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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
第一幕
3/34

マリエとみんなといつもの朝(下)

「お嬢様。よろしいでしょうか。」

 タイミングよく料理長との打ち合わせが終わったのか、場の空気を呼んだのか、ご家老がお嬢様に声をかける。そのとたん、それまでのんびりしていたお嬢様の姿勢がぴっと伸びる。マリエは視線を伏せてお嬢様の一歩後ろに下がり、やはり姿勢を正した。

「は、はい。大丈夫です。なんでしょうか。」

「本日の献立になります。本日は外部からのお客様はいらっしゃいませんから、こちらでよろしいかと。これにかかる経費および備蓄食材の在庫につきましてはこちらをご参照ください。」

 そういって、恭しく本日の献立が並んだ半紙と、分厚い帳簿を差し出す。几帳面な筆跡で書かれたさまざまな一覧を、お嬢様は目を白黒させながら確認する。確認というより、目で追っているだけだが。

 カタスカーナ家がどんなに小さなコミュニティだとしても、領主の家であることに違いはない。当然ながら、わずか十二歳の子供が把握できる規模ではない。

「大根の在庫が不足いたしますから、組合長に依頼して届けてもらいましょう。胡椒も当面は問題ございませんが、早めに業者に発注いたしましょう。よろしいですね?」

「はい。お願いします。」

「かしこまりました。」

 それでも筆頭家老は容赦なく続け、最後にお嬢様に一礼する。

 お嬢様が十歳になった頃から、理解できる・できないは問わず、ご家老は仕事の最終確認をお嬢様に求めるようになった。本来ならば、家を切り盛りし、客人をもてなすのは、屋敷の女主人――すなわち領主夫人の仕事だ。教育を受けた大人の女性であっても難しいそれを、父はまだ子供のお嬢様に求める。今すぐ理解できなくとも構わないから、仕事内容をとにかく認識、自覚するように。そして少しずつでも、覚えていけるように。

 無茶といえば無茶だが、仕方がない面もあった。領主夫人の座が空白である以上、女主人を務められるのが長女のお嬢様しかいないということ。そしてそのお嬢様は、ラグロウズを長期間にわたって離れることができないということ。

(帝都にあるアカデミーに行ければいろいろ勉強できたんだろうけど……。)

 貴族の子弟がこぞって入学するという帝国アカデミーならば、領主としての、あるいは、領主夫人としての振る舞いや心得的なものも学べるのだろうが、お嬢様にはその選択肢がない。筆頭家老たる父は、自主学習では不足する部分を実務で補うつもりらしかった。

(聖女様のお務めがあるからなあ。)

 毎月、神楽を奉納することを考えると、遠く離れた帝都に引っ越すわけにもいかず。

 結果、お嬢様は聖女と領主夫人代理の二足のわらじを履く羽目になっている。領主夫人代理の務めはいずれ若様の伴侶となる姫君が継がれるのだろうが、それまではお嬢様の細い肩に圧し掛かる。

 自由時間もろくに取れず、ご負担も多いだろうに、それでも懸命に期待に応えようとするお嬢様を見れば、誰だって力の限りサポートしたくもなるというもの。

(あとは若様が立派になって素敵なご内儀を迎えてくださるのを期待するしかないんだけど……。)

 今朝の様子じゃ、まだまだ先は長そうだ。

 マリエは本日何度目になるかわからないため息をついた。


 ため息をついてばかりでもしようがない。

「お嬢様、あたしは大広間のほうを見てきます。」

 女中たちが準備に追われているはずの大広間の様子を確認しに行こうと、マリエはお嬢様に一言断りを入れる。

「あ、わたしもいく。」

「はい。」

 一緒に行こうとするお嬢様とともに、今度は誰にも邪魔をされずに厨房を後にすることができた。二人で大広間へ向かいながら、「そういえば、」と訊ねる。

「雪だるまで転んだりされませんでした?」

 うっかりなところがおありなお嬢様だから、廊下に並んだ雪だるまに足を引っ掛けるとか、溶けてできた水溜りに足を取られるとかしなかったかしなかったかと心配したのだが――

「雪だるま? 雪だるまがどうしたの?」

 こてん、と首をかしげて聞き返す様子に、ごまかしは感じられない。どうやら女中のおば様方は、お嬢様が起き出す前に片付けてくれたらしい。

(後でお礼言わなきゃ。)

 頭の中のメモ帳に忘れないように書き付けると、マリエは今朝の顛末をお嬢様に報告する。主に坊ちゃんズのいたずらによる弊害――足を滑らせた場合の危険性と掃除の手間について。

「ふふ。朝から大忙しだったんだね。」

 大変だったんですよ! と眉をひそめて訴えたのだが、お嬢様はころころ笑って楽しそうだ。いや、一応同情するそぶりは見せてくださっているのだが、面白がっているのが隠せていない。

「でも仕方がないよ? エマくんも男の子だし、お年頃だもの。」

「男の子だからですべてを赦されるんですか……。」

 万人が口にする万能の屁理屈を前に、がっくりと肩を落とすマリエ。その背中を、「まあまあ。」とお嬢様が撫でる。慰めてくださっているのでしょうが……顔が笑ってます、お嬢様。

 そうこうしている内に、大広間だ。

「おはようございます、みなさん。」

「あ、お嬢様だ。おはようございます。」

「おはようございまーす!」

「マリエさんもおはようございますっ。」

「おはようございます。」

 挨拶の合唱に迎えられる。

 数十人が一堂に会する大広間では、年若い少女たち、女中見習いたちが年上の先輩女中の監督の下、まめまめしく立ち働いていた。はたきで埃を落とし、茶殻を箒で掃き集め、畳の目に沿って雑巾で乾拭きするまでが、準備その一。全員分の箱膳をそろえ、配膳するのが準備その二。

 毎朝のことで、慣れている彼女たちはてきぱきと無駄なく働いているが、まだ掃除が始まったばかり。手は多いほうがいいだろう。一つうなずいたマリエが自分も、と腕をまくる。

「お嬢様は床の間を飾るお軸とお花をお願いします。」

「うん、わかった。そろそろ春だよねっ。どうしようか?」

「それはお任せしますが……。」

 むしろ床の間を飾るのは女主人の役目――権利だ。マリエに意見する余地はない。

「今なら何が咲いてるかな……ちょっとお庭を見てくるねっ!」

 うきうきと大広間を後にするお嬢様を、マリエは一礼して見送った。


 よそのお屋敷ではどうかは知らないが、カタスカーナ家では平時であれば食事――少なくとも朝餉と夕餉――は、大広間に全員で集まって摂ることになっている。主家たるカタスカーナ家の人たちも、騎士たちも、使用人たちも。全員といっても、当然ながら、騎士や使用人たちの中には勤務体制の都合や休暇などで一緒に摂れない者もいる。それでも全要員の半数近くは揃うわけで、配膳しなければならない席も大量になる。

 お嬢様が戻られたのは、女中たち総出で朝餉の準備を整えているときだった。厨房と大広間を往復する女中見習いがおひつや箱膳を抱えてパタパタと出入りする中、お嬢様がひょっこり顔をのぞかせる。

「……何をなさっているんです。」

「や、うんっ、邪魔じゃないかなってっ。」

 頬を赤く染めたお嬢様は、なぜか挙動不審だ。

「出入り口をふさがれるほうが邪魔です。早くお入りください。」

「そ、そうだよねっ。」

 それでもお嬢様はもじもじしたまま、視線をせわしなく泳がせる。

「お嬢様?」

 不審に思ったマリエは眉根を寄せたが、すぐに「なんだ。」と肩の力を抜いた。耳まで真っ赤に染めたお嬢様に次いで大広間に入ってくる若い男を見て、お嬢様の怪しい態度にも納得できたから。

 ラグロウズでは珍しい亜麻色の髪に常盤色の目。大人のような上背と細い手足の、成長期特有の華奢な体躯。まだ少年と呼ぶのが正しいような幼い容貌に似合わぬ落ち着いた物腰で、少しばかり困ったような微笑でお嬢様を見つめる、若い男。

(そりゃあ、挙動不審にもなりますか。)

「ユート兄さんが一緒だったんですね。おはようございます、兄さん。……お嬢様、そのお花を早く水に挿してあげませんと、さすがにかわいそうです。」

 真っ赤になっても両手をもみ絞るお嬢様は大変かわいらしくていらっしゃるのだが、いつまでもその状態でいたら、せっかく摘んできていただいた花がしおれてしまう。

 マリエがお嬢様にそう告げると、若い男――兄のユートも、すかさず合わせる。

「おはようございます、マリエ。ほら、ユイ様。マリエもこう申しております。床の間を飾れるのは、ユイ様だけですよ。ですから……お願いします。ね?」

「う、うん、そうだねっ。でもねっユートさんも、いっしょに。ね、いいでしょう?」

 お嬢様が花を持たない右手で遠慮がちに兄の上着の裾をつかむ。「ね?」と小首をかしげて見上げる。兄は兄で、お嬢様の右手にそっと己の左手を重ねて微笑んだ。

「僕でよろしければ、ぜひ。」

 恐ろしいことに、二人とも意識して振舞っているわけではない……らしい。一連の行動は無意識であり、無自覚に、そして無遠慮にいちゃついているのである。

 二人は仲良く寄り添いながら床の間の掛け軸を春を称える古い詩に取替え、水を張ったガラスの器に黄色い福寿草を浮かべる。そして幸せそうに笑みを交わす。

 その様子を、マリエは微笑ましくも釈然としない思いで見つめた。

(……実の兄とはいえ、実に卑怯臭いわ。)

 兄との年の差は二歳。年数にして二年弱。だが、その間には自分たち――はっきり言おう、ショウには絶対に超えられない壁があるらしい。

(理不尽だわっ。世の中あまりにも不公平よっ。)

 別にショウに兄のようになって欲しいとは思っていない。兄は兄、ショウはショウだ。兄のようになったら気持ち悪いとすら思う。だが、日ごろの自分たちのやり取りのあまりの雰囲気のなさにマリエも思うところがないわけではない。

(――まあ、あのバカだけを責めるのはお門違いなんだろうけどね……。)

 良い雰囲気にならない原因はショウだけなく、自分にもあるだろうことは、うっすらと自覚しているマリエではある。

 内心ため息をついたマリエの視線の先では、完全に二人の世界を作り上げている両人がとろけそうな顔で見つめ合っていた。お嬢様の好意は屋敷の者はおろか、村中で知らぬ者はいないと言っても過言ではなく、それに対する兄のまなざしも、お嬢様への好意を雄弁に物語っている。

 これで当の本人たちは恋人じゃないと言い張っているのだが――これが恋人同士の甘いやり取りでなくて、なんだというのだ。ただ兄はお嬢様に対して変な遠慮があるようで――

(両思いなのは誰が見ても明らかなんだから、とっととくっつけばいいのに……。)

 だいたい、こんな二人を見てもお屋形様が何も言ってこないということは、つまりそういうことなのだ。そんなの、誰だってちょっと考えればすぐわかることなのに。

 お嬢様には幸せになっていただきたいが、相手がユートではそれもいつになることやら……。

 この先の紆余曲折を予想して、やはりため息をつくマリエであった。


「で、いつになったら僕に気づくんだ、マリエは。」

 背後から実に不機嫌そうなボーイソプラノが聞こえて、慌てて振り返る。

 視線を少し落とした先に、顔にまざまざと「無視するんじゃねー!」と書いたお子様が腰に手を当てて立っていた。その後ろにはさらに、おろおろと右手をさまよわせるさらに小さい男の子が。

「おはようございます、若様。いつの間にいらっしゃったんですか。」

「いっとくけどさっきからいたぞ! 姉上と一緒にきたからな!?」

「それは失礼しました。小さくて気づきませんでした。」

「だぁれがチビだっ!」

「わぁあ! だめだよ、若さまっ! マリねえちゃんも若さま怒らせないでぇっ!」

 逆上して今にも殴りかかりそうな勢いの少年を、小さい男の子がその腕にしがみついて抑えていた。半分泣きが入っているその様子に、マリエも反省する。

(いたずらのお仕置きにちょっとだけからかうつもりだったけど、やりすぎたかな?)

 もとより、マリエには小さい子供をいじめて遊ぶ変態趣味はない。

「申し訳ありません、若様。言い過ぎました。」

「……わかれば、いい。」

 素直に謝れば、少年――お嬢様の弟にしてカタスカーナ家の次期当主であり、マリエの従弟でもある若様――も、おとなしく拳を引っ込める。付き従っていた小さな男の子――ちなみにこっちはつい最近祝福を授かった末っ子の実弟だ――がほっとしたようにしがみついていた腕を放した。

「なぁんて物分りよく言うと思ったか!?」

「わあ! 若さまぁ!?」

 重石代わりの弟が離れて自由になったとたん、若様はマリエとの距離を詰めた。

 斜め下からにらみつけるその姿は幼いながらも威厳に満ち溢れ――

(……ない。ないな。)

 所詮九歳児である。たかが三歳差、されど三歳差。子供の三歳差は大きいのである。おまけに若様はお嬢様そっくりの(要は女顔の)紅顔の美少年。顔を真っ赤にして、肩を怒らせて、ふるふる震えながら涙目で迫られたところで、かわいらしいだけである。

 とはいえ、正直にそんなことを申し上げればご機嫌を損ねるのは間違いなく。

「いえ。今日はずいぶん殊勝なことをおっしゃるとは思いましたが。」

「だからお前は僕のことを何だと思ってる!?」

「だからおねえちゃん、若さま怒らせないでぇっ!!」

 ……さすがにこれ以上は弟が不憫すぎるか。

 声変わり前の高音による絶叫を左右から浴びたマリエは素直に反省し、それこそ殊勝に膝を突いた。神妙な顔を作って若様を見上げる。

「もちろん、当家の将来を担う若様です。」

「……。」

 意表を突かれたのだろう、若様が言葉を失っている間にさらに畳み掛ける。

「文武に優れ、慈悲深く、聡明で努力家な若様でいらっしゃると――そう、思っていますよ?」

 別に嘘ではない。

 若様は勉学にも武術の稽古にもよく励まれるし、いたずらはするけれど、本当に誰かが嫌がったり困ったりするようなことはしない。多少のやんちゃはするが、本気で危ないと感じたら引き返すだけの分別もある。子分にされた弟がすっかり懐いているように、意外と面倒見も良い。

 どれだけいたずらされようと周りの大人たちが放任しているのには理由があるし、それはマリエも承知している。

 とはいえ。

「そんな優秀な若様ですから、よりによって朝一番忙しい時間帯に、屋内に雪だるまを持ち込まれたら女中たちの負担が冗談ですまなくなると、ご理解いただけると思いますが。」

「……か?」

「え?」

「せっかくかっこよく作れたのに、捨ててしまったのか!?」

 ――いや、そんなこと言われても。

 もったいない、といわんばかりの若様に、マリエは少し眉尻を下げて困ったように微笑んだ。これで存外繊細な若様を傷つけずにお止めするべく、慎重に言葉を選ぶ。

「なかなかよくできていましたよ? でも、廊下に雪の塊を直接置くとどうしても汚れてしまいますし、溶けた水に誰かが足を取られるかもしれません。危ないです。」

 次からは気をつけてくださいね?

 丁寧にお願いすると、若様は頬を赤く染めてぷいっと横を向いた。

「……わかった。」

 小さく答え、恥ずかしくなったのか、ふんっと肩をそびやかしながらその場を後にする。

 残された弟は、歩き去る若様の背中とマリエの顔をあわあわと見比べた。苦笑したマリエがうなずいて見せると、ぺこりと一礼して若様の後を追う。

(かわいいなあ。)

 素直じゃないようで、坊ちゃんズはどちらも素直でかわいらしい。仲良くじゃれあう子犬のような二人を見ると、立派に大きくなって欲しいようで、小さいままいて欲しいようで。姉であるマリエの気持ちもなかなか複雑だ。ただ――

(いたずらの件は、せめて三日くらい覚えていてくれると嬉しいんだけどなあ。)

 今までも、反省しては三日坊主が常で。

 毎度毎度お小言を言わされている立場のマリエにしてみれば、そこだけは今すぐにでも急成長して欲しいのであった。


 半ば自分の思考に埋もれていたマリエだったが、年下の女中見習いに袖を引かれてわれに返った。

「マリエさん、あの、料理長が新巻鮭の竜田揚げどうしましょうかって……。」

 そうだった。今は仕事中で、弟妹たちの愛らしさを堪能している場合ではなかった。

 とってもかわいらしくて目を離したくない弟妹たちからムリヤリ視線をそらし、マリエは真面目な仕事用の顔を作る。首をかしげてわずかに思案し、次いでにっこり笑う。

「いくつかの大皿に分けてお膳で騎士団のみなさんの前におきましょう。あとは自分たちで好きなだけ取り分けてもらえばいいわ。」

「ごはんみたいに?」

「ええ。お代わり自由で。」

「わかりました。」

 ぺこりと頭を下げ、パタパタと足音軽く走り去る女中見習いの少女を見送る。きっと、厨房に戻って準備を整えてくれるだろう。

(お代わり自由なんていったら、きっと取り合いになるんだろうけど。)

 少女には言わなかったものの、マリエには確信があった。その状況を想像し、くすりと笑う。

 それもいいじゃないか。そもそも正規の献立じゃないし、所詮は追加サービスだし。

 おなかをすかせているだろう、騎士見習いたちがおとなしく譲り合ってくれれば問題はないが――そんな上品な連中じゃないし。早い者勝ち、弱肉強食上等だ。

(そのほうが面白そうだしね。)

 ある意味マリエの失礼な予想は、すぐに実証されることになる。


 そこはまさに戦場だった。

「っ! イチニィサンシィゴロクシチハチキュージュー! よっしゃ、最後の一個ォ!!」

「ちっくしょー! また負けたぁ!!」

 勝利の褒章として得た竜田揚げを高々と掲げて雄たけびを上げる騎士見習いのショウと、その足元で泣き崩れる同じく騎士見習いのカナン。最後の一個となった竜田揚げをめぐる熾烈な争いは、ショウに軍配が上がったようである。


 料理長たち厨房側と、マリエたち女中側の支度が整ってすぐお屋形様がお見えになり、お屋形様の音頭の元、朝餉は和やかに始まった。いつもどおりに。

 ……いつもどおりだったのだ、最初は。騎士と見習い騎士たちの前に等間隔におかれた竜田揚げも、最初は穏便に分けられていた。それなりに大量にあったから、最初は誰もが穏やかに譲り合った。最低、一人一個は食べられたはずだ。だが数が減ればそうも言っていられず――マリエの当初の予想通り、いや、予想よりはるかにくだらない争いが繰り広げられることになった。主に指相撲によって。

 そう、指相撲。なぜか指相撲。

 マリエは彼らから少し離れた上座のほう、お屋形様やお嬢様に近い席から、それを眺めていた。ばかばかしい、といった感想を隠しもせず。

「……男の子ってほんっとバカばっか。」

 そりゃあ、おかずを増やしてもらったのはマリエだし、取り合いになることもある程度想定はしていたが、ここまでひどいとは思わなかった。

 思わず漏れた心の声に、隣のユートが苦笑する。

「女の子に比べれば子供っぽく見えるのはしょうがないよ。それに彼らは育ち盛りで常に腹ぺこだし。大目に見てあげて。」

「兄さんはそんなことなかったでしょ。二年前だってあんなじゃなかった。」

 横目で軽くにらむと、お兄ちゃんだからね、とふわりと笑って返された。それはそれで理不尽な気がする。

「それに彼らだってそこまで考えなしじゃない。」

「どういうこと?」

「指相撲ならこの場で決着が着くし、そんなに埃が立つわけでもない。食事時の勝負方法としてはまずまずじゃないかな。」

「そういうもの? でも正騎士のみなさんはちゃんと譲り合ってたよ?」

 最後の一口を咀嚼しながら、正騎士たちの様子を思い出す。彼らは勝負事に持ち込むことなく、竜田揚げを平和に分け合っていた。見習いたちも同じようにすれば、そもそも勝負の必要などないはずだ。

「いや、正騎士も戦っていたよ。」

「?」

「互いににらみ合って、相手が一瞬でもひるめばその隙に竜田揚げを掻っ攫っていた。気づかなかった?」

 なにそれ怖い。

 無言でにらみ合って、相手の隙を突いて掻っ攫うとか、一見まともに見えた正騎士たちも、結局のところは見習いたちと同じ――ある意味、見習い以上に殺伐としていらしい。少なくとも見習いたちは、みんなでわいわいがやがやと楽しそうにやっていた。

 その仲良しメンバーの一人が人目もはばからずマリエを呼んだ。

「マリエェ!」

 勝利の余韻に酔いしれていたらしいショウが、箸を持たない左手を大きく振って叫ぶ。

「これ、ありがとな! 美味かったぜ!」

 にっかり笑って竜田揚げを口に放り込む。嬉しそうに味わいながら、びっと力強く親指を立てて見せた。

「だってさ。よかったね、マリエ。」

「……あのバカ。」

 羞恥のあまり耳まで赤くしたマリエがそっと視線をそらす。箸を置き、湯飲みを取り上げて食後のお茶を飲む。照れ隠しに口に含んだ、苦いはずのお茶が妙に甘酸っぱい気がした。


 このとき、お嬢様至上主義のマリエにしては珍しく、お嬢様に注意を払っていなかった。言い訳になってしまうけれど、だからお嬢様がお屋形様に向かってあんな突拍子もないことを言い出すなんて、そんな気配なんてかけらも察知できなかった。

 いつもどおり上品かつ食欲旺盛に朝餉を平らげたお嬢様は、食後のお茶まで堪能してから、両膝に両手をそろえて体ごとお屋形様に向き直ったらしい。そしてまるでいい天気ですね、というような気安さで、爆弾発言を落としてくれたのである。


「お父様、『君の瞳に祝福をパーフェクトガイドブック~甘い魅惑のひと時をあなたに!~』というご本について何かご存知じゃありませんか?」


 口に含んだお茶を思いっきり噴出してしまったとしても、たぶんきっと、マリエのせいじゃない。

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