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第百四十二話 王妃の交渉

お世辞にも広いとはいえない室内には、沈黙が漂っていた。


昼時らしく、どこかの家から漂ってくる香ばしい手料理の匂いが、開いた窓の隙間からかすかに流れ込んでいる。


だが、そんな日常の匂いも、今の二人にはまったく届いていなかった。



「なるほどな。悪くはあらへんな」



コトノは腕を組みながら言う。


ミスラとコトノが交渉を開始すると、まずはミスラが今後のリベリオンの在り方を説明した。


その説明を聞いたコトノの反応が、それだった。



「それで、その新生リベリオンの一角にあたる商人ギルドを、ウチに任せたいっちゅうわけやな」



「ええ、そうよ。ご不満かしら?」



ミスラは、少し挑発を込めて聞く。


その挑発に、コトノはニヤリと笑って返した。



「さっきも言うたけど、ウチは安うないで」



コトノは両手で頬杖をつき、体を前に乗り出す。



「ええ。だから、あなたの望む“金額”を聞かせてもらえるかしら」



ミスラも負けじと、体を前のめりにした。



「……」



再び、室内に沈黙が流れる。


しばらくすると、コトノは頬杖をついていた手を解き、その両手を頭の後ろで組みながら、背もたれに身を預けた。


和服の袖がずり落ち、そこから白い肌が覗く。



「甘いな、嬢ちゃん」



「!?」



「ウチが金を欲しいなんて、一言でも言うたかいな」



「……」



目的は、お金じゃない。


ミスラは認識を改めるしかなかった。


ただ、その前に言っておくことがある。



「その“嬢ちゃん”っていうの、やめてくれないかしら?」



ミスラは睨みを利かせて、コトノに言う。



「それは無理やな。甘ちゃんのお姫様には、“嬢ちゃん”で十分や」



コトノの挑発に、ミスラは頭に血が上る。


そして、文句の一つでも言ってやろうと、勢いよく立ち上がろうとしたその時だった。



「ッ!」



怒りに満ちたミスラの肩に、セシルの手が優しく置かれる。



「ん……飲まれちゃ……ダメ」



セシルが、言葉少なめに言う。



「……」



そんなセシルの言葉に、ミスラは自分の目的と立場を再認識させられた。



「ふぅ……」



ミスラは一つ大きく息を吸い込んで、吐き出す。


そして、未だニヤニヤとこちらを見ているコトノに視線を戻した。



「それで? お金が目的じゃないなら、何が目的なのかしら?」



ミスラは、もう面倒な駆け引きをやめ、単刀直入に聞いた。



「なんや、えらい単刀直入やな」



コトノは表情を変えずに言う。



「そう? 自分の立場を思い出しただけよ」



「立場?」



「ええ。私は王妃であり、この交渉をタイシから任されている」



「……」



「気に入らなければ、あなたを候補から外すことだってできる」



「随分強気に出るんやな」



「そうね。でも事実、今のあなたには類まれな商才はあっても、それを支える後ろ盾がない」



「……」



コトノの表情から、笑みが消える。



「私たちが望む人材は、もちろん商才があるに越したことはないわ。でも、それより重要なのは、人々をまとめる能力」



「……」



コトノは黙ったままだった。



「でも、その点については、今のところあなたから片鱗すら見えていないしね」



「……ほう。この短期間で、よう自分を客観的に見て、現状を把握したもんやな。“ミスラ”」



感心したような顔をするコトノ。


その目は、今までとは違っていた。


ミスラを交渉相手として認めた目だった。


しかし、ミスラは反応しない。



「話を戻しましょう。“コトノ”」



今度はミスラが両手で頬杖をつき、前のめりになる。



「それで、あなたの目的は何かしら? 自分の商会でも持ちたいの?」



ミスラが聞く。



「ハッ! ギルド長やりながら自分の商会なんぞ持ったら、利益相反や言われるやろ!」



コトノは腕と足を組みながら言う。



「じゃあ、なんなの?」



「……」



室内には、三度目の沈黙が流れた。


開け放った窓から生ぬるい風が吹き込み、古びたカーテンを揺らす。


そのカーテンの影が、床の上でゆらりと揺れる。


それとは対照的に、二人の間には目に見えない火花が散っているかのような緊張が張り詰めていた。


そんな重苦しい空気の中、最初に口を開いたのはコトノだった。



「まぁ、しゃあないか。確かに今、ウチにはリベリオンにおける後ろ盾は何もないわけやしな」



「……」



そう言うと、コトノはミスラに視線を向ける。


その視線を、ミスラは真正面から受け止めた。



「ウチの目的は、通商担当という役職や」



「通商担当?」



「そうや」



「……」



ミスラは無言のまま、先を促す。



「ええか? ウチが知る限り、この“原始的”な島で最初に“経済社会”を導入したんは、リベリオンや」



「そうね。とはいっても、この島の南地域の話だけど」



それ以外の地域については、まだ情報が乏しいのが現実だった。



「そうやな。だが、それでもや。それでも、リベリオンは通貨の発行までこぎつけた」



「……」



「リベリオンだけやない。南地域全体が、急速な経済発展を遂げる」



「リベリオンだけじゃなく? なぜ、そう思うの?」



その理由が分からず、ミスラは素直に聞いた。



「考えてもみぃ。他の領地が領民をどのように管理しているかは知らんが、根本的に領地の移動に制限はない。


 もちろん、所属領地の変更という意味ではないで」



「……たしかにそうね」



「必ず、通貨は他領に流れる」



「……」



「そうなるとやな、物々交換しかなかった環境に埋もれていた商才のある者たちが、必ず動き出す」



「……物々交換から、貨幣を使った経済へ」



ミスラは腕を組み、考える。



「そうや。そしてその渇望は、いずれ領地を飲み込む」



「……」



「誰しも、自分が欲しいものを、欲しい時に、欲しいだけ手に入れたいと思うからな。物々交換なんて面倒なことをせずにな」



「……確かに」



一度、貨幣によって欲しい物を自由に売買できる便利さを知れば、物々交換だけの生活へ戻ることは難しい。


その欲求が広がれば、領民から領主へ変化を求める声が上がることも十分に考えられる。


場合によっては、暴動に発展しかねない。


いや、暴動ならまだいいかもしれない。


各領地にとって一番怖いのは、領民が自領よりも、リベリオンの配下になった方がいいと思うことだった。


そうなれば、必ず“裏切り者”が現れる。



「その流れが大きくなれば、いずれ各領地も、自領で通貨を発行するか、リベリオンと交渉するか――何かしらの対応を迫られるっちゅうわけやな」



コトノの先見の明は確かだった。



「ま、そんなこんなで、そうなった時、その相手との交渉をウチに任せてほしいっちゅうことやな」



コトノは簡潔にまとめ、目的を告げた。



「あなたの目的は理解したわ。でも……なぜ、それが目的なの?」



素朴な疑問だった。


簡単に言えば、コトノの目的はリベリオンの中枢に入りたいということだ。


だが、それは普通なら面倒この上ないことだった。



「ミスラ。ウチを守銭奴と勘違いしてへんか?」



「え?」



「ウチが商売を好きな理由は、単純に、その行為による人との繋がりが好きやからや」



「人との繋がり?」



「そうや。おもろいでー。生活が懸かった人々との交渉や、その思惑を見るのは」



「そ……そうなの……」



ミスラは苦笑いを浮かべる。


セシルが“クセがある”と言っていた本当の意味が、分かった気がした。



「まぁ、そういうわけで、ウチは商人ギルドのギルド長を引き受ける代わりに、他領との経済関連の交渉時は同席させてほしい。っちゅうのが希望やな」



「……」



「もちろん、ギルド長の仕事は全力で全うするし、財務大臣のケインの職務の範疇まで口を出すつもりはないで」



「……」



「変なことせぇへんかったらな」



(絶対、口出すわね)



「で、どうするんや? それでもウチをスカウトするか?」



「……」



ミスラは目を瞑り、考える。


そして目を開けると、後ろに控えるセシルを見た。


セシルは相変わらずのジト目で、感情が読み取れない表情をしていたが、ミスラに一つ頷きを返す。


そして――



「分かったわ。その条件を飲む」



「おお」



「ただし、全てにおいて最終決定権は王であるタイシにあること。


 そしてあなたは、ギルド長としての仕事を全うすることを忘れないで」



「もちろんや!」



そう言うと、コトノは立ち上がり、右手を差し出した。



「……頼んだわよ。“コトノ”」



そう言いながら立ち上がると、ミスラは差し出されたコトノの右手を握る。



「任せとき。“ミスラ”」



交渉がまとまった。


この時のミスラはまだ知らない。


今日ここでコトノを仲間に引き入れたことが、後のリベリオンの経済発展に大きな影響を与えることを。


今、彼女が思うこと。


それは――



(ケインに……なんて説明しようかしら……。)



知らない間に、とんでもない曲者と仕事をすることになったケインへの、ほんの少しの哀れみだった。


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