第三章 そもそも写楽(写楽の研究Ⅰ)〈4〉
電気ケトルに水をセットしたまどかクンが、シンクわきの洗いおけにつけた容器へ目をやった。食事は岸谷のおばさんが用意してくれたものをレンジでチンして食べている。
片手では食べおえた容器を洗うことができないので食器用洗剤を入れた水につけておくと、岸谷のおばさんがきたときに洗ってくれる。
まどかクンがシンクの中の洗面器とタオルを見てたずねた。
「このタオルなんですか?」
「あ、それは汚いからさわらないで!」
一応、片手ですすいでいるとは云え、私の身体をふいたタオルをまどかクンにさわらせるわけにはいくまい。私はあわててタオルの入った洗面器をシンクのわきへどけた。
「じゃあ、これ洗います」
「……あ、すいません。ありがとうございます」
お湯がわくのをまつあいだ、まどかクンは洗いおけにつけておいた容器を洗ってくれた。
やってくれていることはありがたいのだが、背中に妙な緊張感があっていつものように声をかけづらく、われ知らず歳下の女のコのご機嫌をうかがうように敬語をつかっている自分が情けない。
「ちょっとごめん」
私はまどかクンのうしろをよこぎると、台所わきの棚からとり皿と小さなフォークをだして座卓へ用意した。自分の動線上に女のコがいて家事をしてくれていると云うのも、なんだかこそばゆい気がする。
電気ケトルでお湯がわき、紅茶を煎れたまどかクンが座卓へつくとケーキの箱をひらいた。フルーツタルトがふたつにレアチーズケーキとミルクレープだ。
「好きなのをどうぞ」
「まどかクンが買ってきたんだから、自分から先好きなの選びなよ」
「いいえ。ここはケガ人ファーストです」
すげなく云い切るまどかクンに私はすなおにしたがった。
「……はい。それじゃコレを」
私がレアチーズケーキを選んでとり皿へおくと、まどかクンがフルーツタルトを自分のとり皿へのせた。
「いただきます」
「いただきます」
能面のような表情で手をあわせると、まどかクンがフルーツタルトを口にした。
いつものまどかクンなら「わ~、これすごくおいしい! や~、も~ちょ~しあわせ~!」くらいのリアクションがあるはずなのだが、なぜか今日は無言だ。
私もレアチーズケーキを一口食べると感想をのべた。
「うん。上品な甘さでおいしい」
「……」
あいかわらず、まどかクンのリアクションはない。なにかまどかクンを怒らせるようなマネをしただろうか? まったく心あたりがない。
「……あの、伽耶さんの写楽絵のメールとどいた?」
「既読済みです」
それで感想は? 伽耶さんに連絡は? と云う二の句がつげない。
「……おれがケガしたのって華響院からきいたんだよね?」
「そうです」
「……そっか」
なにこの気まずい雰囲気? ちっとも会話がはずまないではないか。私は意味不明の針のむしろから脱却すべく、腹をくくると単刀直入に質問した。
「まどかクン、さっきからすっげ~こわいんですけど、なに怒ってんの?」
「怒ってないです」
(怒ってんじゃん)
なんてたたみかけるとまどかクンのご機嫌をフランベする結果になりかねまいと、過去の数すくない経験から瞬時に判断した私は会話のベクトルをかえた。
「せっかくおいしいケーキもってきてくれたんだし、楽しく食べないともったいなくない?」
「……どうしておしえてくれなかったんですか?」
「なにを?」
「ケガ」
「え、いや、わざわざ云うほどのことでもないし、つぎに会ったらわかるし……」
「写楽絵のことなんかより、そっちのほうが先じゃないですか?」
「そんなことないよ。それに伽耶さんの件もあったから、よけいな心配かけるのもどうかと思って……」
「心配なんかしません」
え~? だったらますます云わなくてもよくない? 華響院が知っているのにまどかクンが知らなかったことが仲間ハズレっぽくてムカついているのだろうか? そんなお子さまめいた理由でさかうらみされても困る。
「おれから華響院にケガしたとか云ったわけじゃないよ。まどかクンからメールで伽耶さんのことを知らされたあいつがおれのところへきて勝手におれのケガを知ったわけで……」
われながらよくわからない弁明をはじめると、まどかクンの瞳から涙がひとしずくこぼれおちた。まどかクンを泣かすようなことなぞ一切口にしていないはずの私は予測不可能な急展開においてけぼりである。
「……写楽絵をねらったドロボウにおそわれて集中治療室で生死のさかいをさまよっているってきかされてたのに、いきなりメールとかくるし、退院したけど看護婦さんとかついててまだ寝たきりだってきかされてたのに、自分でドア開けてでてくるし、……一体なんなんですか?」
……華響院のヤロー。姿を見せないと思ったら、人のいないところでまどかクンにしょ~もないウソふきこみやがって。て云うか、どうしてまどかクンもそんな整合性のないウソをまるっと本気にするかな?




