天間明とヨガの出会い その3
「今日レッスンを担当するケイと言います。よろしくお願いします」
ケイは胸の前で合掌すると、そう言って頭を下げた。
「よろしくお願いします」と明も真似をして頭を下げる。
「そう言えばお客様のお名前は何と言いますか?」
「天間明と言います。天気の天に、間は馬ではなくあいだで、明は明るいです」
明の名前を聞くとケイは一瞬悲しそうな顔をした。
しかし、すぐに笑顔に戻る。
「どこか体で怪我や痛いところはありますか?」
「もうほとんど治っているんですけど、右足に古傷があってたまに痛みます。今日はほとんど痛みませんが」
「そうですか。痛い場合は無理をせずポーズを解いてくださいね」
ケイはそう言うとにっこりと微笑む。
「それでは胡坐の姿勢になって、目を閉じ、今日の呼吸を感じてみましょう。そして今日ご自身の心の調子、体の調子を感じてみましょう。ヨガは意識することが大事です。体の隅々まで意識をしてみましょう。ヨガとストレッチの差は意識にあります。ただポーズをしてはストレッチを変わりません。自分にどんな変化が起こるのか感じてください」
そういった後にケイはヨガのレッスンを始める。明が初めてということもあり、比較的に簡単なポーズを選んでやってくれたのだが、体の硬い明にしてみれば、どのポーズもけっこうな苦痛を感じた。
こんな動きをして大丈夫なの?
と疑問に思うほど、今までやったことのない身体の動きが多々ある。
訳のわからない筋肉が痛み出し、そんなところに筋肉があったのかと驚きを覚えた。
始めてのレッスンは顔を苦痛でゆがめる場面も多かったが、とても気持ちよいと感じることも多かった。
特に胸を開くと呼吸がしやすくなり、気持ちよく深呼吸を出来るようになったことに新鮮だった。
こんな呼吸は子供の頃以来じゃないだろうか。
一時間のレッスンを終え、明は会員になる書類を書いていた。
歩くたびに身体にバネが入ったような感覚があって、自分が変化しているのを感じられたからだ。
もちろん、男心としてケイみたいな美人に教えられるのは悪い気がしないというのもあったけれども。
ともかく明は仕事を辞め、おばあちゃんを一人にして東京に来ているのだから、失った予知の力を取り戻すまでは、他のことには目もくれず頑張ろうと誓っていた。
そして、力を取り戻せる可能性のある行動としてヨガを選んだのである。
明はケイのことが気に入ったので、ケイの教えているクラスで学ぶことにした。
一日に何度もレッスンに通い、ケイが瞑想に詳しいと言うので瞑想の仕方も教わった。
瞑想を教わったのは予知能力を戻すには精神を鍛える必要があると思ったからだ。
そして精神を鍛えるには瞑想が良いと明は思ったのである。
ヨガで身体を鍛え、瞑想で精神の安定や集中力を鍛える日々を続けた。
季節は変わり、五十鈴は無事に男の子を出産した。
輝と名付けられた甥っ子はとても可愛く、そして元気が良かった。
家事全般をやったことがない上に、家事は男はやるべきではないと言う方針で教育された明が手伝えることは、甥っ子の相手をするくらいだった。
人のサポートをするのが好きと言う元来の性分のためか、明の赤ん坊のあやし方は上手いらしい。
それに家事はするなと教育されていたが、育児はするなと言われたことがなかったのが良かったのかもしれない。
おじいちゃんは頑固で亭主関白であったが、子供には甘かった。
もしかしたら明は孫であったから余計に甘かったのかもしれない。
「輝は太郎さんより、お兄ちゃんの方が好きみたいだね」
明は五十鈴に何度かこのセリフを言われた。
予知の力を取り戻すと言っても、けっこう暇な時間があるので、明は時間を見つけては輝に会いにいっていた。
明の生活は輝が生まれてから、輝の面倒を見るかヨガをするかになっていた。
ヨガに毎日通って感じた身体の変化は多々ある。
身体が柔軟になったのはもちろんだし、肩こりなどは皆無になった。
それに一番わかるのが身体の変化を感じやすくなったことだ。
今日は少し背中が張っているなとか、呼吸が楽だなとか些細な変化を感じ取れるようになっていた。
澄んだ水に少しでも泥が混じると一目でわかるように、ヨガをやる前ならば、もともと硬かった背中がもう少しつっぱっていても気がつかなかっただろう。
それに呼吸も鼻が詰まっていない限り、そこまで変化などは感じなかった。
胸が大きく広がり、肺に空気が満たされたところなど想像もしなかった。
自分が生きている限り、心臓も肺も胃も腸も内臓もすべて働いている。
でもそんなことを意識することはほとんどなかった。
とても調子の悪いときぐらいしか内蔵に意識などしない。
でもヨガをしてその意識は少し変わってきた。
自分が生きているのだなと言うのを気づかされた。
ヨガを一年やり続けると、さまざまなところが少しずつ強化され、向上しているのは感じられた。
また、明は一年近くレッスンを受けていてケイに持つ印象も少し変わっていた。
ケイは美人と言うだけではなく、とても良い雰囲気があると思った。
自然体という言葉が良く似合う。
良い意味で生きることに執着していないように感じられた。
執着していないから緊張がなく、最善を尽くすことが出来る。
ケイは今を大事に生きている。
それは過去に囚われている明にはないものだった。
ただ過去の強烈な想いを引きずって、過去に失った力を取り戻そうとしている。
過去にばかり囚われている明は果たして今を生きているのだろうか。
よくわからなかった。
生きると言うこと自体がよくわからなかった。
そして、八月二十二日の朝、明はついに失った力を取り戻した。
目覚めるとはっきりと今見ていた夢は予知夢だと感じたのだ。
しかし、その予知夢の内容はケイが殺されると言うとても耐え難い内容だったのである。




