1-2「救出劇」
第二章 救出劇
「……ははぁん。宿泊所名簿によると、ここの一階にヘルクラウト先生は住んでいるのね」
イリスは腰に手を当て、ふんふんと頷いている。
個人用教師宿泊所という名前はあるが、実質的には一般生徒の宿舎と大差ない。ただ、生徒よりも圧倒的に対象となる人数が少ないせいか、ずいぶんとこじんまりとした作りではある。
あれから小一時間ほど三人で話し合ったが、結局……結論も作戦も出なかった。
「イリス。関係のないところに感銘を受けるなよ」
カイゼルは呆れたように息を吐く。
「地道な発見から事件は解決に向かうのよ!」
「……そうか……?」
カイゼルは横目で口を挟む。それでもまったく聞く耳持たない少女を眺めつつ、隣に立つヘーゼに耳打ちする。
「なぁ、ヘーゼ。実のところ、本当に俺達がシリカを助けに行く必要があるのか?」
「カイゼル……そんなこと言われなくてもわかってるよ……。でも、いくら僕達がそう主張したってイリスが納得しないから、こうして引きずられる羽目になっているんだよ……」
もう何度目か知らないが、ヘーゼは袖口で涙を拭う。
そこで、背後で何かをやっていたイリスが元気よく振り返った。なぜか、右手に実験用のアルコールランプを乗せて。
「……ひとつ聞くが」
「あ、わかるわかる。こんな物で明かりになるのかって言いたいんでしょう?」
聞きたい事は、そんなものではなかったのだが、イリスの喜々とした表情に、カイゼルは徒労という言葉をもう一度頭の中で繰り返す。
「……シリカのところから持ち出したな」
「正解。ないよりはマシよ。とにかく行きましょう!」
何がどう、ないよりマシなのだろうかと思ったが、言葉は頭の中を回っただけで、口をついて出たのはまったく別の言葉だった。
「……落とすなよ……」
カイゼルは、今、この場に自分がいる事をはっきりと後悔した。
「よしっ、目的地はあの四階の部屋ね!」
イリスはびしっと最上階の端部屋を指さし、今にも飛び出しそうなほど落ち着きなくはしゃぐ。
「……二階、三階にも誰かいるな」
「一階に明かりが点いてないけど、ヘルクラウト先生はまだ戻ってないのかな? いない方が助かるんだけど……」
「いたとしても、寝ているという事も考えられるな」
残りの二人は、冷静に状況を判断しようと努めた。と、いうより、イリスの言動に巻き込まれたくないので無視していたという方が正しい。
「あんた達、妙にのりが悪いわねぇ」
イリスも自分が無視されていることに気づくと、くるりと振り返る。
しかし、少年二人はぼそぼそと顔をつきあわせて話し込んでいた。
「後はどうやってシリカに接触するかだ。部屋には誰か監視が付いているはずだし……」
「ぶ、武器とか持ってるかも……。僕達、何にも持ってないよ! 小刀ひとつないし!」
「それもそうだな。けど、なんかもう色々と面倒だから、ドアをノックして、誰か出て来たら適当に叫んでそのまま逃げるか」
「……それは救出じゃなくて、ただのイタズラだよカイゼル……」
「---ちょっと!」
突然の叫びに、二人は弾かれたように振り返る。
「ヘーゼ! ランプはあんたにあげるわ。で、私が先行部隊として突入するから後はよろしくねっ!」
イリスは火の点いたままのアルコールランプをヘーゼに投げ付けると、高笑いを上げながら宿舎の方に向かい、扉の前でにんまりと笑って見せる。そして地面に迫る寸前のアルコールランプをヘーゼが受け止めた頃には、イリスは宿舎に飛び込んでいた。
後に残された二人は、しばし時の流れるままに呆然としていたが、すぐにそれどころではないと我に返る。
「……っ、ヘーゼ。どうする?」
「逃げようっ!」
半泣きのヘーゼの襟首をつかんで引き留めつつ、カイゼルは考えた。
状況としては最悪だ。
恐らくイリスのことだ。何も考え無しに突っ走っていくだろう。そして誰かに見つかった際には、遠慮なく自分たち二人の名前も白状してしまうのは間違いない。
ここでイリスを捕まえなければ、確実に共犯者にされてしまう。だが、この場を逆手に取って事を有利に運ぶことができれば、このままイリスを放置して逃亡するよりかは、被る被害を軽減できるはずだ。
思考がそこまで行き着けば、後の行動は素早かった。
「ヘーゼ!」
その場に座り込み、涙を流しながら呆然と何かをつぶやくヘーゼに揺さぶりをかけ、カイゼルは耳元で叫ぶ。
「俺はこれからあいつを連れ戻して来るから、お前はどうにかして教師連中の注意をひけ。わかったな!」
そのまま、返事を聞く間もなくカイゼルは走り出した。
「ちち注意……ふふっ……」
ひとり残されたヘーゼは、呆然と座り込む。
だが、手の中で燃えているアルコールランプの明かりを凝視するその目は、とても正気には見えなかった
「あ……ははっ……わかったよ……」
肩を上下させ、ぶつぶつと弱々しい声を出す。次第に意味不明の言葉を漏らしながら、彼は走り出した。
(ヘーゼの奴、暴走というか底なし沼というか……とにかくもう駄目だな)
このセリフだけを聞くと、カイゼルが薄情な人間に見えるが、この状況で『三人』の事を考えていたのは彼だけである。ただ、どちらにも気を回しすぎて空回りというのが今の状態なのかも知れない。
カイゼルは、イリスが開け放ったままの扉をくぐる。向かって右には二階に向かう階段があり、左は掲示板が掛かっている壁だ。突き当たりには、なぜか大きな姿見が壁に付けられ、左右に廊下が延びている。
(昔から、なんだかんだで走り回るのは俺なんだから……。いや、文句は後だ。とにかく今の状況を何とかしないと、今度は先生連中に注意を受けるだけじゃすまないぞ)
心中でつぶやいて顔を上げると、何者かと視線があった。
「……っ!」
カイゼルは思わず足を止めた。急だった為、前のめりになった身体を何とか起こし、突然の出現者に全身を緊張させる。
現れたのは一人の男だった。
廊下の端から出て来た男は、カイゼルを見ても別段、気にする様子もなく姿見の前で立ち止まると、髪を手櫛で整え、それから改めて向き直ってきた。
「……なんや、坊主か。丁度ええ所におったな。今、何時かわかるか?」
まだ寝惚けたような口調と態度で男はカイゼルに訊ねる。くすんだ金髪の、ひょろりとした体躯の男だ。
「じゅ、十一時位だと思うけど……」
寮を出る時には十時を回っていた。しばらく宿舎前の植込みでもめていたので、時間的にはそんなものだろう。
「あ、そ。実はワイな、十時に人と待ち合わせしとったんやけど、そいつらまだおると思うか?」
「……ちょっと、厳しいかな」
会話をしながら、内心カイゼルは動揺していた。
まず、相手の正体がわからない。教師かと思ったが、見た事のない顔だ。学園の関係者でもない人間が、教師の寮にいるなど怪しすぎる。
(誰だ……。いや、それよりも、今、邪魔をされたらまた色々と面倒なことになる……)
「じゃあ、ワイはまた寝るわ」
しかしカイゼルの葛藤をあっさり裏切り、おやすみと、男は手を振って、今来た方に戻って行った。
そして、ぱたんと扉を閉める音が虚しく廊下に響く。
言葉通り、どこかの部屋で二度寝するらしい。
「…………どうでもいいけど、約束は守れよ」
カイゼルはどこか納得できないまま、妙に疲れた足取りで三階まで昇った。
そこでカイゼルは、四階踊り場手前の階段で腹這いになっているイリスを見つけた。
「……何やってんだ?」
「カイゼル。遅かったじゃない、待ちくたびれたわ」
イリスは振り返りもせずに答える。
「待っていたのか? ひょっとして」
「いくら何でも一人は怖いからね。じゃあ、行くわよ」
立ち上がり、服の埃を払いながら、イリスは微塵も怯えのない足取りで歩き出す。
「お前さあ、連帯責任って言葉が好きだろ」
「ん? なぁに?」
「……もういい。……後はヘーゼ次第だな」
カイゼルは眉間を押さえる。
「あら、そういえばまたヘーゼがいないわね」
あっけらかんとイリスは笑っている。このまま無理矢理襟首をつかんででも戻りたかったが、彼女のことだ、自分が納得する結果が出ない間は決して引き下がらないだろう。
カイゼルもイリスの後について四階の廊下を歩き出した。
明かりのない廊下は、濃い闇が落ちている。それでもどうにか物の輪郭程度は見えた。そして、目的地である四階の端部屋の前には、特に見張りらしい人間の姿もなく、静まりかえっていた。
「……何か、ずいぶんあっさりここまで来られたけど、シリカは本当にあの部屋にいるのか? もう場所を移したのかもしれないぞ?」
「その時はその時よ。いなかったら別の場所を探せばいいわ」
「次に探す場所ってどこだよ……。訓練校の外に出られたら、俺達にはもうどうすることもできないぞ」
「もう、カイゼルってばさっきから冷たいわね。シリカを助けたくないの? 今、こうしている間にも、シリカには魔の手が迫っているっていうのに!」
大変だと小声でわめきながらも、イリスの顔は妙に嬉しそうだ。
「扉を開けたら、どんな惨劇の場が待っているのかしら。やっぱり基本は拷問よね。楽しみだわ!」
「……シリカを助けに行くんじゃなかったのか? イリスの言うこと聞いてると、シリカが危機に陥っているのを見物したいだけに聞こえるが……」
彼女の脳内で展開しているシナリオでは、シリカは無惨に痛めつけられているらしい。それを華々しく救出する自分を想像して楽しんでいるのだろう。
(付き合わされる方の身にもなってくれ!)
カイゼルはそのはた迷惑な思考の少女に、げんなりと肩を落とす。
「それじゃあ、一気に行くわよ!」
扉の前で一度二人は顔を見合わせ、カイゼルがノブに手をかける。
鍵はかかっていない。
それを少し意外に思いながらも、カイゼルは勢いを付けて扉を開け放ち、彼を先頭に二人は室内に飛び込んだ。
「シリカ!」
目に入ったのは、正面の窓。カーテンの掛かっていないそこから、夜の闇が見える。
そして二人の侵入者に驚いて振り返った男は、翠玉の瞳を大きく見開き、驚きに言葉を発せられないでいる。
だがその人物は、彼らの探していた者ではなかった。
「---リンドブルム!」
他に人影は見えない。隣室に通じる扉は右手側にあったが、確認している暇はなかった。
「はずれだ、逃げるぞイリス!」
踵を返した二人の背に、よく知った男の声がかかる。
「待ちなさい。イリス、カイゼル」
「シリカ?」
だが振り返っても、そこには例の男しかいない。
困惑している二人に、男がゆっくりと近づいてくる。
「まったく……。私は宿舎に戻りなさいと言いませんでしたか?」
男の容姿は、確かに昼間見た貴族に間違いない。だが発せられる声音は、彼らの耳に馴染んだものだった。
「……本当に、シリカなのか?」
「そうです、私ですよ」
そこでようやく彼も、自分に向けられる奇異な視線に気づいたらしく、服や髪をいじる。
「……そんなに、違うものでしょうかねぇ……」
どうやら心なしか傷ついたらしい。
「いつもの雑巾のくたびれたような姿を見慣れていたら、そうなるわよ」
「……手厳しいですね、イリス君は。髪と髭を整えて、服を替えただけなのですが」
「それにしたところで、どうしてあの貴族男と同じ顔になるんだ?」
当然の質問をカイゼルが発する。だが当の本人は、特に言葉を選ぶ事もなく、あっさりと答えた。
「あぁ、彼と私は兄弟なのです。双子なもので、昔はよく間違えられましたよ」
シリカは遠い目をして天井を見上げた。
「は……? え……?」
「兄弟……?」
二人は困惑し、眉をひそめる。そしてお互い顔を見合わせた後……
「……つまり、空騒ぎだったわけね」
「おまけにただの兄弟ゲンカかよ……」
彼らは、あまりといえばあまりな展開に、怒る事さえ忘れていた。
「はぁ、まぁ、あなた達の中でそういう答えに行き着いて、自己完結するのなら、私も後々楽なのですが……」
唸るシリカに、カイゼルが服の袖を引っ張る。
「監禁されていたわけじゃないのか?」
「待機場所をここに選んだのは私ですよ」
「シリカが昔、ケンカを売った犯罪シンジケートが、奪われた盗掘品を取り返す為に大挙して押し寄せて来るんじゃないの?」
「……どうやら、ご期待に添えなかったらしいですね」
イリスに揺さぶられながら、シリカは乾いた笑いを浮かべる。
「てっきり誘拐されたと思ったのにな……」
「どうしても実家に帰らないといけないらしくて。でも、観光に来た方々と一緒、というわけにはいかないので、身なりを整えるついでにここで一泊ですよ」
「じゃあ、捕まえに来た兵隊は?」
「弟の部下です。私はちょっと、事情があって家を出ていたもので、それを考慮した弟が、是が非でも捕まえる為に、協力を頼んだらしいです。あ、もう他の観光客さん達と一緒に帰りましたから」
あはは、と力無く笑うシリカと、脱力する二人。このままお開きになりそうだった場を止めたのは、慌ただしい足音だった。
「兄さん!」
先ほどの二人と同じように、開け放たれたままの扉から飛び込んで来たのは、今度こそ彼らが昼間見た男だった。
リンドブルムは室内にいるカイゼル達に胡乱げな視線を向けるが、詮索は後回しにしたらしく、真っ直ぐシリカの側に駆け寄る。
「兄さん、今すぐここから離れよう!」
「またそれは唐突ですねぇ」
切迫した相手の様子を見ても、シリカはまったく動じていない。
「早くしてくれ、火事なんだよ!」
「火事だって?」
カイゼルは弾かれたように顔を上げる。
「まさか、ヘーゼの奴!」
「カイゼル、とうとうやってしまったのね……」
慌てるカイゼルの肩を、イリスがそっと叩く。目の端に、涙まで浮かべて。
「おい、イリス……今、ものすごく失礼なことを言わなかったか?」
「カイゼルも、どうしてそこでヘーゼの名前が出て来るのよ」
お互いの言葉をもう一度反芻してから、今度は生じた矛盾に首を傾げる。
答えが出るまで、大した間は必要なかった。
「イリス……」
「やっぱり、カイゼルもそう思う?」
真っ先に思いついた最悪の答えに、二人は脱兎のごとく駆け出した。
室内に取り残される形となった兄弟は、
「行きますか」
「……そうだな」
それだけ言うと、どことなく疲れた顔をしてその場を後にした。
廊下に出てすぐに二人は、階下から立ち昇る白煙に行く手を阻まれる。
「ヘーゼの奴、気をひけとは言ったがやりすぎだ!」
「あ、やっぱり。これってヘーゼがやったのね」
どんな状況に陥っても、イリスは楽天的というか、どこまでも軽い。時折カイゼルは、彼女ならどんな激戦区に放り込まれても、持ち前の外道な行動と気楽さで乗り切れるのではないかと悩む事がある。
「とにかく出るぞ。煙を吸わないようにしろよ」
「はーい」
イリスの返事を聞きながら、カイゼルはふと気づく。
一階で遭遇した、くすんだ金髪の男。
(あの男は、どうしたんだ……?)
常識的に考えれば、この状況でまだ寝入っているとは考えにくかった。だが、どうにも心に引っかかってしまう。
(この場合、見捨てたら誰の責任になるんだ?)
正体不明の男を助けるか否かで悩んでいるカイゼルの耳に、激しくせき込む声が聞こえる。
「く、苦しい……」
「……煙、吸い込んだだろ」
結局、イリスを介抱している間にシリカとリンドブルムに追いつかれ、カイゼルは男を探すことをあきらめた。
中庭は、宿舎の燃える煙で充満していた。教師達が木桶に水をくんで運んでいる中、どうにか四人は宿舎から走り出る。
そのまま近くの茂みの中に飛び込み、カイゼルは身を低くして辺りの様子をうかがう。
「……燃えているのは、一階の一部だけみたいだな」
息を整え、カイゼルは汗を拭う。
「ヘーゼはどうなったんだ?」
「あれじゃない」
イリスも息を切らしながら指さす。火元より少し離れた場所に、消火作業をしているものとは別の集団がある。離れているので状況はよくわからないが、時折『僕はおとしめられた被害者だ』『すべてを狂わせた者に復讐を』等の叫び声が聞こえてくる。
「……相当錯乱しているな」
「今出て行くのは、ちょっと気が進まないわねぇ」
「それは俺も同感だ」
こんな状況では、言い訳や説明もできたものではない。
「きっと私達は地下の秘密の拷問室に連れ込まれて、白も黒と言わすような恐ろしい仕打ちを受けるんだわ……」
「いや……なんか、そんな道徳的にあまりよくないような事を平気でする教師に教わっているなんて、ちょっと嫌だなぁ……」
何となく目線をそらしたカイゼルは、残り二人の存在を思い出した。
シリカ達兄弟は、さらに離れた場所で口論になっていた。
「良いですか、もうこのまま黙っているわけにはいきません。ここは訓練校の方々にきちんと事情を説明してから……」
「そんな悠長な事はしていられない。兄さん、すぐ来てくれ。今ならまだ間に合うかもしれないんだ!」
「モリオン……。ここまで騒ぎが大きくなれば、もう今日の話にはならないでしょう」
話が平行線をたどる中、シリカは珍しく苛立ちも露わに髪をかき上げる。
「……なあ」
服の袖が引かれても、見向きもしない。
「モリオンって、シリカの弟の名前か?」
「……カイゼル?」
そこでようやくシリカは二人に気づいたらしく、驚いたような顔を見せる。そんな常にない様子のシリカにカイゼルは、煤で汚れた顔で遠慮がちに尋ねる。
「何か取り込んでいるみたいだけど、良いかな?」
「はぁ、なんでしょう」
「話、ちょっとだけ聞いてたんだけどさ、教師連中に事情を説明した方が、確かに事は早くすみそうだけど、俺達も何がなんだかよくわからないんだよ。それに……今の状況で、相手がこっちの言い分に耳を貸すとも思えないんだ」
「今ならもれなく、教職に相応しくない言葉の羅列という精神的イジメが待っているわ!」
「お前さ……過去に何か嫌な思い出か、悲惨な体験でもしたのか?」
カイゼルは、止まらないイリスの口を塞ぐ。
「だからさ、シリカが俺達と一緒に来て成り行きを説明して欲しいんだけど……」
カイゼルの頼みに答えたのはシリカではなくもう一人の男モリオンだった。
「悪いが、それはできない相談だ。俺達は一刻を争う状況なんだ。後で弁護でも事情説明でもしてやるから、今は大人しく帰って教師の説教でも受けていろ」
しっ、しっ、と野良犬でも追い払うように手を振る。
「うわっ極悪!」
「似ているのは顔だけってやつ?」
子供達に非難の言葉を浴びせられ、モリオンは口元を歪ませる。前髪の下に浮いているのは青筋だろう。
「……わかりました。三人とも、ここではゆっくり話ができないので、ひとまず場所を移しましょう」
シリカは三人の間に割って入る。大きく息をつくその顔は、どうにも情けない表情をしていた。
シリカの住居は、山中にあるログハウスだった。年代物のようだが、作りはしっかりしている。広さも、住人が彼一人という事を考えれば十分すぎるくらいだ。
「訓練校の裏にこんな物が建ってるなんて、気づかないものねえ」
部屋の隅には、布を何枚か敷いて寝心地が良いように作られた床があった。イリスはそこに座りながら、隅々まで目をやる。
「何でこんな所にこんな建物があるのかは、私も知りませんよ。在学中に偶然発見した時からもう無人でしたから。幸い、大きな家具類はそのまま残っていたので、そのまま再利用させてもらいました」
テーブルがひとつに椅子が二脚。そのうち片方にはカイゼルが腰掛けている。服を入れる棚があり、窓には何もかかっていない。床にはすり切れた絨毯が敷かれ、煉瓦造りの暖炉の前ではシリカが火をおこし、湯を沸かしている。その隣ではモリオンが壁にもたれ腕組みをして、不機嫌そうな顔で立っていた。
「皆さんお疲れでしょう。今お茶を入れますから」
疲労し、口を開くのも億劫になっている三人と違い、シリカ一人が忙しなく動く。
「なぁ、シリカ……。さっき在学中って言ってたけど、シリカはこの訓練校の卒業生なのか?」
ようやく立ち上がるカイゼル。それに合わせてイリスも動き出す。
「そうそう、そこは私も気になるわ」
イリスはシリカの手から茶葉の缶をひったくると、茶器に手早く葉を入れる。
「……言いませんでしたか」
「言うも何も、シリカは今まで自分の事は何も話さなかったじゃないか」
「顔しか似てない弟の話も初めて聞いたわよ」
二人はじと目で未だに動こうとしないモリオンを見やる。
さすがに聞き捨てならなかったのか、モリオンは眉間にしわを寄せる。
「お前ら、俺のことが嫌いだろう……。特に小娘」
「やめなさい、モリオン」
シリカは手でモリオンを押さえると、あきらめたように嘆息した後、一同を見渡す。
「とにかく、お茶にしましょう」
「まずは、私達の事を話しましょう」
温かい紅茶が全員の手に行き渡ると、シリカは静かに話し始めた。
「彼は……モリオンは、先ほども言ったように、私の双子の弟で、皇都で家族と暮らしています。私は見ての通り、もうずいぶん前に家を出ました。家族といっても、父は十三年前、母は七年前に亡くなっています。後は、継父と母の間に生まれた娘が一人いるだけですね」
シリカはテーブルに肘を突き、手の中で湯気を上げるカップを、どこか焦点の定まらない眼差しで見ている。
「妹の名は、フローライト。……もう、何年会っていないのでしょうか」
うつむき、周囲の誰とも視線を合わそうとしない。普段の彼とはまったく違う、重苦しい空気。それに無理矢理突っ込んできたのはモリオンだった。
「何年って……六年だ。六年も経ったんだよ! その間に色々あった。居場所すらわからない兄さんを恨みもした。けど、今はそんな事はどうでも良い。早く、早くフローラを助けないと……」
最後には、しぼむように声は小さくなっていった。
「……すみません」
「誰も、何も責めてはいない。……だから、兄さんが出て行く必要なんてなかったんだ」
それきりモリオンは黙ってしまい、辺りには息をつく事もためらうような、張りつめた空気が漂う。
この兄弟の間には、六年の歳月という空白だけではない何かがあるのだろう。だが今それを問いかける事はためらわれた。
だからカイゼルは、今、問題にすべき事を口にする。
想像だが、恐らくこの兄弟の前にある、切迫した状況の原因は、モリオンの言葉にあるはずだった。
「……妹さんに、何かあったのか?」
カイゼルは、ようやくそれだけを言葉に出す。
シリカはそれを聞いて、笑った。いつもの穏やかな表情とは違い、どこか自虐的な笑みだったが。
「……妹が、誘拐されました」
ことり、とシリカがカップをテーブルに戻す。たったそれだけの音が、奇妙に大きく響いた。
「誘拐って……何で、そんなことに」
「まぁ、金銭が目的ではないようです」
シリカはそこで一度言葉を切る。その根拠を、今説明するつもりはないらしい。
「とにかく犯人は、私達に指定した場所に来るように、とだけ伝えてきました。そうですよね、モリオン」
話を振られ、壁に身を預けていたモリオンは、仕方なくといった様子で続きを語る。
「継父にも、詳しい事は一切話さずに出て来た。向こうは二人揃ってという条件を付けてきたが、こっちは兄さんの居場所すらつかんでいなかったからな」
「そうなんだ。じゃあ、よくここにシリカがいるってわかったよな。しかも都合良く観光ツアーに紛れて来るなんて」
「逆だ。妹の誘拐すらも、合わせられていたんだ」
カイゼルとイリスは、思わず顔を見合わせる。
「っ、なんだって?」
「私の居場所をモリオンに教えてきたのは、犯人の方ですよ。そして、落ち合う場所は今夜この訓練校で……」
「だが犯人は、指定した刻限に現れなかったんだ!」
モリオンは苛立たしげに壁を殴りつける。その音にカイゼルは身を震わせたが、同時にある事を思い出す。
「……もしかして!」
宿泊所で見た奇妙な男。
待ち合わせをしていたはずなのに、寝過ごした挙げ句、さらに二度寝をする始末。
どうにも怪しいと思っていたが、今聞いた話と絡めてみれば納得できる。
カイゼルは見てきた事を話すと、二人はその場に倒れそうなほど激しく脱力した。
「そんな……取引の相手が同じ建物の中で寝ていたなんて……しかも、二度寝しただって?」
「ごめん、話すのが遅れて」
「今夜だけで片が付くとは思っていませんでしたが、それにしても弱りましたね」
確かに、交渉が引き延ばされる事は予想できても、取引の相手が寝坊するとは夢にも思わなかっただろう。
カイゼルは、思わず二人に同情の眼差しを向ける。
そこにイリスがいつもの軽い調子で割り込んでくる。
「いっその事、本拠地に攻め込んじゃえば? それが一番手っ取り早いわよ」
「それは却下。問題の論点が根本的な所からずれてるぞ」
潜伏先がわかっている誘拐犯など聞いた事がない。
だがしかし、カイゼルの常識はシリカの一言で崩された。
「……実を言えば、居場所も大体見当は付いていますけど」
「どこ、どこよ!」
「皇都の南にある廃墟です」
「廃墟って、あの砂漠にある遺跡のこと?」
「うーん、まともに歩いて行ったら、今からだと夜が明けるな。無人だからアジトにするにはもってこいだけど、なんか、色々と不便そうだな」
「そうよねー。女の子を招待するには、ちょっと埃っぽいし」
イリスは肩にかかる髪を跳ね上げて頬を膨らませる。彼女なりに、この非人道的な事件に腹を立てているようだ。それは、カイゼルも一緒だった。
「では、なぜそこが潜伏先だと思ったのか説明する前に、少し歴史の話をしましょう」
滞った空気を入れ換えるように、シリカはことさらはっきりと言った。
「現在の私達にとって、魔法とは、渡れない海のように遠い存在となりました。しかし、過去の時代では、例外があったのです。太古の昔、唯一魔法を使いこなした存在ウトガルザ・ロキ。彼は彼に従う者達と共に、皇都から南に広がる荒野に大都市を築き上げた。街はウトガルヅルと呼ばれ、代々ロキを継ぐ者が治めました。……強大な力を使いこなしたとはいえ、老いには勝てなかったようです。そして代々のロキは、誰であろうと魔法を教える事を拒まなかった。しかし、永遠に続くものはありません。やがて、街は増え続ける人口を支えきれず消滅しました……。そして、世界から魔法使いが消え、かつての大都市は、荒野に埋もれてしまった」
「それが、あの廃墟よね。今は本当に何にもないけど」
「だから俺達は、失われた魔法の代わりに、マテリアを使うようになった……」
実験室で見た、黒い鉱石。お伽話の夢を叶える黒い塊。だがシリカが語るのは、歴史の中にある、本当の物語。
「まさか、そのロキって魔法使いが犯人なの?」
言葉とは裏腹に、イリスはまったく信用していない様子だった。それを見てシリカは硬い表情をわずかに弛める。だがそれも一瞬の事で、すぐに続きを口にする。
「……名を継ぐ者が存在しているのなら。ただ言える事は、歴史上最後のロキを殺したのは、私達の父です」
カイゼルとイリスは一様に息を飲む。モリオンは、ただ目線をそらしただけ。
一瞬の静寂の後、カイゼルが口を開く。
「復讐、か……」
その言葉にシリカは苦い笑みを浮かべる。
「それが事実だとするなら、逃れる事はできません」
震える声でつぶやくと、シリカはそこで初めて顔を上げる。視線の行く先は、蒼白な顔をした弟だった。
「なぜ、兄さんはそんなに冷静でいられるんだ。いくら族長を殺された恨みがあっても、皇都の国政に与しなかったあいつらにも非があるんだ。逆恨みも良いところだよ」
「モリオン。それはあくまで私達の理屈です。彼らにしてみれば、父の行動が一族崩壊の原因を作った事に変わりはありませんよ」
シリカはそこで一息つくと、物わかりの悪い生徒に教えるように、優しい声音ではっきりと告げる。
「あなただって、父の『功績』は知っているでしょう」
「それは……」
「南方の蛮族集団を皇都から退けた英雄。その結果、父は昇進し、さらに上層へと登りつめる事に成功しました」
モリオンは、兄にかける言葉を見つけられず、沈黙するしかなかった。
「英雄と呼ばれる存在には、必ず何か隠された事実が存在します。父にも……ヘリオドール・リンドブルムにも、それは例外ではなかったようです。もっとも、私がそれを知ったのは母が亡くなってからのこと。遺品を整理していた際に、偶然、気づいてしまったのです……名声の裏に隠された、罪を」
シリカは憔悴しきった顔に、うっすらと笑みを浮かべる。それは感情のこもらない、冷え切った笑い方だった。
「……それが、兄さんが家を出た理由なのか?」
「その事に関しては、またゆっくり話しましょう」
顔を上げ、弟に向けた顔は、常の人の良い笑みを浮かべたそれに切り替わっていた。
「そういえば、二十年以上前に、南方の蛮人集団を皇都から退けた英雄がいたな。それがシリカの親父さんなんだ」
「……習ったかしら、そんな事」
「歴史というよりは、近代史に入るから、一般常識として覚えていろと先生は言わなかったか?」
本格的に悩み始めたイリスをカイゼルは無視する。シリカに向き直ると、彼は間を保たせるように紅茶を口に運んだが、口を付けた途端、それがすっかりぬるくなっている事に気づき、そのままカップを机の上に置いた。
そして、困ったような顔をして苦笑する。
「まぁ、とにかく……。私自身も未だに信じられないような話なのです」
ヘリオドール・リンドブルムの役職は、白扉騎士団二八一連隊の大隊長補佐だった。これは、軍役について数年の若造の肩書きとしては、十分すぎるものだ。その人事には、彼自身の能力とは別に、遡れば王族に繋がる貴族としての家柄が優遇されたともっぱらの噂だった。
だが周囲のねたみや皮肉など、彼にはどうでも良かった。
功績や肩書きよりも、大事なものがあったから。
ヘリオドールには、若く聡明で、美しい妻があった。
クノアラス・リンドブルム。
そして、彼の人生を狂わせた原因のひとつがそこにあった。
もうすぐ臨月を迎える妻を見て、そこで初めてヘリオドールは、現在の自分に疑問を持つ。
自分は、果たして子供が皆に誇れるような父親なのだろうか?
その考えは、日毎夜毎にヘリオドールに蓄積され、出産の為に実家へと戻った妻を見送った後……爆発した。
当時、皇都から他の都市へ繋がる街道には山賊まがいの者達が横行し、昼間でも護衛の者無しでは通行がままならないほど治安は乱れていた。商人達はこぞって強い護衛を雇ったが、彼らの死体が増えるだけ。
結果、街道を行く者は激減し、商人は遠ざかり、物資の流通は滞る。皇都は見かねて国境守備隊の黒帝騎士団を派遣したが、常に寸前で逃げられ、騎士団員達は煮え湯を飲まされ続けていた。
主格はウトガルザ・ロキを名乗る者。そしてその末裔達。
国を失ってからも生き残った魔法使いの子孫達は、皇都の周辺で定住地を持たない遊牧民として暮らしていたが、いつしか盗賊の集団に成り下がっていた。
泥沼化していた状況を打破したのがヘリオドールだった。彼は皇都の選りすぐりのエリート達でさえも捕り逃がしていたウトガルザ・ロキを、彼と部下数名で討ち取る事に成功した。
ウトガルザ・ロキを失った一族は、今までのつきに見放されたか、隠れ里に疫病が蔓延し、ほとんどの者達が死に絶え、一部が皇都に受け入れられた。
「……お尋ね者を倒した父は、英雄となり、幼い子供がその背に憧れるほどの地位を手に入れました。しかし父は、間もなく亡くなりましたが」
シリカはそこで言葉を切り、嘆息した。
だが、すかさずイリスが食ってかかる。
「でも、それじゃあ本当に逆恨みじゃない。自分達が散々騒ぎを起こしておいて、いざ首領が殺されたからって……それも、何年も経ってから、関係ないシリカ達を脅すなんてひどいわ!」
「そうだモリオン。あんたは騎士なんだろ? 自分の部隊もあるんだろ? だったらその人達に手を貸してもらえば!」
騒ぎ立てる二人を、シリカは手で制す。
「イリス、カイゼル、二人とも落ち着きなさい。向こうも考えがあるから、人質なんて面倒なものを使って呼びつけるのですよ」
「身代金じゃなくて、シリカとモリオンの二人が来いって言うんだろう? 相手が何を考えてるかはわからないけど、いくら妹を助けたいからって、それで二人揃って出て行くなんて無謀すぎるよ。そんな……相手の目的なんて……血縁者を狙うからには……」
「そうよそうよ! 目的は復讐で決まりなんだから! 行ったらじわじわとなぶり殺しよ! 爪なんて一枚一枚剥がされるんだからっ!」
「イリスっ! 俺が伏せた個所をリアルに言い直すな!」
「……その辺りは……一部はどうかと思いますが……ある程度は予測していますよ」
シリカはそこで一同を見渡してから。ことさらはっきりとした口調で告げる。
「それでも、妹だけは必ず助け出してみせます」
「……俺は、兄さんの意見には反対だ。もちろん、フローラは必ず救出する。だが、確かに二人だけで行くなんて危険すぎる。ここは部隊を整えて一気に攻めた方が……」
「それでは、父がやった事と同じですよ」
戸惑ったようなモリオンの瞳を受け、シリカは笑う。
「さぁ、イリス、カイゼル。あなた達はもう寝なさい。明日の朝、訓練校まで送ってあげますから」
「シリカは、これからどうするつもりなんだ?」
カイゼルの問いに、シリカはすっと目を細めた。
「ウトガルヅルに向かいます。……私一人でもね」




