第二十六問
今日は私が朝のお弁当の当番だ。もっとも、時間がないので互いに冷凍食品に力を借りている。同棲し始めた頃はキャラクターの顔をモチーフにした弁当を作っていたものだ。でも、そんな懐かしい過去を振り返っても仕方ない。
「はい、弁当出来たよ」
「うん、ありがと薫♡」
いつも通りに甘えた声を出す桜に対して少し違和感を覚える。なんだろう?
「桜」
「え、なに?いってらっしゃいのキス?」
「まぁ、それは後でしてあげるから」
「えっ!?ほんと!?」
まさかしてくれるとは思っていなかったみたいで身体を前に乗り出してきた。
「いや、そんなことよりも」
「そんなこと!?」
ええい、話が進まない。なので無理やり聞く作戦に出た。
「なんか、あった?」
「あー、うん。そうだね…なんというか…」
桜が言葉を濁す。
「最近、お腹空くようになっちゃって…」
「それは…足りないってこと?」
コクリと頷く桜。その頭をヨシヨシと撫でてあげる。
「それは病気じゃないよ。仕方のないことだから」
「…ほんと?」
「本当」
知識として知っていただけなのだが、妊娠すると食欲が増すらしい。これから産まれてくる子供へ沢山の栄養を送るためだとされている。
「だから心配しなくていいよ」
「そっか、よかったぁ」
「なんだか、三人に増えたみたいだね」
作る量が一人分増えることくらいなんてことないので、桜にはバランス良く栄養を沢山摂って貰いたい。勿論彼女の為にも、子供の為にも。
「分かった。もう我慢せずにいっぱい食べる!」
意気込んで握りこぶしを作っている私の妻には「ほ、ほどほどにお願いします……」という声が届かなかったみたいだった。やれやれ。
私たちが食事の次にしなければいけないこと、それは何なのか。雑誌やネットで調べてみても何から手を付けたらいいのか分からないでいた。報告も含めて互いの両親に会わなければいけないと思った。
私の両親は特に驚くリアクションもなく、普通に受け入れてくれた。そして、私が産まれる前のことを懐かしそうに話してくれた。必要だと思うことは全部メモに残す。私にできる事は全部したい。父も母も忙しい中、私に付き合ってくれた。お礼に何かしてあげたいと私と桜が言うと、「気を使わなくていいわ」と言われてしまった。お母さんには敵わないや。
桜のご両親にも報告に行ってきた。門前払いされることもなく入れてもらえたのは私たちの積み重ねのお陰でもある。同棲している時も桜の母親からたまに電話がかかってきていたのだ。電話越しにダメ出しされて、こうしなさいとアドバイスをくれるツンデレっぷり。なんだかんだで娘のことを気にかけていたんだと私は思う。
「そんなんだからダメなのよ」
口ではガミガミ言ってるが心配しているのが分かった。親は親なんだ。私は必死にメモを取りながら、沢山のことを学ばせてもらった。
少し桜の体型がぽっちゃりしてきたように感じ始めた。
春、目前。二人とも前みたいにバカバカしいことをしなくなったのは親になる自覚の現れだろうか。でも真面目に過ごす時間が増えたのは事実だ。あの桜も少し大人しくなり、私が読んでいる小説にも興味を示した。桜ばかり身体も心も変わっていっているみたいで落ち着かなくなる。でも、そのことを打ち明けると「私が変われたのは薫のお陰だよ」と抱きしめてくれた。本当は私が桜を支えなくちゃいけないのに、自分が凹んでどうする。
「私も桜のお陰で今日までこれたんだ。精一杯、三人で生きていくために、出来ることをやるよ」
「ありがとう。無理しないでね?」
もちろんだ。私は自分の胸の中に強く固い意志が宿るのを感じた。
それから桜は産休に入り、アノ病院に行ってお腹の状況確認もした。問題なく順調。ほっと胸をなでおろす。不安も多いけれど先生の言うことを信じて未来へ踏み出そう。
「あ」
桜が何か見つけたようだ。
「あの時のお姉さんだ」
「ほんとだ」
先生と何やら話している。とても忙しそうに働いている彼女は彼に告白できただろうか。他人の恋愛の行く末を気にしていると桜が私に言ってきた。
「なんだかあの人、可愛くなったよね」
あぁ。その言葉に心臓が締め付けられる気分にされた。
「……そうだね」
私は自分が嫌になってしまった。桜は育児のことを勉強して、私はやっと料理のレシピを色々覚えてきたのに。
「…?薫?どうしたの?」
「別に」
悪い態度で返事してしまう。桜を困らせたいわけじゃない。
「えっと、もしかして…」
「…」
「嫉妬しちゃった?」
「違う」
嫉妬した。こんな小さなことに嫉妬するなんて思いもしなかったし、そんな女だなんて桜に思われたくもなかった。もう嫌になってしまう…。
「薫、可愛い」
「へ?」
「そうかぁ、嫉妬しちゃったんだぁ」
「だから違うって」
嫌われるかと思ったのに桜ときたら逆の反応をしてきた。なんだかムズムズする。帰宅後、唇を狙ってくる我妻に捕まってしまった。次から嫉妬したら報告するように、と言われた。もちろん言わないつもりだが桜相手に隠しきれるかどうか、分からない。
あの日から十月十日経とうとしていた。
ムクムクと大きくなるお腹を擦りながらベットの上で桜が微笑む。予定日は明日なのに仕事があって来れそうになかった。
「そんな顔しないでよ」
「だって…」
「私たちの子供だもん、元気に生まれてくるよ」
「そうだけど…そっちじゃなくて桜のこと心配してるの」
「私なら平気だよ」
「…死亡フラグっぽい」
「えっ!?嘘!?どうしよう、長生きしないといけないのに!」
激しい痛みも伴うという出産前でも桜は桜のままだった。変わっていったとしても私たちは今以上に愛し合うフウフでいたいと思った。
カチカチカチ…。時計の針が気になって仕方ないけれど何時に出産とは知らないから一日ずっとソワソワしてしまう。なので職場の人にも気を遣わせてしまった。上司に苦笑いされて早めに上がらせてくれた。
「ありがとうございます!」
これから育休も取る予定なのに優しい人たちに私は恩を返さなくてはと思いながら、走る。
病院に到着した今でも妙に緊張して汗が止まらない。受付で桜のいる部屋番号を聞いてお礼を言う。
ガラッと扉を開ける。桜の顔を見てひとまず安心した。
「遅かったね、薫おかあさん」
「え、本当に?!」
「うん、無事に産まれたよ。元気な女の子」
キョロキョロとあたりを見るも赤ちゃんの姿はなかった。
「赤ちゃんなら産婦人科の人に任せてあるから」
「そうか…」
「あ、写真なら撮ってあるよ。机の上の私のスマホにあるから」
桜はベットで倒れたまま私に話してくれた。流石に体力を消耗したのだろう。
「桜、ありがとう」
「どういたしまして」
桜にスマホのロックを外してもらって写真を見る。そこには桜と並んで私たちの赤ちゃんが、えんえん泣いていた。
「かわいい〜!桜に似てるね!」
「え〜?薫に似たんだよ」
「いやいや、この顔は桜だよ」
「いやいや、こんなに可愛いのは薫に似てるよ」
その後も桜が眠るまで、可愛い可愛いと言い合いをしたのでした。
名前は何がいいかな。




