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1-3「正解のない歴史」

 第三章 正解のない歴史



「……納得がいかないわ」

 イリスの憮然としたつぶやきを、カイゼルは半分上の空で聞いていた。

「シリカは弟と訓練校を出たのに、私達は一日、先生に絞られた挙げ句、寮に軟禁状態なんて」

「俺としては、その場で放校処分にしなかった訓練校を寛大に思うよ」

 カイゼルは、読んでいる本から目を上げずに答えた。

 ここは彼の部屋なのだが、ベッドの上をイリスが占領している為、部屋の主であるカイゼルの方が隅に追いやられている状態だ。

「主犯が逃げ延びて、巻き込まれた加害者が厳罰を受けているなんてひどいわ」

「火種は半分俺達にあるし、煽ったのはイリスだ」

 イリスはベッドの上を転がって、カイゼルの方に頭を向ける。

「……カイゼルって、ドライよね」

現実主義者リアリストの方が、まだ響きが良いぞ」

 そのまましばらく、無駄に時が流れた。

 昨晩の被害は、宿泊棟の一階の二割部分が消失。他の階も熱で窓ガラスが割れるなどした。内部に入り込んだすすも当分落ちないだろう。人的被害は、軽傷者数名。

 そして、今回の事件に関与しているらしい貴族の兄弟は行方不明。火事の現場にいた少年は錯乱状態に陥り、詳しい事情はまだはっきりしていない。彼と交友関係のあった男女は翌朝訓練校の裏手で発見された後、寮に謹慎処分中。

 つまるところ、訓練校はどこに責任を押しつけるかでもめている最中なのだ。

「……ヘーゼって、どうなったの?」

 その声に、初めてカイゼルは顔を上げる。机の上に本を置き、イリスの方に向き直る。

「聞くところによれば、大分落ち着いたから、放課後、夕食時間までヘルクラウト先生直々に格闘術の補習だそうだ」

「こんな状況で、よくあの先生も補習なんてやる気になるわね」

 イリスはベッドの上でのびをする。教師の説教が終わってから、彼女はすっかりだらけきっている。カイゼルも昨晩の疲れが残っているのでベッドに潜り込みたかったが、安息の地は占拠されているのでそれも適わない。

「まぁ、それはそれとして。もうその夕食時間になるから、ヘーゼを迎えに行くか」

「食事の時しか寮を出られないなんて、息がつまるわ」

 イリスは部屋の隅に脱ぎ捨てた靴を拾い、だるそうに履く。

 そのだらけきった様子に、カイゼルは嘆息する。

「……イリス。お前、ここが男子寮だという事実を、すっかり忘れているだろう」

「だって、部屋に一人よ! 話し相手もいないなんてつまらないわ。退屈は乙女の敵なんだから!」

 彼女の辞書に、他人への配慮と、時と場所を考えるという事は載っていないらしい。

 それはいつものことで、カイゼルもまた、いつものように息を吐く。

「さっさと行くぞ……」



 夕闇が迫る時分。運動場には木々の影が長く伸びている。昼間とは違いまったく人気のないそこは、不思議と人の不安をあおり立てる。

「おかしいな……」

 カイゼルは妙に寒々しい運動場を前にして、首を傾げる。

 場には誰もいなかった。広々として、何の遮蔽物もない運動場を前に、二人はぽつんと立ち尽くす。

「もう行き違いになったとか」

「うーん……」

 カイゼルもそうなる可能性を考え、食堂をのぞいてから職員室にも寄り道し、そこでヘルクラウト教師がまだ戻っていないことを確認。そして教室棟を回ってここまで来た。相手がよほど偏屈な帰り方をしない限り、どこかで鉢合うはずだった。

「仕方ない、もう一度食堂に戻るか」

 カイゼルの言葉に、イリスもしぶしぶ動き出す。

 だが、その時……声は、唐突にした。

「そうや、お前らもおったなあ」

「-----っ?」

 いきなり聞こえた声に、カイゼルとイリスは同時に振り返る。だが、声が聞こえたと思われる背後には、誰の姿もなかった。

「捕まえたで」

 と、二人揃って身体が後ろに引かれる。

「あ……?」

「え、えぇっ?」

 確かに気配はなかったはず。

 声を発した何者かは、彼らが振り返る一瞬の隙をついて後ろに回ったのだ。声と首に回されたたくましい腕からして相手は男だろう。だが聞き慣れない声だ。カイゼルは男の腕を解くことも振り仰ぐ勇気もなく硬直してしまう。

「二人とも、ウトガルヅルに来てもらおうか」

 ウトガルヅル。

 その名称の意味と男の正体を考えようにも、カイゼルの眼前には分厚いナイフ……山刀と呼べそうなほど頑丈そうな作りをした刃物があった。イリスの方は、猫の子のように襟首をつかまれ、憮然とした表情をしている。

 こんな状況でも、彼女は抜け目なく様子をうかがっていた。

(頼むから、暴れないでくれよ……)

 カイゼルは切実に願う。今の状態で、二人で逃げ出す事はできないだろう。いくら戦闘訓練を受けているとはいえ、それらは授業という定められた環境の中で行われるものでしかない。つまるところ彼らに、実戦の経験はなかった。そんな中で下手に行動を起こせば、結果は見えている。

 男は黙っていた。別にそれは脅しでも何でもなく、ただ何かを待っていただけらしい。

 運動場の向こうにある原生林から、人が現れる。それが助けではなく、さらに事態を悪化させるものだとカイゼルは肌で感じていた。

 それでも、少しでも助かる可能性を考えてみた。

 本日の授業はすべて終了している。生徒は空腹を抱えて食堂に急いでいる頃。教師は今日中に片づけなければならない雑務に追われている。背後にある教室棟に、管理人が錠を下ろしに来るのはまだ先の話だ。

 カイゼルは、誰かが自分達を見つけてくれる可能性をひとつひとつ潰しながら、それでもまだ絶望できない自分に少しだけ感謝した。

 だが、近づいて来る相手が何者か気づいてしまった瞬間……その心が揺らぐのを感じた。

 男は夕暮れの残光を浴び、全身は赤く染まっている。何を言っても動かない鉄面皮。口元は硬く引き結ばれ、唯一の個性であるひとくくりにした黒髪が微風に揺れている。

「……先生?」

 最初それを、黄昏時の曖昧さが見せる、趣味の悪い幻想かと思った。だが彼は、彼自身でしかなく。それを否定する要素もなかった。

「ヘルクラウト……先生」

 彼は意外にゆったりとした歩調で歩いてくる。それは肩に担いでいる荷物のせいだとすぐに理解できた。

 彼は、人を運んでいるのだ。

 赤い髪が揺れている。

「……ヘーゼ?」

 問いかけに答える声はなかった。

 力無く垂れ下がった腕。こちら側から少年の顔は見えない。

「イリス、ヘーゼが……」

 彼女がどんな表情をしていたのか、振り返って見る余裕などカイゼルにはなかった。

「何なのよっ! どうせなら、晩御飯を食べた後にしてよねっ!」

 叫ぶイリスは、ずいぶんと混乱している様子だった。



 乾いた風が、はるか遠くの山脈から吹きつけてくる。進むにつれ緑は減り、岩と砂が広がる原野には、やせ細った灌木が所々に生えている。

 皇都の南方に広がる荒野。好んで足を踏み入れる者こそ少ないが、誰もが一度くらいは夢に見るものの欠片が埋まっていた。

 世界で唯一『魔法』を所有した国……ウトガルヅル。

 魔法は消え、民は散っていった。それでもこの地に惹かれる者は、後を絶たない。

「魔法は本当に、必要なものなのでしょうか……」

 兄の漏らしたつぶやきを、モリオンは半分以上聞き流してしまった。

「また、妙な事を考えているのか?」

 わずかに遅れて歩いていたのを、数歩で隣に並ぶ。今の二人は、防塵用のマントを付け、動きやすいように、身体の各所を締め付けた格好をしている。差異といえば、シリカはフードを被り、口元まで布で覆っている為ほとんど表情はうかがえない。

「この荒野も、国があったのなら過去には豊かな土地だったのでしょう。それが今や、水源は完全に移動してしまい、土地も痩せている……。こんな風景は、異常です」

 モリオンは、黙って先を促した。シリカは自分の物思いに捕らわれたように、静かな口調で言葉を続ける。

「ウトガルヅルの民は、魔法を駆使し、自分達に都合が良いように環境を作り替えてしまった。水門を作り、土地を開墾して広大な田園を作る。人口が増える度に、同じようにして大地を切り開き……それも、強大な力によって、人力の何十、何百倍の速さで行われた。そして何も見ず、ただ目先の利便性だけを追求した結果、歪みが生じ、気づいた頃には破綻していた……」

「兄さん……」

 シリカは腰に下げている袋の中に手を入れる。モリオンには見えなかったが、その中には短剣が入っていた。あの、イリスから取り上げた物だ。

「それでも、ウトガルヅルの民は夢を見ていたのでしょう。見るだけ、辛い夢を……。過去を思い、幻を追いながら地を這うように生きてきた。夢を追うには、それに見合う希望という柱が必要です。けど、人は楽ですよね。一方的に期待しておいて、どうしようもなくなれば、己の卑劣さと怠惰を棚に上げて罵るだけ。……望まぬ重圧をかけられた柱は、折れる事も消える事も許されず、立ち続けるしかない」

「それが、兄さんの出した答えなのか?」

 何も告げず、唐突に姿を消した兄。その理由はまだ、聞かされていない。

「答えなんて……私はただ逃げただけです。……後悔なら、いくらでも……」

 そう言ったシリカの眼は、どこか痛々しく見えた。



「あはははっ。あなたの分のレポートは私がやっておいてあげたわよ」

 イリスが緻密に書き込まれたレポート用紙を振って踊っている。

「ううっ……今までどれだけこの悪辣女の進級の手伝いに走り回ったか……」

 ヘーゼは彼女のおかげでため込んだ自分の課題を前に涙する。

「はっはっはっ。買い出し雑用、学食の順番待ちは任せておけ!」

 カイゼルは学食のチケット片手に奇妙なポーズを取っている。

「はううううっ……カイゼル、男の友情なんて口では言っても、結局のところ、お前は自分の手だけは汚さない奴だよな……」

 イリスとカイゼルが、うずくまって泣くヘーゼの肩に触れる。

「そんな事ないわ」

「俺達、友達だろう」

「だから頑張って格闘術の補習を受けてね」

「お前一人でな」

 言って、二人は肩から手を離す。

「……は?」

 顔を上げると、彼らは適当なメロディーを口ずさみながら、くるくると踊ってどこかに消えてしまった。

「イリス、カイゼル……?」

 急に辺りが暗くなる。不安になって辺りを見回すが、二人は戻って来る様子はなかった。そして、唐突に背後に青白い炎が生まれ、それをバックに現れる人物が一人。

「ヘルクラウト先生……」

 感情の薄い表情は炎に照らされ、見ている者の恐怖をさらにあおり立てる。

「授業開始!」

 高らかにヘルクラウトが宣言すると、閃光が辺りを照らし出す。と、そこにはいつからいたのか屈強な男達がヘーゼの周囲を取り囲んでいる。しかもおのおのが手に、釘バットやらモーニングスターなど、とにかく物騒な武器を携えていた。

「え……あの……」

 どう考えても、補習のメニューにしては、かなり行きすぎている気がする。思っても、あまりの事に声にならず、ぱくぱくと酸欠に陥った魚のように、ヘーゼは口を開閉させる。後ずさりする背中が何かにぶつかったが、確かめる余裕なんてなかった。

 ヌンチャクが、木刀が振り下ろされる。

 だが、自分を友達と言った者達は、助けに来なかった。



「うわぁぁぁぁぁぁっ!」

 ヘーゼは自分の悲鳴で目を覚ました。

「ぃやかましいっ!」

 叫んだ勢いで跳ね起きたヘーゼだが、顔面に衝撃を受け、再び倒れる。勢いよく床に後頭部を打ち付け、そのままごろごろと身もだえしながら、少年はうわごとを漏らす。

「ぅうううっ……釘は木目にそって打ち込むと抜けにくい……」

「……棚でも作るのか?」

「釘バット……」

「何だそれは?」

「ヘーゼ、ちょっと。いい加減、正気に戻ってよ」

「イリス、それなら板で顔面を張り飛ばすなよ。……おい、大丈夫か?」

 肩を揺さぶられ、ヘーゼは声のした方に顔を向けると、カイゼルが心配そうな表情で自分をのぞき込んでいる。彼の肩越しに、板きれを抱えたイリスの姿も見えた。

 どこにも凶悪な格闘術教師も、屈強で暑苦しい男達の集団もいない。

「あぁ……取りあえず現実」

 起き上がり、周囲を見回して思った感想は地下室で、そして感想も何もどうやらそうらしい。室内は薄暗く、光源は天井付近にある格子のはまった小さな明かり取りの窓だけ。部屋は狭く、木箱が幾つも壁に押しつけるように置いてある。扉は、イリスが大人しくしている以上、鍵がかかっているのだろう。

「え……と、ここは?」

 少なくとも、訓練校の施設でない事は確かだ。

 当然の質問に、カイゼルとイリスは顔を見合わせてから大きく息を吐いた。

「実はな……。いや、実はも何もないんだが……」

「捕まっちゃったの、私達」

 イリスの軽い笑声が、室内に響く。

「え? 捕まったって! 何で、どうしてっ?」

 慌てふためくヘーゼに、カイゼルは手で待ったをかける。

「それに関してはちゃんと話す。それより、俺達も聞きたい事があるんだよ」

「そうそう、何で訓練校の運動場で拷問責めにあっていたのよ」

 イリスは木箱からはいだ板を抱え、妙に楽しげに訊ねる。ヘーゼは彼女が持つ板が何に使われ。また、何の為に捨てずに持っているのかは、聞かない事にした。

「……えーと、格闘術の補習があるから、運動場に行って……それから……」

 イリスに殴られたせいか、それとも気を失う前に受けた傷の後遺症か、鈍痛を訴える頭を押さえ、ヘーゼは記憶をたどる。

「ヘルクラウト先生にシリカの事と……とにかく色々訊かれて……。何でこんな事をって思っていたら、後ろから突然殴られたんだ」

 そして、今さらのように襲って来る痛みに、ヘーゼは顔をしかめる。身体を見下ろすと、一応の手当がしてある。確か意識を失うまで、自分はかなり手酷い扱いを受けていた。全身を走る激痛が、律儀にその事を教えてくれる。

「あぁ、なんてひどい事を……。ヘーゼを使って情報収集をした後、用済みだからって消そうとしたのね! 仮にも教職に就いている人間が、なんて残虐な行為を! 犬畜生にも劣るわっ!」

 イリスはかなり演技過剰にふるふると身を震わせ、目の端から大粒の涙をこぼしてみせる。

 だがしかし、それにだまされるヘーゼではなかった。

「イリスこそ、時折見せる非道さは、並の犯罪者を越えていると思うよ。……じゃなくて、先生が話を聞きたかった事は間違いないけど、僕をどうこうしようとは考えてなかったと思うよ。そもそも、僕を殴ったのは先生じゃないし」

 ヘーゼは後頭部に手をやる。無惨なほどに腫れ上がっているのがわかる。

「他にも誰かいたのか?」

「うーん……顔はよく見えなかったけど……なんて言うか……あの人の口調とか、容赦のない殴り方には、僕に対する恨みがひしひしと伝わってきたなぁ……」

 思い出すだけで、肌が粟立つ。顔は暗がりと恐怖の為に覚えていなかったが、醜く引きつった、怒りの表情だけは脳裏に焼き付いている。

「……『熱かったぞこらぁ』……と、言っていたなぁ」

 ヘーゼは、少しばかり遠くを見て言った。それを聞いたイリスは、わかったとばかりに腰に手を当て、大仰に頷く。

「それはひどいわねぇ。あ、復讐するなら手伝ってあげるわよ。ちゃんとヘーゼの墓穴は深めに掘ってあげるから」

「それ、手伝うって言わないよ……」

「うふふふふ……相手の意識を失わないように、でも最大限の苦痛を与えるやり方とか知りたくない?」

「だぁっ! そんなの知りたくもないよっ! イリスも異様に嬉しそうな顔をしないでよ、なんだか怖いからっ!」

「なによー。一回、完全犯罪ってやつをやってみたかったんだから、大人しく協力しなさいって! 遺体の処理方法とかなら、喜んで考えてあげるわ」

「嫌だぁぁぁぁぁぁっ<」

 こうして、二人で散々わめいた後、先に力尽きたのは、当然、ヘーゼだった。

「……で、どうして僕達はこんな所にいるの?」

 あれからしばらく経った後、一時期かつて見た事のない痙攣を起こして二人を驚かせたヘーゼだったが、ようやく落ち着いて出た言葉がこれだった。

「捕まったとは聞いたけど、どこの誰に拉致されたの? ていうか、どうして僕達が誘拐されなきゃならないんだよっ!」

「うーん、それがな……話すと長いんだけど……」

 よくよく考えてみれば、寮で別れてからこっち、ヘーゼとはまともに会話をしていない。火事場では錯乱していたし、その後はカイゼルとイリスは教師の説教。ヘーゼは救護室送りになった後、補習。

 そして三人揃って誘拐されて現在に至る。

 カイゼルはげんなりとしながら、事の成り行きを語った。

「へぇ、シリカに双子の弟なんかいたんだ……」

「そう、いたんだよ。いや、兄弟がいることは、今回の問題ではあまり重要ではないんだ」

「むしろその妹が誘拐された事がはじまりなのよっ!」

 カイゼルの言葉を遮って、イリスは木箱に片足を乗せて猛烈な勢いでまくし立てる。

「幼い少女を誘拐し、さらにいたいけな少年少女である私達を拉致するという、非常に非道なこの組織。その正体はなんと、あの魔法王国ウトガルヅルの末裔。魔法使いの一族なのよっ!」

 イリスは容赦なく木箱を靴底で蹴りつける。盛大な音が響き渡るが、悲しいことに、扉の向こうにはこの騒動を止めてくれるような監視役はいないらしい。

「……なんか、イリス、ものすごく嬉しそうだね」

「逆境とか絶体絶命って状況に燃える性質なんだろ」

「ていうか、その元魔法使い連中が、シリカの妹を誘拐した組織で、僕達は先生に連れてこられた……それなら、先生もその一員なの?」

「まぁ、そういう事になるんだろうな……」

 もっとも、それは状況証拠なだけで、誰も真相は知らないのだが。

 ヘーゼはううむと首を傾げる。

「えーと……あのさ、話は大体わかったんだけど……どうして僕達まで関係者になってこんなところにいるの?」

「それに関しては、イリスの果敢な大立ち回りの全貌を聞いてくれ」

 カイゼルは疲れた様子でイリスを指さす。

 彼女は聞かれなくとも、その偉大な功績を喜々として語り始めた。

「そう……あれはつらい戦いだったわ。ヘーゼが殺されたと思った私達は、仇を討つ為に反撃したの。それでも相手は強大で、ひたすらに凶悪。ほら、武器も持ってたし。死闘の末、かなわないと悟ったカイゼルは、私だけでも逃がそうと盾になってくれたの。まぁ結果はこの有様だったけどね。でも、私達は精一杯健闘したわ。その課程は称賛に値すると思うわけ」

 派手な身振りで説明するイリスを後目に、ヘーゼはどことなく疲れた様子のカイゼルに耳打ちする。

「なんか、ずいぶん過剰装飾なセリフだけど、微妙に内容は曖昧だね……。カイゼル、当たってるの、この話?」

「二割強というところだ。ちなみに、最初は向こうも俺達を連れて行くつもりだったみたいだけど、結局は面倒だったみたいでさ、口止めだけして放り出そうとしていたんだ」

 ヘーゼと話して、大したことは知らないと踏んだのだろう。子供三人を連れ帰るリスクを負うより、脅して黙らせた方が易しいと思ったのかも知れない。

「俺は、先生がヘーゼを捨てて帰ろうとした時に、イリスに深追いするなと釘を刺してたんだけど……このざまさ」

 カイゼルは力無く笑う。

 その横で、イリスが小さく嘆息するのが聞こえた。

「ごく普通の学生である私達に、次々と襲いかかる難事件の数々。涙無しには語れないわ……」

 芝居がかった動作で崩折れ、ハンカチで目元を拭う。

「そう、暴れ回ったイリスに相手がキレてさ……。俺も一緒に叩きのめされた挙げ句、麻袋に詰め込まれ、馬車の荷台に転がされ……そして、今は地下室に放り込まれているというわけだ」

「あの人、男女関係なく平等に殴ってくるのよ。かなり気が短いみたいね」

「向こうが刃物を使わなかっただけありがたいと思えよ……」

「この次は、数ヶ月は悪夢に悩まされるくらい、色々過激に仕返ししてやるわ!」

 ふふん、とイリスは妙に得意げに語ってみせる。

「その、次があればな」

「カイゼルの言う通りだよ! いつもいつもいつも……決定的に事態を悪化させてるのはイリスじゃないかっ!」

 ヘーゼは立ち上がった。それこそ身体のいたるところから苦情が来たが、どれも無視する。

「あら、ひどいわね。不幸が私を呼ぶのよ!」

「つまりイリスは台風の目みたいなものなんだね。中心が一番安全というわけだ」

 棘のある物言いに、イリスは挑むように睨みつける。

「ふふんっ、この持って生まれた性質は誰にも真似できないわ!」

 得意げに胸を反らす彼女を見て、ヘーゼは何か言い返そうともがいていたが、やがてあきらめたのか、空気が抜けるように座り込む。

「呆れているだけだよ」

 ヘーゼはカイゼルの隣に移動する。

「もう、疲れたよ僕……」

 カイゼルは何も言わず、ヘーゼの肩を叩いた。  

 そしてしばらく無為な時間が過ぎ去る。

 彼らも最初はそれなりに対応策を話し合っていたが、有効な手段がそう簡単に思いつくはずもなく、結局はただの雑談になってしまい、最終的に会話にも飽きた。

 何もせずにいるという事は、苦痛ではない。やり残している事、それより先に待ちかまえている事さえ考えなければ、これほど楽な時の過ごし方はないだろう。

 そう、問題はこの後なのだ。

「……誰か来るぞ」

 カイゼルは声を抑える。無論足音は、他の二人にも届いている。

「食事かしら」

「補習再開じゃなかったら、もう何でも良いよ……」

 三人、それぞれの思いを抱きながら扉を見ていると、鍵をいじくる音がして、扉が開いた。

 開いた扉の向こうにいたのは、ひょろ長い体躯をした男だった。くすんだ金髪に茶色の眼、年は三十がらみといったところだろう。

「よう。なんや静かやな」

 男は口元に皮肉っぽい笑みを浮かべながら、地下室に足を踏み入れる。

「あんたか……」

 カイゼルは思わず半身を退く。その顔には見覚えがあった。カイゼルやイリスを捕まえた男だ。

 三人の胡乱な視線を男は涼しい顔で受け流す。見たところ軽装で、武器を所持している様子はない。彼らを眺める顔もどこか眠そうで、まるで起き抜けにその辺の露店をのぞきに来たような気楽さだ。

 男はそのまま何も言わず、相変わらず気怠げな目で三人の顔を順に見ていくと、

「……ふぅん」

 勝手に納得すると、小さく鼻を鳴らした。

「お前らが、トールの教え子か」

 言って、面白そうに笑う。だがどうにも底の知れない笑みだ。しかも彼らの前に現れておきながら、それ以上何の説明もする気はないらしい。

 すぐにしびれを切らしたイリスが男の前に立つ。

「ちょっと、黙ってないで何とか言いなさいよ。トールって誰? あなたは何者なわけ?」

 仁王立ちになったイリスが、男に指を突きつける。

「お、おいイリス!」

「ひぃぃぃっ! 悪夢の再来<」

 慌ててイリスを引き戻そうとしたが、逆に二人仲良く彼女に蹴り飛ばされてしまった。

 男はその様子に、口元を笑みの形にする。

「気の強いお嬢ちゃんや。怖ないんか?」

「人質は怯えて小さくなってろっていうの? 差別だわ」

 そのまましばらく睨み合いが続く。とはいっても、イリスが一方的に仕掛けているだけなのだが。

「おもろいなぁ、嬢ちゃん」

「あらそう。だったらここから出して、ついでにおいしい物おごってよ」

「それはできへん」

 急に苦虫をかみつぶしたような顔になると、男は後ろに転がって泣いているヘーゼを掴み上げる。

「まだ、この間の礼がすんどらんからな」

 睨みつけるというより、目で殺すとばかりに鬼気迫った表情で男はヘーゼの襟首をしめる。

「あぁっ! 無駄だと思うけど、助けて!」

「うるさいわっ! 人が寝てんのに部屋に火を放つなんて阿呆な真似しやがって!」

 男はヘーゼにもよく見えるように、わざとらしく拳を高く振り上げる。ヘーゼの裂くような悲鳴。そこでカイゼルは、ようやく合点がいったとばかりに叫んだ。

「あっ< もしかしてあんた、宿舎で会った変な奴?」

 シリカを助ける為に宿舎に侵入した際、カイゼルの前に現れた、どうにも胡散臭い男。うっかりしていたが、眼前の人物はその時の男に間違いない。

「変は余計や! って……あん時のガキか、暗かったから気づかへんかったわ」

 その時の事を思い出したのか、男はばつの悪い顔をする。

「宿舎って、例の二度寝して待ち合わせ場所に来なかった間抜けな誘拐犯?」

「……確かに、二度寝はしたけどな」

 イリスの容赦ない言葉に、男は肩をすくめる。

「で、寝ていたところで宿舎が火事になったから、火をつけたヘーゼに復讐に来たのね。まぁ、妥当なところだわ」

 イリスはあっさりと事情を理解し、表情だけはヘーゼをいさめるように眉をしかめるが、口元が笑っている。

「しかもこのガキ! ワイの寝とった部屋にアルコールランプ投げ込みよったんや」

「うぅ……ついでだから事の発端になった先生の部屋にしたんだよ」

 男に襟首つかまれ、左右に揺さぶられるヘーゼ。既に抵抗する気は皆無らしい。

「よし、わかったわ。手伝ってあげるから、一緒にストレスを発散させましょう」

 さぁ、とイリスは板きれを男に手渡し、自分の分を取りに戻る。

「待て、イリス! 人がやる事に便乗して己の欲望を実行するな!」

 慌ててイリスから板きれを取り上げ、カイゼルは背中にヘーゼをかばう。イリスは不満そうだったが、ひとまずあきらめたようだ。

「……さすがにむかついたけど、ガキ殺すつもりはないで」

 男は渡された板とヘーゼを捨てると、手近の木箱に腰掛ける。

「あぁ、助かった……」

 解放されたヘーゼは床にべったりとのびる。

「なによ、急に大人しくなっちゃって。もしかして、何か企んでるの?」

 イリスはすかさずカイゼルの後ろに回り込む。

「人聞き悪いこと言うな。お前ら相手しても暇つぶしにもならへんわ。……ただ、お前らがトールの教え子って聞いてな。ちょいと様子を見に来ただけや」

「その、トールって何者よ。それと、あなたこそ名乗るつもりはないの?」

 男はこちらに名前を教えるつもりはないのか沈黙する。

 その態度にイリスは頬を膨らませてむくれる。

「なによ。お互いの関係を円滑にする為にはまず挨拶と自分の名前を言うのが基本よ!」

「えーと……。俺達が名乗っても意味はないと思うけど。俺はカイゼル。こっちはイリスで、そこにのびているのがヘーゼだ」

 カイゼルが順に自分達を指さす。自分で言ったように、大して意味のある行動ではなかった。

 だが男はちらりとカイゼルに目を向けると、ぽつりと言った。

「ギーヴルや」

 男が答えたことに、三人は顔を見合わせた。次いで、イリスが尋ねる。

「じゃあ、トールっていう人は?」

「……んー、お前らが知っとる名前はなんやったかな……?」

 ギーヴルとやらは頭をかく。

「もしかしてさ、ヘルクラウト先生の事……なのかな?」

 ヘーゼの答えに、ギーヴルはそれやと手を叩く。

「長ったらしい名前やから、覚えられへんかった」

「……長いかな?」

「不精者なのよ、きっと」

 三人の不審な眼差しを受けても、ギーヴルはまったく動じていない。神経が太いのか、ただ単に、自分に都合の悪い事は無視するたちなのかも知れない。

「じゃあ、関係者が来てくれたところでこっちの要求を伝えるわ。さあ、カイゼルからどうぞ!」

 イリスに指さされたカイゼルは一瞬言葉につまる。だがせっかくの好機だと身を乗り出す。

「シリカはどうなったんだ? ここに来たのか?」

「あ、その父親と、今回の事件ととにかく全部教えてちょうだい」

「僕達のこれからについて、じっくり話し合いましょう! 特に生命の保証!」

「……お前ら、自分の状況わかってんのか?」

 泣きついてくるヘーゼを引き剥がしてから、男は思い出したというように指を鳴らす。

「さっき、前に交渉し損ねた兄弟がここに来たらしいで。これからトールが相手するみたいや」

「何ですって!」

 イリスが前方に転がっていたヘーゼを踏み越え、ギーヴルに詰め寄る。

「どうしてそれを早く言わないの!」

「お友達、泣いとるで」

 床の上で、ヘーゼは獣の敷物のように伸びきっている。

「今さら涙ごとき、惜しむ物でもないでしょう」

「……考え方が豪快やな」

 ギーヴルは笑う。だが、それは先ほどとは違い、どことなく引きつっているような感じだった。

 カイゼルに支えられ、ヘーゼは何とか身を起こす。

「うぅぅっ……僕達なんてムシケラだ」

「違うぞ、ヘーゼ。俺達は幼馴染みという枷に繋がれた奴隷だ」

 二人は互いに手を取り、肩を震わせ天井を……見えない空を透かすように眺める。

「……カイゼル、そういえば、ここはどこなの?」

「ウトガルヅルじゃないのか?」

 二人の疲労は、限界に来ていた。


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