世界を壊す足音 Ⅳ 津谷景子の自分語り その1
男は息を殺して、部屋にあるカーテンの奥に隠れていた。
じっと耳を澄ませ、外の様子を窺う。
どうやらもうレッスンは終わったみたいだ。
生徒たちの帰りの挨拶が途切れるのを待ち、目出し帽を被り直す。
壁に耳を当て外の様子を想像した。
声から男が来ているのはわかっている。
男はどうやらドアを出たすぐ横のソファーに座っているようだ。
イラつかせてくれたからあのクソ男も殺してやる!
男はそう思うと、スタンガンは止め、痴漢撃退スプレーとナイフを手に持った。
素早く外に出ると、男の顔面にスプレーを吹きかけた。
そして、思いっきり腹にナイフを差し込む。
指先が腹にめり込み、温かみを感じるほど深く刺した。
男の苦悶の表情を見て、ざまあ見やがれと思った。
『津谷景子の自分語り』
私は千代田区の鍛冶町の生まれだ。
居酒屋が立ち並ぶ道沿いに、急に堅苦しく建っているビルが私の実家になる。
父は弁護士をしており、四階建てのビルの一階と二階が父のオフィスで、三階と四階が家族の居住区だ。
母は特許庁に勤めていたが二十六歳のときに私を妊娠して専業主婦になったらしい。
両親は私が逆立ちしたって入れない大学で知り合って、そのままゴールインしたそうだ。
とてもうらやましい。
両親は同い年なのだが、父が一年浪人しているため、母のほうが先輩だった。
剣道のサークルで知り合っているので、父はたまに笑いを取るために、母に敬語で話したりする。
その掛け合いを私はいつも大笑いしながら聞いている。
こういったやり取りが、また出来るようになったのはごく最近なのだけどね。
実家は夜になると酔っ払ったサラリーマンが溢れているような街だったので、門限が凄く厳しかったのを覚えている。
どうしても遅くなるときは、母がいつも駅まで迎えに来てくれていた。
母の誘導も多少あったような気もするけど、私はバレリーナに憧れて五歳からバレエを習っていた。
体を動かすのは大好きだったので、バレエは私に合っていたのだと思う。
私は一つのことに夢中になるタイプなので、そこからバレエ三昧の日々だった。
母も熱心に私の夢を応援してくれたおかげで、小学校三年生のときにコンクールで全国一位になれたから、そこそこバレエの才能があったのかもしれないね。
でも小学五年生のときに膝を痛めてしまって、一流のバレリーナへの道は閉ざされちゃった。
日常生活に支障は出ないけど、バレエを続けていくのは難しいとお医者さんには言われたんだ。
凄くショックだったのは確かだけど、あまり長い間ふさぎ込むことはなかった。
なぜなら、そのとき私に可愛い可愛い弟が出来たからだ。
私はずっと兄弟が欲しいと思っていた。
両親にずっとそのことを言っていたような気がする。
七夕の短冊にも弟か妹が欲しいと書いたことがあるし、クリスマスプレゼントも兄弟をお願いした覚えがある。
父と母ももう一人子供が欲しかったようなので、今思えば無邪気に母を傷つけていたのかもしれない。
子宮内膜症を患い、妊娠し難くなった母が、不妊治療の甲斐があって弟を出産したのは私が小学校五年生のときだった。
膝を痛めて二週間後だったので、神様が私のことを励ましてくれているように感じたんだよね。
弟を始めて見たとき、こんな可愛らしい赤ちゃんっているんだなと感動したのを覚えている。
生まれたての赤ちゃんはみんなサルみたいだなんて言うけど、私の弟は違った。
くりくりの大きな目で不思議そうに私を見つめてくるその姿は天使そのものだったもの。
弟の名前は明人と名づけられた。
日と月の人で明人。私の大事な、大事な弟だ。
だから私は明さんの名前を見たとき明人のことを思い出さずにはいられなかった。
明人のことを思い出すと、今でもやっぱり泣いてしまう。
だってそこで泣かないなら、涙の意味なんて無くなってしまうものね。
バレリーナの夢を諦めた私は、次に何を目指すのかまるで浮かばなかったけど、明人と一緒にいることが楽しくて、このままでいいかなと思っていた。
家族と楽しく暮らせたら、それで幸せだもの。
そうでしょう?
ヨガとの出会いはその頃で、私は膝のリハビリのためにヨガを習い始めた。
でもその頃はあまりヨガに熱心じゃなくて、本当に膝を治す目的のためだけに、サボりサボりやっていたんだよね。
ヨガはバレエより動きがない分、若かった私には退屈に思えたんだ。




