第二十八問
私、二宮 薫は悩んでいた。
「さて…どうしたものかな…」
キャッキャッと笑う舞と変なかおの桜を見ながら考えていた。舞が言葉を話し出すのも時間の問題だろうと思ったとき、疑問に思ったことがある。
“ママと呼ばせるかどうか”
別に、お母さんと二通りの呼び方にすればいいと初めは私も思ったけれど、それは舞が使い分けなければいけない条件があることを踏まえると難しいのだ。なので桜に言わなければいけない。
「桜、ちょっといい?」
「え?なに?」
「あのさ、一つ提案なんだけど………」
舞に“ママと呼ばせないこと”を話して、その理由も合わせて言った。私は、さくら、かおり、と呼ばせるのが良いのではないかと話したら桜は考え込んでしまった。何も知らない舞は「あーあー」と言う声だけが部屋にコロコロと転がる。
数分くらい経っただろうか、桜がゆっくりと頷いてくれた。
「そうだよね、どっちも“ママ”だもんね。分かりにくいと困るのは私たちも舞も同じだから…仕方ないね」
「桜……」
もしかしたら違う方法があるかもしれない。けれど私たちは名前を呼ばせることに決めたのだ。
「ほ〜ら舞ちゃん、私だよ〜。私は、桜。さーくーら、分かる?」
「あうあ?」
「さーくーら。まだちょっと難しいかな」
「ま……まぁー……?」
「「っ!?」」
私も桜も耳を傾けて舞の声に集中する。
「ま…んま」
………。
なるほど、そうきたか。初めて口にした言葉が“ご飯”なんて誰の血を引き継いだのだろう。でも、そんなことよりも桜のことが気になって仕方ない。気を落としてないか心配しながら隣に目を移すと、いつもの笑顔があった。
「ね、聞いた!?まんまだって!舞が喋ったよぉ〜。あ、もしかして、お腹空いてるのかな?」
「そ、そうかもね」
「…?薫?どうしたの?」
「いや、なんでもないよ」
やっぱり桜を好きになって良かったと改めて思っただけだよ。舞にも会えたのも、桜が居なかったら、あり得なかったことだ。何気ない今日が奇跡なのだ、幸せなひと時なんだと思えた。だから一日一日を噛み締めて生きていこうと思うのだった。
診察の日。といっても誰かが病気になったわけでも体調不良なわけでもない。私たちは本来、私達自身で子供を授かることのできないはずだった。同性愛者でもiPS細胞によって子供を授かることの出来る技術を日本でも代用できるようにした一人の男がいた。彼が居なかったら舞は産まれなかったと言っても過言ではない。その彼が所属するチームに協力することを私は、あの時に承諾したのだ。協力と言っても簡単な内容だと聞いた。普通の身体測定と変わらない。勿論、舞に何かあったら困るのと、恩を少しでも返せるならと思い今日に至るのである。
「何もなくて良かったね」
「そうだね」
大丈夫だという報告が聞けた時、肩の力が抜けて椅子から落ちそうになった。健康が一番。
これからも定期的に診てもらう時も今日みたいに安心して椅子から転げ落ちてしまいたい。……落ちてないけど。
子供の成長は速いと言われても、これまで全然実感が沸かなかった。だが舞が産まれてからというもの、次々と新しいことが出来るようになる彼女に驚くばかりだ。寝返り、首が座り、“まんま”の次に“さうあ”と言えるようになっていった。いつ言えるようになるんだろうね、と二人で話していた時だった。
「さくら」
あ。
「…い、いいいいいいま、今今今今」
「はいはい、落ち着いて」
「ま、舞ちゃん!もう一回、言って?」
「……まんま」
「違う!」
「さくら?」
「っ!?やったー!」
桜が万歳して子供のように喜ぶ。その大きな動きを見て舞がキャッキャッと笑う。そして三人が同じ表情になった。後になってから私は写真に残しておきたい日だなと思ったので携帯で一枚、カシャリ。
行を開けて申し訳ないが話を戻そう。さくらの次に舞が話した言葉は“かお”でした…。桜が何度も「り!り!」と言って見せているが舞ちゃんは「……い」と言うばかりで、“かおり”ときちんと言えるようになったのは少し後のことだった。
舞に私の名前を呼んでもらえた日、桜に見つからない所で小さな「やったー」をしました。
舞は行動力が跳ね上がり、身近なモノを掴もうとしたり足をジタバタさせたりしていた。もうすぐ何かが動き始める、そんな予感を感じざるを得ない。ま、私たちの子供は天才なのでハイハイも自分で座ることも出来るようになるのでね。待ち遠しいね、と言ってみたり、もう少しこのままでもいいかな、と言ってみたりしていた。親というのは自分の子供に対してトコトン身勝手な考えをする生き物らしい。
ハイハイができるようになるのも時間の問題となった。口にしたら危ないものは机の上には絶対に置かない、桜の母親に言われたことだ。化粧品とか小物は高い場所、又は引き出しの中に移動となった。桜と掃除について話しておこう…。
舞のハイハイが始まった。もやは私たちにとって怪獣の大行進となんら変わりない。ゴジラのBGMが脳内で再生される。しかし、まあなんて可愛らしいゴジラなのかしら。是非、踏み潰してもらいたい。
「舞ちゃーん」
「ほら、おいでおいで〜」
桜が手を叩いて舞を呼ぶ。私もやってみよう。
「舞、おいで〜」
「おいでおいで〜」
あまり二人のうちどちらが好かれているかなんて彼女に決めてほしくないのだが…。パチパチと手を叩く二人。その様子が余程おかしかったのか、舞はその場に止まってキャッキャッと腹がよじれるくらい笑っていた。赤ちゃんに笑われのは気分がいい。そして気分がいいだけでなくて、もっと笑わせたいと思わせる。そういう魔力を幼い天使は秘めているのだ。その魔法に毎日かかっている私たちが幸せを感じないはずがなかったのでした。
桜薫「舞ちゃ〜ん、愛してるよ〜♡」
舞「……………まんま」
桜薫「……………」




