第一話:百年後に、価値は死んでいた
目が覚めたとき、世界は音がなかった。
いや、違う。
正確には――俺の知っている“音”がなかった。
「……ここは?」
声が、やけに乾いている。
視界は白い天井。無機質な光。鼻を刺す消毒液の匂い。
そして、自分の体が妙に軽い。
「覚醒確認。対象、意識レベル正常域」
機械のような女の声がした。
ゆっくりと首を動かすと、透明なパネル越しに、人影が見えた。
だが、それは人間というより――“人型の何か”に近かった。
「……何年だ」
喉がひりつく。
一瞬の沈黙のあと、淡々とした答えが返ってくる。
「西暦、2126年です」
その言葉は、理解に時間がかかった。
――百年。
「……は?」
笑うしかなかった。
夢にしては、出来が悪すぎる。
だが、夢ではなかった。
「冷凍保存措置は、契約通り実行されています」
説明は簡潔だった。
不治の病。
治療法が確立するまでの“保留”。
それが、俺の選択だった。
「……で、治ったのか?」
「はい。既に一般的な疾患です」
あっさりと、言われた。
百年。
その程度の価値しかなかったのか、俺の“死にかけた時間”は。
「社会復帰のサポートについてですが――」
「いや、その前に」
俺は手を見た。
震えていない。ちゃんと動く。
「俺の……金は?」
職員の視線が、わずかに逸れた。
その瞬間、理解した。
「ああ……そういうことか」
銀行口座は、存在していなかった。
正確には――
“長期未使用による解約”。
そして、法的な時効。
「お客様の資産は、すでに処理されています」
「処理ってなんだよ」
「規定に基づく消滅です」
笑えない冗談だった。
百年前。
俺は、確かに3000万円を持っていた。
それは、未来に繋ぐための“保険”だったはずだ。
だが、その保険は――満期を迎える前に消えていた。
「……じゃあ、これならどうだ」
俺は、首から下げていたチェーンに手をかけた。
そこにあったのは、一つの指輪。
冷凍保存の際、唯一“個人資産として保持”を許されたもの。
「これ、売れるだろ」
職員が、それを受け取る。
スキャン。
分析。
無機質な光が、指輪をなぞる。
「……鑑定結果が出ました」
少しだけ、期待した。
これだけは。
これだけは、裏切らないと思っていた。
だが――
「市場価値、三万二千円相当です」
「……は?」
一瞬、言葉が聞き取れなかった。
「かつては希少だった宝石ですが、現在は発掘技術の進歩により供給が安定しています」
さらりと言う。
「人工生成も可能ですので、希少価値はほぼありません」
三万。
かつて、1000万の価値があったものが。
三万。
「……はは」
乾いた笑いが漏れた。
「百年で、そんなに安くなるのかよ」
施設の外に出たとき、空は青すぎた。
高層建築。
空中を走る交通網。
見たこともない広告。
すべてが、未来だった。
だが――
「……誰も、いないんだな」
知っている顔は、ひとつもない。
家族も。
友人も。
恋人も。
みんな、百年前に置いてきた。
誰も知り合いはいない。
――生きている価値は、あるのだろうか。
そして、この世界は――
俺を必要としていない。
ポケットの中には、三万円。
それが、俺の“全財産”だった。
「さて……どうするか」
空を見上げる。
百年後の空は、やけに澄んでいた。
まるで――
過去なんて、最初から存在しなかったみたいに。
そのときだった。
「ねえ、おじさん」
不意に、声がした。
振り向くと、そこには一人の少女。
いや、“少女の形をした何か”。
瞳が、光っている。
「あなた、“旧世代の人間”でしょ?」
「……だったら?」
少女は、少しだけ笑った。
「価値がなくなったものってさ――」
一歩、近づく。
「使い方次第で、一番“面白くなる”んだよ」
その言葉に、なぜか――
ほんの少しだけ、心が動いた。
「仕事、いる?」
百年後の世界で。
何もかもを失った男に。
最初の“選択肢”が、差し出された。
――価値は、死ぬ。
だが。
使い道まで、死ぬとは限らない。




