第十二話
「水も飲んだし薬湯も口にした。命に別状はないよ。」言いながらルーヴは優しくフェスの背に触れる。
「ただひどく弱っているから、当分様子を見たほうがいい。」
その言葉に、都は肩の力を抜いた。
息子と共に家に戻った薬師がまずしたことは、弱った銀竜のために静かな場所を確保することだった。自身が仕事に使っている部屋の片隅に寝床をしつらえると、薬効のある草を敷き詰めた箱の中にフェスを横たえる。そうして古い本を引っ張り出すと、ブツブツ言いながら薬を調合し煎じてくれたのだ。
「銀竜は強い生き物だから、大抵の不調は自分で治してしまうと聞いている。」
「確かに。フェスが病気したっていう話は今までなかったわね。」隣で見守っていたクラウディアも眉をひそめる。
廃墟からここに戻る間、彼女はフェスを大事に抱いてここまで運んできた。フェスもよく知ったクラウディアの腕の中で、すっかり安心しきった様子で大人しくしていたのだ。
その道中の説明によると、都とアルがいなくなったことに気付いたルーヴが隣近所に聞き込みをしているところに、クラウディアが出くわしたのだという。手分けして探す算段をしていたが、ちょうど通りがかった村人が廃墟に向かう二人を見かけたと教えてくれて慌ててあの場所に駆けつけたのだ。
「心配かけてすみませんでした。」
「本当に。何かあったら伯母さまに申し訳が立たないもの。でもフェスが見つかってよかった。その点は二人のお手柄ね。」
「でも……」
「ええ。リュートはいなかった。それにコギンも様子がおかしかったんでしょう?」
「それはそうなんですけど……」都はフェスにピッタリ寄り添っているコギンに目を向ける。
「フェスみたいに具合が悪くなるとかじゃなくて……何かに怖がってるみたいで。毒とか考えたんですけど、それだったら先に逃げ出すはずだって……ルーヴさんが……」
「そもそも人間に使う程度の毒は銀竜には効かない。」と、ルーヴ。
「じゃあ……なんであんな風になったんだろう?」
「大気がひどく不安定だとか歪められた気の中にいたら、ひどい恐怖を感じるかもしれない。銀竜は竜と同じ古い時代からいる生き物だから、不安定な環境には弱いんだ。」
「気……?」都は首をかしげる。
「目に見えないものだから判りづらいわね。」クラウディアが苦笑した。
「竜と接してるあたしたちがようやく感じるものだから。そうね、その場が持つ雰囲気というか……」
そんな話をしているところにダールがのっそりと姿を現した。目を丸くして深刻な表情のクラウディアと都、ルーヴを順繰りに見回す。
「おれが何かすっぽかしたわけじゃねぇよな。」
「むしろあんたのこと忘れていたくらいよ。」
「ひでぇな。」いいさしてダールは部屋の隅にある箱に気がついた。その中でうずくまるものに首をかしげ、次の瞬間「フェスか?」と驚いてクラウディアに問いかける。
彼女は頷くと今までの顛末をダールに説明した。
聞き終えたダールは、うーんと唸って腕組みをする。
「ラグレスの奴……面倒な事に首を突っ込んだな。」
「巻き込まれた可能性もあるわ。」
「どのみちフェスが一緒でないって状況は厄介だ。」
「それより何か判ったの?」
「荷物は回収してきた。」
狭い村にも関わらず「神の砦」という名所に近いせいで宿泊場所がいくつかあったのだと言う。
「けど銀竜を連れた男なんざそういないから、すぐにわかった。」ダールは肩にかけていた背嚢のような袋を目の前に下ろす。
勝手に開いて大丈夫なのかと思ったが、遠慮なく床に広げられた荷物は都が思うよりずっと少なかった。
「これがハンヴィクのおやっさんから進呈されたって画帖か。」小さな日記帳のようなスケッチブックのようなものを手に取る。
「これ、あたしには読めないわね。」
クラウディアが拾い上げた紙を見て、都は思わず「うわぁ!」と声を上げた。
旅の道中で書き綴ったのだろう。そこには几帳面な小さな文字がびっしり埋まっていて、よく見れば都が慣れ親しんだ日本語にところどころ英単語が混じっていた。
そういえば出会った頃、日本語のことを「文字が混在する言語」と言っていたのを思い出す。それに銀竜の能力について必要な記述を翻訳して欲しいと頼んだことも。
「だからって、なんで英語が混じるかなぁ……」
「なんだ、恋文じゃなかったの?」
「銀竜の飼い方……みたいです。」
残念、とクラウディアは笑った。
「これの出所も当たってきたんでしょ?」クラウディアが画帖をぱらぱらめくる。
「自称骨董屋が言うには開帳の日に並ぶ露天で、他のガラクタと一緒に買ったらしい。その中の細工物がどうしても欲しくて、それじゃまとめてって話になったとか。まぁそう言う奴の店もガラクタばかりだった。一つだけ……駄賃代わりに買っては来たが……」そう言って懐から取り出したものを指先に吊るす。
「守り石じゃない。こんなもの市場に出回るの?」
革紐の先にぶら下る小さな雫型をした緑色の石に、クラウディアが目を丸くする。
「みたいだな。ミヤコ、いるか?」
「わたしはもう……」
「そういやラグレスが贈ったんだな。じゃあ、お前はどうだ?」ダールは皮紐の長さを調整すると、トコトコと近寄ってきたコギンの首に下げた。
コギンは首を巡らせて自分の身体をぐるりと見回し、やおら羽をぱたつかせ喉の奥から声を出す。
「気に入ったみたい。わたしの守り石、よく引っ張るもんね。」
「そいつは良かった。」
ルーヴの妻が「お茶の支度をしたから」と呼びに来たので家の中央のテーブルに移動する。
「アルは?」
少し遅れてやってきたルーヴに、都は尋ねた。
「フェスの側にいると言って聞かない。」
「銀竜に寄り添える人間に悪人はいないわ。」とクラウディア。
「あの子もよい薬師になりそうね。」
「だといいんですけど。」ルーヴが苦笑する。
そして手にした本を三人の前に広げた。
「他の資料は全部ガッセンディーアの家にあるので、今手元にあるのはこれだけなんだが……銀竜がひどく嫌うのはやはり気の乱れだそうだ。特に故意に乱された気は、時には毒にも匹敵する。」
「故意に?そんな状況……」
「ないわけじゃない。」ダールが唸るように言う。
クラウディアは目を剥いた。
「だってあれは禁止されて……」
「ええ。でもこの本によると、呪術を使った形跡のある場所には銀竜が嫌がって近づかなかったと。しかもその後しばらく飛ぶことができなかった、とまで書いてある。」
「そいつの信憑性は?」
「比較的新しいし、実践的だと思う。」
手を伸ばして本の表紙を見たクラウディアが、「あら?」と声を上げる。
「やだ!伯父さまの本。」
「おじさま?」
「カズト伯父さま。」
「えっ!」と都も思わず身を乗り出す。
驚いたのは彼女だけではない。
「著者をご存知ですか?」ルーヴが目を丸くして一同を見回す。
「ご存知も何も、捜索中のリュート・ラグレスの親父さんだ。今は他所の国にいるが……」ダールが説明する。
「そういえば……銀竜の研究者って言ってたよね。」都もリュートから聞いたことを思い出す。
ルーヴが頷いた。
「一部には知られた研究者だよ。何より銀竜に関して今でも手に入る本となると、カズト・ハヤセのものしかない。あとは語り部が解読するような古い文献だったり、信憑性に欠けるものが多い。」
「語り部って?」
「失われた古い文字を読む人達。その家に伝わる家系図だとか秘伝の料理法とか、学術的な資料とか。そういうものを読む専門家ね。他国の文字を読んでもらうこともあるわ。」クラウディアが説明する。
「その術に関する部分だが、もしかして体験として書かれているのか?」ダールが身を乗り出した。
「恐らく。」
「だとしたら、ラグレスの親父さんに聞くのが一番早いか。」
「えと……その前に聞いてもいいですか?」都が手を挙げた。
「あ?」
「あの……呪術って……」何ですか?といい終えないうちに、クラウディアに引っ張られた。
「えっ?あの……」
「いいから!オーディ、後のこと詳しく聞いておいて!」
※「文字が混在する言語」と竜杜くんが言ったのは1作目「もうひとつの空」の第四話。
※「銀竜の能力を翻訳する」というのは2作目に同時収録している2.5「ポートレート」の第七話の流れにつながってます。
※「父親が銀竜の研究者だった」というのも同じく2.5の第三話あたりから暴露してますね(^^
後書きというか、注釈というやつでしょうかね?




