津谷景子の自分語り その2
その頃の私の楽しみはヨガをやるよりも、友達と遊ぶよりも、明人と遊ぶことだった。
少しずつ成長する明人を見ていると、それだけで心が満たされるのを感じた。
一つのことに熱中すると周りが見えなくなる私は、明人に夢中だったんだ。
明人と人形のキャッチボールをしたり(ほとんど私のほうに投げてくれなかったが)くすぐって笑わせてみたり、ハイハイで追いかけっこしたり、明人がいれば何でも楽しかった。
私は学校から帰るとほとんど明人と一緒にいたものだから、明人がハイハイしたときも立ち上がったときも、私が一番初めに見れたんだよね。
熱心に私が教え込んだから、明人の初めて話した言葉は「ナーナ」だった。
本当は「ネーネ」と言ってほしかったんだけど、私のことを初めに呼んだのだからこれで大満足だった。
父も母も初めに呼ばれなかったので少し悔しそうだったのを覚えている。
明人はすくすくと大きくなった。拙い会話も出来るようになり、部屋を走り回るようになった。
天使のような赤ん坊が、人気子役のような幼児に成長したのだ。
まるで家族が二倍になったように、にぎやかになったのを覚えている。
その頃の私は中学受験が始まって、勉強をしているか明人を見ているかの、二つに一つだった。
勉強に疲れたら明人の笑顔を見に行き、勉強に飽きたら明人と遊んでいた。
私が中学受験に受かったのは明人のおかげだと今でも思っている。
私の頭は両親に比べてそこまで良くないからね。
女子校の中学生になった私は、水泳部に入部した。
今度は泳いでいるか、明人と遊んでいるかという生活だった。
小麦色の肌になり、膝もほとんど全快して、とても健康な女学生になっていた。
明人が成長して家族みんなで楽しめることも増えていた。
夏休みは家族で花火をしたり、祭りで金魚すくいをしたり、冬休みはスキーに行ったり、ハワイに旅行に行ったり、とても楽しい思い出ばかりだ。
この中学校の頃が私の二十二年間の人生で一番楽しかった時期だと思う。
アルバムを見ても、その時期の写真は光り輝いて見える。
みんな心からの笑顔で映っている写真ばかりだ。
高校の頃のアルバムなんて悲惨なもの。
実はその時期以降はアルバムを作れるほど写真がないんだけどね。
私の高校生時代の思い出はたった一つしかない。
思い出したくもないけど、私の心に深く鋭く刻み込まれた事故だけだ。
その日、私は明人と散歩をしていた。
日曜日の昼下がり。天気はとても良かった気がするけど、よく覚えていない。
覚えているのは明人が繋いでいた手を離して、走り出したシーン。
本当に危険なんて微塵も感じさせない場所だった。
大通りから外れた細道で、右側は民家が並んでいた。
左側にコンビニがあったが、コンビには国道側から来るお客さんを目当てに建っているので、私たちはコンビニの裏手にいたことになる。
明人は私の手から離れ、トコトコと走り出した。
私から五メートルも離れていない距離で、しゃがみこむ。
どうやらセミの屍骸を発見したらしい。
何か言おうと振り返った明人に、車が突っ込んでいた。
まるで車が湧いて出たようだった。
明人はハンマーで叩かれたボールのように民家の壁に撥ね飛んだ。
何が起こったのかわからず、私は悲鳴を上げて明人に駆け寄った。
私の心臓はそのときに止まったと思う。
そこから私の心臓は四年間止まったのだ。
そこからの記憶は明人の口と頭から血が出ていたと言うことしか覚えていなかった。
私はパニックになって救急車も呼べなかった気がする。
ただ何が起こったかわからず、明人を抱いていた。
後から教えられたことだが、コンビニに駐車しようとした車がアクセルとブレーキを間違えて、フェンスを乗り越え、明人を撥ねたのだ。
病院にも行ったはずだし、お父さんやお母さんから何か言われたと思うけど、本当に全然覚えてない。
次に覚えているのは葬式のときの明人の顔で、その寝顔も天使のままだった。
天使はそのまま空に帰ってしまった。
私の家から明人がいなくなってしまった。
あの気持ちを何て例えればいいのだろう。
明人の名前のとおり、本当に私の中から、日も月も人もいなくなったような喪失感だった。
目の前で起こった惨劇が私の心に付けた傷は深かった。
車を見ても、コンビニを見ても、私は気分が悪くなり吐くようになった。
だから私は家から一歩も外に出られなくなっていた。
あえて言うことでもないだろうけど、街を歩いていてその二つを見ずに過ごすなんて不可能だものね。




