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碧色の眼、大鯨の行く島  作者: ささかま


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第三章 崖上の隠れ里

石が、温かい。


靴底を通して、陽の温みが足裏に届く。一段目。二段目。三段目で、温みが消えた。崖の陰に入ったのだ。石が冷たい。意外なほど涼しかった。


石灰岩(せっかいがん)の石段。幅は人ひとりがやっと通れるほど。表面が風化(ふうか)で丸みを帯びている。


断崖(だんがい)だった。手すりもない。崖面に直接(きざ)まれた石段が、蛇行(だこう)しながら上へ続いている。


トウマは、折り返しまで来てから、下を見た。


入り江(いりえ)の水は遠く、青い。船はもういない。浜の砂利が、波に洗われて白い筋になって見えた。


風が来た。崖の下から吹き上げてくる。潮の匂い。体が石段のほうに押された。登るか、と上を見た。


十段。二十段。また折り返す。


中腹(ちゅうふく)で、石段の幅がさらに狭くなった。岩盤(がんばん)が海側に張り出している。足を置ける幅が、半歩分しかない。崖側の縁は丸く削れ、何か所か小さく欠けている。


トウマは足を止めた。張り出しの先端(せんたん)を見た。その下は、何もない。崖と、空と、海。


「……こいつは落ちたら終わりだな」


声が風に(さら)われた。


「荷運びは苦労しますね」


シズリの声が後ろから届いた。


振り返らなかった。ようやく崖壁に手をつけるとこに来た。石段の内側だけを踏む。一歩。一歩。


その先は(ゆる)やかだった。石段の幅が広がり、傾斜(けいしゃ)も穏やかになる。歩調が楽になった。


匂いが変わっていた。


潮の匂いが薄れている。代わりに、植物の匂い。湿った緑。


石段の終わりが見えた。崖の縁。その上に空。あと数段。


最後の一段を踏んだ。


風が変わった。崖を吹き上げてきた海風ではない。台地(だいち)の上を渡る風だった。


木陰(こかげ)の道を進んだ先で、突然視界が、開けた。


* * *


赤い土の上に、船があった。


いや、家だった。


屋根が()を描いている。竜骨(りゅうこつ)を伏せたような形。棟木(むなぎ)が反り上がり、両端が空を向いている。高床式(たかゆかしき)。太い柱が床を支え、地面から腰の高さまで持ち上がっている。


一棟ではない。群れている。十。二十。家と家の間に少しの空地があり、入り口はすべて同じくこちらを向いていた。南だ。どの入り口の脇にも、軽やかな色彩(しきさい)の布がかかっていた。


家の壁面(へきめん)には赤。黒。白。黄。四つの色で、直線と円弧が繰り返している文様(もんよう)が描かれている。


広場が見えた。集落の奥に、家々に囲まれた平坦(へいたん)な空間。その西側に小さな祭壇(さいだん)がある。祭壇の上で、細い煙が立ちのぼっていた。白い。すぐに風に流され、空に溶けていく。


広場の奥の家の後ろから、人の気配(けはい)がした。と感じた瞬間に、褐色(かっしょく)の肌に簡素(かんそ)衣服(いふく)をまとった人々があらわれた。


一人の男が近づいてきた。肌は黒に近く濃い。背丈はトウマと同じくらいで、裸足(はだし)。腰に巻いた布が風にはためいている。


トウマも近づいて、声をかけようとして、絶句(ぜっく)した。


男の目が、青かった。


浅い青に、光の加減か薄く緑も交じって見える、碧色(あおいろ)とでもいうべき色だった。黒に近い褐色の肌に、その(あお)だけが浮いている。


もう一人、近づいてきた。女だった。(あお)い目。こちらは浅い褐色の肌。


その奥にも。台地の縁に立つ何人かの中に、(あお)い目が(いく)つもあった。


トウマとシズリは、思わず顔を見合わせた。


* * *


「ドガだ!」


甲高(かんだか)い子どもの声。


大人の後ろにいた子供たちが、こちらを指さしている。


「ドガだ! ドガ!」


大人の手が、子どもの肩を(つか)んだ。子どもが(あらが)う。


近づいてきた男と女は、足を止めた。


人が集まってくる。距離を取って半円(はんえん)を作り始めていた。


シズリは、トウマに半歩近づき、腰を落とした。


その時、人垣が別れ、奥から一人が現れた。


小柄な老人だった。前髪だけが白髪(しらが)、それを高く結い上げ、額に赤い石の飾り。


ゆっくりと近づいてくる。


トウマは、その目を見て、さらに驚いた。


右目が碧色(あおいろ)。左目は茶色だった。


沈黙(ちんもく)。子どもたちは、大人によって家の奥へ手を引かれていた。


「帰れ」


大きく、重い声だった。


「ここにお前たちの用はない」


それだけだった。沈黙が戻る。


トウマは息を吐いて、吸った。腹の底から、声を出す。


「おぉ、そう言わんでくれ。遠いところから来たんだ。まずは話だけでも──」


声が(かぶ)さった。


「帰れ」


低く、重く。


トウマの口が閉じた。


シズリが一歩、前に出た。


「私どもは──」


「帰れ」


三度目。最初よりも大きな声だった。


半円の人垣は動かず、沈黙が続いた。


* * *


突然、トウマの後ろから笑い声が聞こえた。


太陽を背に、明るい笑い声を挙げながら、これまた深い褐色の肌の五十がらみの男が歩み寄ってくる。


両方とも茶色の、力強い目をしている。ゆるやかな歩みだ。


振り返ったトウマの前で、その男が立ち止まった。少し見上げる。トウマのほうが頭ひとつ高い。


目尻(めじり)に深い(しわ)が寄った。


「まぁ、遠いところからよく来なすったねぇ。座りなさい、座りなさい」


やわらかい語尾(ごび)だった。


「ありがたい。さっきの石段で膝が笑いそうだ」


男がまた笑い、その向こう、老人と人垣に声をかけた。


「まぁそうつんけんせんと。せめて一晩は泊めて、話を聞いてやるのが道理(どうり)だろう」


右目が碧の老人は、何も言葉では応じなかったが、首を振りながら行ってしまった。


広場の端では、他の年寄りたちが低い声で話し始めた。近くにいた者がなんとなく顔を寄せ合い、ぼそぼそと言葉を交わしている。


男がトウマに向き直った。


「バイロンだ。まぁ、ゆっくりしなさい」


トウマは頭を下げた。


「ティルマ国軍の監察官、トウマだ。将軍の命で参った。あなたがたのことを知りたくて」


バイロンが手招(てまね)きをしながら、ゆっくり歩き出した。トウマとシズリが後に続く。


「あそこが、わたしの()まいだ」


バイロンが指をさした。


シズリの視線は、その横に止まった。


バイロンの家の入り口の脇に、布がかけられていた。黒に近い青で、ずっしりと重量(じゅうりょう)を感じる布だった。明らかに、ここで()られたものではないことが見てとれる。


バイロンが振り向いた。


「ゆっくりしていけばいい。先に集落を見せよう。案内をつける」


* * *


崖から吹き上がる潮風(しおかぜ)が、集落の奥に入ると柔らかくなる。船型(ふながた)の屋根が風を受け流している。


青年がひとり立っていた。細身で、背がやや低い。深い褐色の肌に、碧い目。猫背(ねこぜ)で、首が前に出ている。


バイロンが声をかけた。ナバリ、と呼んだ。


気弱(きよわ)そうな青年が、こちらを向いた。


「……あ、はい」


トウマたちに集落を見せろ、と言われ、その青年──ナバリは、少し嫌そうな顔をしたが、歩き出した。


船をひっくり返したような屋根の家が並んでいる。そして、高い床。床下は日陰になり、干し魚や道具が(なわ)(つる)されている。子どもが二人、床下で追いかけ合っていた。一人がこちらを見て、奥に隠れた。


トウマは歩きながら、話しかけた。


「全部、入り口の向きが同じなんだな」


ナバリが足を止めた。首を右に(かし)げる。耳の赤い石の飾りがきらめいた。ティハラの漁師がつけていたものに似ている。


「……今、なんて?」


「全部、入り口の向きが同じなんだな」


「あ、はい。祖先(そせん)(むか)えるためだ、と伝わってます」


それ以上は何も言わない。


集落の細い通りを抜けたところで、一人の男とすれ違った。


耳飾りが違った。赤ではない。黒。


三十がらみ。深い褐色の肌。碧い目。だがトウマたちを見なかった。視線を落としたまま通り過ぎる。


すれ違った瞬間、匂いがした。(さん)樹脂(じゅし)が混じった、鼻の奥を刺す匂い。


シズリは振り返った。男の背はもう遠い。


ナバリの声が、少しだけ低くなった。


「ラトゥだ。あれは、タウ・パラ」


「タウ・パラ?」


シズリが聞き返す。


死者(ししゃ)(つか)える者です」


それだけだった。ナバリは歩みを速めた。


台地の中ほどを少し西に()れたところに、泉があった。岩の割れ目から水が湧いている。音は小さい。(にじ)み出すように(あふ)れて、浅い(くぼ)みに溜まっている。


子どもたちが泉のそばに座り、筒で水を汲んでいた。トウマたちを見て走り去る。一人だけ残った子が、じっと見て、笑って去った。


ナバリがいつから持っていたものか、筒を差し出した。蓮竹(サラケ)で出来ているようだ。


「おお、俺も同じようなものがあるぞ」


トウマは、そう言いながらも、ナバリの筒を受け取って、水を汲んだ。


水を口に含んだ。冷たく、ほのかに甘みを感じる。


「おぉ、旨い」


ナバリが少しだけ笑った。口の端が動いただけ。


泉のそばを離れたとき、年配の女が通りかかった。腕に()(かご)を抱えている。トウマを見上げ、ナバリに何か言った。


ナバリが答えた。「バイロンが、案内しろってさ」


老女(ろうじょ)がトウマを見た。碧い目が細くなった。


「トゥパラかねぇ、ドガかねぇ」


(つぶや)くように言って、去った。


「何のことだ?」


トウマがナバリに(たず)ねた。


ナバリが首を右に傾げた。


「もう案内はいいでしょう?あとで、バイロンを訪ねてください」


ナバリはそういい置くと、森へ去っていった。


シズリは、ティハラでこの部族をトゥパラ族と呼んでいたことと、さっき子どもにドガと言われたことを思い返していた。


* * *


トウマとシズリは、集落の端の方へ足を向けた。


台地の縁に近づくと、風が変わった。崖の下から吹き上がる潮風が戻ってきた。


木を削る音が聞こえた。しゅ、しゅ、しゅ。(かんな)が木肌を()でる音。


崖の縁から百歩ほど西に寄ったところに、屋根のない作業場(さぎょうば)があった。石を積んだ低い壁が三方を囲い、南が開いている。海が見える。


男が一人、大きな木材(もくざい)に向かっていた。


五十がらみ。肩幅(かたはば)が広い。深い褐色の腕が鉋を握っている。竜骨になる木だろう。(けず)り出された面が白く、木の匂いが潮風に混じっていた。


近づいても手を止めなかった。目だけを一瞬こちらに向け、すぐに手元に戻した。


しゅ。


しゅ。


薄い(けず)(くず)が丸まり、足元に落ちた。


「見事だな」


トウマが声をかける。


答えない。


しゅ。しゅ。


「さっき、ガキに『ドガ』って言われたんだが。ありゃ何だ?」


鉋が止まらない。だが、男が口を開いた。


「ドガってのは、外から来る悪いもんだ。嵐もならず者もドガだ」


「おぉ、嵐と同じ(あつか)いかい。光栄だな」


鉋が止まった。


「笑い事じゃないぞ」


一瞬だけトウマを見た。


すぐに男の目は手元に戻った。しゅ。


鉋が、また動き始めた。


「俺はトウマだ。ドガじゃ、ないぞ」


「どうだかな。……パヌルだ。ここでは棟梁(とうりょう)と呼ばれている」


「パヌル、あんたいい腕だ。都で大工(だいく)でもやりゃあ、あんたのことを皆が欲しがるだろう」


「おだてても、何もないぞ」


「いやいや、まことさ」


トウマが削り屑を拾って()かすと、その向こうに海が見えた。


* * *


集落の端を超え、北東に差しかかると、台地の縁が近い。灰色がかった石灰岩の地面が露出(ろしゅつ)し、光を白く弾いている。


シズリが視線を右に向けた。


人影があった。


女だった。小柄。髪を短く切り、後ろでひとまとめにしている。島の人間ではない。都サトで見慣れた肌の色。装飾(そうしょく)は何もなく、体と不釣(ふつ)()いに大きな手に、小さな手帳(てちょう)。何かを書きつけている。足元に三脚(さんきゃく)測量(そくりょう)道具。


「誰?」


シズリが、声を上げた。


女がこちらを向いた。武官の制服を見て、近づいてくる。


「ヤジマに(やと)われた、カヨ」


「ヤジマ?」


「ここと交易(こうえき)してる人」


「そう。ここで何を?」


「何も。島の広さを知りたいんだって」


「それは、焔石(えんせき)と関係があるのか?」


トウマが口をはさんだ。


「さあ?そんなことは言ってなかったと思うけど。じゃあ、仕事に戻るわね」


カヨと名乗った女は、もう口を利く気もないと言わんばかりに、(きびす)を返して行ってしまった。


* * *


日が傾き始めていた。


トウマとシズリは集落に戻った。バイロンが家の前に立って待っていた。


あちこちで炊事(すいじ)の煙が立ちのぼり、根菜(こんさい)()く匂いが風に混じった。


バイロンの仲介(ちゅうかい)で、マハリという老女の家に招かれた。


集落の東端。広場に近い。他の家と同じ船型の(つく)りだが、木の色が濃く、使い込まれた家だ。


高床に上がった。バイロンはそこに二人を案内すると、奥へ声をかけてから、まもなく出て行った。


トウマは腰を下ろし、頭上を見上げた。


屋根梁(やねばり)が一本、家の長軸(ちょうじく)に沿って通っている。一本の大木(たいぼく)()り出したもの。波と魚の文様が刻まれていた。足元の幅広い葉の敷物(しきもの)に手が触れた。使い込まれて(つや)が出ている。壁に椰子(やし)の葉の(かご)。天井から吊った()(ぬの)()(まく)が、間仕切(まじき)りになっている。


その幕の向こうから、食べ物の匂いがただよう。魚を()た香りだ。


編み布の垂れ幕が揺れた。


小柄な老女。背中が丸い。足取(あしど)りはゆっくりで、一歩ごとに床板が(きし)む。深い褐色の肌。顔に刻まれた皺。


目は、茶色だった。碧眼(へきがん)ではない。


トウマとシズリをじっと見た。顔を。手を。腰の短剣を。


目が、ふと和らいだ。


「遠くから、ようこそ来なすった。温かい汁さぁ」


声はゆっくりだった。そして、柔らかい。


マハリ。一族の最長老(さいちょうろう)で、八十を超えているということだった。


若い女が土鍋(どなべ)を運んできた。木の(うつわ)に汁がよそわれた。


トウマが一口、すする。


根菜の(あま)みが舌の上に広がった。根芋(ねいも)。柔らかく煮崩(にくず)れかけた(かたまり)が歯に触れると、ほろりと崩れる。奥から魚の旨味(うまみ)が追いかけてくる。骨ごと煮込んだ深い出汁(だし)。鼻に抜ける清涼(せいりょう)は、名前の分からない香草(こうそう)(にが)みと(さわ)やかさが同居(どうきょ)している。


二口目。三口目。体の芯に染みてくる。


「うまい。……うまいな、これは」


マハリが微かに笑った。(ほお)の皺が深くなった。


「汁は一晩()かせると、根菜が自分の味を出すんよぉ」


シズリは、()ましながらゆっくりと口をつけていた。


マハリが(わん)を手に、トウマを見た。


「さて、何か話が合ってきたんさぁ?」


「いや、ばあさんじゃ……。ええっと、ばあさんは、ここの長老かい?」


「長いこと生きたねぇ」


村長(むらおさ)はいるのか?」


「ここのことは、年寄りの()()いで決めるのさぁ。誰が、というのはないねぇ」


「とはいえ、中心になるものがいるだろう」


「オムアンと、バイロンと、タマリかね」


シズリは、ここに来る時に、バイロンからも同じ名前が出たことを思い返した。オムアンは、はじめに帰れと言った老人で(いの)()らしい。タマリは、漁の名人だそうだ。


「じゃあ、ばあさんは、俺に言葉を教えてくれ。ドガってのは、外からくる悪いものだそうだが」


「そうだよう」


「トゥパラってのは?」


「人さぁ」


「それは、良い人のことか?」


「人に良いも悪いもないさ。人はねぇ、悪いことをしながら良いことをして、その反対もするもんさぁ。あんたも、ほれ、覚えがあるんさぁ」


トウマが、二の句を告げないでいると、シズリが後を引き取った。


「あの、タウ・パラとはなんでしょう?ラトゥという人がそう呼ばれていたのですが」


「ラトゥの(とと)は、腕のいいタウ・パラだったねぇ」


声の調子が少し変わった。低くなった。


「亡くなった者の体を(きよ)めて、薬を塗り、骨の位置を正す、大事な仕事だよぉ。いつからか、手が動かなくなってねぇ」


声が一瞬止まった。椀を口元に寄せたまま、目を閉じた。


「……可哀想に、あの子は小さかったのに、(とと)の分まで背負(せお)ったのだよぉ」


トウマは椀の汁を見下ろした。根菜の欠片(かけら)が底に沈んでいた。


()の火が奥で赤く揺れている。垂れ幕の隙間(すきま)から、その光が前の間の床を薄く染めていた。


* * *


夜が来た。


宿は、広場から少し離れた空き家をあてがわれた。同じく高床で、屋根は船をひっくり返したような形だ。


家の構造(こうぞう)を見ると、三つの間に幕で仕切(しき)られている。先ほどのマハリの家も同様だったのだろう、中の間に炉がある。


台地が静かだった。オムアンが()やさないという、(いの)りの火の明かりが、外で小さな光となって揺れているのが見えた。


風が吹き、屋根がきしんだ。


トウマは炉に(まき)をくべた。火が細く立ち上がる。


シズリが炉の向こうに腰を下ろした。


「隊長、不思議な人々ですね」


「そうだな。かつて王に仕えたにしては、ティルマ国の他の場所とつながりがあるように見えん。この人数に、装備(そうび)の様子じゃあ、部族としての戦闘能力(せんとうのうりょく)はないだろうな」


「いえ、あの(あお)い目や、風習(ふうしゅう)のことです」


「確かに、それもそうだ。だが、あれに囲まれていると、当たり前すぎて、逆に俺がおかしいのかと思うほどだ」


「隊長の目は、しっかり黒いですからね」


「気にしたことは無いぞ」


「入り江から見上げた時に見えた青い光は、きっと目だったんです」


「カヨという、ティルマ国の女、ありゃなんだ」


「明日確認しましょう。靴底に、ここまで見かけなかった赤い土が付いていました」


「港町までにあったろう」


「それとも違う色のような……」


「あとは何だ。死者を(あやつ)る術か。それらしい話はあったな」


「タウ・パラですね。聞く限りは、ただの鎮魂(ちんこん)儀礼(ぎれい)葬儀(そうぎ)にも思えます」


「やれやれ、友好関係(ゆうこうかんけい)を築けったってな。あの見た目にこの風習じゃあ、都に連れてっても、変な奴らだと言われて、しばらく見世物(みせもの)だぜ」


それきり、二人は黙った。炉の火が細くなっていく。熾火(おきび)だけが呼吸するように明滅(めいめつ)した。


波の音が、遠くから届いていた。


二人は、中の間の炉をそのままに、前の間と奥の間に別れ、眠りについた。


* * *


島に来て二日目。


東の空の雲の隙間から差し込んだ光が、地面を赤銅色(しゃくどういろ)に染めている。


トウマは仮住(かりず)まいの入口に立った。南から乾いた風が吹いている。(ほお)がひやりとした。


台地の南縁に、人影があった。


大柄な体躯(たいく)が、朝焼(あさや)けの中で影になっている。背中をこちらに向け、東の水平線を見ていた。


「おぉ、そこのあんた、ずいぶん朝が早いな」


トウマは、近づきながら声をかけた。


「おい、おいってば。あんた、タマリじゃないか?朝の早い、体が大きい漁の名人だと聞いたが」


男はようやくこちらを振り向くと、そうだ、と頷いた。


「漁に出る」


それだけ言うと、南の崖道(がけみち)の方角へ歩き出した。


タマリが去ると、今度は広場から、地を()うような低い声が続いてきた。


トウマがそちらへ向かうと、オムアンが祭壇の前に座り、祈りを(ささ)げていた。腰袋(こしぶくろ)から何か取り出して、それを祈りの火の炉に置いた。炎が一瞬、橙色(だいだいいろ)に明るくなった。煙が立つ。海の方角に流れていく。


オムアンは煙の行方(ゆくえ)を見ていた。


集落が目を覚ましていく。女が戸口で髪を()いている。男が網を引き出している。子どもたちが蓮竹(サラケ)の筒を抱えて走っていった。水汲(みずく)みだろう。笑い声。


各戸の炉に火が入った。前夜の汁を温め直す匂い。根菜の甘みと魚の出汁が混じり、朝の風に乗って広がっていく。


* * *


午後の強い日差しが、台地を白く焼いていた。


トウマとシズリは、朝にバイロンを訪ねたが留守(るす)だった。皆朝は忙しそうにしており、話を聞くのは午後に回したのだった。


どこからか木を叩く音。ぱん、ぱん、ぱん。女たちが樹皮(じゅひ)木槌(きづち)で叩いている。繊維(せんい)がほぐれ、薄く広がっていく。布になる。


ナバリが広場の縁に座っていた。膝の上に腰袋を広げている。中から葉を一枚、取り出した。深い緑色の厚い葉。指先で()み始めた。


トウマとシズリが近づくと、顔を上げた。また、少し嫌そうな顔を隠さず、首を右に傾げる。


「……あ、どうぞ座ってください」


しぶしぶ、といった様子で、二人に自分の横を指した。


二人とも座った。岩の地面が(しり)に硬い。


ナバリの指が葉を揉んでいる。指先が緑に染まっていた。(つめ)の間にも染みついている。


「それは何だ?」


トウマが、(つと)めて明るくたずねた。


指が一瞬止まり、すぐに動いた。


傷薬(きずぐすり)の材料です。乾かして粉にすると傷に効くんです。マハリ婆から(おそ)わってる」


シズリは、ナバリの緑に染まった指先を見ている。


トウマは、腰が痛くなり足を伸ばした。


「マハリ婆さんは、薬師(くすし)なのか?」


ナバリの手が、一瞬、葉を強く揉んだ。指の関節(かんせつ)が白くなるほどの力。すぐに緩んだ。だが葉が(つぶ)れて、汁が指の間から(にじ)み出していた。青臭(あおくさ)い匂い。


「いろいろ知ってる……だから、薬師(くすし)で、産婆(さんば)で、(かた)()で、頼られてる」


声が硬い。が、すぐに穏やかな顔に戻った。揉んでいた葉は、もう原形(げんけい)を留めていない。


新しい葉を腰袋から取り出した。何事もなかったように揉み始める。


「マハリ婆は物知(ものし)りなんです。島のことは何でも」


ぱん。ぱん。木槌の音が続いていた。


* * *


「帰ったぞぉ」


太い声。漁師たちが崖道を登ってくる。四人。肩に担いだ竿(さお)の両端に、魚を通した縄がぶら下がっている。銀色の(うろこ)が午後の光を弾いた。


先頭はタマリだった。朝の無言が嘘のように、後ろの漁師に声をかけている。


魚が広場に集められた。石の(だい)に並べられていく。腹が白く、背が青い。目がまだ()んでいる。(えら)の裏が鮮やかな赤。


女が魚を掴んだ。腹を()く。内臓(ないぞう)を取り、塩を振る。それを大きな葉で包む。炉で熱した石を三つ、木挟(きばさ)みで運ぶ。


蓮竹(サラケ)の筒。切り口から中を覗くと空洞(くうどう)だ。底に葉を敷き、包んだ魚を入れる。焼けた石を脇に押し込む。蓋。


じゅう、と音がした。蒸気(じょうき)が白く()き出す。葉の匂い。魚が焼ける匂い。塩と(あぶら)が合わさった海の匂い。


別の女が澱粉椰子(でんぷんやし)の粉を()っている。(てのひら)で丸める。白い団子(だんご)が炉の灰の中に()められた。焦げた匂いが立つ。


蓮竹サラケの筒の蓋が開けられた。蒸気が噴き上がる。


葉を開いた。魚の()が白い。指でほぐすと、ほろりと崩れた。


トウマは手を伸ばした。熱い。構わず掴む。口に運ぶ。


舌の上で崩れた。海の塩気と脂の甘み。葉の香りが追いかけてくる。歯が要らない。


灰の中から団子が()り出された。外側が焦げて茶色。割ると中は白く、もちりと糸を引いた。味は薄い。汁に浸した。前夜の根菜汁の残り。団子が汁を吸い、根菜の甘みが染み込む。口に入れると、粘る歯応えと旨味が一度に来た。


「酸っぱいけど、食べてみて。この島の味よぉ」


若い女が果実(かじつ)を差し出した。拳より一回り大きい。皮が硬く、黄緑色(きみどりいろ)


(あお)い目だった。左右とも(あお)い。腕に幼い子を抱いている。子どもは右目だけが(あお)く、左は茶色。母の腕にしがみつきながら、トウマを見ている。


女は、ミナと名乗った。


トウマは、果実を受け取り、両手で力を込めて割る。ぱきり。中は鮮やかな橙色(だいだいいろ)果汁(かじゅう)が指を伝う。


(かじ)った。


顔が(ゆが)んだ。酸味(さんみ)が舌を()き刺す。目の奥がきゅっと縮む。


「おぉ、酸っぱい」


ミナが笑った。子どもも母につられて口を開いたが、声は出なかった。


「だがいいな、これ。魚のあとに食うと格別(かくべつ)だ」


シズリにも果実が渡された。小さくちぎって口に入れ、目が少しだけ見開(みひら)かれた。すぐに、周りから見えないよう、口から出した。


* * *


バイロンの家に招かれた。前の間に座る。


壁に沿って一枚。赤と金の糸が交互に走り、花弁(かべん)(つら)ねた紋様(もんよう)の布が張られていた。繊維の質は均一(きんいつ)で、(なめ)らか。都サトの(いち)でも見かけない、良い品だ。


バイロンが(せん)()を出した。苦みの中にほのかな甘さ。舌先に清涼が広がり、(のど)を過ぎると腹の底にじんわり落ちていく。


「この島はね、長いこと()ざされていたんさぁ」


バイロンの声は明るく滑らかだった。


「私はねぇ、(とびら)を開けるべきだと思っているよぉ」


「ときおり、交易の人が来るんさ。ヤジマという男で、悪い人間ではないさぁ。布や道具を持ってきてくれる……」


トウマは、黙って聞いていた。この男から、関係作りを始めるのが良いかもしれない、と感じていた。


シズリは話に()いたのか、壁の布をじっと見ている。


バイロンは、ひとしきり話すと立ち上がった。


「マハリ婆に口をきいてやろうねぇ。ランパを聞いておくといい」


「ランパ?」


(かた)りさぁ。島のことを知りたいなら、聞いたほうがええよ」


* * *


ナバリの案内で、マハリ婆の家を再訪(さいほう)した。


高床を上がって、昨晩のように前の間に、トウマとシズリは腰を下ろす。


ナバリが、奥へ声をかけながら入っていく。


編み布の垂れ幕が揺れた。


マハリが出てきた。足取りが遅い。足を()きずるようにしている。


深い褐色の肌。顔の皺は一層深く、茶色の目はぼんやりとしているようだ。


「ランパを聞きたいと、言ったねぇ」


トウマは頷いた。


「ああ。昔語り、島のこと、あんたたちのことを、聞かせてほしい」


「そうかい、それじゃあ、炉の前へ、おいでね」


マハリは、そういうと、また足を引きずるように、中の間へ戻っていった。


トウマとシズリ、そしてナバリが続き、皆が中の間で炉を囲むようにして座った。


マハリは、少し歩いただけで息切(いきぎ)れがしていた。それを見てナバリが、間を()めるように言った。


「あの……ランパには作法(さほう)があるんです。語りの合間(あいま)に『アイ』と返す」


「分かった。やってみる」


マハリの息は落ち着いたようだ。しかし、そこから長い間があった。午後の光の中を(ほこり)がゆっくり落ちていく。


マハリの目が閉じた。


声が変わった。


低く、長く、波のように揺れる声。


「はじめに、海があった」


「海が島を()いた。島は大きな(おか)になった。上に石が積み上がり山になった。山の中から水が湧いた。水から、最初のトゥパラが生まれた。水のトゥパラは、両目が青かった。そして、死ななかった。いんや、死んでも仕事をしていた。死んでも子をなした。そうして山から木を()り、たくさんの船を作った」


沈黙。


ナバリが低い声で「アイ」と応じた。


トウマは一拍遅れて口を開いた。


「……アイ」


声が大きかった。


ナバリの肩がすくんだ。


マハリの口元が動いた。笑っている。


「もう少し、静かにねぇ」


再び語りの声に戻る。


「水のトゥパラは生きたものも、死んだものも、船で海を渡った。やがて(おか)に行き着いた。そこで別のトゥパラに出会った。彼らは目の色が違っていた。水のトゥパラは魚を、(おか)のトゥパラは鉄を、それぞれ差し出した。彼らはいつしかそこで(まじ)わり、一つのトゥパラになった。目は宝石(ほうせき)のように、様々な色になった。だが、もう死んだものは子をなせなくなった」


語りは止み、余韻(よいん)が漂っている。


トウマは低く応じた。今度は声を抑えた。


「……アイ」


「やがて、ドガがきた。トゥパラはそれをドガだと知らなかった。ドガは、死んでも仕事をする秘密(ひみつ)を知りたがった。ひとりのトゥパラが、それを教えてしまった。ドガはその秘密を知ると、本性(ほんしょう)をあらわした。トゥパラは()かれ、家はなくなった。死んでも仕事をするわざは、(うしな)われた」


「……アイ」


「そしてトゥパラは……」


声が途切れた。


(せき)だった。乾いた短い咳。二つ、三つ、四つ。体が前に揺れる。


ナバリが膝立(ひざだ)ちで寄った。


「マハリ婆、無理はいかんさぁ」


「大丈夫だよぉ」


声に力がなかった。


呼吸が荒い。夕方の涼しい時間にもかかわらず、(ひたい)に汗が浮いていた。


「今日は……ここまでにしようかねぇ」


語りの声は消えていた。八十を超えた老女の、しわがれた声。


トウマは頭を下げた。


「ありがとう。続きは、明日聞かせてくれるか」


「……気が向いたらねぇ」


マハリはそういうと、その場に横になった。


トウマとシズリは、静かに家を出た。


* * *


夕方の広場に火の匂いがあった。祭壇からうすく煙が立ち上り、(そば)にオムアンが座っていた。何か(とな)えている。


祈りの火。近くで見ると、赤みが強い。焔石の欠片(かけら)を燃しているようだ。拳ほどの赤黒(あかぐろ)い石が三つ、(だん)の上に載っている。


匂いがした。金属(きんぞく)の匂い。かすかだが確かにある。都サトの鍛冶場(かじば)を通りがかったときの、あの()げた金属の匂い。トウマは顔をしかめ、そこを離れた。


シズリは、オムアンを見た。碧い右目と茶色い左目が、祈りの火の赤い光を受けている。碧い目の方が、暗い色に見えた。


オムアンが祈りの言葉を止め、シズリを見た。目が合う。


シズリが一礼した。


オムアンはそれを無視(むし)して立ち上がり、トウマに声をかけた。


(わし)は、お前たちが(とど)まることを良しとしておらん。だが、祖霊(それい)に聞いてやろう。ここにきて、何のために来たのかを、火に向かって話せ」


トウマは、ここで敵対(てきたい)するのは得ではないと感じた。おとなしく火の前に座る。


「俺は……古い記録に残る部族と、友好関係を築くために来た。それだけだ」


沈黙。風は止み、遠くで波の音が聞こえるだけだった。


オムアンは、首を振った。


「やはり、お前たちは帰れ」


「こんなことで、良し悪しを決めるのか」


「そうだ」


「なぜ」


「良し悪しは、おまえ自身が知っているからだ」


「なにっ」


トウマは(いきどお)った。シズリが慌てて(せい)する。シズリは、話題を変えた。


「あの……カヨ、という女性と北の方で会いました。彼女もこの……儀式(ぎしき)を?」


「そうだ」


「彼女は何と?」


「島の測量だ。結果は我々にも共有(きょうゆう)するそうだ。祖霊は受け入れた。それに従うだけだ。だからあの女はここにいる。お前たちを、(わし)歓迎(かんげい)しない」


早くここから去れ、と言い残し、オムアンは家に戻っていった。


* * *


夜。月が出ていた。


広場に()き火が二つ。三十人ほどが三々五々集まっている。


耳飾りが揺れる。飾りの石は、焔石(えんせき)だった。涙滴型(るいてきがた)が焚き火の光を拾い、頬に赤い点を落としている。碧い目の者にも、茶色い目の者にも。


トウマは広場の端に腰を下ろした。シズリが、少し離れて隣に座る。


焚き火の向こうで、女が子どもを膝に乗せていた。男が網を(つくろ)いながら、女の歌に低い声を重ねている。


トウマが呟いた。


「やれやれ、結局、ただ村にいるだけだな」


一人の年寄りの耳に届いたらしい。片耳に大きな焔石の耳飾り。もう片方は(みみ)たぶが()けている。


「それでいいさぁ。それにしても、外の人間は耳が(さみ)しいねぇ」


「おぉ、俺も一つ、その耳飾りもらおうかな」


「お前の耳は大きいねぇ。三つは要るさぁ」


近くの二、三人が口元を緩めた。空気がほんの少し、柔らかくなった。


* * *


焚き火のざわめきが背中で遠くなった頃、シズリは崖の縁に立った。


息を()んだ。


入り江が、光っている。


青白(あおじろ)い光。水面が発光(はっこう)している。波が寄せるたびに光の帯が浜に届き、引くと(あと)が青白く残り、消えていく。


月の光ではない。海の底から来ているようだ。


シズリが立ちすくんでいると、背後で声が上がった。


「祖霊が怒っているさぁ」


「ドガが来たから海が光った」


台地の縁に人が集まり始めていた。


オムアンが現れた。青白い光を見て、急いで祈りの火の前へ向かった。(ひざまず)く。


若者が三人、トウマを囲んだ。


「海が怒っている。祖霊が怒っている」


「手を出すな!祖霊が(さば)く」


祈りの火の方から、オムアンの声が飛んだ。


若者たちは止まった。だが視線はトウマに()えたままだ。


やがて、海の光は弱まり始めた。徐々(じょじょ)に水面が暗くなり、最後に月だけが残った。


人々がゆっくりと散っていく。足音だけが、石の上を遠ざかった。


* * *


トウマたちが仮住まいに戻ると、入口の脇に木の盆が置かれていた。根菜汁の(つぼ)と、何かの団子。壺はまだ温い。


炉に薪をくべた。トウマが汁を椀に移し、一口で飲み干した。団子もぱくりとやる。


シズリも壺に口をつけた。ゆっくりと冷ましながら飲む。甘いが、奥に苦みを感じる。今朝の汁にはなかった、と思った時、トウマが横になるのが見えた。


炉の火が、細くなっていく。


シズリの目が重くなった。(まぶた)が落ちてくる。椀を床に置いた。壁に背を(あず)けた。


トウマの寝息(ねいき)が聞こえる。


熾火(おきび)だけが明滅した。波の音が、遠くから届いていた。


シズリは、意識(いしき)を失った。


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