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精霊の祝福  作者: 裏庭集会
第一幕
2/34

マリエとみんなといつもの朝(上)

 結論から言えば、どうもならなかった。

 祝福を授かってからも、日々の暮らしは変わらず、マリエは相変わらずお嬢様とともに学び、遊び、弟妹の面倒を見、カタスカーナ邸を切り盛りする筆頭家老――何を隠そうマリエの父だ――の手伝いをして過ごした。お嬢様の授かった『精霊様の祝福』はたしかに特別なものだったが、だからといって幼い子供の暮らしを一変させはしなかった。


(ずいぶん懐かしい夢だったなあ……。)

 起き抜けに大きく伸びをしたマリエは、さっきまで見ていた夢に思いを馳せる。

 あれはちょうど五年前のこと。七歳のお祝いにお嬢様が『聖の祝福』を授かったときのことだ。こんなことを思い出したのも、昨日がお嬢様の誕生日だったからだろうか。それとも、お嬢様へのちょっとしたサプライズとして、三ヶ月ぶりにお屋形様がお戻りになったからか。

(あのときは一人で焦りまくったっけ……。)

 お嬢様はどうなってしまったのか。だいじょうぶなのか。これからもちゃんと一緒にいられるのかと、両親に納得できるまで聞きまくった。本当になにも問題はないのだと安心するまで。安心したらしたで、腰が抜けたようにへたり込んで泣き出してしまい、肝心のお嬢様に心配されてしまうし、周囲の大人たちには生ぬるいまなざしを注がれるしで、実に散々だった。五年も経った今でも、思い出すだけで毛布をかぶって引きこもりたくなるくらいの、赤面ものの思い出だ。

 ただ、言い訳を許してもらえるなら、あれは父も悪いのだ。その前に、お嬢様がご苦労なさるとか何とか、疑うことを知らない子供に吹き込んでくれたんだから。お嬢様がなにか大変なことに巻き込まれるんじゃないか、引き離されて一緒にいられないんじゃないかと不安になってもしようがないと思うのだ。

 実際にはマリエが思ったようなことはまったく起こらず――祭事の神楽の舞い手をお嬢様が務められることになったくらいで、日々は穏やかに過ぎていった。

 そもそも、『精霊様の祝福』自体は特別なものでもなんでもない。魔法というよりヌシ様のお力の一部をおすそ分けしてもらうようなもので、お山のヌシ様の祝福を授かった者なら、誰もが持っているものだ。ただ、そのほとんどが『緑の指』と呼ばれる、育てた作物に豊作をもたらす能力で、農家にとっては本当にありがたい祝福なのだが、いかんせんわかりにくい。ろうそく程度であろうと火を熾せるような能力だったら、見た目にもわかりやすかったのだが。

 『緑の指』以外も、マリエの『風読み』のように天候の変化を察知できる能力とか、『水分(みくま)り』のように水源を探す能力とか、いずれも農村で暮らすにあたり非常に役に立つ便利な力なのだが、そのどれもがぱっと見でわかりにくい地味なものだ。残念なことに、お山の麓にはわかりやすく目に見える派手な祝福を授かった人はほとんどいなかった。

(そのせいでこの世界がファンタジーな異世界だなんて考えもしなかったんだよねー……。)

 だからといって、困ることなど別段ないのだけれども。

 お嬢様は数少ない例外の一人だ。

 マリエたちが授かった便利だが地味な祝福と比べ、お嬢様の授かった『聖の祝福』は少々毛色が異なる能力だ。『聖の祝福』は精霊様をお慰めする能力で、神官になるための必須条件らしい。特にお嬢様は『聖者』と呼ばれるための三条件をすべて満たした完全無欠の聖女様で、お嬢様が祭りで神楽を舞われると、お山の気配――ヌシ様の気配が穏やかになる……らしい。ちなみに、マリエにはそのあたりの感覚はさっぱりわからない。ただ、お嬢様が舞を奉納された後は、格段に天気が読みやすい。ほかの人も同じように祝福の利きが良くなるらしく、春と秋の大祭での大掛かりな舞台はもちろん、毎月の神事で神楽を奉納されるのが、ここ数年のお嬢様の恒例行事になっている。

(お嬢様は美人だし、おっとりさんだから、舞装束が似合うんだよね。)

 長い黒髪をきれいに結い上げ、清楚な伝統装束を身にまとい、神官様の笛に合わせて、神妙な面持ちのお嬢様が舞う神楽は、一見の価値がある美しさだ。幼い頃は年に二回だったはずの神楽が、毎月の神事で奉納されるようになったのも、お嬢様があまりに似合いすぎるからだと、マリエは確信している。おかげでお嬢様の日課の中で、舞のお稽古の時間が大幅に増えた。

(お傍にいるのは変わりないし、お嬢様も楽しんでいらっしゃるからいいけどね。)

 聖女の務めが少しでもご負担になるようなら、あるいはお傍にいられなくなるようなら、猛反対しただろうが。

 ――幼い頃から変わらないのは、マリエのお嬢様至上主義も同じであった。


「――って、そんなこと考えてる場合じゃないっ!」

 ついつい夢の余韻に浸ってしまったが、朝は忙しいものだし、時間はあっという間に過ぎるものだ。すでに障子の向こうはだいぶ明るくなっている。ほかの使用人たちは、すでに動き出しているだろう。ぼうとしている暇などなかった。

 マリエは急いで身支度を整え、仕上げに奔放にはねる焦げ茶色の髪の毛を頭の後ろで一つに束ねる。ぴょこぴょこはねる癖っ毛は、ぜんぜんまとまらないし、雨期はさらに湿気でうねるしで、正直言って扱いにくい。昔はお嬢様のまっすぐで艶やかな黒髪がうらやましかったものだ。今では逆に似てなくてよかったと思っているけれど。いくらお嬢様至上主義を掲げるマリエでも、本物の美少女と比較されて喜ぶ自虐趣味はない。

「よし。」

 頬を軽く叩いて気合を入れなおし、マリエは朝の戦場――つまるところの厨房――へ向かおうと襖を開ける。そのとたん、がっくりと膝を突きたくなった。

(坊ちゃんズめ……!)

 敷居のすぐ外側に、手のひらサイズの雪だるまの兵隊が立ちふさがっている。いつからいたのやら、溶けかけの彼らには土が着いていて、はっきり言って汚い。おまけに廊下のそこかしこに泥混じりの水溜りができている。おそらく、外へと続く玄関か、縁側あたりから続いているのだろう。

 考えるまでもない。こんないたずらをするのは、若様と愚弟しかいない。

(男の子だし、元気が有り余っているのはしょうがないといえば、しょうがないんだけどさあ!)

 三歳年下の従弟は、まさにいたずら盛り真っ盛りであった。マリエの末の弟を引き連れての連日の大騒動には、本当に手を焼かされっぱなしだ。

 今日のように戦利品(という名のガラクタ)を自慢げに並べるのはまだいい。カエルだのヘビだのを集めてくる、カマキリの卵を捕ってきて大量に孵化させる、手づかみで池のコイを捕まえる、田んぼに落ちて泥だらけになる、度胸試しと称して滝つぼに飛び込む、山積みにした稲藁やら雪やらの上に屋根から飛び降りる……。

 過去に彼らが実際にやらかしたいたずらの数々を思い出すと、ため息しか出ない。そのたびに後始末に奔走することになるのはマリエなのだ。おまけに彼らからはくみし易い相手として完璧に舐められているらしく、マリエは昔からしょっちゅう標的にされていた。さすがの坊ちゃんズも火遊びだけはやらないけれど。以前、納戸で小火(ぼや)騒ぎを起こしたときに立場も身分も忘れて怒りまくったのが身にしみたらしい。

 ……その反省を、ほかにも生かしてもらいたいと思うのは、わがままだろうか。

 多少冷や冷やさせられる危ない遊びはするものの、悪質ないたずらはしないので、大人たちは微笑ましく見守っている節がある。わからないでもないのだが、振り回されるこちらの身にもなって欲しいところではある。

(むしろ被害拡大を防ぐための防波堤扱いだよね……。)

 ため息をついて敷居と一緒に兵隊さんたちをまたぎ越すと、マリエは急いで別棟の女中控え室に向かう。長机が置かれ、火鉢や茶道具が完備され、大人数が待機できるように整えられている控え室には、朝の早い年嵩の女中がすでに詰めており、和やかに会話しながらお茶をすすっていた。

「おはようございます。すいません、ちょっとよろしいですか?」

「おはよう、マリエちゃん。……慌てちゃって、どうしたの?」

 おば様方は、マリエのことをちゃん付けで呼ぶ。そして孫に向けるような、見守るようなまなざしを向けてくださる。言葉にすると「あらあら、まあまあ。」という感じ。

 いや、まあ、年齢を考えたら妥当なんだけど。

 筆頭家老の長女で、主家の姫君の乳兄弟で、侍女であるマリエは、これでも一応、使用人の中では高い地位にある。それが名目上に過ぎないことは、マリエもよくわかっていた。

 別に、兄のことは様付けで呼んでいるのに、とか考えてはいない。

「母屋の廊下に泥だらけの雪だるまが並んでいるので、片付けないといけないんです。」

 簡単な説明だが、おば様方はすぐに察してくださったようで、「あらまあ」ところころ笑った。

「それは大変ねえ。」

「夕べはなかったわよね? 朝から頑張っちゃったのねえ。」

「男の子だもの。しょうがないわよ。」

 うん、数多くのお子様・お孫様を育て上げたおば様方には、これくらいのいたずらごときでは、たいしたダメージは与えられないらしい。実にすばらしい。マリエとしても早々にその境地にたどり着きたいと思っている。そうでないと精神衛生上よろしくないから。

「かなり広範囲に汚れていると思うので、できれば助っ人をお願いしたいんですけど……。」

「いいわよ、こっちでお掃除するわ。」

「マリエちゃん、朝餉の支度があるでしょう? お台所に行ってあげて。」

「ですが、」

「いいからいいから。」

「そのかわり、坊ちゃんたちへのお小言はマリエちゃんのお役目ね。」

「そうそう。坊ちゃんてば、マリエちゃんの言うことしか聞かないものねえ。」

「男の子だもの。しょうがないわよ。」

「あたしの言うこともぜんぜん聞いてくれませんが……わかりました。」

 結局、いいように一番面倒臭い役割をふられたわけである。「頑張って」と手を振るおば様方に見送られたマリエは、雪だるまの残骸で足を滑らせないように念を押しつつ、控え室を離れた。


(なんか、朝から疲れるなあ……。)

 ため息をつきつつ、今度こそ厨房に足を向ける。その途中で閉じたままの雨戸に気づいて、採光と換気のために開けたのだが――

「……。」

 屋根の雪の重みで多少がたつく雨戸を開け放って視界に飛び込んだ光景に、マリエはいわく言いがたいまなざしを向けざるを得ない。

 真冬のように吐いた息が白く凍ることはなくなったものの、早朝の屋外はまだ冷える。特に今年は春が遅く、今は止んでいるものの、今朝方まで牡丹雪がぼとぼと降っていたはずだ。そんな中、活きがいい騎士見習いたちは、元気に雪かきに精を出している。子供っぽい丸い頬を真っ赤にし、坊主頭から湯気を出しながら。

(……いや、うん。雪かきはありがたいんだけど! してもらえないと困るし、ありがたく思うべきなんだけど!)

 いつものことながら、『ラグロウズ騎士団(見習い込)』の名称と見た目のギャップには、微妙な気分にさせられる。勇猛な名称を冠してはいるが、実態は農家の次男坊以下を集めた地元の青年団だから仕方がないのだけれど。まして冬場の主なお仕事が除雪で、正騎士も見習いも関係なく全力で投入されるという、のどか極まりないのが実情だから、本当に仕方がないのだけれど。

(騎士ってふつう、もうちょっと格好いいイメージだよねえ……。)

 まかり間違っても、騎士と聞いてリンゴのほっぺにいがぐり頭から湯気を立ち上らせる垢抜けない姿は連想しないと思うのだが……現実は無常である。

 そんな、今日も元気ないがぐり君の一人が、なんとも言えないまなざしを向けるマリエに気づいたらしい。除雪用の雪べらを動かす手を止め、マリエに向かってぶんぶん振って――

「おーいっ! おっはよー、マリエ!」

「ショウ・グレン! 真面目にやれ!」

 まとめ役兼監視役の先輩騎士に拳骨をもらっているのだから世話がない。

 マリエは殴られた頭を抱える幼馴染に「ばーか」と口の形だけで応えると、ほかの皆様に会釈をしてその場を後にする。

 とはいえ、彼らへの感謝は本物である。本物なのだから――今日の彼らの朝ごはんは、おかずをちょっとサービスすることにしよう。そうしよう。


 やっとの思いで厨房にたどり着くと、そこにはすでに料理長をはじめ料理人のみなさんが揃っていて、食材を搬入していた。

「おはようございます! すみません、お待たせしてしまいまして……。」

「おはようございます。遅いぞ、マリエ。」

 そして、家政の一切を取り計らう父――筆頭家老の姿も。

 ご家老は懐から取り出した懐中時計で時間を確認すると、マリエに厳しい目を向ける。

「今日はぎりぎり間に合っているからいいが……以後気をつけるように。明日からはもう三十分早く起きなさい。」

「……はい。」

 私生活では激甘とすら言える父だが、さすがに仕事場では厳しい。返す言葉を持たないマリエは、言葉少なにうなずくしかなかった。想定外の坊ちゃんズのいたずらで時間を取られたのは確かだが、そもそも朝のんびりしすぎたのも事実なのだから。

「そんなに目くじら立てるほどのことじゃあないだろう。」

 態度に出していたつもりはなかったのだが、しょんぼりしているように見えたらしい。料理長が大きくて無骨な手でマリエの頭を力強く一撫でしてかばってくれた。

「嬢ちゃんはよくやってくれてるさ。」

「甘やかしては本人のためにならない。」

「厳しくすればいいってもんでもないだろうさ。お前さんが嬢ちゃんくらいだった頃と比べれば、むしろ上等だ。」

「……。」

 さすがの父も、子供の頃からの諸々が知られている相手だと、分が悪いらしい。押し黙ってしまったところを見ると、あんまり自慢できる思い出ではなさそうだ。

(お父さんの子供の頃……思春期の頃とか?)

 だとしたら、他人から絶対につつかれたくない類の記憶だろう。娘としては、逆に聞いてみたくはあるけれど――

(無理っぽいな、これは。)

 チラッと見上げた父は、相変わらずむすっとして口をへの字に結んでいる。マリエは早々にあきらめることにした。

「それより、今日の朝ごはんなんですけど!」

 両の手で拳を作って主張する。話題転換としてはかなり強引な自覚はある……が、料理長も筆頭家老も乗ってくれた。

「そうだな。そっちが先だな。」

「なにか問題でも?」

 乗ってくれたなら、全力で軌道修正するべし。

「騎士団の皆さんが、早くから道路の除雪をしてくれてます。おなかが空いてるだろうから、力になるようなものを出してあげたいです。」

「除雪も彼らの仕事の一環だ、当然だろう。」

「そう言うな。野郎共、まして育ち盛りなら、いくら食っても足りないもんだ。わかるだろう? そうだな……おい、新巻でなにか一品増やせるか?」

 料理長の問いかけに、「それなら、」と下拵えを始めていた二名が振り返った。手にした白菜を掲げて応える。

「騎士連中なら朝からちょっと重くても大丈夫っすよね? 竜田揚げとかどうっすか? 大根を大量に摩り下ろして。」

「あ、竜田揚げなら、俺、作ります。」

「朝餉までに間に合うか?」

「今からでしょ? 充分です。」

 材料、分量、所要時間、手順、そしてほかの作業への影響。それらに問題ないことをざっと確認すると、料理長は重々しく了承する。

「わかった。後は任せる。……ああ、塩分は濃い目で。」

「わかってます。肉体労働の後ですからね。」

「ちょっと待て。品数を増やす前に食材は足りるのか? 予算は?」

 気がつけば料理長主導で朝食のおかずが増えることになり、ご家老が慌てて口をさしはさむ。そもそもご家老が毎朝厨房を訪れるのは、一日の献立確認もあるが、備蓄した食材の在庫やら、不足分の食材の発注やら、経費やらの確認があるからだ。

 当然だ。騎士や使用人を数多く抱えるカタスカーナ家の食い扶持は多い。また、冬場は食材――特に生鮮食料品の補充が難しい。食材が足りなくなったからといって、即座に補充できるわけではない。予算的にも物量的にも厳しい台所事情を預かる筆頭家老が気にかけるのは当たり前だった。最高責任者はもちろんお屋形様だけど、不在がちなお屋形様に代わって実務の一切を任されている――実際に使用人たちの口を養うのは、筆頭家老たる父だから。

 だが、いかつい顔をした料理長は、そのご家老の指摘を軽く受け流す。

「嬢ちゃん、今日の天気はどうだ? お山に入れそうか?」

 発端は自分だとはいえ、とっくに一人歩きしていた話題がぐるっと一周して戻ってきて、マリエはぱちくりと瞬いた。

「え? ちょっ、ちょっと待ってくださいっ。」

 少し遅れて料理長の質問の意図を理解し、急いで意識を集中する。

 雲の動き。風のにおい。大気の湿り具合。外にいれば、そういった諸々のヒントが、マリエに天気の変化を教えてくれる。なにも特別なことではない。物事をよく観察し、このあたりの気象についての知見がある人間ならば、予測は可能だろう。なにも『風読み』を授かったマリエでなくても。

 だがマリエは、真っ暗な部屋に閉じ込められていても明日の天気をぴたりと当てることができた。どうしてかは、マリエにもわからない。なんとなくわかるのだとしか説明できない。

 だからこそ、『精霊様の祝福』と呼ばれるのかもしれない。

「――大丈夫、みたいです。お山の天気は変わりやすいから、保証はできませんけど……。」

 マリエの予測は百発百中ではない。高い精度を誇るほうではあるが、もちろん、外れることもある。特にころころ変わるお山の天気は予測しきれるものではない。

 それでも、料理長は目を細めて「充分だ。」と力強く言い切った。

「騎士連中には狩りに行ってもらう。本人たちが食べた分を本人たちで補充すりゃあ問題ないだろうさ。ついでにそろそろ山菜が出始める時期だ。」

「料理長! 俺、タラの芽食べたいっす! タラの芽の天麩羅!」

「フキノトウ! フキノトウ味噌! ご飯のお供!」

「ゼンマイ、コゴミ、ウド……ワラビはまだ早いかな? いやあ、春ですねえ。そのうち、タケノコも掘ってきてもらわないとなあ。」

 料理長の山菜発言に、料理人たちが次々に手を上げる。というより、自分が食べたいものを挙げているだけだろう。便乗する気、満々だ。アクも苦味も強い山菜が苦手なマリエとしては、彼らがそこまで目を輝かせる理由はさっぱりわからないが。

「……ってことなんだが、どうだ?」

「わ、わかった。そういうことならば、いいだろう。」

 料理人たちの謎の気迫に押されたのか、許可を出すご家老も心なしか、腰が引けていた。

「ああ。それ以外の献立はこれとこれで……」

「その場合、食材の備蓄は……」

 ご家老と料理長が、献立の最終確認に入った。料理人の面々も、それぞれ自分たちの作業に戻っている。……そろそろ、お嬢様がお見えになってもおかしくない時間なのだが。

 いつもなら朝の身支度くらいお一人で済ませてしまうたいへん手間のかからない――もとい、お仕えのしがいがないお嬢様だ。そのお嬢様が、いつもならすでにいらっしゃっているはずの時間にお見えにならないことに、マリエは小首をかしげる。

(珍しい。寝坊でもされたかな?)

 とりあえずお嬢様の様子を確認しに行こうと、手持ちの作業がないマリエは厨房で働く彼らに目礼する。ご家老が軽く右手を上げて応えたことを視界の端に捉え、そのまま静かに厨房を後にしようときびすを返したところで、口数の多い料理人の一人が新巻鮭片手に余計なことに首を突っ込んでくれた。

「それにしてもお嬢も健気っすねえ。」

「え?」

「だって竜田揚げ(これ)、ダンナのためでしょ?」

(いらんことをっ!?)

 父の肩がピクリと震えたのは、たぶん、見間違いじゃない。

「……。」

 だが筆頭家老としての務めを優先する父は、淡々と料理長との打ち合わせを続ける。内心は荒れ狂っているのだろうが、表面には一切出さない。立派である。使用人の鑑である。ぜひ見習いたい。だから、お願いだから、内なる不満はそのまま胸にしまっておいて……くれないんだろうなあ、と、マリエは遠い目をしたくなった。

「おお! そーいやそうだな。」

「ダンナを陰で支える嫁……いいなあ。」

「内助の功っすよねえ。いやあ、ショウの野郎がうらやましいぜ。」

 からかうつもりなのだろう。ほかの料理人たちも参戦してきた。

 騎士も使用人も大勢いるとはいえ、所詮はごくごく小さなコミュニティだ。まして、幼い頃から知られている相手だ。もちろん、人間関係など筒抜け。

(お母さん、ゴメン。)

 無表情の下に不機嫌を溜め込んだ父のフォローに回らざるを得ないだろう母に内心謝罪し、マリエは開き直ることに決めた。

「違います。あのバカが迷惑かけてるから、そのお詫びです。」

「……言い切ったな。」

「……言い切りましたね。」

「お嬢、ぜんぜん照れないから、つまんねえっす。」

 ぶーぶーと文句を垂れる彼らをにらみつけ、マリエは腰に手を当てて胸を張る。

「楽しませるつもり、ありませんから。」

「そんなこと言っても、耳が赤いよ、マリちゃんっ?」

「おおおお嬢様ぁ!?」

 後ろからぎゅっと抱き着いてきたお嬢様に、マリエの心臓がはねる。突然抱きつかれて驚いたからで、照れ隠しに虚勢を張ったことがばれたからじゃない。

「おはようございます、お嬢様。」

「おはようございます、みなさん。おはようございます、マリちゃん。」

 お嬢様は、軽く頭を下げる料理人たちに笑顔を返している。もちろん、マリエにも。

 マリエは目を細めてお嬢様の輝く笑顔を見つめた。お嬢様は、今日も朝から麗しい……って、そんな場合じゃなかった。

「お嬢様、厨房でいきなり抱きついたら危ないです。」

「マリちゃん。おはようございます、だよ?」

「……おはようございます、お嬢様。」

「うん。」

 マリエが挨拶を返しただけで、お嬢様は本当に嬉しそうに口元をほころばせる。油断するとほだされそうになるが――マリエは腹筋に力を込めて耐えた。

「お嬢様。厨房は刃物も火も使う場所です。危ないまねはお止めください。」

「うん。ごめんなさい。もう、しません。マリちゃんがかわいかったから、つい。」

(かわいいのはお嬢様だ!)

 叫びたくなる衝動を拳をぎゅっと握りこんで耐え切った自分は、褒めてあげていいと思うのだ。

「本当に気をつけてくださいね? ……それに、あーゆーのは、見てみぬ振りしてくださいよ。」

「ふふ。ゴメンね?」

 小声でつけたせば、お嬢様も小声で返してくれる。だが、その顔には楽しくてしようがないと、ありありと書いてあり、マリエはため息をついた。

「お願いしますね?」

「うん。わかってる。」

 あんまりあてにならないんだろうなあと思いながらも念を押すと、お嬢様は「大丈夫だよ?」と笑う。

 お嬢様に悪気はまったくないのはわかっているが……天然のおっとりさんなだけに、発言が読めない。こと、こういったことに関しては信用できないのだ、マリエを――他者を貶めようどころか、からかおうという発想すらないのにこれなのだから。

 これもお嬢様らしいといえばお嬢様らしいか、と、マリエはあきらめの息をつく。

「そういえばお嬢様、今日は寝過ごされました?」

「うん。ちょっとね。夕べなかなか眠れなくってね。――あ、ぜんぜん大丈夫だから。ちょっと考え事してただけで、ほんとに、心配要らないから。」

 心配そうに眉根を寄せたマリエに気づいたのだろう。お嬢様は両手をふって否定する。だが、お嬢様の『おやすみ三秒』はこの年になっても変わらない。眠れなかったなどといわれて心配するなというほうが無理なのだ。だが、「ほんとにほんとだからね?」といわれてしまえば引き下がらざるを得ず――

(とりあえず安眠を促すお茶は調合してもらうとして。あとはリラックスできるお香とか? 枕を換えたら逆に眠れなくなりそうだから……ああ、あとは寝る前にストレッチとかも有効なんだっけ?)

 ぜんぜん引き下がるつもりのない、世話焼きなマリエであった。

リンゴのほっぺにいがぐり頭に需要はあるのでしょうか……?

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