津谷景子の三日目 その6
「凄い。想像以上に美人」とその女性は、恥ずかしがっている私に追い討ちをかけるようなことを言ってくれた。
「あの私、天間明の妹です。榊原五十鈴と言います。
ちょっと兄のことでお話したいことがあるのですけど、いいですか?」
私は頷くと、五十鈴さんとスターバックスに移動して話をすることにした。
店内の奥の席でキャラメルマキアートを飲んで、少し心を落ち着ける。
明さんの妹が一体私に何の話があるのだろう?
五十鈴さんは席に着くと抱っこ紐から赤ちゃんを出して、膝に座らせていた。
赤ちゃんがコーヒーを触ろうとしたので、素早く移動させている。
元気のいい赤ちゃんだ。
服装からして男の子らしい。
「可愛らしい赤ちゃんですね」
「もうすぐ一歳になります。輝って言います」
そう言うと五十鈴さんはやさしい目をして輝君の頭を優しくなでていた。
輝君はテーブルの上に這い登ろうとして、五十鈴さんが腰を持って、それを止めている。
輝君のその姿がヨガのダウンドックのポーズのようで少し面白かった。
二日前に明さんは私に信じられない話をしてくれた。
予知能力を持っていて、私が殺されると言う、なかなか刺激的で面白い話だった。
でも妹の五十鈴さんの話は明さんよりもっと信じられない話で、私は一体どうすればいいのだろうと思った。
五十鈴さんと話をして別れた。
その後も、帰り道でずっとさっき聞いた話のことを考えていた。
私を狙っているかもしれない犯人を怖がるのも忘れて、気が付けば自分の部屋についていた。
お風呂の準備をしながら、うどんを茹でた。
そのうどんを湯切りして、めんつゆでさっと食べる。
それから服を脱いで、湯船に浸かった。
湯の中で手足を揉みながら、大きく深呼吸した。
そして、また五十鈴さんの話を思い出す。
「私と輝を助けて欲しい」と五十鈴さんは言っていた。
五十鈴さんの話では輝君の命を救えるのは私だけらしい。
そして、その救う方法がまたぶっ飛んでいる。
明さんが私に夢中で恋をしないといけないのだ。
離れたくないと思うほど、明さんが私に惚れないといけない。
そうなるようにしてくださいと五十鈴さんにお願いされてしまった。
兄を好きになってくださいと言うお願いをされた人は、世の中にいるかもしれないけど、兄に心の底から惚れられてくださいというお願いをされた人ってどれくらいいるのだろう?
だいたい人に心の底から惚れられる方法なんて私は知らない。
銀座のNO1のママならそんな芸当が出来るかも知れないけど、私には無理だよね。
でも、そうお願いしてきた五十鈴さんの顔は真剣そのもので、私は彼女の必死な気持ちを皮膚でピリピリと感じられた。
彼女の輝君への愛情もね。
彼女の言っていることは信じがたいけど嘘じゃない。
もし五十鈴さんが演技で言っていたのなら、彼女は大女優か歴史的な詐欺師になれる才能を持っている。
だから、たぶん嘘じゃないと思う。
お風呂から上がり、洗濯物を畳んで、ぼうっとしていると明さんから電話が掛かってきた。
「もしもし」
「もしもし、無事だった?」
「はい、大丈夫でしたよ」
私は五十鈴さんに会ったことは黙っていた。
内緒にしておいてと言われたし、どうしたらいいかまだわからなかったから。
「目覚まし時計を掛け忘れてたようで、起きれなかったわ。迎えにいけなくて悪かったね」
私が一人で帰ったことへの明さんの反応が意外に薄かった。一人で帰ったら危ないじゃないか、と怒られるかもと思っていたのに、全然そんなことなかったね。
「いいえ、そんな」と言いながら、私は五十鈴さんが言っていたことを思い出す。
「目覚ましを止めてきたから、兄さんはまだ寝ていると思います」と彼女は言っていた。
ちょっとお互いが沈黙してしまっていた。
何だか、少し気まずい。
私の頭と気持ちの整理がまるで出来ていないので、どうにも言葉が出なかった。
また五十鈴さんの言葉を思い出す。
「お兄ちゃんはケイさんのことを好きだと思うの。もしケイさんもお兄ちゃんのことが好きなら、好きだと伝えて欲しい。お兄ちゃんからはたぶん言い出さないと思うから。そしてお兄ちゃんが行ってしまうのを止めてほしい。私の言うことは聞いてくれないけど、好きな人の言うことならたぶん聞くと思うんだ。お兄ちゃんは優しいからね」
五十鈴さんはそう言って涙目で、ちょっとはにかんだ笑顔をしていた。
その笑顔を見て、明さんと五十鈴さんは仲のいい兄弟なのだろうなと私は感じ取ることが出来た。
「明日の朝も迎えに行くよ。今日と同じ時間で大丈夫かな?」
明さんが沈黙を破って言った言葉は、考え抜いて一番無難なことを選んだように思えた。
「あ、明日は朝ヨガがないので家を出るのは九時くらいです」
「朝ヨガないんや。起きてみるとやっぱり筋肉痛がひどくてね。明日のアシュタンガヨガは休もうか迷っててんな。それならちょうど良かった」
「なら明日は陰ヨガもやるべきですよ。明さんもヨガウェア持ってきてくださいね。一緒にやりましょう」
「え? それもやっぱりハードなヨガかな」
「ハードではないですよ。アシュタンガヨガが陽のヨガなので対極のヨガになります。どういうヨガかは、やってからのお楽しみです」
「楽しみか。しかし、ケイさんは毎日ヨガをやってんの?」
「プライベートでは週に一回休みますよ。でも仕事があるからほぼ毎日ヨガに係わってますね」
「そっかあ。さすがだね。それじゃあ、明日は朝の九時に迎えに行くわ」
「はい。あの……」
言葉が続かなかった。
「ん? どうかした」
「いえ、それじゃあ明日もよろしくお願いします」
「うん。今日は迎えにいけなくて悪かったね。じゃあまた明日」
そう言って電話は切れてしまった。
私は少しの間、携帯電話のディスプレイを見てから、携帯電話を充電器の上に置いた。
「私に隠していることはないですか?」という言葉が出なかったなあ。
私はため息を吐くとベッドの上に寝転んだ。
私の頭で考え込んでもしょうがない。
私は五十鈴さんを信じる。
明さんも、何かを隠しているかも知れないけど信じる。
それでいいや。
薫子に言ったら顔をゆがめて「はあ?」と言われそうな結論だけど、私は満足して寝ることにした。
何せ、眠いのだ。
考え事なんて置いて寝よう。
そうしよう。




