津谷景子の自分語り その3
車やコンビニのCMを見るのも嫌だったので、私はテレビも見なくなっていた。
車が書いてある漫画を見るのも嫌だ。
車のエンジン音が入っている音楽も嫌だ。
コンビニの商品も嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
なぜ、明人は死んでしまったのだろう?
なぜ私は生きているのだろう?
生きるって何だろう?
そんなことばかり私はベッドの上で丸まって考えていた。
私の頭ではまるで答えなんて出なかったけど、それでも考えていた。
私がほんの少し手を離した瞬間に、悪魔が私の天使を奪っていってしまった。
暗い部屋でうずくまって何もかもが間違いならと願った。
でもずっと思っていたんだ。
私は元気にならないといけないと思っていた。
だって、お父さんもお母さんも私のことをずっと心配していたから。
お父さんもお母さんもとても悲しんでいたのだろうけど、私のことを元気付けようとしていたから。
でも私は何も出来ずに、四年間部屋から出ることは出来なかった。
三年目にもなると、動かないから筋肉がなくなって、私はガリガリになっていた。
日を浴びないから、肌は真っ白になっていた。
このまま私は死んでいくのかなと思った。
私はお父さんに、お母さんに笑顔を見せられるようになりたかった。
そのために幸せにならなければいけないのだろうなと思った。
でも幸せって何なのだろうね?
幸せが良くわからなかった。
私は答えを見つけるために、引きこもっていた最後の一年は本ばかり読んでいた。
私に幸せの答えを誰か教えてくれるのを願っていた。
願えば思いは叶うのかもしれない。
私は次の言葉が書かれている本を読んだとき、これなら出来るかも知れないと思った。
「生きることとは息をすること。
幸せとは素晴らしい呼吸を続けること」
言葉がスッと私の頭に染み込んだ。
ただ素晴らしい呼吸をすればいい。
単純明快な答え。
それは明人がいなくても出来る、唯一の幸せになれる方法に私は思えた。
私はその本をもっとじっくりと読んでみた。
人は精神的に辛いときや体が痛いときには、呼吸が必ず浅くなっている。
逆に気分がよく、幸せなときは呼吸が深く良いものになっている。
だから呼吸を基準に考えて、より良い呼吸をすれば幸せが訪れると言うものだった。
それはヨガの本だった。
ヨガなら室内でもやることが出来る。
その本を読んでから半年間、私は部屋でずっとヨガをしていた。
より良い呼吸を目指して、呼吸に意識を集中させる。
呼吸に意識を集中させるのは瞑想の効果を生むみたいで、頭が空っぽになっていくのが、だんだんとわかってきた。
とても精神が落ち着くのがわかる。
それから私はテレビを見て、車が映ると呼吸に意識を集中させることにした。
窓から車が通るのを見ながら、呼吸を意識した。
呼吸と意識。
嫌な気持ちは空気と一緒に吐き出してしまう。
半年間のヨガの自主トレーニングを経て、私はもっとヨガを知りたいと思い、外に出てヨガスタジオに通い始めた。
今も通っている荻窪のスタジオだね。
引きこもってから初めて外に出られたとき、お母さんは泣いて喜んでくれた。
私も泣いちゃった。
空ってはこんなに広かったんだね。
私はスタジオに一年間通ってから、ハワイで一ヶ月の短期集中のヨガ留学をした。
そこでインストラクターの資格を取ったんだ。
澄んだ海に、広い空、大地を踏みしめて、美味しい空気を肺一杯に吸い込む一ヶ月で、これが素晴らしい呼吸なのかなと思った。
私は幸せになれたのだ。
日本に帰ってくると、私はヨガライクに就職した。
私が取ったヨガの資格はアシュタンガヨガのものだ。
ヨガライクでインストラクターになるには、ハタヨガの資格がいったので、そこでまた研修をして、ハタヨガの資格も無事に習得した。
勤務地が吉祥寺に決まって、私は吉祥寺に一人暮らしをすることにした。
中央線一本で通える近場だけど、明人との思い出が詰まった家と、ずっと引きこもっていた部屋から早く出たかったんだ。
そして、ヨガライク吉祥寺店で私は明さんと出会った。




