第二章 写楽の夜の悪夢〈6〉
私たち4人は高梨伽耶の写楽絵を華響院の事務所の金庫へ保管すると夕食へでかけた。
画廊は午后7時まで開けていたし、午后8時と云う約束の時間まであまり間もなかったので夕食をとるヒマがなかった。
そうなることははじめからわかっていたので、私と華響院は高梨伽耶の写楽絵を見てから夕食へでかける予定だった。
まどかクンと高梨伽耶にも声をかけると、ふたりも夕食はまだ食べていないと云うので「どうせなら4人で」とあいなった。
高梨伽耶の家が立川市なので、華響院が気をきかせて立川市にほど近い国立市のミシュランひとつ星・中国飯店『宝麗華』にした。
みんなで食事をしてわかったのだが、高梨伽耶は〈おそ咲きのドデカップ〉と云うマヌケなキャッチフレーズに似つかわしくないほど知的なだけでなく、ユーモアのセンスもあった。
けっして饒舌なタイプではないが、ひかえめにぽつりとはなつ一言がツボにハマった。食事がおわるころには私だけではなく華響院も彼女のファンになっていた。一過性のグラビアアイドルでおわる人物ではない。エッセイストなど文筆業でもやっていけそうだ。むしろ、まどかクンの今後のほうが心配である。
……とまあ、冗談はさておき、たのしい夕食をおえた私たちは華響院のメッシーにつぐアッシー(いずれも死語)で帰路についた。まずは一番ちかい高梨伽耶の家へむかっているところだ。
「次の交差点を左でおねがいします」
ゆっくり渋滞しだした長い車の列につらなり、赤信号で停車すると、高梨伽耶が後部座席から云った。視界の先にある交差点をパトカーや消防車がサイレンを鳴らしながら行きすぎる。
「なにか事故でもあったのかな?」
助手席の私がひとりごちると、
「そうかも」
と華響院も小さくあいづちをうった。
信号が青にかわり、長い車の列がのろのろとうごきだした。華響院の車が交差点を左折して大きな通りへでると、反対車線のかなり前方で明滅するパトライトの光がいくつも見えた。
ビルのかげにかくれてよく見えないが、うっすらと煙のあがっている気配がする。
「火事か」
「えっ? どこどこ?」
「ちかいんですか?」
後部座席の女性陣が私のつぶやきに反応した。運転席と助手席のすきまからフロントガラスごしに前をのぞきこんだ高梨伽耶の表情が一変した。
「あれ、うちのほうです!」
「ほんとですか!?」
まどかクンの言葉に高梨伽耶がうなづいた。
「あの角を入って3軒目がうち」
「どのみちあそこは入れないから、ちょっと先の路肩でとめるわ」
華響院も緊張した面もちでこたえた。私のうしろ、すなわち後部座席左側に座っていた高梨伽耶が不安げに前をのぞきこみ、まどかクンも右側の光景を注視する。
騒然とする現場を横目に一瞬で通りすぎた。通りの奥はオレンジ色に染まっていて、消火活動をつづける消防車やあわだたしく行き来する人々のシルエットをうかびあがらせていた。頭上にはもうもうと黒煙があがっている。
華響院が路肩へ駐車し、私たち4人は車をおりた。さらに先の信号をわたって反対車線の歩道を走る。
深夜にちかいためヤジ馬の数こそ多くはないが、けたたましいサイレン音が悪目立ちしていた。ふたりの警察官が規制線をはり、現場へ人をちかづけないようにしていたが、そんなようすをスマホで撮影しているスーツ姿のバカまでいる。
放水中の消防車が目かくしとなって、奥のようすはよくわからなかったが、2階の窓から炎をふきあげる民家に高梨伽耶が両手で口をおおって悲鳴をのみこんだ。
「伽耶さん?」
まどかクンがおそるおそる声をかけると、一瞬ぼうぜんとした高梨伽耶が血相をかえた。
「うちです……。お母さん! お母さんは!?」
「伽耶ちゃん! よかった~、あんた無事だったのかい!」
火事場の隣家から部屋着のまま避難している老夫婦が高梨伽耶の姿に気づいて声をかけた。
「おじさん、おばさん! お母さんは!?」
「それがまだわかんないのよ」
「おおい、おまわりさん! 火元の家の娘さんは無事じゃ!」
高梨伽耶とおばさんが言葉をかわすそのわきで、おじさんがヤジ馬を牽制している黒ブチメガネの警察官へ云った。高梨伽耶も黒ブチメガネの警察官へつめよった。
「私、あの家の者です! 母は、母はぶじでしょうか!?」
「あの家の人? 今、確認するから、ちょっとまって!」
高梨伽耶の言葉をうけた警察官が無線でどこかへ連絡したがよくわからないらしい。
「確認してきます。……おい、この人をたのむ。あの家の人だ!」
黒ブチメガネの警察官がもうひとりの警察官をよびつけると消火現場へ駆けていった。いのるように火事場を見つめる高梨伽耶がくたりとよろめき、私はあわてて彼女の身体をうしろからだきとめた。
「大丈夫ですか?」
「……ええ」
「大丈夫だよ。大丈夫だから……」
まどかクンも高梨伽耶へよりそうと白い手をぎゅっとにぎりしめた。高梨伽耶も神さまへすがるかのようにまどかクンの手を無言でにぎりかえした。