無駄な一日を終えて
とりあえず、整理券を再び受け取りに向かう事にする。再入場した冒険者ギルドの一階ロビーには、先程と打って変わって人が数えるほどしか居なかった。
すっかり静かになったことに面食らいながらも、カリグラがカウンターに立っている受付担当者に聞く。シフトが変わったのか、今は若い女性の事務員だ。
「すみません、整理券をいただきたいのですが」
カリグラが手を差し出すのだが、女性事務員は申し訳なさそうに首を振るばかり。
「欠員補充の試験案内は、先程中止になりましたよ。商店街の酒場で冒険者見習いが大暴れしたようで、騎士団詰所と魔術ギルドから即刻、冒険者見習いの募集を中止するように命令が出たのです。当面の間、欠員補充の募集は行いません。
ですので、整理券も出せないんですよ。酒場の乱闘現場に、ここの整理券が落ちていたという事ですので、騎士団はこの整理券を巡っての争いの可能性もあると考えているんです」
どうやら、魔術ギルドのお嬢様たちを襲った泥棒猫の騒動を指しているのだろう。冒険者見習いの乱闘事件と誤解されてしまっているようだが。
カリグラ自身が「そうではない」と言えば、騎士団詰所へ出向く事になる。
そこで調書を取られるのだが……その酒場に居た他の関係者からの証言も記録されているはずだ。記録を元に調べれば、整理券を落とした可能性のある人間は限られてしまう。
ただ、騎士団が冒険者ギルドで捜査しても、整理券とその控え帳には、受け取った人の情報が記録されていない。
なので、いきなりカリグラが逮捕される恐れは無いのだが、騎士団詰所での調書記録と照合されると厄介な事態になりかねない。カリグラが冒険者ギルドに居た事は事実だからだ。
なので、聞き流すことにした。差し伸べていた手を引っ込めて、とりあえず聞いてみる。
「そうでしたか。それで、いつ頃、欠員募集が再開される見込みですか?」
カリグラの問いに、肩をすくめてみせる女事務員。とりあえず、彼女も上司に聞いてみる事にしたようだ。
「私では分かりかねますね。ギルドマスターが居りますので聞いてみます。すみません、ラディエスさん。お時間よろしいでしょうか」
すると事務所の奥から一人の老人がやって来た。何か武術でも修めているようで、かなり身ごなしが軽い。
そして、彼の顔には見覚えがあった。真っ白い口ヒゲとあごヒゲ、そして見事なハゲ頭。
(あ。山賊討伐の時に見かけた人だ)
カリグラはダーブルから『ラディエス』という名前それ自体は聞いていたのだが、当時の記憶があいまいなので同名の別人だと思ったようだった。
今は記憶の断片にあった容姿と一致したので、彼がカリグラとナダルを救出してくれた恩人だと理解している。
ラディエスと呼ばれた老人が女事務員と席を交代し、カリグラに微笑んだ。
「おお。黒き狼団の一番隊隊長か。元気そうで何よりじゃ。ダーブルの訃報を聞いた。残念に思う」
ラディエスが沈痛な表情になり、弔いの言葉をかけた。その後で、本題に戻る。気持ちの切り替えが早い人のようだ。
「酒場での騒動が思いのほかに面倒な事態になってな。被害者が魔術ギルドの偉い人の娘さんだったんじゃ。
冒険者もその場に居ったんじゃが、揃いも揃って気絶して役に立たなかったようでな。
魔術ギルドと騎士団が怒って、当分の間は役に立たない冒険者見習いを増やすなという事になってしもうた。そんなわけで、欠員補充も当面は無い」
「マジですか……」と、目を点にしているカリグラである。これは、月単位どころでは済まない雰囲気だ。黒き狼団の新規隊員の補充と訓練の完了の方が、先に終わるかも知れない。
女事務員も、ため息混じりで状況を理解したようである。カリグラも(狼団へ戻った方が良さそうだな)と思い始めた。
「……では、ペンデ団長代理からいただいた紹介状も不要になってしまいましたね」
とりあえず紹介状を懐から出して、ギルドマスターのラディエスに手渡した。
無造作に紹介状の封を開けて、一読するラディエスであったが……何か思いついたようだ。紹介状をきちんと畳んで自身のポケットに差し込みながら、視線をカリグラに向けた。
「オマエさんは、ちょっと例外扱いにしてやるよ。こうなった原因の一端は、わしにもあるのでな」
『こうなった』とは何を指しているのか、分からない様子のカリグラだ。ダーブルの死か、酒場で露呈した冒険者の質か。ラディエスはダーブルが戦死した戦闘に関わっていない。その前の戦闘だけだ。
(という事は、冒険者の質について何か反省しているのかな? まあ、確かに泥棒と戦う事もできていなかったしなあ)
そういう風に理解したカリグラであった。ある程度、これが当たっていたと気づくのは、もうしばらく後になってからだったが。
「ちょっと待ってくれ」と言い残して、足早に事務所の奥へ戻っていくラディエス。仕事をしている数人の事務員を強引に引きずって別室へ入っていった。
それをジト目で見送る女事務員。
「まったく。勤務内容以外の仕事を押しつけてばかりなんですよね、ラディエスさんって。腕が立つ冒険者だそうですけど、ギルドマスターとしては少し問題があります」
(俺自身にも一部当てはまるなあ。俺は優秀な隊長じゃないけど……)と反省するカリグラだ。事実上、一番隊の仕事はナダルに丸投げしている。
そのままカウンターで待っていては、他の用事で来ている人の邪魔になると気づく。そそくさとカウンターの脇に移動した。
しばらくの間、女事務員の受付仕事を眺めているとラディエスが戻ってきた。手に何か持っている。
「ホレ。『冒険者見習いの証』じゃ。これで、このギルドの施設が利用できるぞ。会員用の安宿もあるから利用すると良かろう。もう、外は暗くなってきておるからな。
それと、もう一つ。魔法具の『収納ポーチ』じゃ。これで重さを気にせずに大量の武器や道具を持ち運べるぞ」
見た目は地味なポーチなのだが。
「じゃが収納できるのは、これの口に入るサイズまでじゃぞ。鎧までなら何とかパーツに分解して入れることができるが、馬車や家のような巨大なものは無理じゃ。
冒険の依頼などの受付は、ここではなく三階に行け。一階はこの騒動で閉鎖される予定でな。では、がんばってくれ」
先にまず、収納ポーチを受け取る。確かに口の大きさは、最大限まで引き伸ばせば、フルフェイスの兜や軽量の鎧がギリギリ入る程度だ。机やイスはとても入りそうにない。
早速、腰のベルトに固定していた金貨が入っている袋と、背中に背負っていた木の盾を中に入れた。木の盾は縦に四つ折りにできるため、何とか入った。瞬時に金貨と盾の重さが消えてしまったので驚く。
次に、証を受け取った。身につけた瞬間、何か魔法のような力が全身に行き渡ったのを感じる。
「おお……」
ラディエスがニコニコしながら説明した。
「証っていうのも、一種の魔法具じゃな。身につけることで身体能力や魔力、技能が向上する。冒険者ギルドを祝福している各種神様による加護のおかげじゃ。
黒き狼団の隊員が装備している鎧よりも魔法防御力が高くなる。こんがり黒焦げには、なりにくくなるぞい」
神様の名前をいくつか聞いたのだが、カリグラは知らない尊名ばかりだった。かなりマイナーな神様なのだろう。それでも体感として、神様の存在を強く感じる。
(本当に神様ってのが居るんだな……傭兵を祝福する神様が居ないのはどういう事だ?)
まあ……傭兵の場合は多くが野外での仕事になり、そこでは『戦場』になる。神様の加護を受けにくい仕事だ。
そのため、高名な傭兵は各自で神様からの加護を受けている。多くの場合、戦闘の神バイシャを信仰の対象に選んでいるようだ。
ラディエスが話を続けた。
「オマエさんの場合は、戦士とクレリックの中間の特殊職『黒き狼』という登録じゃ。回復魔法も使える戦士のようなものか。
その証は、他人が身につけても機能するようになっておって、個人情報の機密管理が甘い。盗まれないように気をつけることじゃ。再発行は面倒じゃからな」
確かに体が軽い。その場でピョンピョンと跳びはねるカリグラに、ラディエスがニヤリと微笑んだ。
「オマエさんの行動記録は、その証に全て刻まれることになる。あまり羽目を外すなよ。全部ばれるからな。
オマケ機能としては、その証をかざすことで、冒険者ギルドが管轄している洞窟や建物の暗号文が読めるようになる。今現在の能力で冒険できるかどうかも、それである程度までは分かる」
敵の脅威度、洞窟などの難易度が事前に分かるという事だ。感心するカリグラである。
「それと、記録情報の呼び出しには専用の本が必要じゃ。三階で『冒険者辞典』が売っておるから、それを買え。
依頼を達成すると名声を得られる。数値として表示される『名声値』じゃな。それと、『経験値』ももらえる。こちらは剣技や魔法に直接関わる値じゃ。重要じゃから覚えておけ。他には、パーティ仲間の記録も表示できるぞ」
早速、証に紐を通して首から下げる。先日の戦闘で痛感していた、治療魔法を使えるようになりそうなので嬉しそうだ。
魔法防御もある程度、期待できるため頼もしい。カリグラはもう二度も精霊魔法を食らって死にかけている。初回は炎、二回目は風だ。
「じゃが、実際に新たな魔法や技能を習得するには、それ相応の訓練をしないといかんぞ。教本はその証経由で呼び出せるから、自主練習だけでもほとんどの魔法や技能は自力で習得可能じゃ」
ラディエスの説明に、力強くうなずくカリグラ。
礼を述べて、冒険者ギルドの二階へ向かう。階段の下には衛兵が立っていたが、カリグラが首から下げている真新しい冒険者見習いの証を見て、あっさりと通してくれた。
階段を上がり二階へ出ると、すぐに宿屋のカウンターが見えてきた。主人らしき男が立っている。
「いらっしゃい。まだ空き部屋があるよ」
「こんばんは。宿の料金を知りたいんだけど、いいかな」
カリグラが聞くと、宿の主人が事務的な口調で答えてくれた。よく聞かれる質問なのだろう。
「一泊で金貨十五枚だね。小部屋単位で使ってもらうから、四人までは金貨十五枚で泊まることができるよ。
オーガンの町にあるホテルは高級だからね、ギルドの会員から強い要望があって、ここに会員専用の宿ができたのさ」
確かに、カリグラがホテルで仕事を探した際に聞いた料金は、一泊一部屋金貨千枚。スイートルームは五万枚、ロイヤルスイートルームに至っては十二万枚という高額だった。
これでは冒険者から苦情が出るのは当然だろう。依頼を達成しても宿代で使い果たしてしまう。
宿の受付は、何と二十四時間対応ということだった。今夜はオーガンの町外にある畑の隅で眠ろうと考えていたのだが、モンスターや盗賊が出現する恐れもある。(そうなった場合は、この宿に泊まることにするか)と考えるカリグラ。
二階の西半分には宿泊部屋がぎっしりと配置されていた。結構、人気がある宿のようで、廊下の隅に設けられている小さな休憩スペースには、冒険者や見習いたちがソファーに座って談笑している。人数は二十人ほど居るだろうか。
カリグラも彼らに挨拶してから、ちょっとの間だけ雑談をして情報を収集してみた。
冒険者と見習いの比率は、ざっと見て一対三くらいのようだ。つまり、見習いから冒険者への進級試験の合格率も三人に一人という事なのだろう。
冒険者の職業は、戦士、クレリック、ソーサラー、シャーマン、シーフ、ハンターの五種類。カリグラのような傭兵はここには誰も居なかった。
ラディエスの言う通り、カリグラの職は特殊なのだろう。順当に当てはめると戦士やハンターに分類されるのだろうが、これらの職は魔法を駆使して戦えない。
カリグラの希望を考慮して、新たな特別職を用意する事になったのだろう。
(もしかすると、あのラディエスさんって偉い人なんじゃ……)
ラディエスは冒険者ギルドのギルドマスターなので『偉い人』なのだが……カリグラが傭兵だった頃は冒険者ギルドと関わっていなかったせいか、まだこのギルドについて詳しくない様子だ。
話を聞くと、さらに上級職もあるそうだ。騎士も上級職に当たるようで、ナイトと聖戦士パラディンの二つがあるという話だった。カリグラは魔法も少し使える職業なので、パラディンを目指せば良いという事も聞く。「なるほど」と情報を頭に入れていく。
他には、クレリックの上級職はプリースト、ソーサラーはウィザード、ハンターはレンジャーという事だった。しかし、今は試験が厳しくなり合格者は出ていない。
(冒険者見習いですら、ほとんど門前払いに近い募集態度だったし。上級職ともなると、そうなるのかな)
そんなことを、ぼんやりと思うカリグラであった。
これらの職業の中では、シーフはシーフギルドに、ソーサラーでは魔術ギルドに所属している者が大多数を占めるそうだ。無所属も多いらしいが。
戦士では王国兵団に所属している者が多い。クレリックは信仰している教団に所属している事が基本だ。
ハンターやシャーマンには、ギルドのような所属団体は無いという話だった。
冒険者ギルドの会員には、このような職業を持つ者が集まっている。ギルドの掛けもちも冒険者ギルドでは可能なので、シーフの冒険者も多いそうだ。
まあ、そもそもこの場所に居るので、全員が冒険者かその下の冒険者見習いだ。
ちなみにシーフだが、上級職となるスカウトで組織されているスカウトギルドもあるらしい。
スカウトギルドは王国政府が管轄する情報機関の一つだ。スカウトになるためには、国家試験に合格しないといけない。
しかし、スカウトギルドの評判はあまり良くないものだった。カリグラと話した冒険者たちも一様に眉をひそめている。シーフには嫌っている者も居た。シーフギルドと情報収集の面で競合しているためらしい。
他の上級職については、詳しい情報を得られなかった。
ラディエスが単語だけ紹介してくれた『名声値』についても、ある程度の情報を得ることができた。これは冒険の依頼を達成すると与えられるポイントだ。他のギルドや騎士団などからの依頼を達成しても与えられる。
数値データは冒険者見習いの証に記録されるので、冒険者辞典を使って値を知ることになる。
名声は公的な地位を得るために必要なもののようだ。他の地方では、城や館に入るためだけにも名声が必要らしい。
また、『経験値』も与えられる。これが高まると、それだけ神様からの加護が付与され、それに伴い様々な技能を得られる機会が増えるそうだ。
ただし、本人の努力なくして習得することはできない。カリグラの場合では魔法の種類が増え、強力な剣技が使えるようになる……らしい。
(へえ。傭兵とは全然違うんだな。神様が味方についていると、こうまで違うのか。皆が冒険者になりたがる訳だ)
当のカリグラは、その神様の名前すらろくに覚えていないのだが……すでに罰当たり者である。
次に階段を上がって三階へ向かう。階段を上がってすぐの所に、仕事斡旋カウンターがあった。勤務時間が終了したのか、今はもう誰も居ない。その隣には案内所があり、一人の女事務員がまだ残っていた。
この階の施設情報を聞くと、流れるようなアナウンスを始めた。
「ようこそ。この階には商店、食堂、バー、訓練場があります。そうだ、冒険者辞典を購入されますか?」
ギルドマスターのラディエスや二階の冒険者たちから「買え」と言われていたので、素直にうなずく。値段は金貨三十枚だったので、ドーミツ先生にちょっと感謝している。
冒険者辞典を一冊購入して早速、自身の情報を調べてみた。冒険者見習いの証を本の上に乗せると、本のページにカリグラの個人情報が表示されていく。
名前と年齢、性別に居住地、学歴に仕事歴、犯罪歴まで一目瞭然だ。カリグラの犯罪歴では、傭兵の仕事中に誤って村人を斬り、負傷させた事が数件記載されていた。さらに冒険者見習いで、傭兵の黒き狼ということも明示されていた。
魔法名や剣技名、その他の技能は何も記されていなかった。冒険者見習いになったばかりなので当然だろう。
気になる名声値と経験値の数値は共に『ゼロ』とハッキリ表示されていた。つまり、今のところは知名度が低く、神様からも無視されている。
カリグラはこれまでに傭兵仕事を続けていたのだが、その経験は考慮されていないようだ。シュタルダーとの稽古も無視されているので、少し落ち込むカリグラである。
攻撃力、防御力、体力、魔力、敏捷さ、知力などといった数値は載っていない。項目だけが書かれているだけだった。
証を身に着けると、先述の数値が若干上昇する。その上昇分がどのくらいなのかも表示されない。上昇下降したと知らせる印だけは付くが。
カリグラが冷や汗をかく。
(うわ……俺の個人情報が丸分かりじゃないか。ラディエスさんの話では、他人がつけても使えるって事だから、俺になりすます事ができてしまうんだな。冒険者見習いの証を盗まれないように気をつけようっと)
正確には、カリグラが習得した魔法や剣技、技能、名声値、経験値は泥棒に引き継がれない。名前や居住地、仕事歴といった個人情報を悪用される恐れは高いが。
証を身に着けて上昇した攻撃力、防御力、俊敏さなどの変動値については泥棒に引き継がれる。冒険者見習いの証では防御力が若干上昇するのだが、その上昇分を泥棒が得る事になる。
さらにカリグラと偽って、冒険者見習いの依頼を請ける事も可能だ。
次に訓練所の受付カウンターに向かった。ここも二十四時間営業のようだ。しかし、トレーニング申請はあっさりと断られてしまった。
「一人では危険すぎて許可できないんだよ。この訓練所のモンスターは群れをなしていて、平気で殺しにかかってくる。四人組のパーティを組んでから訓練しに来てくれ。
今は欠員が出ても、簡単には補充できない雰囲気なんでね。訓練中の死亡事故は起こしたくない」
モンスターは、とある魔術師が供給しているという説明だった。小さな杯の印をモンスターに刻んでいるので、すぐに見分けがつくそうだ。
ちなみに、その魔術師は無位無官だが、ソーサラーの二つ上となる上級職メイガスに匹敵する魔法を使うらしい。
(ええと……ソーサラーの上がウィザードで、その上がメイガスという階層になってるんだよな。野良魔術師に、そんな厄介者が居るのかよ。注意しておこうっと)
仕方なく引き返すカリグラであった。三階にある商店に寄ってみるが、「武器や道具、薬の品ぞろえは、商店街の武器屋や道具屋の方が充実している……」と、通りすがりの冒険者から教えてもらった。
ただ、アクセサリー売り場があり、その商品には目を奪われた。毒や魔法攻撃に対して耐性を与える魔法具がいくつも並んでいる。しかし値札を見て、がっくりと肩を落とすカリグラ。
その後、同じく三階にある食堂に向かってみた。営業時間のようでシェフや接客スタッフが忙しく動き回って働いている。
とりあえず、シェフに仕事がないかどうか聞いてみたが、予想通り仕事はなかった。接客スタッフにも聞いてみたが、これも同じ返事だった。
シェフが気遣いながら、カリグラの肩を「ポン」と叩く。
「すまないね。冒険者見習いが増えそうだと思って接客スタッフや厨房スタッフを増員していたんだけど、募集中止になっちゃってね。今は逆に人手が過剰なくらいなんだよ。運が悪かったと思って諦めてくれ。
君は冒険者見習いだし、冒険の依頼を地道にこなして稼いだ方が良いだろうね」
落胆しているカリグラに、シェフが肩をすくめながら背を向けた。そのままシェフの助手二人と仕事の話を始める。
「冒険の依頼も、どうやら少なくなっているみたいだ。金欠になる冒険者が増えるかもな。肉じゃなくて安い魚を中心にしたメニュー構成も、ちょっと考えるかねえ。イワシとか良いな。
港町モルガンも最近じゃ海賊が暴れ始めて、漁に支障が出始めているって聞いてるし、早めに確保しておこう。
ああ、そうだ。魚料理用の香辛料も補充しておくか。サフランが特に不足しやすいから在庫量を確認しておいてくれ」
客が入り始めて賑やかになってきた。仕事も忙しくなってきているので、これ以上の話をせず、カリグラも食堂から出ていく。
(じゃあ、パーティ仲間を探してみるかな。明日の朝でも良いけど、せっかくだし)
バーに入る。『冒険者の出会いの場』という看板があったのだが、もうほとんど誰も残っていなかった。バーカウンターにはバーテンが三人もいて、暇そうにしている。ここも過剰に雇ってしまっている様子だ。
金がもったいないので何も注文せず、客席に座っている冒険者見習いの男に挨拶した。この男、何か白い粉を水に溶かして、それを注射器で自身の腕に注入している。
(ヤバイ奴か?)と身構えたカリグラに、中毒者のような表情で、その男が抱きついてきた。思った以上に素早い動きで、避けることもできない。
ナタ包丁の皮製吊り下げホルダーケースの留めボタンを外して、威嚇するカリグラ。
「おい、いきなり抱きつくなよ、離れてくれ」
しかし男はニヤニヤしたまま。訳の分からない呂律が回っていない言葉をいくつか口から吐き出しながら、なかなか離れようとはしなかった。
それでも一分ほどかけて引きはがされると、ようやくカリグラの目を見て奇声を上げて笑い始めた。
「キャッホー、オイ、テメエ、イッチャってるかい? ウラウラ飲め飲め。白い粉もあるぞ。ブドウ糖だが」
また顔を近づけてきたので、カリグラが片手で押しやる。もう片手はナタ包丁の柄にかかっていた。
「酔っぱらいかよ。誰だオマエ」
男の両目が一瞬裏返って白目になった。すぐに戻ったが。
「ウェップ。オレはシーフだよ。何々? オレが聖職者に見えたって? そりゃーオマエ、オレの人徳だよ」
一言もそんなことは言っていないのだが。勝手に照れているシーフだ。
「んで、金になる話があるのかい?」
シーフと言えばナダルやウィルマが基準だったので、かなり面食らっているカリグラだ。
「冒険者見習いなんでね。パーティを組まないと仕事ができない。そのメンバーを探しているんだよ。だけど、あんたは……」
カリグラのセリフを途中で遮って、シーフの男がニタニタと笑いかけてきた。完全に酔っぱらいだ。
「金になる話を持ってきたのか! エヘヘヘ、うれしいねー。オレはジャンクだ。まあ、これでもキメてくれ。ブドウ糖だけど」
いきなりシーフのジャンクにブドウ糖水溶液を注射された。突然の早業に驚愕するカリグラである。今度も回避する時間がなかった。
「あ、あれ……? 体が痺れてきたんだけど。ブドウ糖って、こんなことになるのかよ」
ジャンクも首をかしげる。
「あれ、おかしいな。この前、裏ギルドで手に入れた、最新のブドウ糖なんだけど、オマエに初めて使ってみたんだが……」
ジャンクの顔が険しくなった。ポケットから取り出した袋のラベルをじっと睨みつけてから、カリグラに突き出す。
「ほーら。ちゃんと『ブドウ糖』って書いてあるだろ」
カリグラの頭から血の気が「サーッ」と引いていく。痺れて呂律がうまく回らない口で必死に言葉を紡ぐ。
「……毒だ、それ」
毒と聞いて、ようやくジャンクも理解したようだ。しかし、ヘラヘラ笑ったままである。
「いやー、すまんなー。文字があんまり読めなくてよー。なんだ、毒かよ。おわびに仲間に入ってやるよ」
カリグラが、口元と目元を痙攣させた。
「断る」
ジャンクが席から立ち上がって、テーブルの上に伏せているカリグラを見下ろした。
「そうか。じゃあ、そこで寝てな! あばよっ」
「ま、まて……」と手を伸ばそうとしたが、痺れが全身に及んでしまい動けない。そのまま意識も急速に遠くなり、「プツリ」と途切れた。




