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津谷景子の三日目 その5

私はスタジオにヨガマットを引きながら、さっき薫子に言われたことを考えていた。


明さんと相思相愛だと言われて、私は全然嫌な気持ちにはならなかった。

それどころかちょっと嬉しい。人に好きだといわれて嫌な気持ちにはならないけど、私が明さんを好きだと言うことも否定する気にはなれなかった。


明さんと出会って一年ちょっと過ぎているけど、今までは講師と生徒の関係で恋愛感情はまるで抱いたことはなかった。

でもただのお客様の一人だったかというとそれも違う気がする。

明さんは見ていると何だか少しハラハラとする存在だった。

まるで危険なことを平気でやる弟みたいな感覚だ。

明さんのほうが年上だけどね。

 

だから何かと明さんが気になっていたのは間違いない。


そんな明さんが、私が殺されると言う刺激的で信じられないことを言った。

そして三日間、明さんと行動をしていて、私は楽しかった。


そう、私はこの三日間、とても楽しかったのだ。


ナイフで切り付けられたりもしたけど、何だかそこの部分だけ、お芝居みたいな、テレビの中で起こった出来事のようで、私は自分が襲われた気がまったくしていなかった。

危機感や緊張感がないと怒られそうだけど、今の日本でそんなに危機感を持って過ごしている人のほうが少なくないかな? 


それにどんなに心配しようが、警戒しようが、人は死ぬときは死んでしまう。


それを私は良く知っているんだ。


私が午後の最後のレッスンを終えると、もうそろそろ日も暮れかけていた。

スタジオの窓から、夕日に照らされて朱色に染まった吉祥寺の街が見える。


私が受付に戻っても明さんはまだ来ていなかった。

明さんが遅刻するのは珍しい。

あれだけ疲れていたので、もしかしたらまだぐっすりと眠っているのかもしれない。


電話を掛けてみようか考えたが、止めておいた。

だってまだ外は明るいのだ。

もし私を襲うような人がいるとしても、この時間だと家に着くまで人気のなくなる場所はない。

疲れている明さんにわざわざ送ってもらう必要はないよね。


私は『明るいうちに帰るので心配しないでください』とメールを明さんに打った。

そして、薫子と一緒にスタジオの戸締りをして帰ることにした。


帰り道のサンロード商店街はやっぱり人通りが多くて、何の心配もいらないように思えた。

会社帰りのサラリーマンが、道を埋めるように歩いているからね。


でも、大丈夫だとは思いながらも、何だか自分がホラー映画でわざわざ危ない方向に進んでいく登場人物に思えてきた。

ストーリーの都合か知らないけど、そんなことをしたら危ないよ、と思う行動をして、死んでしまうのだ。

危ないことをして助かるのって、ライオンの口に頭を入れても大丈夫なムツゴロウさんぐらいだと思う。


ムツゴロウさんはホラー映画じゃないけど。


何だかだんだんと怖くなってきて、やっぱり明さんを待てばよかったかなと思った。

私は自分が思っていた以上に明さんと一緒にいることで安心していたみたいだ。


そんなことを考えてながら歩いていると、肩を叩かれたので私は小さく悲鳴を上げてしまった。


私を殺そうとしていた青い目出し帽をかぶった男の姿を思い出す。

ナイフをきらりと光らせて私に向かって走ってきたあの男を。


身を守ろうと振り返る。


「だぁ」と赤ちゃん。


そこにいたのは赤ちゃんを抱っこした可愛らしい女性だった。

ナチュラルブラウンのロングヘアーが胸の前でカールしている。

その毛先を赤ちゃんが握り締めていた。

 

私は女性に会釈すると、ボクシングの見よう見まねで構えた拳をゆっくりと下ろした。

凄く恥ずかしい。顔が赤くなってなければいいけれど。


「あのケイさんですか?」とその女性は聞いてきた。


「はい。そうですけど……」


私の声は恥ずかしさのあまりとても小さくなった。


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