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第十九話

「大丈夫……かな。」呟きながら都は階段を下りた。

 それは二日前にフェスを見つけた地下に続く階段。

 ここに来ようと考えていたわけではなかったが、心のどこかで引っかかっていたのだろう。気が付くと、都は古い礼拝堂に佇んでいた。もちろん引き返すこともできたが、胸の深いところがざわつくのを抑えることができなかった。コギンがいない不安はあるが、むしろ銀竜を危険に(さら)すことのない安心感が背中を押したのかもしれない。

 カバンからキーホルダー型のライトを引っ張り出し奥を照らした。

 歩き出すと湿気(しっけ)た土の匂いが鼻につく。

 足音が狭い石積みの壁に反響する。

(何やってるんだろ……)

 歩きながら都は自問自答(じもんじとう)する。

 アウトドアが得意なわけでも、冒険が好きなわけでもない。それにクラウディアの言うように、リュートは自分で自分の身を守れるだろう。待っていればひょっこり戻ってくるかもしれない。こうして地図もない、どこにつながるかわからない道を一人で歩く理由はまったくない。

 事実、少し前の自分だったら、こんな不安要素の多いことは絶対しなかったはずだ。

 突然、(さえ)の言葉が耳の奥に蘇る。

「思い切ると動くのは早かったわよ。」

 彼女は都の母親のことをそう言っていた。

 確かに母親はいつも仕事で飛び回っていて、それを苦と感じてないところがあった。都は、といえば母親を見送り出迎えるのが常で、それが自分の役目なのだと思っていた。もちろん冴がずっと一緒だったこともあるが、そんな気持ちがあったから待つことができたのだ。

 だからある日突然その役目が終わりを告げたとき、どうしていいかわからなかった。何が起きたのか理解できず呆然とし、葬儀で涙を流すこともできなかった。

 二年経ってリュートの胸を借りてようやく泣いたとき、「これで待たなくていいんだ」と心のどこかで思った。事実、それを境に都は外に出るようになった。  

 今まで断っていた友達の誘いにも付き合うようになったし、アルバイトというにはささやかだが、時には保護者である冴の事務所を手伝うことも増えた。何よりこうして動いてることに、自分で感心してしまう。

「ひょっとして、実はお母さんに似てたのかなぁ。」

「もっと自分を自由にしろ、か。」以前リュートに言われた言葉を思い出す。

「でもこれ……自由って言うより先が見えない、って感じだよね。」

 そんな状況でも不思議と恐怖はなかった。もちろんどこに通じるかわからない不安はあるが、今までの話を総合して「遺跡のようなものだ」と理解するとむしろ古い時代に対する好奇心が先行する。それは昨日「神の(とりで)」を見学したときにも感じたこと。

「お母さんも……そういう気持ちだったのかな……だとしたらやっぱり血筋?」自分で言っておきながら「やだなぁ」と深く溜息をつく。

 突然、通路の幅が広くなった。

 ライトを壁から天井に向けるが、そんなものが必要ないことに気付く。

「石の積み方が違う?それに……」ところどころ埋め込まれた石が光を放っていてぼんやりと明るい。ライトを消してカバンに放り込む。

「音?」

 耳を澄ます。

 どこからか水の流れる音が聞こえる。

「水路でもあるのかな……」呟きそのままさらに進む。

 少し歩いたところで、水音に混じって別の音が聞こえることに気付いた。どこかで聞いたような音だと思い立ち止まる。

 音は一層近づいて、やがてぼんやりとした光を放って都の視界に飛び込んできた。

「え?」見間違いかと思い、思わず目をこする。

 ぎゃう!と抗議する声が地下道に響いた。

「まさか……コギン?」

 都の胸に、小さな竜が勢いよく飛び込んできた。

 うがうが鼻を鳴らして、小さな手で必死に都にしがみつく。

「コギン……本当に?って、なんで?」

 両手で抱き上げると、金色の瞳が嬉しそうに細くなる。

 ぱたぱた叩きつける尻尾が「どうして置いていったの?」と問いかけている。

「だってコギンの嫌いな場所だよ!具合悪くなっても、助けてあげられないんだよ!」

 そこまで言って気付く。

「ここにいても大丈夫……なの?えと……一人で来たんだよね?」

 うな!と肯定する声。

「悪い力が弱まってるのかな……それとも……」

 コギンの首に下がる、ダールがつけてくれた緑色の小さな石に触れる。

「仕方ないな。でも約束して。」

 都は金色の瞳を真っ直ぐ見た。

「もし具合が悪くなったらどこかに逃げて。わたしより自分のこと優先して。」


 目の前に射す光を、ネフェルはぼんやり見つめていた。

 光は天井に近い小さな格子窓(こうしまど)から伸びていて、それがこの部屋の唯一の光源(こうげん)になっている。

 足元は土を固めているだけなのでひどく冷える。壁は漆喰(しっくい)()がれ落ちて石積みがむき出しになり、ネフェルが座っている寝台と傍らに置かれた机も「かろうじて使える」程度で、決して居心地が良い場所でない。水場があるのを見るとかつては部屋として使われていたのか、それとも独房のような場所だったのか。使われなくなって久しいはずだが机にペンと紙が置き去りにされているのを見ると、ゼスィが隠れて使っていたのではないかと思う。

 今はそこに水差しと冷えた食事が置かれているが、当然ながら手をつける気になれなかった。

 耳を澄ますと水音が聞こえる。

 ずっと気になっているが、それが近くなのか遠くなのかもわからない。ただその音から察するに自分がいるのは昨夜ゼスィと出くわした地下のような気がする。

 ネフェルは寝台の上で膝を抱えると(スカート)に顔を埋めた。

「呪術文字は読めないと言ったな。」

 彼は確かにそう言った。

 それに彼の左手の甲に彫られた文字。詳しいわけでないが、あんな場所に刺青(いれずみ)を彫る理由は一つしかない。

 自身を変質させるため。

 ここに暮らして二年になるが、呪術(じゅじゅつ)の気配などみじんも感じたことはなかった。それとも巧妙に気配を消すのも呪術の力なのだろうか。 

 こんなことなら母の話をちゃんと聞いておけばよかったと唇を噛む。

禁忌(きんき)を知ることも文字を読む者の大切な役目。」そう言われたのは一度や二度ではなかった。けれどそれに触れることが怖くて、知ることが怖くてネフェルはいつも及び腰になっていた。もしちゃんと聞いていたら、早く片鱗(へんりん)に気付くことができたのではと後悔する。    

 ふと、ネフェルは顔を上げる。

 ゼスィは軍隊経験を買われて神の砦の警備責任者になったと聞いている。ゲルズ司教がその経歴や出自を確認しなかったはずがない。もし知らなくとも、彼ほどの聖職者なら竜と共に空駆ける一族と同じほど、気の乱れには敏感なはずだ。

 どうして?と眉を寄せ、ある考えにたどり着いて愕然とする。

「そんな……ありえない……司教様が全部知っているなんて……」

 けれど考えれば考えるほど、その考えは妙に符合する。

 そもそも三年前に母を亡くした直後、ささやかな仕事をくれたのはゲルズ司教だった。その一年後、外出中に火事で家が焼け落ちたときも、行く当てのない自分に手を差し伸べてくれたのは司教だった。母との思い出が詰まった家を失い途方に暮れていた自分にとって、それはまさに神の手が差し伸べられたような心地だった。だから自分が持つ知識……失われた文字を読むことで恩に報いようとしたのだ。

 けれど本当に必要なのが、呪術文字を読むための知識だったら……。

 自分で導き出した答えに恐怖を覚え、思わず両手で自分自身を抱きすくめる。

 ほとんど無意識に襟元の鎖を手繰(たぐ)ると、その先にある無骨(ぶこつ)な指輪をキュッと握り締めた。

「落ち着きなさい。ネフェル。」自分自身に言い聞かせる。

 恐らくゼスィは昼の間は職務に徹しているはずだ。それに閉じ込められているが、自分は怪我をしてるでも、見張られているわけでもない。ならばもう少し考える時間はある。

「でも……」何をどう考えればよいのだろう。

「もし父さまだったらどうしただろう。」ネフェルは頭の上の格子窓から見える小さな空を仰ぎ見た。

 思い出すのは大きかった父親の背中。おぶってもらうとまるで違う視線になるのが愉しくて、何度もせがんだものだ。

 遠く離れて暮らしていたが、父はネフェルを可愛がってくれた。父の死の報せを聞いたのは、父がそれまでの仕事を辞め、自分達と一緒に暮らそうとしていた矢先だった。どうしてそうなったのか、詳しいことは聞いていない。(いな)、母親も聞けなかったのだろう。

 正式に婚姻の契約をしたわけではなかった。

 市井(いちい)の人間であれば支障なかったはずだが、父と母は違った。

 古い血を受け継ぐ一族と、古い言葉を伝える一派。

 父が亡くなった後、母親はネフェルに文字を教えた。今は失われた、地上と空をつなぐ一族がかつて使っていた古い文字を。滅多に使うこともない文字を教えてくれたのは、父親への思いがあったからだろうか。それともネフェルにも父と同じ一族の血が流れていることを自覚させたかったのか。

 母の亡くなった今となっては、その真意はわからない。

 そういえば銀竜(ぎんりゅう)も古い生き物だと聞く。伝承では聖竜(せいりゅう)リラントが自分の分身として生み出したのだと。

(世界はあんたが思ってるより広い)

 けれど今の自分は世界どころか、外へ出ることもできないのだ。

 その時。

 足音を聞いた気がした。

 まさかゼスィが明るいうちに来るわけがない。そう思ったとき、今度は声が聞こえた。

 立ち上がり扉に近づく。耳を凝らすと「待って!」と言っているようだ。

 わけがわからず辺りを見回し、扉の目の高さに覗き窓があることに気付いた。覆っている小さな板をめくり上げると、かろうじて目の前の通路を見ることができる。

「わぁっ!」という声が聞こえた。

 やはり誰かいる。それも女性だ。

 ネフェルははやる心臓を押さえ、思い切って声を出す。

「誰かいるの?」

 ばさりと羽ばたくような音。

 ネフェルの目の前に、何かが立ちはだかった。

「え?」

 目をぱちくりさせたネフェルに向かって、明らかに人ではない瞳が瞬きした。

 思わず声を上げて後ずさる。

「いっ……今の何?」思わずその場にうずくまる。

 恐る恐る振り返ったネフェルの耳に、声が聞こえた。

「人を脅かしちゃダメって言ってるでしょ!」

「ぎゃう!」と獣が唸る声。

 ネフェルはそっと扉に近寄り、もう一度板をめくって外を覗いた。

 その光景に「あっ!」と声を上げる。

 同時に、相手も声を上げた。


 そこはまるで牢屋だった。

 木製の扉は頑丈で、外から大きな錠がかけられており中からは開けられないようになっていた。何より都が驚いたのは、小さな窓から顔を覗かせていたのが昨日神舎(しんしゃ)を案内してくれた語り部の女性だったこと。

 都は戸惑う。

「ごめんなさい。その……彼がどうなったかわからなくて……」彼女が言った。

「それより、なんでこんな所にいるんですか?」

「その前に教えて欲しいの。ここは一体どこ?」

「どこ……って……」思わず都は辺りをキョロキョロ見回す。

「地上なのか地下なのか……」

「多分……地下。というかここって、神の砦なの?」

「知らずに来たの?」相手は驚く。

「えと……予想はしてたんだけど、地下通路をずーっと来たらここに出たから外の様子が全然わかんなくて……あのう……好きでその中にいるわけじゃないですよね?」

「好き?」

「だって世の中には地下が好きとか、湿ったところが好きっていう人もいるかもしれないし……」

 そんな風に聞かれると思っていなかったのだろう。相手は目をぱちくりさせ言った。

「そういう趣味は……ない……と思うわ。」

「だったら……ああっ!コギン、だめっ!」

 都が手を伸ばすのと、それが彼女の目の前に現れたのが同時だった。

 白い(うろこ)に覆われた肌と金色の瞳を持つ生き物が、文字通り飛んできたのだ。

「びっくりさせちゃダメって言ったでしょ!」

 うぎゃあ、とコギンが羽ばたく姿に相手は目を丸くする。

「ぎん……りゅう?」

「ごめんなさいっ。この子まだ幼獣(ようじゅう)で……空気読めないって言うか……」

 相手は緑の瞳をいっそう大きく見開く。

「銀竜と暮らしてるって本当だったのね!」

「今日はついてきちゃって……」

「私、生きてる銀竜って初めて見るわ!」

「それより、その……もしかして閉じ込められてるんですか?」

 ええ、と相手が頷く。

「そっか。」

 都は視線をずらして錠前に手を伸ばした。ひどく重たいそれは、いわゆる南京錠(なんきんじょう)の形だ。鍵穴がついた大きな金属の塊の上部に()(がね)が通っていて、それが鎖の先にある二つの金輪を(つな)ぎ止めている。大きさはともかく、構造はひどく簡単だ。

「あの、鍵ってそこら辺にありませんよね?」

「ないわ。開けるつもりでいるの?」

 はい、と答える。

「だって、どう見たって普通じゃないですもん。」

「それはそうだけど……」

「悪いことしたとか、夜な夜な化け物に変身するなら別だけど……」

「私は何もしてない。」

「だったら閉じ込められる理由なんてないじゃないですか!」

 都の言葉に相手が息を呑む。

 自分でもムキになっているのが不思議だった。けれど彼女が理不尽な仕打ちを受けたことは一目でわかるし、もしかしたら(とが)を受けた理由は自分に手を貸したことが関係してるかもしれない。だとしたら、余計に見過ごすことはできない。

「切るって言っても……道具もない、か。」見回すがその辺にあるのは壁の石と足元の土だけ。

「無理よ。」

「ここじゃ応援も呼べそうにないし……」呟くように言ってから「そうだ!」と思いついてカバンを引っ掻き回す。

 あの、と遠慮がちに相手が口を開いた。

「ちょっと待ってて。」

「そうじゃなくて。」

「ほえ?」

 都は顔を上げた。

 細い窓から緑の瞳が微笑む。

「名前、教えてくれる?私はネフェル。」

「ミヤコ……です。今どうにかするから待っててください。」

「ありがとう……ミヤコ。」

ようやく流れが一つになりましたー。実は今回の主人公は女子二人・・・ってここまで来てようやく判りますかね?

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