がしてきませんか?」
「そうかもしれないな」
「あの星に触ることができたら、何の願いでも叶いそうな気がします」
「……願いか。エル、お前の願いは何だ?」
ファブリスの問いかけにエルは一瞬だけ沈黙した。
「明日も見えない奴隷だった私をファブリスさんとマーサが助けてくれました……」
エルはそこで言葉を止めた。再び二人の間に沈黙が訪れる。
別に助けようと思って助けたわけではなかった。ゴムザを殺す過程でエルが結果として助かっただけなのだとファブリスは思う。故に、エルが自分に対して感謝するようなることではないのだと。
エルが再び言葉を続ける。
「……だから、私は今がとても幸せで、これ以上に望むことなんて多分ないんですよ。」
そんなエルの言葉を聞いて、やはり考え方が似ているのだろうなとファブリスは思う。
かつてセリアも今のエルと同じような言葉をよく口にしていた。
私は今が幸せで、これ以上に望むことなんてないもの。だから、苦しんでいる人たちのために私は何かをしてあげたいの。人族も魔族も関係なくね。
そんなセリアの言葉がファブリスの中で蘇る。
「私はファブリスさんとマーサに助けてもらいました。だから、私はそんなファブリスさんたちには幸せになってもらいたい。ファブリスさんやマーサの苦しみを分かち合うことはできないし、幸せの定義なんて難しいけれど、それでも他人を傷つけたり他人から傷つけられたりする日常から抜け出してもらいたい。それが私の願いです」
「壮大な願いだな」
嫌味で言ったつもりはなかった。そんなファブリスの心情が伝わったのか、赤毛の少女はファブリスに顔を向けると嬉しそうな笑顔を浮かべたのだった。
「エル、ファブリス様と一緒だったんだね」
部屋に戻って来ないエルを心配したのだろうか。外に出て来たマーサがファブリスたちの前に姿を見せた。マーサの背後には六歳程の幼女にしか見えないアイシスの姿もある。
「何じゃ、お主ら。妾たちの知らないところで、嫌らしいのう」
アイシスは意味深な笑みを浮かべていた。
「い、嫌らしいって何?」
反論するエルの顔が上気している。
「嫌らしいは、嫌らしいってことじゃ。子供が知ってはいけないことじゃよ」
アイシスは尚も面白そうに言葉を繰り返す。
「何だ? エルはファブリス様のことが好きなのか。そうか、そうか。そうだったのか」
そのようなエルの反応を見ながら、今度はマーサが納得したように一人で頷いている。
「ち、ちょっと、マーサまで何を言ってるのよ!」
マーサに対してエルが顔を真っ赤にしながら反論する。
「ほう、獣人族もそう思うか。珍しく気が合うのう」
顔を真っ赤にしているエルには構わずに、アイシスはマーサに顔を向けた。
「ふん、気が合うのかは知らないが、お前の意見には賛成だ。エルはファブリス様に惚れたな」
「こんな不愛想な男のどこがいいのか分からんがのう」
「おい、ちんちくりん! ファブリス様を馬鹿にするな!」
「ちょっと二人とも、いい加減にしてよ!」
エルが非難の声を上げながら二人の会話に割って入る。
「ほう、いい加減とは、どんな加減じゃったかのう? 強い加減だっかのう?」
アイシスがよく分からないことを言いながら小首を傾げてみせる。
「アイシス!」
とうとうエルは怒りがこもった声を上げた。
そんな様子の三人を見ながら、ファブリスは何とも緊張感のない奴らだと思う。明日は王宮に乗り込むのだ。そこでは凄惨以外の物が待っていることはないだろう。
そう考えると、今のこのような状況にファブリスは苦笑する思いだった。そして、そんな思いを抱く自分の変化に少しだけ驚きながら、明日のことに思いを馳せるのだった。
王都サイゼスピアのほぼ中心に位置する王宮。それは巨大な城と言ってよい佇まいで、周囲は深い堀で覆われていた。
深い堀を渡す橋を兼ねた王宮へと続く城門は昨日と同様に固く閉じられている。堀の周辺を巡回している兵士たちの数も昨日と変わりはないようだった。
「邪神、どうするつもりじゃ? これでは空でも飛ばなければ中には入れぬぞ?」
堀から少しだけ離れた茂みの中でアイシスがファブリスに問いかけた。