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1-4「廃墟の王国」

 第四章 廃墟の王国



 風だけが吹いていた。

 青い空から、乾いた大地に向かって。

 大地には、はるか遠くから連なる岩山が広がり、岩山の麓には、巨大な都市の抜け殻があった。

 誰も住まなくなった都市は、すべての機能を停止していた。いや、人の営みがあってこそ、街は入れ物としての役目を果たすのだ。

 『遺跡』……魔法使いが築き上げた理想郷。ウトガルヅルは、当時大陸に存在するどの都市よりも、巨大で整った街並みが並ぶ美しい場所だった。

 それは現在でも変わらない。ただ、そこが人の住む環境でなくなった事を除けば。

 砂を含んだ風が、街をなぶって吹き過ぎる。いつの日か、廃墟が同じ砂に戻る時まで。



 円形に広がる都市は、中心に立派な建物がそびえ、そこに向かって放射状に道が延びている。中心のそれは、神殿のような役割を果たしていたのだろう。

 歳月が過ぎてもまだ当時の華麗さを残す建物の前に、人が集まっている。だが雑談をする為に集まったのでない事は一目瞭然だった。

 建物の広場で十人ほどの人間が、今しがたやって来た二人の男を遠巻きに眺めている。場にいるのは全員が男だったが、その年齢は様々だった。たったひとつだけ共通している事は、皆剣呑な眼差しで二人を睨み、激しい敵意をむき出しにしていた。すぐにも乱闘になりそうな場の雰囲気を押さえているのは、神殿の扉の前に立つ男だった。

「顔を見せてもらおうか」

 静かな、だがどこか虚ろな声に二人はフードを下ろし、口元を覆っていた布を取る。そこには同じ造作の顔が二つ並んでいた。ただ、微妙に目つきや口元の作る表情が異なっている。

「私は、シリカ・E・リンドブルムと申します。勝手に都市に入り込んだ無礼をお許し下さい。しかしそれも、連絡が取れなかった故の所業です。どうかお気を悪くなさいませんよう……」

 シリカは一歩前に出る。それだけで、周囲の人間は警戒心をむき出しに近寄ってきた。だが彼はまったく躊躇する事なく歩を進める。そして扉の前に立つ男を見上げると、ふっと表情を弛めた。

「……あなたでしたか。ゼル・ヘルクラウトさん」

「知り合いなのか、兄さん」

 追いついて来たモリオンが、シリカに耳打ちする。

「まぁ、それはまたおいおい話しますよ」

 深く息を吸い込んでから、シリカはヘルクラウトを見据えた。相手もまた、シリカに視線を固定させる。

 二人の間を風が吹き抜け、周囲に緊張が走る。先に口を開いたのは、シリカだった。

「ヘルクラウトさん、ひとつお聞かせ願いたい。あなたは教職に就きながら、なぜこの様な行動に出たのです? なぜ今まで築いた物を省みようとしなかったのですか?」

 返ってきた答えは、冷淡そのものだった。

「お前に話す必要はない。そして、お前の語る口もまた、必要ない」

 周囲の人間が、さらに迫ってくる。刃物は持っていないが、拘束する為のロープを持っている者もいる。こうなっては、その場から脱出する事はできそうもない。

 彼らにも相手の懐に飛び込む事が危険だと、初めからわかっていた。それでも……罠でも何でも、飛び込まなければならない理由が、そこにあったから。

「妹を……。フローラを返せ!」

 耐えきれなくなったモリオンが叫んだ。

「お前達に、それを叫ぶ資格があるのか?」

 口調は今までと何ら変わる事はなかった。だが二人を見下ろす眼差しに、深い怒りと憎しみが沈んでいた。

「父が殺されたとき、同じ事を叫んだが。誰も、どうにかしてくれなかった」

「父親だって? どういうことだ?」

「あ、あなたは……一体……」

 困惑する二人に、彼は傲然とした口調で言い放つ。

「私の名はトール。だが今は、ウトガルザ・ロキを受け継いだ」

 ヘルクラウトの言葉にいち早く反応したのはシリカの方だった。

「あなたが、ロキ……。いえ、最後のロキの子息ですか」

 シリカは思いつめたように足下に視線を落とすと、大きく溜息をついた。

「そう、そうなのですか……」

「兄さん……?」

 モリオンが胡乱げに訊ねる。だがシリカは弟の様子など、まったく目に入っていない。

 風に舞う砂を見ながら、シリカが口を開く。

「今さら……今さら。ウトガルザ・ロキを殺したのは、私達の父ではないと言ったら、あなたは信じますか?」

 彼はどうしようもなく辛そうな顔をしていた。



「さぁっ! シリカ達がここに来ている以上、こんな狭苦しい場所で座談会している暇はないわ。さっさとシリカのところへ向かうわよ!」

 いつものように勢いよくまくし立てるイリスに、カイゼルは眉根を寄せる。

「……どうするんだよ。扉の前にはあの人がいるぞ」

 カイゼルは肩越しに振り返る。そこにはギーヴルが黙ってこちらの様子を眺めていた。

 イリスはううむと唸る。

「えーっと……。一人がこの人を押さえて、もう一人が扉を開ける。そして私が出て行って華麗に活躍。まぁ、その辺が妥当じゃない?」

「最初っから俺達を犠牲にするのが条件かよ!」

「いやだぁぁぁぁっ! 僕は死にたくないっ!」

 ごろごろともだえるヘーゼを見ながら、ギーヴルは呆れた様子で口を挟む。

「お前らさ、言うとる事が丸聞こえやぞ」

「聞いてるなら、さっさとここから出してよ!」

「……なんか、出したら面倒くさそうやから、事が落ち着くまで閉じこめることにするわ」

 言って、ギーヴルは木箱から降りて扉に向かう。

「待てよ。シリカに何をするつもりなんだ!」

「何って言われてもなあ。お前らには関係ない話や」

「っ、確かに直接関係はないけど……でも、ここまで来たら無関係だって言えないぞ。詳しくは知らないけど、あんた達の族長を殺したのがシリカの親父さんで、だからシリカの妹を誘拐したんだろっ!」

 叫ぶカイゼルを、男はじっと見下ろしたまま黙っていた。

 そうやって、ひとつ息を吐く。

「……知っとったんか」

「シリカのお父さんが昔、皇都周辺に出没する盗賊を退治した。訓練校の授業に出るくらい有名よ」

「……イリス、お前は覚えてなかったじゃないか……」

「でも、そうやって散々悪い事をして、それで成敗されたからってシリカのお父さんを恨むのは筋違いだよ」

 三人がそれぞれに言い合っている様に、ギーヴルは忌々しげな舌打ちと共に漏らす。

「……先に手を出してきたのは、皇都の方や」

 軽く頭を振ってから、ギーヴルは疲れがにじむ声で告げる。

「ワイらが国を失って、放浪の民になっても生きてこられたんは、皇都や近隣の村と交易を行う事ができたからや。けど、突然それを禁止されたんや。国境紛争が激しくなってきたから、街道付近の通行を制限したかったらしい。そうやって、一族は閉め出された。後はあんたらの知っとる通りや。手に入らんかったら、奪うしかない」

 カイゼル達は男の告白に口を閉ざす。荒野をさすらう生活など、想像もできなかった。相手の行為を非道だと罵るのは簡単だったが、三人は口にする言葉を見つけられず、沈黙を続けるだけ。

「国境も封鎖され、逃げ道も失った一族は……嬢ちゃんが言った通りや、盗賊家業に手を染めた挙げ句、族長を殺された後は大半は死んでしもうたし、残った奴らの行方もわからんようになった。ワイは商人の一団に拾ってもらえたし、中には皇都に受け入れられた奴もおる」

「皇都にも、あんたの一族がいるのか?」

 カイゼルは慌てて口を挟む。

「あぁ、そうや。何年もかかってお互い連絡を取り合って……今回の運びとなったわけや」

「仇の子供を誘拐すること?」

 茶化すように言ったのはイリスだ。

 ギーヴルは思いつめたような目で床の一点を見つめると、寂しげに笑って、言った。

「痛いとこついてくるなあ。確かに、小さい嬢ちゃんを誘拐するんは罵られてもしょうがないことや。一応、ワイは反対したんやで。どうせ用があるんは男の方なんやから、そんな回りくどいことせずに男の方だけ首に縄付けて引きずってくればよかったんや」

「そもそも、シリカにどんな用事があるのよ」

「計画に必要なんや」

 三人は首を傾げる。その様子に、ギーヴルは意地の悪い、だがどこか愛嬌のある笑みを浮かべる。

「魔法王国ウトガルヅルを復活させる為にな」

 男の言葉が浸透するまで、少しの間が必要だった。

「王国って……でも、魔法はとうの昔に地上から消えたんだ。今さらどうにもできない……あっ!」

 言いながらカイゼルはあることに気がつき、三人は顔を見合わせる。

「もしかして……っ!」

 カイゼルは自分の思いつきに戦慄する。

 確かに、魔法そのものは後世に伝わる事なく消滅した。だがそれに代わるものが、現在魔法として認識されている。

 だが彼らが一度だけ見たそれは、強大な力も宝石の輝きもない、ただの石ころだった。

「そうか、マテリアだ!」

 世界で唯一、魔法という奇跡を生み出す鉱物。

 そしてシリカは訓練校でマテリアの精製に関する研究を行っていた。

「そうや。本当に必要なんは、男の持っとるマテリア精製技術や。マテリアは金より価値があるからな、売れば金になるし、実際に使えば機甲兵団ともやりあえる代物やからな」

「でも、シリカにそんな事ができるのか?」

 訓練校で見た限りでは、まだまだ実験段階のようだった。とても実用できるような状態まで研究は達していないだろう。

 三人の危惧に、ギーヴルは皮肉めいた笑みを見せる。

「できんかったら、死ぬだけや。ここにはあの兄弟を後ろから刺そうと狙っとる奴らが大量におるんやで」

 そこでギーヴルは話しは終りとばかりに踵を返す。

「ま、お前らは多分大丈夫や。勘違いしとるようやけど、ワイらは人殺しをする為に集まっとるわけやない」

「でも、もうシリカ達を苦しめているわ」

 イリスの言葉はどこまでも突き放していた。

「それに、魔法を甦らせるなんて無理よ」

 魔法王国の復活。

 それはかつての栄光を知る者なら誰でも憧れ、砂糖菓子のように甘い誘惑にかられるだろう。

 だがそれは、夢物語だからこその甘さだ。

 彼の話している計画は、多くの矛盾と欠点を抱えていて、決して現実を見ていない。

 そもそも、できるかどうかわからないシリカのマテリア精製技術を当てにしている辺りがもう、計画としては破綻している。

 例え彼の持つ技術が本物だとしても、マテリア自体の発掘作業はどうするのか。そして、精製する作業場、機材、それらを調達する為の資金。様々な問題を乗り越えて精製できたとしても、マテリアを使いこなせる者がいるのか。

 疑問点を上げればきりがない。

 その穴だらけの計画案に気づいているのは、何もカイゼルだけではない。それを語る男もまた、欠点をわかって喋っているような節があった。

 男は飄々とした調子で語りながら、時折つらそうに眉根を寄せてみせた。

 今、己が乗っている船が沈没寸前とわかっていても、逃げ出す事ができないでいる。

 そんなギリギリの境界で踏み留まっている、いや、留まる事しかできない、そんな苦悩が見え隠れしていた。

 地下室に押し込められる前、カイゼルは他の同志達の姿を目の当たりにした。男達は誰も疲労の色が濃く、既にかなりの無理を押し通してきた事がはっきりわかった。それでも、目だけが異様な精彩を放っていた。己の信じるものを盲信する、狂気とも呼べる思い。目を合わせただけで、意識が凍りそうになった。

 そんな中、ギーヴルだけが人間として、常識的な感性を持っているように思えた。

 だから、言ってしまった。

「魔法王国の復活なんて、無謀すぎる。それに……本当にそんな事ができるなんて、あんたは思っているのか?」

 直球過ぎる物言いに、さすがにギーヴルは押し黙る。そうやって少し間を置いた後、ぽつりとつぶやく。

「……できるかどうかなんて、関係ない。ただワイらは族長の決定に従うだけや」

「ヘルクラウト先生が、そう言ったのか?」

 だが、カイゼルの疑問にギーヴルは答えない。

「お前らは大人しくしとくんやな。事が終わったら、ワイからトールに掛け合うたる」

 ギーヴルは三人に手を振ってよこす。

 イリスは背を向けた彼に向かって叫んだ。

「待ちなさいっ! そんな面白そうな事、私達が参加しないわけにいかないでしょう!」

「どーするんや、お嬢ちゃん」

 ギーヴルは振り返りもせず、面倒くさそうに頭をかき回す。

「騒動が私を呼ぶのよ!」

 イリスは捨てずに持っていた板きれを振り上げた。

 そして……

 凶悪な音と共にギーヴルは昏倒し、イリスは倒れた男を前に、ガッツポーズを取っている。

「また勝手に俺達を巻き込んだな……」

 カイゼルは陰鬱な面持ちでつぶやく。

 少年二人は息を吐きながら立ち上がると、倒れたギーヴルを引きずってくる。手近にあった縄で縛り上げ、その端を重そうな木箱に巻き付けた。

「うぅ……。こんな荒んだ思い出も、いつかは笑って話せるようになるのかな?」

「思い出にできるくらい時間が経てばな」

 カイゼルは重い息を吐きながら、ギーヴルの懐から鍵束を取り出す。ギーヴルは頭から血を流し、微かに痙攣していた。

「文句言わないの。ほら、さっさとシリカを探すわよ!」

 扉の隙間から顔を出し、廊下の様子をうかがいながらも、イリスは生き生きとした表情で二人を手招きした。



 族長を殺害した者は、他にいる。

 シリカの告白に、人々の動きが止まった。

 風が吹き過ぎる街で、シリカはさらに言葉を続ける。

「あの日……。父が集落に踏み込んだ時、ロキは既に息絶えていました。父はそれを部下に口止めし、自分の手柄にしてしまったのです」

 全員が虚を突かれて形容しがたい表情を見せている。出すべき言葉と行動を見失った者達の中、ヘルクラウト……いや、トールは数呼吸分の沈黙の後、

「続けろ」

 小さくそう言った。

 それを受け、シリカは悔恨と苦痛に満ちた顔で言葉を紡ぐ。

「ロキは毒殺されていました。犯人はそれと同じ物を集落の井戸に投げ込み、姿を消しました」

「それが信用に足る、根拠は?」

「ありません。ですが、隠していた手記に嘘を……しかも、自分をおとしめる内容を書く人は、そうはいないでしょう」

「くだらんな」

「……そうですね。面白くもない話ですが、父は事実を知る何者かに強請られ、それが原因で心身を病んでしまい……死にました」

 もしかすると、強請っていた者こそが、ロキの毒殺を実行した張本人なのかも知れない。シリカは可能性のひとつとして考えていたが、肝心の手記には、はっきりとした人名は記されておらず、今さら探す手だてもない。

「我々がそれを聞いて、貴様達に哀れみを覚えるとでも思っているのか?」

「あなた方が見たものだけが真実ではない。そう言いたかっただけです。今さら父の罪を否定する事も、無関係を装う事もしませんよ」

「もしそれが事実なら、貴様もまた、あの国に運命を狂わされたと言える。我々は、同士として手を取り合えるはずだ」

 声は深く静かで、どこか抗いがたい響きを持っていた。訓練校で見せていた姿と同じはずなのに、内に潜むものが違った。それが彼本来の性質なのか、ただの上っ面だけの演技なのかはシリカにはわからなかった。

 元々、シリカはヘルクラウトという人間をよくは知らなかった。訓練校に居座っているからといって、他の教師と交流する事はほとんどなく、寡黙な教師と会話をする機会はないも同然だった。

「……妹は、家に帰して下さい。それと弟も」

 一歩踏み出したシリカを、モリオンが腕を引いて止める。

「兄さん駄目だ! 戦おう!」

「残念だが、その条件はどれも飲めない。お前達三人は、我々の一族に加わってもらう」

 周囲を囲っていた人間が、一気にその輪をつめて二人に掴みかかってくる。振り解こうにも、人数が多い上に向こうは手加減をしない。

「フローラだけでなく、俺も人質にする気か!」

「誰か一人を放して、他の人間に助けを呼ばれる事を恐れているのでしょう。今はまだ、彼らは脆弱な集団でしかありません」

「逃げられない、戦えない……。どうすれば良いんだ!」

 モリオンは悲痛な叫びを上げる。

「そぉっこまでよぉ!」

 突然の声に、その場にいた全員の視線が神殿に移る。神殿の二階、張り出したテラスの手すりにすっくと立った人影は、周りの反応に満足したのか無意味に笑っている。

 亜麻色の髪の少女は、シリカに向かって手を振った。

「やっほうシリカ! よくも私を置いて行ったわねぇ!」

「……イ、イリス……あなた、何でこんなところに……」

 シリカは驚きのあまり、それ以上言葉が出ないでいる。

「実はイリスだけじゃないんだよ、シリカ」

 広場から少し下った建物の陰から、カイゼルが出てきた。それに続いて、辺りをうかがうようにヘーゼが現れる。

「あ、あなた達……」

「色々あってね。ここまで来るのは結構骨が折れたよ」

「でも収穫はあったよ」

 ヘーゼが建物の陰に向かって手招きする。そうやって現れたのは、一人の少女だった。

 栗色の髪を腰まで長く伸ばした幼い少女。同色の瞳は怯え、ひどく疲れているようだった。

 その少女を見た瞬間、モリオンは叫んで走り出す。

「フローライト!」

 モリオンは群がる人を振り払う。取り囲んでいた者達は、状況の変化に動揺してか、あるいは、モリオンの勢いに押されたのか、伸ばした手は彼を止めることはできなかった。

 脇目もふらずモリオンは幼い少女に駆け寄り、ヘーゼを突き飛ばす勢いで抱き寄せる。

「フローラ……よかった」

「……無事でしたか」

 遅れてやって来たシリカは、モリオンにすがりついて嗚咽を漏らす少女を見て、安堵の息を漏らす。

 突然の展開に、場にいた人間はあからさまに動揺していた。

 ただ一人、トールを除いて。

 彼はわずかに眉をひそめたが、それだけだった。

「んっふっふっ。このイリスちゃんの機転にかかれば、人一人救出して脱出するくらい、どうって事ない芸当よ!」

 イリスは相変わらず手すりの上で、胸を反らして高飛車に笑っている。

「だったらそんな所にいないでさっさと降りて来い。逃げるぞ!」

 カイゼルが声を張り上げると、イリスはなぜかついと視線をそらす。

「えーと……ちょっと、それは難しいかな?」

「イリス……?」

「まぁ、何事にも結果は大事だけど、でもその過程での努力は認められるべきだと思うの。ほら、数学でも途中式を書けば部分点はもらえるでしょう。それと一緒よ!」

「お前……どうかしたのか? なんか言動がおかしいぞ」

 カイゼルは顔をしかめる。と、唐突にイリスが後ろに倒れ込んだ。

「ったく、いい加減に降りてこんかい!」

 その後ろから顔を出したギーヴルが、イリスを後ろから抱えて手すりから引きずり下ろす。

「今度逃げたら、縛ってここから逆さ吊りにしてまうで!」

「なによ、ちょっと殴って昏倒させたのを、手当もせずに放り出したぐらいで、血相変えて追いかけ回さないでよ!」

「そこで目くじら立てんでいつ立てる!」

 テラスでわめいている二人を見て、カイゼルは概ねの事情を理解した。

「遅いと思ってたら、捕まったのか!」

「あーごめん! カイゼル!」

 いつかのように襟首をつかまれて引っ張られながら、イリスは悪びれた様子もなく笑っている。

「大体こうなったのも、ヘーゼ! あんたが地下室に鍵をかけなかったからよ! 事が終わったら、覚えてなさい!」

「……ワイを殴った事については謝まらんのやな……」

 そんなやり取りを前に、モリオンは苛立った様子で叫ぶ。

「小娘、俺は先に行かせてもらう。どうにかして追いついて来い!」

「どうにかって、ちょっと、私のこと何だと思ってるの! か弱い乙女を置き去りにするなんて、騎士の恥よ!」

「騎士である前に、俺は家族を守りたいんだ!」

「家族を守るなんて立派なこと言うなら、民間人もちゃんと守りなさいよっ!」

「お前なら、何か大丈夫そうだからなっ!」

「ひどいっ! 騎士叙任式の誓いを忘れたの?」

 二人の平行線をたどる会話を聞きながら、シリカは怯えた猫のようにモリオンにすがりついているフローライトを見て、口元に優しい笑みを浮かべる。と、次に腰に下げていた袋に手を入れ、取り出した物をカイゼルに向かって放り投げた。

「え……? うわっ!」

 カイゼルはどうにかそれを受け止める。シリカが投げたのは、実験室で見た豪奢な短剣だった。

「その剣を、預かっておいて下さい。父の形見で、結構大事にしていたんですよ」

「シリカ……?」

「それが……マテリアです」

「何だって!」

 カイゼルは思わず、手の内にある短剣を取り落としそうになる。

「へぇ……じゃあ、この剣が魔器に相当するんだ……初めて見た」

 ヘーゼはすっかり腰が引いている。可能なら、即座にこの場から走って逃げ出したいのだろう。

「でも、シリカどうして……」

 顔を上げた時、既にシリカは再び神殿に向けて歩き出していた。

「その娘を放しなさい! 条件を飲むなら、私はあなた方に付き従います。私の技術のすべてを、一族の再興に役立てましょう」

「シリカ?」

「駄目だっ。兄さん待ってくれ!」



「……潮時やな」

 広場の騒ぎを見ながら、ギーヴルは息を吐く。そして捕まえていたイリスを放すと、

「行けや」

 と、それだけ言って、下に降りる階段を顎で示した。

「え? いきなりどうしちゃったの?」

「ええから、とっとと行け!」

 豹変したギーヴルの言動に、イリスは戸惑い、半ば納得できないといった面持ちで階段に向かって走って行った。

 足音が聞こえなくなると、ギーヴルも歩き出した。

「ワイが誰よりも先にあいつを見つけとったら、事情は変わっとったんやろうな……」

 それは予想でも何でもない、ある種の希望だった。

 二十年以上経ってから再会した二人の間には、あまりにも大きな隔たりがあった。時間だけでなく、周囲の人間の期待という壁が、彼という人間を見えなくしていた。

 そこに立っていたのは、一緒に転げ回って遊んだ少年ではなく、半ば強制的に族長に祭り上げられた、一人の憔悴しきった男だった。



 カイゼル達に駆け寄ってきたイリスを見たとき、トールはテラスに目を向けたが、それだけだった。

 シリカはイリスが無事に戻ってきた事を確認すると、その背に優しく笑いかけ、再び歩き出した。

「シリカ、待ってくれ。行く必要なんかない、逃げるんだっ!」

「っ、おい、待てっ!」

 カイゼルは、モリオンの制止の声を振り切って、シリカに向かって駆け出す。

(どうして、どうしてこんな事になったんだよ!)

 わからなかった。

 何もわからないまま、カイゼルは走った。

 ただ……許せないと思った。

 何が、ではなくすべてが。

 無力な自分も、自分達を無視して行ってしまう彼も。その原因を作った、教師であったはずの男の行動も。

 追いかけてどうするのかなんて、考えていなかった。

 彼を動かしていたのは、たったひとつの衝動。

 助けたい。

 そして……現在の状況を打破する為の、力が欲しかった。

 矛盾した願いは、彼の中で大きく膨れ上がり、感情がそれの引き金となった。

「   シリカぁ!」

 突然、右手に……手の内にある短剣から火花が散る。

 青白く光る、電光のような輝きが、剣の柄に埋め込まれている石からほとばしる。そして引き裂くような破裂音と共に、光はカイゼルの腕を這い進み、全身を包む。

「なぁ……?」

 火花は勢いを増し、握っている右手に激痛が走る。

 それでも、カイゼルは短剣を手放すことができなかった。まるで剣が手に貼り付いてしまったように、指は柄を握りしめたまま動かない。

「そんな、まさか……マテリアが、発動した?」

 ようやく事態に気づいたシリカの叫びに、誰もが驚愕する。そして同時に、得体の知れない現象に、誰もが動けなかった。

「うわぁぁぁっ!」

 あまりの激痛に、カイゼルは膝をつく。火花は周囲の空気にも伝わり、光は激しく明滅する。

「---カイゼル!」

 それは、一体誰の叫びだったのか。

 シリカが駆け出した時には、光はカイゼルを、そして、周囲のすべてを包み込んだ。

 光が弾け、世界は白く染め上げられる。

 まぶしさに目を閉じた者達に、次の瞬間、叩きつけるような衝撃波が襲う。人の身体は簡単に跳ね飛び、遺跡の壁に身体を叩きつけられ、ある者は地面を転がる。

 嵐のように荒れ狂うその力を止めることは、誰にもできなかった。

 光と、衝撃。

 破壊を欲しいままにした現象は、発生と同様唐突に止んだ。

 次に訪れたのは、静寂だった。

「…………ぅ……」

 カイゼルは小さく身じろぎする。

 悲鳴を上げることすら忘れていたが、息を吸うのも忘れていたらしい。慌ただしく肺に空気を送り込み、カイゼルは瞼を上げる。

 混濁していた意識が晴れ、重たげに首を動かす。

「そんな……」

 カイゼルも、その場にいた全員も、自分の目を疑ってその場に凍りついた。

 そしてカイゼルは、その人の姿に驚愕する。

「先生……」

「怪我は……ないか……」

 苦しそうにトール……ヘルクラウト教師は喘いだ。カイゼルの上に覆い被さるようになっていた彼は、そのまま横に滑り落ち、地面に倒れる。

「どうして……」

 彼は何も答えなかった。だが、垂れ下がった黒髪の間から見える顔は、笑っているように見えた。

「シリカっ!」

 イリスの叫びに、カイゼルは我に返る。そして倒れている彼を見た瞬間、身体が硬直した。

 彼は血塗れになり、地面に四肢を投げ出していた。左腕から半身に激しい裂傷が走り、今も傷口から血を流し続けている。

 カイゼルも痛みを訴える身体を無視して起き上がると、よろめきながらも歩き、彼の側に膝をつく。その間に、シリカはイリスに支えられながらゆっくりと身を起こした。

 シリカは自分の身体の状態を見て、軽く息を吐く。

「ずいぶん、ひどい事になりましたねぇ……。まぁ、暴発寸前の魔器を取り上げた事を考えれば、軽いものかも知れませんけど……」

 腕が吹き飛ばなかっただけ良かったと、シリカは苦笑いする。

 左手を広げると、手のひらには金属の欠片が深く突き立ち、血がじくじくとにじんでいる。

「マテリアは、どうなったの……?」

「……生み出した力と、マテリアの均衡が取れず、砕けました。カイゼル……あなたには、とても強大な力があるようです。魔力が……魔力許容量が、人並み外れているのでしょう」

「シリカ……」

 カイゼルの涙が、地面に落ちる。イリスも泣き出す寸前だった。シリカは小さく息をつくと、カイゼルに向かって笑って見せた。

「そんな顔、しないで下さい……。私は後悔していませんよ……。気が付いたら、あなたから魔器を取り上げていた……それは、彼も同じでしょう……」

 シリカの視線の先には、ギーヴルに抱き起こされたトールの姿があった。

「……彼を恨まないで下さい……。彼は優しすぎた、その為に、何も捨てる事ができなかっただけ……。誰よりも他の人の事を、思っていたから……」

 突然シリカは呼吸を荒げる。苦痛に顔を歪め、額には汗がにじんでいる。

「シリカ?」

 二人は倒れそうになるシリカの身体を、慌てて支える。

「難儀な奴やな、こんだけ怪我しても、まだ他人の事ばっか考えとる」

 トールの腕を肩に回して立たせると、二人はこちらに向かって歩いてくる。カイゼルは自然と身を固くした。遠くの方でモリオンが叫んでいるが、半身を起こすのが精一杯のようだ。恐らく、傷を負っているのだろう。

「……それ以上、近づくな」

「怖いなぁ。まぁ、そう警戒すんな。トールがあんたらに話があるそうやで」

 促され、トールは神殿の裏の方を指さす。

「カイゼル……向こうの建物の裏手に、馬が繋いである」

「先生……?」

 話が見えないと首を傾げているカイゼルに、トールは小さく笑った。

「まだ、私を教師だと思ってくれているのか……。だが私は、結果はこうであったとしても、後悔はしていない」

 真っ直ぐにカイゼルを見るトールの目には、強い光があった。訓練校にいた頃には、見せる事のなかった、意志の光だ。

「早く行くんだ……。あんな光景を目の当たりにすれば、すぐに巡回している黒帝騎士団がやって来るだろう」

「ヘルクラウト……さん……」

 シリカは大きく息を吸い込み、

「私が何年研究を続けても、出来上がるのは粗悪な欠陥品ばかり。威力の読めない兵器は諸刃の剣……やがて己を傷つける……」

 苦しそうに、言葉と息を吐き出した。

「……覚えておこう」

 そして彼らは歩き出した。

 背を向けて去っていく二人に向かって、起き上がったウトガルヅルの者達から怒声が上がる。それに答えたギーヴルの声は、はっきりとカイゼル達の耳に届いた。

「物事には、時期ってもんがあるんや。ワイは商人に育てられたから、それが大事やって事はようくわかる。せやから、今はこんな真似する時じゃあないねん。流れを読み間違えた奴には、大抵良い事はないんや。……お前らはまだ、生きとるやろ。それやったら、これからなんぼでもチャンスはあるで!」



 数時間後、カイゼル達は駆けつけた黒帝騎士団と銃士隊に保護された。行動が素早かったのは、モリオンが連絡の為、駐在所のある村まで馬で走ってくれたおかげだ。

 一個分隊ほどの人間が、不可思議な現場の状態に戸惑いながらも、それぞれの役目を果たそうと奮闘している。

「……シリカ、大丈夫か?」

 声をかけると、シリカは蒼白な顔をこちらに向ける。担架に寝かされているシリカの側に、カイゼルは座り込む。イリスは、銃士隊がシリカの手当を始めるなりヘーゼを引きずってどこかに消えてしまった。

「まぁ、葬儀屋を呼ぶにはまだ早そうですね」

 重傷を負ったシリカは、その場で応急処置を受け、今は銃士隊が彼を皇都まで搬送する為、馬車から余計な荷物を下ろし、荷台を空けるのを待っている最中だ。

「……心配ですか?」

「当たり前だろう! 俺のせいで、こんな事になったんだから……」

「モリオンの心配もしてあげて下さいよ……。平気そうな顔をしていましたが、恐らくかなりの傷を負っているはずです」

 後から聞いた話だが、モリオンはその時、肋骨が折れていた。妹をかばって転倒し、岩壁に身体を打ち付けたのだ。

 その後、彼は村に着いた後に倒れてしまったらしい。

「……気が進まない」

「ずいぶん嫌われたものですねぇ……」

 シリカの声には苦笑めいた響きがあった。

「私はもう、訓練校にはいられません。恐らく実家に戻ると思います。ですが、またいつでも遊びに来て下さい。落ち着いたら、手紙を書きますから」

「でも、あいつが……モリオンがうるさそうだな」

「心配性なだけですよ。ちょっとしたきっかけで、人は変わるものです。そうですね、今度はあなた達から話しかけてごらんなさい。きっと、上手くいきますよ」

 そんなものなのかとカイゼルが悩んでいると、シリカはまったく別の方を見ていた。視線の先を追うと、少し離れた所でフローライトが所在なげに立っていた。

「その時は、妹とも仲良くしてやって下さいね」

 遠くの方からイリスが駆けて来る。一緒に引きずって行ったはずのヘーゼの姿が見えない理由は、聞かない方が良さそうだった。



「……終わったみたいだな」

 シリカを見送った三人は、慌ただしく動き回る銃士隊を、どこか別世界の出来事のように離れた場所から眺めていた。

「疲れたわあ。早く帰ってシャワー浴びたい」

 イリスは埃まみれになっている自分の姿を見下ろし、顔をしかめる。

「えーと、イリスは一体、どこに帰るつもりなの? ここまでやった以上、訓練校には戻れないと思うけど……」

 しばらく経ってから、ヘーゼは身体を引きずって戻ってきた。だが、どう考えても爆発が起こった直後よりも生傷を増やしている。

「なぁに暗い事いってんのよ。いいわよあんな訓練校、放校になったって、授業料が返ってこないだけよ。大した問題じゃないわ」

 軽く笑い、イリスは腕を組んで身体を伸ばす。

「あぁぁぁ……もし退学なんかになったら、姉さん達に殺される……」

 イリスは恐怖に顔を引きつらせて震えているヘーゼの肩を叩く。

「いっその事、今すぐ家業を継いだら? ヘーゼは長男だから、お父さんも喜ぶわよ」

「それだけは嫌なんだぁぁぁ!」

 もがいて地面をのたうち回っているヘーゼを見ながら、カイゼルは得策がいったと手を叩く。

「それも一理あるな。営利許可を国からもらえば、戦争になっても兵役に取られる心配もないわけだし……」

「カイゼルって、相変わらず考え方が現実的ねえ。面白くないわよ」

「……それじゃあ、イリスに将来の見通しはあるのか?」

 横目で睨むと、イリスは思い悩むような顔をした後、「あるわけないでしょう」と明るく言った。

「でも、軍に入って史上初の女性指揮官になるのも悪くなかったんだけどね」

「とにかく、実家でも訓練校でも……帰るか」

 カイゼルの意見に、二人は同意する。

 作業が済み次第、銃士隊がカイゼル達を皇都まで馬車で送ってくれる手はずになっていた。

 汚れた顔を見合わせ、三人は笑う。

「そうだね、一回ゆっくり寝よう。そうしたらきっと良い考えが浮かぶよ」

「明日になれば、何とかなるわよ。きっと」

 三人は、ゆっくりと歩き出した。


     【それでも明日はやって来る! 終】



 次回「カール・ウリシスの生き人形」へ続きます。



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