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最終話

 翌日は雨の上がった庭を歩く。草花には露がついていて、日差しによって光輝いていた。いつもの位置にはボリスラフの姿があって、肩に力が入った。


「エミーリヤ様」


「体のことなら大丈夫よ」


 かたちだけでも、心配してくれるのは嬉しい。けれど、その優しさを受けて、胸が詰まるほど苦しくさせることに気づいてほしい。今だって、向き合ったボリスラフの目ではなく、首の辺りに視線をやっている。そうしなければ、大変なことになりそうで。成り行きで歩きながら話す。


「いえ、それだけではなくて」


 ボリスラフにしては、はっきりしない。


「何が言いたいの?」強い口調でたずねれば、ため息の音が聞こえた。


「縁談の話です。本気ですか?」


「本気よ」


「生半可な気持ちで決めてはなりません」


 確かに生半可な気持ちだったかもしれない。ボリスラフのことも自分が誰かのものになれば、諦めがつくかもしれない。そんな安易な考えを持っていた。けれど、彼への気持ちが薄まることもなく、むしろ、胸の痛みはひどくなる一方だった。


 このままボリスラフを想いながら誰かに嫁ぐことになるなら、初恋など知らない方が良かった。魔術なんてかけてほしくなかった。


 苦しくてもボリスラフのことを想えば、彼の隣に立つのはわたしではないのは明らかだった。わたしでは、彼の表情を奪ってしまう。だから、仕方ないのだ。


「ボリスラフ、あなたには関係のない話です」また一歩、足を踏み出したところで体が横に傾いた。手をつこうとしたら、すぐ近くで金属の触れる音を聞いた。


「姫」耳元でボリスラフの低音を聞くと、胸が高鳴ってくる。もう絶対に顔を上げられない。手を離してほしいのに、むしろ、力をこめられたような。


「ボリスラフ?」


「あなたは何もわかっていない」なぜ、そんなにも怒りに震えているの? 嫌悪感で満たされた視線をわたしに注いでいるの?


「わかっているわ。ボリスラフはわたしが嫌いでしょう。あなたがこの仕事が嫌いなのもわかっている」


「それは」否定できないのもわかっている。


「離して。これは命令よ」


 このくらいの抵抗しか今はできない。命令遵守の騎士はわたしの体を開放した。当たり前だ。命令したくせに胸が痛くて仕方ない。


 長い腕がわたしの体を囲いこむように抱き締めてきた。まぼろし? でも、背中に鉄の感触がする。開いたドレスを着ているから、胸当ての冷たさが伝わるのだ。わたしは誰がこんなことをしているのか気づいた。


「ボリスラフ?」


「あなたは本当に馬鹿ですね」


「馬鹿?」


 聞き捨てられずにたずねるとボリスラフが鼻で笑う気配がした。


「離すなんて、そんなわけには行きません」


 ボリスラフの言葉をいくら考えても疑問は解けなかった。


「まだわかりませんか?」


「えっ?」


「こちらは諦めようと、仕事を忠実にやってきました。感情を殺さなければ、あなたをこうやって困らせるから」


 ボリスラフが腕の力を強めるから、ふたりの体がくっつく。首の辺りにボリスラフの息とやわらかいものが触れたのを感じると、全身が熱くなる。まさか、そんなことがあるなんて。


「あの、やめて」


「何故?」


「からかわないで。ボリスラフはわたしのこと嫌いでしょう」


「確かに」


 改めて肯定されると泣きたくなった。


「もう、離して!」だから、嫌なのだ。ボリスラフはきっと、大人で。わたしはまだ大人になれなくて。子供みたいに暴れてボリスラフの腕から抜け出した。


 ドレスは走るには向かない。馬に乗るときは着ないし、絵を描くときも好きじゃない。だけど、どうにか裾を上げて逃げた。後ろを振り返る余裕もなくて、魔術師様の部屋の前まで来た。


 扉の取っ手を掴んだとき、もう一回り大きな手が重なった。ボリスラフは背後に立ち、それでも息は一切乱れていなかった。


「騎士の体力を侮らないでいただきたい」


「なぜ、追いかけてくるの? ボリスラフはわたしのことが嫌いでしょう」


「嫌いなわけがない」


 あっさりした答えに、信じられなかった。必死に反撃しようと否定的な言葉を探す。でも、見つけたのは疑問だけ。


「そんな、なぜ?」


「あなたが泣いたから」


「えっ?」


「あなたはわたしの父の葬儀で涙を流してくれた」


 ボリスラフの父はわたしの父を守るために命を落としたらしい。彼の優しくも頼もしい横顔は幼かったわたしの記憶にも残っている。


「その頃から、あなたを守る騎士になりたいと思っていました」


「そんなボリスラフがわたしのような子どもを守る騎士になりたかったなんて」


「いや、あなたは国を思う姫ですよ。子どもながらに下手くそな騎士の絵や民の絵を描いて配り散らしていたではないですか」


「へ、下手くそ」


「日に日に上達していきましたよ。今は下手くそではありませんが」


「あ、当たり前でしょ!」毎日、書いていたのだから、少しは上達していないと困る。押し殺したような笑い声が聞こえてきた。


「なぜでしょう。あなたと話していると笑いたくなってしまう。そんな自分をごまかすために、すべて否定してきました。あなたが嫌いで、この仕事に生きがいがないと」


「本当は違うの?」


「どちらも好きで仕方ない」


「えっ?」信じられなかった。「好き」なんて言葉がボリスラフの口から出てくるなんて。思わず、後ろを振り返る。


「わたしみたいな子どもを好き?」


「他の男と婚約しようとしたくせに子どもですか? 都合が悪くなると子どもだからと言い訳をする癖は、あなたの悪いところです。あなたは魅力的だ。とても子どもじゃない。こんな俺にも恋をさせるような女性です」


「ボリスラフだって、都合が悪くなると、仕事だからって逃げているじゃない。笑ってくれないし」


 ずっとわたしはボリスラフの笑顔が見たかった。


「そうですね」


「そうよ」でも、わたしも突っ張って来たから、一方的には攻められない。


「お見せしたいのはやまやまですが、ただ、あなたの父上がわたしを認めてくれるかは自信がありません。ですから、しばらく時間をください」


「時間?」


「ええ。確固たる地位を獲てから、あなたをいただきます。きっと、その時は感情を殺したりしない」


 「いただく」はちょっと恥ずかしかった。


「人をものみたいに」


「そうですね。失礼しました」


「でも、悪くはないかも」ああ、何か、自然に笑える。ボリスラフの顔を見て、近づいてくる瞳に気恥ずかしさを感じる。


「あ、魔術が切れたらどうしよう」


「そんなこと」


 唇が重なる。根拠はないけれど、魔術は切れない気がした。そして、そもそも、わたしはボリスラフが好きだったような気がする。心の奥では、こうして隣にいることを望んでいた。


「ずっと、隣にいてくれる?」


「言われなくても」


 隣よりも近い距離で、ボリスラフはささやいた。


おわり

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