第三章 そもそも写楽(写楽の研究Ⅰ)〈3〉
先に銀座界隈だけで400軒ちかい画廊があると云ったが、その中には骨董や陶芸や彫刻を専門にあつかうところもあれば、二人展やグループ展、常設展などをしているところもある。
そう云ったところをさしひいても、これまた丼勘定で年間1万人以上の画家が入れかわり立ちかわり銀座界隈の画廊で毎週個展をおこなっている計算になる。「現代美術」は美術館でおきているのではない。画廊でおこっているのだ。
売れる作家は数百人、後世の美術史に名をのこすのは多くて数十人にすぎまい。ひらたく云うと「絵画(美術)は金にならない」。
創作活動を「無償の労働」と云った美術評論家もいるが、絵画(美術)は損得や生活のための仕事ではなく、心をたましいをみたすための仕事だ。全身全霊でうちこむたましいの仕事だ。
ものくるほしいまでに「No Art,No Life」なのだ。だから画家は赤字でも個展をする。まず作品を観てもらうことが大切であり、それが彼らの存在証明だからだ。
私自身、画学生だったし、今でも細々とではあるが絵筆をにぎっている。創作しない人生は干からびたパンのようにぽそぽそとして虚しい。
画家はおおむね報われない職業だと思う。しかし、だからこそ、そんな彼らの作品がすこしでも世にでるあとおしがしたくて祖父の画廊をひきついだ。
「あら、ぼっちゃん。きてらしたんですか」
私たちの会話をききつけて岸谷のおばさんも事務室から顔をのぞかせた。人前で「ぼっちゃん」とよばれるのはいささか気はずかしいものの、子どものころからそうよばれているので、今さらよびかたをかえてほしいとも云えずにいる。
「こんにちわ、おばさん。本当に今週はありがとう。たすかったよ。今日の搬出と搬入はおれが立ちあいますから、5時であがってください」
平日は午后7時まで開けているが、最終日は午后5時終了となる。作品の搬出とつぎの展示の準備があるからだ。来週は独歩会会友の日本画家の個展だ。
カロンと画廊のドアベルが鳴って、あたらしいお客さんが数人みえた。これまた七尾原さんの知人である。私はそれをしおに画廊を辞すと、5階の自室へひきさがった。
3
台所のシンクへ頭をつっこんで洗うことは片手でもさほどむずかしくはないが、やはり身体をふくのは難儀する。
お湯でぬらしたタオルを片手1本で洗面器の底へおしつけてしぼり、身体をふいてはお湯ですすいでしぼるをくりかえす。こりゃあ一体なんの修行だ? と自嘲しなければやっていられない。
とにかく背中へ手がとどかないので、背中のどこかしらはふけていない場所があるはずだが、それも自分ではよくわからない。
(100均ショップで長い柄のついたスポンジでも買ってくるかな?)
てなことをかんがえながら、シンクへ洗面器とタオルを放置したまま部屋着のジャージへ着がえていると、ドアホンが鳴った。
BGMがわりになんとなくつけていたTVから午后8時台のバラエティー番組のエンディング・テロップがながれていた。ふだん、こんな時刻に来客はない。ピッキング犯のこともあり、いささか不安と緊張をおぼえながらドアレンズをのぞくと、そこに立っていたのはまどかクンだった。
「はいはい! ちょっと待ってて!」
私はドアごしにつとめてあかるい声をだすと、あわてて身支度をととのえた。まどかクンが5階まであがってきたことなんてあったかな?
ドアを開けると、不機嫌そうな瞳のまどかクンが私をにらみつけていた。視線が右腕の白いギプスと三角巾へつきささる。
「やあ。こんばんわ。……どうしたのかな?」
先に「高梨伽耶の写楽絵は『二代目坂東三津五郎の東山義尚』だと思う」とメールで報告したにもかかわらず、ふたりからはなんのリアクションもなかった。どうでもよいのかそれどころではないかのどちらかであろうとすこしがっかりしていたところだ。
「これ。お見舞い」
まどかクンが『マ・フィール』のケーキが入った厚紙の小さな手さげ箱を私の眼前へつきだした。
「お茶煎れます」
まどかクンはそう宣言すると、私に言質をあたえず部屋へあがりこんだ。へんに気圧されてこちらのつけ入る隙がない。
さいわいにも私の部屋は急な来客にうろたえるほど散らかっていなかった。利き腕を骨折した身では散らかしようもない。洗濯物はトイレわきのドラム式洗濯機にほうりこんである。
玄関わきへカバンをおき、座卓の上にケーキの入った箱をおくと、まどかクンが台所へ足をむけた。
「お湯わかすのどれですか? お茶は?」
「お湯はそこの電気ケトルで。紅茶はここ」
私が台所の棚から紅茶のティーバッグとマグカップをだすと、まどかクンが抑揚のない声で云った。
「わかりました。あとはやりますから座っててください」
「……あ、はい」
お見舞いにきたと云いながら、このつっけんどんな感じはなんなんだろう? と内心いぶかしみつつ私は彼女の言葉にだまってしたがった。骨折後はしきっぱなしだった布団をあわてて部屋のすみへと折りたたみ、おし入れから彼女のための座布団をだして座る。




