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3話

「どうした。言ってみなさい」


手にしていた書類を傍らに置き、デインがローゼの言葉を促す。

ローゼはほんの少しだけ緊張しつつ、下げた両手をぎゅっと握りながら告げた。


「クライブ家との……ゼイオン様との婚約を、解消したいのです」

「……それは」


ローゼの言葉に、デインは驚いているようだった。それもそうだろう、この間まで婚約者に好意的だった娘がいきなりこんなことを言い出したのだ。


「どういうことか、理由を説明しなさい」


ローゼが頷く。もちろん、婚約解消のための理由は用意してある。昨日、帰りの馬車の中でずっと考えていた。


エステルとゼイオン。聖女と、それを守護する騎士。

二人は三年間、仲間とともに王命で魔物の被害にあっている土地の浄化へ旅に出ていた。

その任務が終わり、昨日の王太子殿下のパーティでローゼは三年ぶりにゼイオンに会えるはずだったのだ。婚約者との、久々の再会。


けれど、ゼイオンがパートナーに選んだのはエステルだった。偶然見かけた二人の、楽しく庭園で語らう姿はとてもお似合いだった……そんな姿を見て、ローゼは身を引くことを心に決めた──と、いう話を切々と、デインに説明した。


「以前より、ゼイオン様とエステル嬢が互いに想いを寄せているのではないか、という噂は耳にしておりました。まさかとは思っていたのですが、実際にお二人のお姿を見て確信いたしました。あの噂は紛れもない、事実だったのだと……」

「なんだと……?」

「そうなってくると、私という存在は、お二人の邪魔者でしかありません。私は……ゼイオン様の幸せを祈りたいのです」


ハンカチを取り出し目元にあて、およよ、と傷ついた姿を演出するのも忘れない。


(おそらくゼイオン様はこちらの婚約解消の話をそのまま飲むだろうし、後はフラメル家の方も婚約解消に前向きということであれば、話はそんなに難しくないはず……)


完璧な作戦である。ローゼはそう思い、ちらり、とデインの方を見ると。


「……許せん!!」

「は?」


怒り心頭、といった様子で机に拳をドン、と叩きつけていた。


「不貞行為だ! 断固、抗議する!!」

「えぇ? いや、それはちょっと……」


思いもよらない方向にいってしまった。というか、私生児を作ったあなたが不貞行為を抗議するのか。と、ローゼは思わず口に出しそうになる。


「このままでは、両家の信用問題に関わる。お前の気持ちはわかったから、この後は何もしなくていい」

「いえいえいえ。あの、お父様? 私は円満に終えたいのですが」

「何故だ?」

「それは……まあ、納得しているので……」

「本当か? お前は健気に三年もゼイオンの帰りを待っていたじゃないか。花嫁修行だって、あんなに真面目にやっていたのに……」


ローゼが二十歳になるまでには、ゼイオンとの結婚式をあげようという話が出ていた。そのために行っていた花嫁修業に関しては、面倒でサボったり雑にこなしていたのは秘密である。


「ええーと……まあ、そうですわね。目が覚めたというか……ともかく。怒ってくださるお父様には申し訳ないですが、私はこのまま平穏に、ゼイオン様との婚約を解消したいのです。もちろん、婚約は家同士のお話だということは理解していますし、難しいことだということもわかっています。けれどそこはエステル嬢の名前を出せばきっと、クライブ家に借りを作れるのではないかと思いますの」


二人が思いを寄せ合っているのではないか、という噂があるのは事実だった。

それにまだ、お互いに恋人同士という関係値ではないはずだが、両片思いなことに違いなし。

そこへローゼから婚約解消を持ち出せば、願ったり叶ったりのはずだ。


(小説の『ローゼ』は絶対に、ゼイオンとの婚約破棄はしなかったけどね)


今頃、大暴れしていたはずだ。けれどその行動は間違いなく、死亡フラグになり得る。

一つずつ、そのフラグを折って命の危機からフェードアウトしなくてはならない。

そんなローゼの思いが届いたのか、


「……そうか。わかった。とりあえず、お前の言い分は理解した。婚約解消については、クライブ家と話し合いの時間を作ろう」

「ありがとうございます、お父様……!」


望んでいた言葉を聞くことができて、ほっと息を吐く。

そんなローゼを見て、デインは大きくため息を吐いた。


「それと、今の話とは別にもうひとつ、お前に聞きたいことがあった」

「はい? 聞きたいこと、ですか?」

「シルヴィオ・イグニス公爵を知っているな?」


その名前を聞いて、嫌な予感しかしない。「……はい」とローゼは返事をした。


「アルノーから、お前とイグニス公爵が言い争っていたという話を聞いた。一体、何があったんだ」

「ええと……」


あの馬鹿兄が余計なことを……とローゼが心の中で毒づくが、デインの耳に入るのも時間の問題だっただろう。

けれど、さすがに『いきなり婚外子呼ばわりされてムカついたので、シャンパンを浴びせてやりました』とは色んな意味で言い辛かった。

ごほん、と咳払いをして、ローゼは言葉を選んだ。


「……その件に関してですが、イグニス公爵にとても無礼な態度をされて、腹が立ったのです。ですが、こちらも悪かったので謝罪の手紙を書きますわ」


『無礼な態度』が一体何だったのか、についてはこれ以上詮索されないように「大したことではありません」と強調して付け加えた。


「……まあいい。とにかく、イグニス公爵にはしっかりと謝罪をしておきなさい。婚約の件は、こちらで何とかしておく」

「ええ、わかりました」


そうしてデインとの会話が終了し、ローゼは執務室から出た。

なんとか終わった。力が抜けて、ふう、と息を吐く。


ゼイオンとの婚約解消についてはこのまま進めていけばいいだろう。

後は、シルヴィオである。

関わりたくはないが、そのままにしておくわけにもいかない。


(面倒だけど……これも穏便に済ませるしかないわね)


シルヴィオ・イグニス。幼い頃に両親を亡くしたため、若くして公爵位を継いだ不遇の人物。


どう考えても、昨晩は最悪の出会いだった。


首都から遠い領地で、祖父に当主教育を受けていたという彼は、これまでめったに社交の場に出てくることがなかった。

そんな彼が顔を出した貴重な機会に、イグニス家と縁を作りたいという者も少なくない。目立つ、華やかな相貌も相まって彼に話し掛ける者は絶えず、ローゼもその中の一人だった。

ただ珍しい人物だと好奇心を抱き、軽い気持ちで声をかけただけ。


最初は和やかな雰囲気が続いていたのだが、ローゼが名乗り始めてからシルヴィオの態度が豹変した。

突然、冷ややかな態度になり「話しかけないでほしい」と言われ、どうしてかと理由を尋ねただけで「恥知らずの婚外子」などと、暴言を吐かれたのだ。


その時は何も分からなかったものの。

シルヴィオが『婚外子』を目の敵にしている理由について、小説の中に転生したローゼには察しが付いていた。

それは、彼の両親の死に関わっているからであろう。


(シルヴィオの両親は、彼の幼い頃、父親が愛人に傾倒して不仲になっていたのよね……そんな最中に、視察に向かった先で事故にあってしまって……)


小説に出てきた描写だった。それ以来、人間不信気味になってしまったのだとエステルに打ち明けるシーンがあった。


父親の不貞行為に、不義の証である婚外子のローゼ。彼はその存在が許せないのだろう。


貴族の婚姻は政略結婚であることが多い。そのため、結婚後はお互いに自由な恋愛をし、その結果私生児が生まれること自体はままあった。

けれどそれを、自らの家門に迎え入れることは稀だ。

フラメル家の場合、堂々とその事実を突きつけて話す者は居ないにしても、ローゼが私生児であったことは暗黙の事実である。


フラメル家の名前を聞いたことがあるのなら、シルヴィオはそのことも知っていたに違いない。


だとしても、誰しもが出生を選ぶことはできないため、シルヴィオの個人的な恨みに関してはローゼのせいではない。

腑には落ちないものの……いったんは彼との確執をひとつでも無くすことが重要だった。


(一方的とはいえ、シルヴィオからの印象が最悪な中で、『ローゼ』とエステル嬢との関係が悪くなったら、もっと最悪なことになるんだから……)


物語の中で、ローゼの命を奪うのがシルヴィオだった。

エステルに想いを寄せていく彼は、彼女を傷つける存在が許せなくなっていった。

その狂愛にも似た感情はどんどんと大きくなり、エステルに害をなすローゼのことを公式の場で断罪するのではなく、自らの手で始末したのだ。


小説を読んでいた時には読者として「邪魔者(ローゼ)が消えてよかった〜」などと思っていたが、その『邪魔者』が自分になったのだと思うと、ぶるり、と震える。

……とにもかくにも仕方ない。侍女にレターセットを頼み、イグニス公爵宛に手紙を書くことにした。自室に戻り、手早く書いてしまう。


「じゃあ、これを出しておいてもらえる?」


封をした手紙を渡すと、はい、と侍女が頷く。


数日もしたらゼイオンとは婚約が解消され、シルヴィオとの件もこの謝罪でもって終えるだろう。

よしよし、とローゼは息を吐いた。


そして数日後、シルヴィオから手紙の返答が届いた。


「謝罪の件は、直接会って受け取る」──と。

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