小話(九) 図書館の土竜と栗毛の狸
本編でユイ&マリエが頑張っている裏で、他の子供たちは何をしていた?
……という思いつき第六弾。
いろいろな思いはあるけれど、いつかきっと、糧になる。はず。
借り出す本を選別して――いるつもりでつい夢中に読みふけって――いたら、座っていた脚立がぐらりと揺れた。
(危ねっ、)
身長より高い位置にある最上段の本でも取れるように設置された脚立は、当然ながらかなり高い。それが前触れなく揺れたのだから、冷静沈着がモットーのアルヴィンだろうと焦るというものだ。
何事かと見下ろすと、男子生徒が脚立に寄りかかっていた。自分からは栗色のつむじしか見えず、表情はわからない。
「……。」
三秒ほど考慮して、アルヴィンは無視することに決めた。視線を手元の本に戻す。こいつが持ち込む用事はいつだってろくなことじゃないし、それに付き合うくらいなら続きを読む方がはるかに有意義だ。
お互いに黙り込んだまま、時間だけが経過する。
先に焦れたのは、生徒総代の方だった。
「……何しに来たとか、聞かないのか?」
これはまた、くだらないことを聞く。
「そんなの知るか。話したければ勝手に話せ。」
いつだって勝手に来て、こちらの都合なんかこれっぽっちも考慮しないくせに。
不機嫌を隠さないアルヴィンの態度に、ラチェスターが苦笑する。
「ふられたよ。」
「――そうか。」
驚くことはない。ラチェスターから近づいてきたことや、無言を通そうとしたことから、何かしら精神的ダメージを受けるような出来事があったのだろうと推測することは容易だ。そうでなければ、こんなしおらしい態度のはずがない。いつもは自信満々に人の名前を大声で呼んで、呼びつけるような真似をしてくれるのだ、この生徒総代は。
いや、ラチェスターが素直に白状したことには、少しばかり驚いたけれど。
「そうかって……それだけ? 傷心の友人を慰めようとか、思わない?」
「ふん。どうせいつものように相手の都合も考えず、遠慮なしに人の神経を逆なでするような真似をしでかしたんだろう。」
それで相手を怒らせたに違いない。物腰の優雅さについ見落としがちになるけれど、存外自分の都合を押し付けてくる男なのだ、ラチェスターは。
「レディ相手にそんなことしないよ。」
「どうだかな。」
「お前じゃあるまいし。ただ、誠心誠意口説いたつもり……だったんだけどなあ。」
相変わらず、ラチェスターの表情は見えない。だが、声音からは心底不思議がっている様子が伝わってくる。どうも自分の中の疑問が解消しない限り、ここから動きそうにない。
アルヴィンはふんっと鼻を鳴らすと、渋々付き合うことに決めた――視線は本に落としたまま。
「口説いたって、どうやって?」
「え? 普通に。君は自分の理想の女性だって。人格的にも、家柄的にも、領地的にも補完しあえるし、自分ならわずらわしい諸々からも守ってあげられるし、お互いにお得だよって、ありのままを正直に。」
「……アホか、お前。」
それは当然ふられるだろう。むしろそれで了承をもらえたら驚く。まさに開いた口がふさがらない。いっそ聞かなければよかったと、激しく後悔するも遅い。
(なんでこんな奴が理想の貴公子扱いされているんだ……?)
永遠の謎である。
だが、ラチェスターは本気でわかっていないようだった。
「どうして? 嘘ついたわけじゃないし、フェアな取引を持ち掛けたつもりだよ。」
「……相手は女だぞ?」
「もちろん。男に求婚する趣味はない。」
ダメだ。こいつ、根本的なことがわかってない、本気で。
「女は感情的で即物的で理不尽な生き物だ。結婚となれば冷静に損得勘定して足元を見もするが、それはそれとして耳が腐るような甘い繰り言を要求するんだよ。」
「普通の令嬢ならそうもするけど、ユーフィーミアだからなあ……。偽りの情熱よりは、真摯で誠実な態度の方がポイント高いと踏んだんだけど。」
やっぱり例の特別聴講生だったか。
妙に構いつけていた黒髪の女生徒の姿を思い出し、同情する。これにちょっかいかけられるとは、とんだ災難だったに違いない。
同時に脳裏をかすめたふわふわの茶色の髪は、思考から締め出した。柔らかそうな髪も、こちらを懸命に見上げる目も、ほっそりした手も、今は思い出すべきじゃない。
いずれは形を得たかもしれない感情が明確な姿を得る前に、アルヴィンは蓋をして鍵をかける。大事に抱え込んで育てたところで、実ることがないのはわかりきっているのだ。無意味なことはやらないに限る。
「ラグロウズ人はシャイだから、過剰な甘言は求めない。それよりは実直に迫ったほうがいいってのは定説だが、限度があるだろう。まして他の男に恋する女に横恋慕しようってんだから、嘘でも何でも情熱的に愛を囁くべきだった。」
(自分には……どうあがいても無理だけどな。)
それができるくらいなら、最初から予防線など張らない。
「……愛するし慈しむよってちゃんと言ったんだけどな。大事にするよって。」
「じゃあ足りなかったんだろ。」
「そっか……。」
再び沈黙が落ちる。果たしてはた迷惑な生徒総代は納得してくれただろうか?
(納得しなくてもどうでもいいけどな。)
読書の邪魔をしなければ、それで問題はないのだ。
無言で続きを読み進めていたら、ラチェスターがポツリとこぼした。
「なんか、あれだな。問題ないと思っていたんだが……結構、ショックだったみたいだ。」
……まだいたのか。
「それはどっちだ? 自分が、ふられたことにか? それともカタスカーナに、ふられたことにか?」
「え? ええっ?」
信じられないことに、プライドばっかり高いこのアホは、考えたこともなかったらしい。
自分がふられたことがショックなのか。カタスカーナにふられたことがショックなのか。同じようでまったく違うこの二点は、どちらに偏るかによって同情する相手も内容も大きく変わってくる。
しばらく様子をうかがって、アルヴィンはちっと舌打ちした。ため息をついて読みかけの本を閉じ、書架に戻す。眉間にしわを寄せて脚立を下り、生徒総代の前に歩み出る。
「一杯だけなら付き合ってやる。だから――」
振り返りざま、祝福で凍らせたハンカチを相手の顔に叩きつけた。
「なっ!?」
「そのみっともない顔を何とかしろ。生徒総代サマが泣きはらした顔を一般生徒にさらすんじゃない。」
声も出さずぽろぽろと涙ばかり零していたラチェスターが、驚いたように目を丸くする。どうも泣いていることにすら気づいていなかったらしい。アホだアホだと思っていたが、本格的にアホだった。
反応鈍くアルヴィンと手元のハンカチを見比べていたラチェスターが、ふふっと笑う。
「ありがとう。やっぱり持つべきものは友人だね。」
「うるさいっ! くだらないことを言っていると置いていくぞ。」
「ちょっと待って、もう少し冷やしてからっ。」
自分たちはまだ子供だし、まだまだこんな風に思う通りにならないことはたくさんあるのだろう――
傷ついた思いも、膨らむ前に摘み取った思いも、いつか穏やかに思い出せる日が来るのだろうか? 自分たちにできることは、その日が来ることを信じて前に進むことだけだ。そうやって積み上げていった何かが、いつか結実すると信じて。
~その後の二人~
ラチェスター:しっかし意外だったな。
アルヴィン:何が。
ラチェスター:お前があんなに女心に詳しいと思わなかった。ひょっとして経験者? 相手はミス・カーティスとか?
アルヴィン:なんでそうなるっ!? 一般論だ、一般論! 昔っから女の理不尽で身を亡ぼす英雄は多いしな。古典を読み込んでいれば常識だ、常識。
ラチェスター:えー? 怪しいなあ。本当にそれだけ?
アルヴィン:いい加減にしないと怒るぞ! それ以外の何があるってんだ。
ラチェスター:ふうん。そっか。お前がいいならそれでいいけど。
アルヴィン:くどい! 何が言いたいんだ、さっきからお前は。
ラチェスター:別に? ミス・カーティスと結婚すれば自動的にユート・カーティスがお義兄さんになるなんて、考えてないよ?
アルヴィン:そんなの当然だろう。カーティス・マイナーとユートさんはご兄妹なんだから、彼女と結婚すれば、ユートさんがお義兄さんに……お義兄さんに?
ラチェスター:妹さんはまだいるらしいけど。お前、何を考えてる?
アルヴィン:お義兄さん。そうか、お義兄さんか……。
ラチェスター:おーい、アインズレイ? アインズレイ? ……さすがにちょっと気持ち悪いから帰ってきなさい、アインズレイ。




