第二十話
「珍しくもない」そっけなくゼスィは言った。
「しかし昨日の今日で仕事とは……」
「あんたたちだって祈りは毎日欠かさないだろう。同じことだ。」
「そういえば、昨日も書庫にいましたね。」
「マーギス殿、ゼスィが何かしましたか。」
声をかけられてマーギスは振り返る。法衣姿のゲルズに笑顔で首を振り、
「いえ、語り部の姿が見えないので居所をお尋ねしていたんですよ。」
「ネフェルが何か?」
「古い言葉の意味を教えていただこうと思いましてね。そうしたら仕事に没頭していると。」
ああ、とゲルズは破顔する。
「また、人気のない部屋に篭っているのでしょう。」
「どうもそのようですな。」マーギスは息をつく。
「こちらも強要しているわけでないのでほどほどに、と言っているのですが……没頭すると周りが目に入らないらしい。」ゲルズもそっと首を振る。
「彼女の母親はもっと要領が良かったが……」
「母上は亡くなったそうですね。」
ゲルズは頷いた。
「数年前、この辺りに流行り病が広がった時に。もともと母一人子一人で暮らしていたのでネフェルの嘆きようは見ていられないほどでした。少しでも気が紛れるならと少しずつ仕事を頼むようになって……そんな折、不運が重なって、家を火事で失い途方に暮れていたのでこちらに来てもらったのです。」
なるほど、とマーギスは納得する。
「彼女はここでの仕事に誇りを感じると言っていました。それにとても読むことが好きだというのは話していてわかります。」
「甘んじるつもりは毛頭ないのですが、古い文献を色々と紐解いてくれるのでこちらもつい楽しみにしてしまっていますよ。」
「彼女を見かけたら伝えておくか?」ふいにゼスィが口を挟んだ。
「いいえ、それには及びません。横着せずに調べてみるとしましょう。ここの書庫を拝めるのも今日までのことですから。」マーギスが言ってその場を離れようとした時、若い修士が駆け寄ってきた。
「マーギス司教さま!」言いながらゲルズに頭を下げる。
「以前司教様にお世話になったという方が、ガッセンディーアにお帰りになる前にお目通りしたいと。」
誰だろう、と首をかしげる。
「男性ですか?」
「いえ。女性です。」
「心当たりは?」と、ゲルズ。
「ありすぎて困ってるのです。なにしろガッセンディーアには色々な場所から一旗上げようという人が集まりますから……」
その人達が困ったとき、拠り所にするのが神舎なのだ。
「そうやって頼りにされるほど、神の近くは安らげるということですな。」
「だと良いのですが……」
「よろしければ回廊の礼拝室をお使いください。」ゲルズは修士に来客を案内するよう伝える。
マーギスも礼を言うと礼拝室に向かった。
水の冷たさにネフェルは肩を竦めた。
下を見ると、水盤の端に止まった銀竜が首を伸ばし一心に水を飲んでいる。
「大丈夫?」
頷いたネフェルは、都から借りた肌触りの良い布で顔を拭った。少しまぶたが腫れぼったいが、気分はずっと落ち着いている。
コギンが身体を震わせて水滴を飛ばす。そうして喉の奥で鳴くと都の肩に止まって顔をこすりつけて甘える。
「その子、すごいのね。」
「わたしもびっくりしました。まだ大人じゃないからできないことも多いって聞いてたから……頑張ったよね。」と、コギンの頭をなでる。
あの時、ネフェルを助け出すために都が思い出したのは、リュートの荷物の中にあったメモだった。それが銀竜の能力について書かれたものだとは気付いていたし、ところどころ英単語が混じっていて判読できない文章はあるものの、大体の内容はわかると踏んでいた。どこかで読もうとカバンに入れてあったのを思い出し、引っ張り出してざっと目を通す。目当ての一文はすぐに見つかったが、問題はコギンにそれができるかどうかだった。
「わたしもがんばるから、コギンもがんばってくれるよね。」金色の瞳を真っ直ぐに見ながら言い聞かせる。最初は首をかしげていたコギンも、もう一度繰り返すと首を縦に振った。
都はコギンを抱くと、錠が繋いでいる鎖を前に説明する。
「いい?狙うのは、ここ。」都が示したのは扉を受ける枠の部分だった。コギンが爪でその部分を引っかくのを見届けて目を閉じた。
そっと息を吐き出す。
以前、リュートと練習したことを思い出す。
言葉はなぞるだけでなく自分のものにすること。
何度か口の中で繰り返し、そっと胸元の守り石に触れる。
「我が一族の盟友、小さき白きものに、我に、灼熱の力を与えたまえ!」
部屋の中にいたネフェルがその場面を見ることはなかったが、都とコギンの声を聞き、そして外に出て現場を目にして彼女達が何をしたのか理解した。
「コギンも凄いけど、思いついたミヤコも凄いわ。」
「それはたまたまの話で……」
部屋の入り口にかけられていた錠は、確かに重くて堅固だった。けれどそれを留めている輪になった鎖をたどれば、一方は扉につけられた金輪に、もう一方は扉を受ける木枠につけた金輪に通してあったのだ。扉は厚い無垢板なのでどうしようもないが、扉枠は石を積んだ入口に漆喰のようなもので固定されているに過ぎない。それに随分年月が経っていて、金輪を止めている釘も腐食しているように見えた。
「木が腐ってれば抜けるんだけど……」呟いて、もう一つ釘が抜けやすい状況を思い出した。
以前、保護者の冴が所長を勤めるインテリア設計事務所で手伝いをしたとき、誰かがそんな話をしていたのだ。
「木枠を焼いて、金輪を外すなんて考え付かないもの。」
「さすがに扉は厚いから時間かかっちゃうかなーと思っただけで。それと炭化……えと木が燃えて炭になると釘がゆるむって聞いたことあったから。」
そう理屈でわかっていても、コギンが口から火を吹いて金輪を留め付けている根元を焼き、その鋭い爪でゆるんだ釘ごと金輪を引き抜くのを目の当たりにすると、別の意味も含めて驚くばかりだった。
「まさか、成功すると思わなかった。」
ぎゃう!とコギンが得意そうに鳴く。
そうやって錠を外し、コギンが示す方向に従ってみれば、水の流れる音がいっそう近く聞こえるところで横に分かれた通路に出くわした。やけにひんやりするその一角を覗いて、都は「あっ!」と声を上げた。
横道だと思ったそこはすぐ先が行き止まりになっていて、その正面に鎮座する黒い岩肌を伝って、水が流れ出していた。
「湧き水だわ。」と、ネフェル。
よく見れば石の下には水を受ける水盤があり、その周りには腰掛けるのによさそうな石も置かれている。
「ここから地下全体に水を流してたのね。きっと昔は水道として使ってたんじゃないかしら。」
「ということは、今も使える?」
それを確かめるように、コギンが水盤に首を突っ込んだ。
嬉しそうに鳴くのを確かめると都とネフェルもそれに倣った。
やっと落ち着いたところで石に並んで腰掛ける。
ネフェルが口を開いた。
「一族の力って凄いのね。」
「あれは銀竜の力。それにわたしは一族じゃありません。」カバンを引っかきまわしながら都は答える。
「そう、なの?」
「だって字も読めないし……あった、あった。」都は小さな箱を引っ張り出すと、中から薄紙にくるまれた親指の爪ほどの大きさのものをいくつか掴んでネフェルに渡した。
「こんなものしかないけど、ちょっとは元気出ると思うから。」
紙をはがすと中から出てきたのは花の形をした砂糖菓子だった。ラグレス家を出るときに、料理人のケィンが持たせてくれたものだ。
口に入れるとあっという間に舌の上で溶けて、甘みと微かな花の香りが広がる。
「おいしい……」
思わず顔を見合わせ、二人で笑みを交わす。
都の膝の上で、コギンも「ちょうだい」と手を差し出す。紙をむいて渡すと、両手ではくっと口に押し込んだ。
その白い首に緑の石がかけられていることにネフェルは気付く。
「それ……守り石?」
「たまたま骨董屋さんで見つけたからって、知り合いがくれたんです。わたしはもう持ってるし……」
都がかざした鎖の先にぶら下がる銀細工を、ネフェルは不思議そうに見た。
「守り石って、一族が身につけるものでしょう。」
「そう聞いてます。あ、でも本当にわたしは違うから。無関係じゃないけど……そもそもネフェルと違って何も知らないし。」
「私は……言葉を伝えるのが仕事だから。そのために小さい頃から勉強して、色々なことを教わってきた。」
「凄いです。」
「ミヤコだって凄い。だって文字も読めない国に来て、こうして地下遺跡を巡ってるんですもの。」
「さっきも言ったけど、これは偶然。コギンがいなかったらとっくに迷子になってました。たぶん。」
「そうね。まさか地下がこんな風になってるなんて思いもしなかった。でも冷静に考えたら合ってるのよね。」
「合ってる?」
「聖竜リラントの時代の遺跡は、地下に色々残ってるのが定説なの。竜はその営みを終える時、地下深くで眠りにつく。その魂を鎮めるための儀式の場が地下に設けられていた時代もあると聞くわ。」
「地下深く?もしかして礼拝堂の床に白い竜が描かれてるの、それが由来ですか?」
ネフェルは頷いた。
「白き竜は神が作り出した聖なる竜。永遠の眠りにつくと同時に彼は大地の守り神となった。英雄と共に戦った白き盟友は、その聖なる竜の血を受け継いでるといわれてるわ。」
「白き……盟友?」
「リラントのことよ。一族の祖、ガラヴァルの遺した言葉の中では『白き翼の盟友』と書かれているの。だから竜に乗る人達は今でもそう言うわ。空の民の長だったリラントは白く輝くような鱗を持ち、その瞳は深い水底のような緑だったと伝えられている。どちらも神が作り出した聖なる竜と同じ色なの。」
「だから、聖竜リラントか……」なるほど、と都は感心する。
「あ、だから守り石も緑……だからリラントの瞳なんだ。」
「本物の瞳は聖堂にあるはずよ。」
「凄く詳しいんですね。竜が好きなんですか?」
「いつかまた、空を飛べたらって思ってる。」
「また?」
「私のお父さまが一族だったの。」
ふーんと言ってから「え?」とネフェルを振り返る。
「じゃあ……」
「私も一族ではないわ。その……両親は正式な結婚ではなかったの。」
「そっか、そういうのうるさいんですよね。」
自分の両親がデキ婚、かつ父親が門番だったために当時相当な騒ぎになった、とリュートが言っていたのを思い出す。
「でも父が生きていた頃は、普通の家族だったわ。時々しか会えないけど甘えることもできたし、竜にも乗せてくれた。」
「お父さん、亡くなったんですか?」
「十年前に。詳しいことは知らされてないけど、仕事中の事故だったって。母も三年前に病気で亡くなって、ここに来ることを勧めてくれたのが司教さまだった。仕事を手伝ってほしいって。」
けれど今となっては本当の理由は違うのではないかと思う。
「もしかしてわたしに手を貸してくれたのって、一族に関係してるから?」
ええ、とネフェルは頷く。
「一族の、父の血を受け継いだことは誇りに思ってる。だから……」
「ごめんなさいっ!」
「え?」
突然頭を下げられてネフェルは面食らう。
「わたしが関わったから、面倒なコトになってるんですよね?」
深刻な表情の都にネフェルは首を振る。
「それは別の話。むしろミヤコを案内できて凄く楽しかった。それにあの後、彼にもありがとうって言われたの。凄く嬉しかった。」
楽しかったと言われてホッと安心したのも束の間、都はあることを思い出す。
「もしかして彼、すっごく失礼なこと言いませんでした?その、悪い人じゃないんだけど愛想がないって言うか、ぶっきらぼうって言うか……可愛くないって言うか……」
そう言う都があまりにも真剣なので、思わずネフェルは笑いを漏らす。
「そんなにおかしいこと、言いました?」
ネフェルは口元を覆って「ごめんなさい」と肩を震わせる。
「確かに最初は怖かったわ。」
ああ、やっぱり、と都はうな垂れた。
「でもそれは状況が状況だったから。お互い警戒していたし、彼の目的は簡単な話ではなかったから。それに多分、彼は……ここで何が起こってるのか知ってる。」
「呪術、ですか?」
ネフェルは驚く。
「どうして……」
「昨日……本当はコギンも一緒だったんです。でも神舎の前まで来たら中に入ること、凄く嫌がって。それに……」と、都はひどく弱ったリュートの銀竜を地下通路で見つけたことを簡単に説明する。それはネフェルが彼から聞いた話と合致する。
「ゼスィよ。」
「ゼスィ?」
「ここの警備責任者で司教さまの護衛。彼は自分自身に術をかけてる。左手に呪術文字の刺青があるのを見たわ。」
「自分自身に術?」
「ええ、力を得るために。」
「それって……黒き竜と同じ……」
「そこまでの力は無理だと思うけど・・・」
「もしかしてそれ知っちゃったから、閉じ込められたんですか?」
ネフェルは頷いた。
「きっとこの地下で呪術を試していたんだと思う。ここは、神舎のあるこの場所は力が集まる所だから。」
「司教様、って昨日礼拝堂で見た白髪の人ですよね?その護衛って……偉い人、なんですよね?」
「そうね。」
「どうして?っていうか、その……よくわからないんだけどそういう立場の人が禁じられた呪術を使うこと、できるんですか?」
ネフェルの返事はなかった。見ると眉間に皺を寄せ、膝の上でぎゅっと手を握り締めている。
「えと……」
「彼以外にも関わっている人物がいると思う。」
「心当たり、あるんですか?」
「でも証拠は何もない。」
そう言われて都も黙る。ややあって、
「そのゼスィって人、この地下道を使ってたんですよね?」
「多分。神舎の人たちはこんな所に来ないもの。」
「だったら、証拠残ってるかな?」
「え?」
「探してみましょうか。その証拠。」都は立ち上がるとお尻をぱたぱたとはたいた。
ネフェルは驚いて彼女を見上げる。
「ミヤコは彼を助けるために来たんでしょう?」
そう言われて都はうーんと唸る。
「助けるっていうか、確かめたかったというか……散歩の延長で来たから、そこまで考えてなかったんだけど……」
「やだ、本当に偶然だったの?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。それにコギンがいれば怪しいとこ、見つけられると思うし。」
コギンがネフェルの周りをぱたぱたと飛び回る。
「それに彼は大丈夫。わたしがここにいること、わかってるはずだから。」
「どうして言い切れるの?」
「上手く言えないんだけど……わたしもリュートが近くにいるって、感じてるから。」
確信を持って言う都に、ネフェルは緑の瞳をぱちくりさせた。
また風邪で倒れて1日更新が遅れました。




