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第十一話

 どれほど走っただろう。

 村の壁と同じ黄色い砂が露出したなだらかな丘を越えると、目に飛び込んできたのは草に埋もれ点在する石積みの壁。

「ここ、何?」

 少年の歩みに合わせて立ち止まった都は、肩で息をしながら辺りを見回した。

「古い村の跡だよ。」

「アル、来たことあるの?」

「何度かね。父さんには一人で行くなって言われてるけど。」

 都は呼吸を整えながら上着の上につけた時計を見る。体育のときのマラソンを思い出し、ざっと三キロメートルほどかと計算する。けれど四方に何もないのでひどく遠くに来た感じだ。

「コギン、は……と……」

 呟いてから思いついて目を閉じた。

 軽く深呼吸しながら頭の中で言葉を思い出す。

 そっと呟いた。

「白き翼の盟友、その力、その光を我に与えん。」

 次の瞬間。

 目の前に別の光景が重なった。

 それはどこか高い場所から見下ろした目線で、その先には都自身とアルの姿が映っている。

「あんなところに……」

 屋根を失った壁の、一番高いところに止まっていると判断してそちらを向く。

 と、体がゆらりと傾いた。

「ミヤコ!」

 少年の手がとっさに彼女の上着を掴む。

 何とか踏みとどまってぎゅっと目を閉じた都を、アルが心配そうに覗き込んだ。

「大丈夫?」

「ごめん……ちょっと目が回って……」

 銀竜の見ているものを自身の瞳に投影させる……それ自体はすでに何度か練習しているが、自分の意志と別の映像を見るのはなかなか慣れない。何度か深呼吸してようやく顔を上げると、待ちかねていたコギンが再び舞い上がった。

 二人はそれを追いかける。

 すでに道から外れ、足元は深く茂った草地へと変わっていく。

 ふと、前を走るアルの姿が消えた。

 と、思った途端。

「わぁっ!」

「ミヤコ?」

 アルが立ち止まって振り返る。

「いったぁ……」

 見事に尻餅をついた都が、地面に転がっていた。

「大丈夫?」

「大丈夫……っていうか、なんでこんなところに段差が……」

 そんなものがあると思わず、普通に足を前に出したらその先に何もなかったのだ。草がクッションになったからいいが、何もなければ怪我をしていたかもしれない。

 起き上がり、お尻をはたく。

「昔の水路の跡だよ。」

「気がつかなかった。」

「っていうかさ、ミヤコって案外とろい?」

「気にしてること言わないでもらえる?」

「気にしてるんだ。」ニヤニヤと少年が面白そうに笑う。

「アルこそ、よく判ったね。」

「だって誰かが通った跡あったし。」

 言われて辺りを見回す。

 確かによく見れば、草の上を踏みしめた痕がかろうじて見て取れる。

「こんなとこ、来る人いる?」

「でも最近だよ。ここしばらく雨降ってないもん。」

 ぎゃう!とどこかで声がした。

 アルが先に立って歩く。

 結果として誰かが歩いた獣道(けものみち)を辿って着いた先は、他と同様壁しか残っていない、かつて建物だった場所。屋根も扉もとうに失われ、石積みの壁に囲まれた空間だけが草に覆われてポツンと残されていた。入り口の階段を下りると、頭の上には天井の形に切り取られた空が浮かんでいる。

 その枠組みの中には、白く並ぶ二つの月。

「本当に……二つあるんだ……」

 白く輝く月と影をなす月。そうリュートから聞いていたが、自分の目で確認したのは初めてだ。

「ここ、礼拝堂だったんじゃないかな。」

 視線を建物の中に戻すと、アルが正面に置かれている石の台を指差した。

「礼拝堂ってこういう感じなの?」

「うん。正面にルァとフィカの神様がいて、地上の民はここでお祈りするんだ。で、床には聖なる白い竜がいて……」

「なんで床なの?竜って空の生き物でしょ?」

「知らないよー。昔から決まってるんだもん!ほら!」

 アルが指差した部分は、確かに色の違う石がモザイクタイルのように敷き詰められている。草に覆われ見えづらいが、線を辿るとぐるりと輪になった白いものが抽象的に描かれているらしい。

 クラウディアの説明だと竜は創造神が作り出したはず。だから一族が(あが)める聖竜リラントと、一族の祖である英雄信仰を快く思わない聖職者もいると言っていた。だとしたら、どうしてそこに聖なる白い竜が添えられているのだろう?

 きっと由来はあるのだろうが、今の都には神話も歴史も、それ以前に土台となる文字そのものの知識がないので調べようがない。自分からどうすることもできない歯がゆさを感じつつ、せめてその疑問を記憶にとどめておくことにした。

 またコギンの鳴く声。

 声を辿(たど)って祭壇の背後にそびえる壁に近づく。切り出した石をレンガ状に積んだ壁は、まるでステージの背景のように張り出している。右手に回ると側面に舞台袖のような小さな出入り口がぽっかり開いていて、どうやらコギンはそこに入り込んだらしい。都は身を乗り出して、高さ一メートルほどのにじり口のような穴を覗き込んだ。

 湿気と土の匂いが鼻に付く。

 ちょうど壁の裏に位置するらしい小部屋は天井も石組みで、砂が溜まってる以外、障害になるものは見当たらない。

 意を決して背をかがめ、穴をくぐる。

 立ち上がったのは畳半畳の踊り場的なスペースで、その先にやや急な階段が十段ほど下に向かって伸びている。それを降りると同じような踊り場にたどり着く。ただし階段を下ったので、その分天井が高い。

 ぐあ!と頭の上から声がした。

 見上げるとコギンが浮かんでおり、都が腕を差し出すと迷わずスッと止まった。

 白い(うろこ)がぼんやりとした光を放つ。そうして初めて、右手方向にさらに下る階段があることに気がついた。

「洞窟だ!すっげー!」アルが興奮気味に覗き込む。

「怖くない?」

 全然、と少年は首を振る。

「洞窟って言うより通路かな?ちゃんと石を積んで造ってある。」

 二人並んで歩くのがやっとなほど狭く天井も低いが、自分たちに関して言えば十分歩けそうだ。ざっと見たところ壁もアーチ型の天井も礼拝堂の背景壁と同じ切り出した石を積んで形作られていて、当然ながら照明は設置されていない様子。

 都は銀竜を目の高さまで持ち上げると金色の瞳を覗き込んだ。

「この先に何かあるの?」

 うぎゃ!と同意する強い声。

「リュート?」

 首を振る。

「じゃあ、何?」

 コギンは目を閉じた。そして口を閉じたまま、猫のように喉の奥をごろごろと鳴らす仕草をする。

「コギン、変な鳴き方するんだなぁ。ねぇ……」ミヤコ、と言いかけてアルは言葉を飲み込んだ。

 都はコギンが同じ鳴き方をするのを何度も見たことがあった。それは決まって同じような場面で、その隣には必ずもう一匹の銀竜がいたことも覚えている。

「本当に?フェスがいるの?」

 首をかしげる銀竜に都は語気を荒くする。

「何か……フェスの何かを感じたんでしょ?だからここまで来たんだよね?」

 うぎゃあ!とコギンは大きく鳴いて羽を広げる。どうやらその点は間違いないらしい。

 だとしたら、取るべき行動はただ一つ。

「コギン、案内して!コギンの目と耳で。」そこまで言って、ちら、とアルを見る。

「オレも行く!だってミヤコ一人じゃ心配だもん。」

「だよね。」

 仕方ないか、と腹をくくる。

 待ってるよう言ったところで、聞きはしないだろう。

 もう一度コギンの金色の瞳を真っ直ぐに見た。

「わたしだけじゃなくてアルも一緒にいること、忘れないでね。」

 うな、と鳴くと銀竜は羽を広げて舞い上がった。


 光り輝く白い竜を頼りに壁伝いに進むと、天井が遠くなったことに気付いた。

「下り坂になってるのかな。アルはこの場所知ってた?」

「ここは知らないけど、他にもこういうのがあるのは知ってる。」

「そうなの?」

「父さんの仕事で隣の村に行ったときに、こんな感じの古い礼拝堂、見たよ。もうずーっと使ってなくて、噂だけど秘密の地下室があるって言ってた。」

「こういうのが、いくつもあるのかな?」

「知らない。だってオレ、夏の間しかここにいないからすげー詳しいわけじゃないし。」

「冬は別のところにいるの?」

「ガッセンディーアの家。だからもうじき学校も替わるんだ。」

 そういえば、そんなことをルーヴが言っていた気がする。

「ねぇコギンってさ、ずっと一緒にいるんだよね。学校も一緒?」

「ううん。コギンには留守番してもらってる。でも、リュートは連れてってたみたい。」

「リュートってミヤコの恋人だろ。やっぱり銀竜と一緒なんだ!いいなぁ。」

 ませているのかと思いきや、興味は銀竜にあるのかと思わず笑みがこぼれる。

「そんなに銀竜が気に入ったんだ。」

「だって、かっこいいもん。白くて聖竜リラントみたい!頭もいいし、いつも一緒にいられたら楽しいと思う。」

 熱を帯びた少年の言葉に都も同意する。

 と、コギンが止った。

 空中で羽ばたきしたまま、困ったように都を振り返る。

「迷ってるのかな。もしコギンの声に反応してくれたら……」

 都が言い終えないうちにコギンが()えた。

「!……いっ……」アルが慌てて耳を塞ぐ。

 小さな体から想像できないほど大きな声が、狭いトンネル内に反響する。

 一瞬の間。

 コギンが「きゅ!」と鳴いた。

 迷うことなく前へ進む。

 都も呆然としているアルをひっぱって小走りについていく。

「ど、どうしたの?」

「多分……見つけた!」

 その言葉を待っていたかのように、コギンの向かう先の地面にぼんやり白く光るものが見えた。

 アルが息を呑む。

「銀竜?」

 一足先に舞い降りたコギンが、都に向かって鳴き声をあげた。

 暗い足元に気をつけながら駆け寄る。

 通路の隅にうずくまる銀竜にコギンが寄り添っている。

 間違いない。

 フェスだ。

 リュートが名付け、彼が子供の頃からずっと共にいる銀竜。

 都はコギンより少し大きい銀竜の名前を呼びんだ。

 銀竜はけだるそうに頭を持ち上げると、金色の瞳を都に向けた。

「フェス!都だよ。わかる……よね。」

 フェスが鳴いた。

 その声はか細く、けれど都に会えて安堵したのか甘えるような響きを含んでいる。

「もしかして飛べない、の?」

 フェスは「くぅ」と喉を鳴らす。

 都は腰を落とすと手を伸ばして銀竜を抱き上げた。

 胸に包み込むと、フェスは都の肩に顎を乗せて目を閉じる。言葉はなくともひどく辛く、心細い思いをしていたことが伝わってくる。

「フェス……大丈夫だよ。一人で怖かったよね……」

「これ、なんだろう?」アルがフェスのうずくまっていた場所に何かを見つけて拾い上げた。

 コギンがアルの肩に止まり、ほのかな光を提供する。

 覗きこんだ都は思わず声を上げた。

「それ……リュートの認識票!」

「って、竜隊の?」

 都は頷いた。

 小さな緑色の石が()め込まれた金属の楕円プレートに見覚えがあった。それにこちらの文字は読めないが、彼の名前だけは教えてもらったので読むことができる。

「やっぱり……フェスはここまでリュートと一緒だったんだ。」

 言ってから都はハッと気付く。もしかして今自分たちが辿ってきた草地の足跡は、彼がつけた道筋だったのではないだろうか。だとしたらその先は一体……。

 と、

「うわっ!こ、コギン?」

 アルの声に驚いて見ると、コギンが小さな手で少年の肩をぎゅっと掴み、ブルブル

 震えていた。

「コギン?どうしたの?」

 都の問いかけに、コギンはきゅうきゅうと鳴く。

「怖い……の?」

「オレ……何にも感じないよ。」どうしよう、とアルが戸惑う。

「でも……銀竜がこんな風になるのは普通じゃない。」

 都は顔を上げ、その先に続く通路を見た。

 もしこの先に彼がいるとしたら……。

 そう思うと心がザワザワと落ち着かない。

 確かめたい。

 けれどこの状況はどう考えても普通ではないし、そんな状況にアルを巻き込むことはできない。何より今はフェスの手当てが先決だ。

 都は意を決して背筋を伸ばすと、今来た道を振り返る。

「アル、コギンをしっかり抱いてあげて。怖くないよって、言ってあげて。」

 アルは頷くと、言われたとおりコギンを抱きしめた。そうして都に促されるまま道を引き返す。

 階段を上り天井を失った礼拝堂まで戻ると、空の青さがひときわ眩しく映った。

 まずコギンがはばたいてぐるりと頭の上を旋回(せんかい)し、続いて都とアルも揃って深呼吸をする。

 時間にして一時間弱だから、歩いたのは大した距離でなかったはず。

 どこからか声が聞こえた。

 耳を澄ますと声はアルと自分の名を呼んでいる。

「父さんだ!」

 アルの表情がぱっと明るくなる。

 それによく通る女性の声。

「クラウディアさん……?」

 都が呟くのと、アルがコギンを従えて走り出すのがほとんど同時だった。

「銀竜の眼を使う」というのは一作目「もうひとつの空」で竜杜くんが使ってます。でもまぁ、自分だったら目が回るだろうな・・・確実に・・・(^^;

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