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第十三話

 せかされるように昨夜泊めてもらった部屋に移動する。カーテン代わりの厚い布を閉め、部屋の真ん中の敷物の上でクラウディアと向かい合って座った。

 クラウディアが切り出す。

呪術(じゅじゅつ)のこと、リュートから何も聞いてないのね。」

 都は頷いた。

 クラウディアは軽く溜息をつくと、「そうね」と言葉を探しながら説明する。

「一言で言うと、地上に住む人々が言葉を得て生み出したもの。言葉の意味と音を組み合わせて、大気の力を変質させて物に反映させるの。」

「えーと……」

「平たく言えば物を自分の望む形に変える。例えば作物がいっぱい実るようにするとか、雨を降らせるとか。」

「お祈り?」

「の、もっと複雑なもの。」

「魔法……みたいなものかな?」

「魔法はおとぎ話の中のものでしょう。そんなに自在じゃなくて、もっと漠然としてるわ。」

 そう言われても竜や銀竜(ぎんりゅう)が存在すること自体すでにおとぎ話のようなもの。同意していいのか悩んだが、ひとまず横に置いておくことにした。

介在(かいざい)するのが目に見えない大気だから必ず成功するとは限らないし、そんなに大きな力でもない。けれどある時、それを上手く使いこなす人達が現れた。最初は生活を便利にする程度だったんでしょうけど、次第にその欲望は力を得ることに向けられて行った。」

「力?」

「そう。神にも匹敵する力。」

「ええと……」

「簡単に言えば世界を自分のものにする。」

「それは……確かにおとぎ話かも。でもそんなこと、できたんですか?」

「伝承のようなものだから確かではなかったけど……」そこまで言ってクラウディアは言葉を切る。

「……そう……ミヤコも見ているはずよ。」

「ほえ?」

「具体的に言うと竜を変質させたの。」

 都はハッと息を呑んだ。

「そう。それが黒き竜。」

 元はごく普通の空の民だった竜。それを人間が「呪術」という言葉によって強大で邪悪な力を持つものへ変質させた。力を得「黒き竜」となった彼は地上の人々のみならず、同胞までをも襲ったという。その力は誰にも抑えることができず、困り果てた地上の人々の声を聞いて立ち上がったのが空の民の長であったリラントと、同胞である「一族」のガラヴァル兄弟であった。

 まずガラヴァルが黒き竜を「門の向こう」へとおびき出す。大気が希薄な「向こう」で竜は実体でいられない。その(たましい)と体が分かれた隙をついて、リラントがその身を八つ裂きにし世界中にバラバラに埋めたのだ。そうして身体を失った彼の魂をリラントの力を宿した彼の瞳を使って封じ込め、ようやく人々は黒き竜の恐怖から解放されたのである。

 その黒き竜を封じ込めた「リラントの瞳」は今なお、一族の()である(しょう)ガラヴァルの墓所(ぼしょ)でもある聖堂(せいどう)に納められ、厳重に守られている。

「それと同時に術は禁止された。記した本は処分され、使ったものは罰せられる。だけど、どういう拍子かそれが表に出てくることがあるの。今では読める人も少ない古い言語で記されているけど、知識さえあれば読むことはできる。」

 と、クラウディアは声を潜める。

「リュートが何も話してないようだから言うけど、彼に偵察の命令が下ったのはリラントの瞳に変化が見られたから。けれど聖堂はそのことを公にしていない。」

「どうして?」

「こちらでは目に見える影響がないから。」

「そんな……」

「下手に騒ぎ立てて聖堂の威厳(いげん)を損なうことはできない。何より普通の人にとって黒き竜は昔々のおとぎ話のような存在。今ごろ黒き竜が復活したといって素直に信じる人なんていない。」

「でも、もし……」呪術が使われたら、と言いかけた都は言葉を呑み込んだ。

 突然、リュートの一連の行動の意味に気付いたのだ。それにクラウディアが何を言おうとしているのか、どうしてあの場で説明しなかったのかも。

 ぺたん、と腰を落として(うつむ)く。

「……すみません。」

「どうしてミヤコが謝るの?」

「だって……わたし、思いきり関わってるから。ただでさえリュートのこと、巻き込んでるのに……」

「逆、でしょ。黒き竜の(きざ)しがあったから、リュートは『向こう』へ行った。だからあなた達は出会った。」

「だって、わたしが関わらなかったらリュートはわたしなんかと契約しなかったし、それに……こんな風にフェスを危ない目に()わせることだってなかった!」

「それは違うわ。」吐き出すような都の言葉を、クラウディアは静かに受け止めた。

「でも!」

「もし……ミヤコがいなくても、禁じられた呪術を片鱗(へんりん)でも感じたなら、リュートはそれを見過ごさないはずよ。同胞と共に空を守る一族として、門番として。それに……」と言いながらクラウディアは肩越しに部屋の入り口に目を向ける。

「フェスは……リュートが六歳の誕生日に贈られた銀竜なの。それからずっと見てるけど、あんなに弱ったフェスは初めて。だからそれが呪術で乱れた気のせいだと言われたら、逆に素直に納得できるのよ。想像だけど恐らくフェスが異変をきたした時点で、リュートはフェスに外に出るように命じたはずよ。」

「でも……」

「ええ、フェスは自分の意志で待っていた。でもどういう理由かリュートは道を引き返すことができず、戻ろうとしたフェスもその時にはもう飛ぶ力がなかったのかもしれない。」

認識票(にんしきひょう)は?」

「守り石には竜の力が込められているわ。わずかでもフェスの助けになればと思ったんじゃないかしら。」そこまで言って、クラウディアはミヤコの肩に触れると彼女を覗き込んだ。

「ねぇミヤコ。確かにどうして黒き竜があなたを狙ったのか、どうして契約が成立したのかわからない。でもね、気に留めないほどの相手だったら、そもそも契約なんて思いつかないはずよ。」

「リュートは……優しいから……」

「銀竜とミヤコにはね。だから本気で悩んでたのよ。」

 え?と都は顔を上げる。

「契約が成立した直後、彼こちらに戻ってきたでしょう。」

 都は頷く。

「もともと口数が多くないのに輪をかけて無口になってたの。セルファがあなたのこと聞き出そうとしても頑として何も言わないし、さすがにあたしも呆れて『なに考えてるのよ』って聞いたわ。そうしたら……」

「彼女に会わない方法を考えてる。」

「はぁ?」思わずクラウディアは素っ頓狂な声を上げた。

「契約が解消できない以上、他に方法があると思えない。だから……」

「ちょっと待ってよ!彼女のことそんなに嫌いなの?確かに話を聞いてると事故みたいなものだけど……」

「だから、だ。」

「ちゃんと言葉で説明して!」

 クラウディアに()めつけられてリュートは大きな溜息をつく。

「だから、彼女はこちらのことを何も知らない。」

「これから知ればいいじゃない。」

「知らないなら知らないままでいるほうがいい。何より彼女は若い。恋愛や結婚より友達といる時間のほうが楽しい年頃だ。それを縛る権利もないし、この先彼女の人生の(かせ)になるつもりもない。それが理由だ。」

 一瞬の間合い。

 クラウディアは溜息をつくと「まったく」と呟くように言った。

「それ、彼女を面倒に巻き込みたくないってことよね。」

「悪いか?」

「好きになった、って素直に言えばいいのに。」

「勝手に言ってろ。」

 そんなやり取りがあったしばらく後、クラウディアは伯母のエミリアから都が契約を受け入れたという報せを聞いたのだ。

「確かに……わたしが望むならわたしの前から消えるって言われました。でも……」そんなに思いつめた末の台詞だったとは思いもしなかった。

「リュートらしい言い方よね。むしろ愛してるとか、君は美しいなんて囁くのはありえない。真面目すぎてその辺、器用じゃないのよ。それに十五で家を継いで、十八で隊に入って必死で一族の名を守ってきたの。やんちゃしたい時にはもう大人でなくてはいけなかった。」

 クラウディアの説明に都は「そっか」と、呟く。

 真面目でどこかぶっきらぼう。それでいて肝心な時に頼りになる。それだけの苦労をしてきた結果と思えばストンと納得できる。

「ミヤコもそうじゃない?あなた達、似てると思う。」

 そう言われるのは意外だった。

「さっきミヤコ『わたしなんかと』って言ったでしょ。あたしはむしろリュートがあなたを選んで良かったと思ってる。もちろん、何か言う人もいるでしょうけど気にすることないわ。だってミヤコ以上にふさわしい人いないもの。」

 それは買いかぶりすぎだと恐縮する。

「そんなことない。だってミヤコは銀竜を名付け、守ってるのよ。」

「でもそれはリュートがコギンを連れてきたからで、守ってるなんて思ってないし……」

「言ったでしょう。銀竜も竜と同じ敏感な生き物だって。もし名付けをしても、その人が(よこしま)な気持ちを持って接していたら弱ってしまう。竜だって同じ。もしふさわしくないと彼らが判断すれば、大人しく背中を見せることはない。でもそんなこと、一度もなかったでしょう?」

 都は頷く。

「そうね……この国に来たばかりのあなたにはわかりにくいかもしれないけど、(ゆる)やかにこの世界の大気は希薄(きはく)になってきてるの。竜の数も、それと共存する人たちも少しずつ減っているわ。」

「それは、良くないこと?」

「あたしはそう思う。竜たちが生きていけない世界が楽園だなんて思える?」

「よく……わかりません。」

「正直ね。」

「でも……」と、壁に穿(うが)たれた窓を見上げ、四角く切り取られた深く青い空に目を向けた。

「わたし……リュートの話を聞いてずっと空に憧れてました。こっちに来てコギンが思い切り飛んでるの見たら……やっぱりいいなぁって思って。」

 傍らで丸まっていたコギンが薄目を開けた。都は手を伸ばしてその背に優しく触れる。

「わたしが住んでる世界より深くて青くて綺麗で……きっと銀竜や竜にとっても気持ちがいい空なんだろうなって。だからリュートやクラウディアさんが空を守りたいっていう気持ちも……何となくわかります。」

「余計な説明はいらないみたいね。」クラウディアは微笑む。

「でも一族のこともこの国のことも何も知らないし、守るなんて凄いこと考えてるわけじゃ……」

「知識は勉強すれば追いつくわ。でも空の民に寄り添う気持ちは、覚えてどうなるものじゃない。何よりコギンがあなたに懐いているのを見れば一目瞭然よ。それにあたしもミヤコが好きよ。リュートから話は聞いていたし、伯母さまから相談を受けてたから会うのが楽しみだった。」

「相談?」都はきょとんとする。

「ミヤコが契約を受け入れてから大変だったの。リュートに聞いても(らち)があかなくて、結局カズト伯父さまに頼ることになって……」

「わたし、なにか迷惑かけてたのかな?」

「迷惑どころか、楽しみなんじゃないかしら。さすがに礼装まで注文しようとしてセルファに止められてたから。服なんて個人の嗜好(しこう)があるんだからって。」

 あっ!と思い当たって都は自分の姿を見下ろす。

「ひとまず寸法は合ってるみたいで安心したわ。」

「っていうか、わたしそんなもの教えてない……」

「伯父さまがミヤコの同居人から聞きだしたって。」

 都はがっくりうなだれる。

「冴さん……なんで黙ってるかなぁ。」

「でもリュートも知ってたみたいよ。」

「そんなもの……」教えたつもりないと言いかけて思い出した。

 契約によって命を助けられた時、血まみれで使い物にならなくなった服の代わりを調達したのが彼だったことを。まだ恋愛感情も乏しかった上に、前後の記憶が曖昧(あいまい)で今の今まで忘れていたが、あの時大まかな寸法を見切ったとすれば納得がいく。

 しかし同時にあられもない姿を見られていたことを思い出し、思わず顔が熱くなる。

「大丈夫?」

 急に赤くなった都に、クラウディアは眉をひそめた。

「だ、大丈夫です。その、変なこと思い出して。まさかリュートが覚えてるなんて思わなかったから……」

「彼、伯父さまに似て覚えがいいもの。書き留めなくても大抵のことは記憶しているわ。」

「そんなの覚えてなくていいのにぃ。」

 あら、とクラウディアは目を丸くする。

「あたしの夫なんて自分の寸法すら知らないのよ。覚えていてくれるほうが便利だわ。」

「そういえば……クラウディアさんの旦那さんって、別のところに住んでるんですよね。」

「仕事の都合でね。」

「でも一族なんですか?」

「そうよ。だから契約を交わしたの。でも母は納得行かなかったみたい。アデルの家は一族じゃない、ただの商売人なのにって。」クラウディアは肩を竦める。

「契約を交わした一族は互いを支えあう分長生きする人が多いけれど、伴侶を失う喪失感の大きさに、後を追うように亡くなる人も多いの。だからあたしの母は一族であることを捨てた。辛い思いをしたくないから。でもそれってずるいと思わない?あたしは……空を飛ぶことができるなら、その生き方を全うしたい。だから契約を選んだの。」

「失うとき……怖くないですか?」

「怖いかもしれない。でも相手のためにも生きようって思うし、何よりまだ先の話だもの。」

 そうだけど……と視線を落とす。

 そんなこと、リュートも早瀬も一言も言わなかった。

 ふと、今まで考えないようにしていた最悪のシナリオが頭をよぎる。

 思わず手を握り締めたその上に、クラウディアの手がそっと重ねられた。

「大丈夫よ。」彼と同じ漆黒色の瞳が優しく微笑む。

「リュートは……どこかに放り出されたって生き延びる(すべ)を持っている。それにいざとなれば、竜隊(りゅうたい)の権限を使うこともできる。姿を見せないのは理由があってのことでしょう。それにあなたたち、まだ一緒に暮らしてもいないのよ。そんな中途半端なこと、彼が納得するはずないじゃない。」

「そ、それは……」まだそんなところまで考えていないのに、と戸惑う。

「何よりこうして言葉が通じているのは彼が無事な証拠。」

 そうでしょ?と言われて、都はようやく顔を上げた。

※「黒き竜」との一件については1作目「もうひとつの空」に詳しくあります。

※「契約が成立した直後、こちらに戻ってきた」というのは1作目十話直後のと。「嫌だと言えば都の前から消える」と言ったのも十話ですね。

※服を調達してきた云々のくだりは、同じく1作目の八話九話にあります。


参考までに・・・ということで(^^;

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