第二十九問
ピピピピッ
アラームが鳴っている。ムクムクと私と薫が布団から起き上がろうとした時、ドアが開いた。
「さくらー!かおりー!」
小さな天使は私の布団を容赦なく引き剥がす。
「うぅ…舞ちゃん、ひどい…」
「さくら!あさごはん!」
「はーい…」
舞に言われてしまったら仕方ない、当番じゃないけど朝食を作りますか。大きく背伸びをしてキッチンに向かう。今日は久しぶりの三人揃って休みなので遊園地に行く。なので舞が朝から元気がいい。普段もはしゃぐ子だけれど今日は特にエンジンがかかっている。子供のエネルギーに、私たち大人が置いていかれそうになる毎日だ。
朝食を済ませて食器を片づけている間、諸々の準備を薫がしてくれたようだ。ありがたい。そして私も急いで着替える。
時は来た。
「用意はいい?」
薫が玄関で最終チェックを行う。
「オッケー」
帽子をかぶった小さな姫様はOKマークを指で合図した。続いて私たちの顔を確認すると舞は楽しい休日の始まりと共に拳を掲げた。
「しゅっぱーつ!」
「「おー!」」
電車を乗り継いで移動中、舞は大人しくしてくれていた。普段もこれくらい大人しかったら楽なんだけどなぁ、と口には出さずにチケットを購入して入場した。
見渡しても人ばかり。流石、休日といったところか。
「まずは何に乗る?」
薫が舞に訊ねている。
「ジェットコースター!」
「え…」
薫の顔が青ざめていくのを横目に私は枚の頭を撫でながら言う。
「舞ちゃんの身長だとジェットコースターから落ちちゃうかな〜」
「え〜」
予想通り不機嫌な顔つきになるけれど誤魔化さずにキチンと理解してもらいたかった。舞はションボリと地面を見つめながら「うーん……わかった」と言った。私はまた遊びに来た時に乗ろうと指切りをする。嘘付いたら針千本の〜ます、指きった!
「じゃあドコ行こうか」
今度は私から舞ちゃんに聞いてみる。
「えっとね、えっとねぇ………お化け屋敷!」
「え…」
スッと血の気が引いていくのを感じた。薫が心配そうにしているのが分かるけど、ここは腹を括りましょう。
「よし!じゃあ、お化け屋敷行こうか」
「やったー!」
ルンルンとスキップする舞の手に引かれながら、私は出来るだけ平然を装って前を向いて歩くのだった。
「さくら……泣きすぎ」
「だ、だっでぇ〜…」
実の娘に酷い醜態を晒してしまった。暗い部屋で手を離されたら、そりゃあ臨界点を突破して薫や舞に抱きつくのは仕方ないことだよ。そして私はハンカチで涙を拭いながら薫から飲み物を受け取った。
「ありがと〜」
「よく頑張ったね」
労いの言葉が染みる。もう少し休んでいきたかったけど、舞ちゃんが待ちきれなくなったようだ。
「もう!はやく行こ!」
そんなぁ…大人にも優しくしてくださいよぉ、という私の声は虚しく空へ消えゆくのだった。
次に私たちはメリーゴーランドに乗った。でも薫が気を利かせてくれて私にカメラ役を任命してくれたのだ。二人のスマイルを連写連写連写。時折、「さくら〜」と手を振る舞ちゃんと薫に、私からも手を振り返す。たとえ同じような回転に思えたとしても、同じポーズの写真が何枚もメモリーに溜まっていくとしても私にはキラキラと光る素敵な光景に見えた。
「桜」
「…はい」
「連写禁止」
「…はい」
園内の屋店で昼飯を摂った後、動物のふれあいコーナーへ寄った。モフモフの毛並みに触ったり、エサやりを体験させれもらった。舞ちゃんは終始「カワイイ!カワイイ!」と言っていたけれど、貴方も負けてませんよ。勿論、薫も負けてません。
「桜だって可愛いよ」
…。
えーっと、つまり皆、可愛くて最強なんだね。
「そうそう、桜は可愛いよ。ほら、笑って〜」
カシャリとシャッター音がした。
「いやいや、私じゃなくて舞を撮ってよ」
「そこは抜け目ないから安心して」
うさぎを抱きながらケラケラと笑う舞の決定的瞬間をそのカメラは逃さなかった。…本当だ。
写真で思い出したけれど、今日、三人の写真がない。楽しい休日の記念として残しておきたい。いや、今日という日は後世まで語り継ぐ必要がある。(そんなのない)
そういう訳で私たちは近くのスタッフさんに写真をお願いした。
「は〜い、それじゃあ撮りますよ〜」
「はーい」
私と薫は、しゃがんで舞の隣でピースサインをする。スタッフさんも少し屈んで高さを調節してくれた。そして、一瞬が刻まれる。
「はい、チーズ!」
いぇーい!
(この時の写真は“今”でもアルバムの中に生き続けているのです…)
楽しかった時間も終わりが近づいて来ていた。本当に名残惜しいけれど空がオレンジである内に帰らなくてはいけない。
「ねぇねぇ、最後にアレに乗ろうよ〜」
舞が指差す先には観覧車があった。
「でも時間が」
私が言うと薫がまだ大丈夫だと目が言っていた。
「…じゃあ最後に乗ろうか」
「やったー!」
順番が近付くにつれて舞ちゃんのテンションが下がっていくのを二人とも感じたようだ。
「どうしたの?乗りたくないの?」
どこか体調でも優れなくなったのだろうか。トイレには先程行ったので違うと信じたい。
「うーん…」
舞は曖昧な返事をした。話しづらい事は誰にもあるのだから悩み過ぎないでほしい。
「恥ずかしくて言えないこと?」
薫が優しく聞いてあげる。こういう時、私より聞き上手の彼女がいると心強い。
「えっとね、なんかね」
「うん」
「あんなに高いところから落ちないかなって…」
そこまで言うと舞は黙り込んでしまった。
「そっかぁ、怖くなっちゃったんだね」
コクリと頷く彼女。
「それじゃあ………」
何やら耳打ちする薫。そして列が前に進み、前に進み、遂に私たちの番になった。その間も舞の手をギュッと握りながらその時を待っていた。
ガコン
「はい、足元に気を付けてください」
扉のロックが外された。神妙な顔つきで観覧車に乗り込む。私と薫が向き合うように座って、舞が薫の腕に抱かれて、ゆっくりと扉が閉まった。
まだ、そんなに高くないけれど舞はずっと、自分の顔を薫の胸に埋めて外を見ようとしていなかった。
「えっと……ずっと、そのまま?」
我慢できなくて聞いてしまった。
「もう少し、まって」
舞ちゃんの声。
「あ、はい…」
一応、外の景色を見る気持ちはあるみたいだ。ガランコロンと観覧車は揺れる。眩しいオレンジを、はやく舞にも見てもらいたい。
そろそろ一番高い所に差し掛かろうとしていた、その時だった。
「ああ、きれい…」
ずっと外の景色を見ていた私は、いつの間にか顔を見せてくれていた舞に気付くのに少し遅れた。
「もう平気?」
「すごい…」
無視されて少し悲しかったけれど三人でこの町並みを見ることが出来て良かった。
それからの舞ちゃんは凄かった。
「舞たちの家見えるかな?」
「うーん、ここからはちょっと無理かな」
「小学校見えるかな?」
「小学校も難しいかなぁ」
いつもの調子を取り戻した舞に私たちは苦笑いをしつつも安堵して遊覧を楽しんだ。
最後の力を振り絞ったのだろう。舞は眠そうに目を擦っているのが見えたので私が抱っこすることになった。ズッシリと感じる重みは産まれた日からどれだけ成長したのかを感じてしまう。あっという間だ。
途中、薫が変わろうか?と言ってくれたけれど大丈夫と言って断った。だって、もう少し舞の体温を感じていたいのだもの。薫には悪いけれどもう少しだけ舞を独り占めしていたいと思った私なのでした。
舞「さくら〜かおり〜」
桜薫「なあに?」
舞「呼んでみただけー!」




