番外編 エドワードの話
本編からずっと先の話。
何処かの国で生まれた、ただのエドワードのお話です。
別名:転生アーデルハイト(使命無し&記憶持ち越し&恋愛感情自覚済み)による婚約・結婚RTA。
僕が彼女と初めて会ったのは8歳の時だった。家の隣に越して来た家族が、僕と同い年の少女を連れて挨拶に来たのだ。まるで貴族の様なお辞儀をして少女は僕に微笑んだ。
「こんにちはエドワード。私、あなたと会う為に来たのです。」
そうして、その日の内に彼女は互いの両親公認の元、僕の許嫁になっていた。いや、幾らなんでも早すぎはしないだろうか。彼女の家族と僕の家族に今まで面識は無かったし、初めの内は本当に唯の世間話だったのだ。それが気がつくと縁談が決まっていた。
僕はあまりの事に両親に訴えたのだが、暖簾に腕押しだった。あんなに良い子他にいるものか。本当に良い縁談だこと。
貴族でも無いのにこんなに早く将来の相手が決まった事に、幼い僕は終始戸惑うしか無かった。
ところで、彼女は幼馴染兼許嫁の欲目抜きでも恐ろしく美しかった。この街どころか国一番では無いかと思うくらい。何しろ僕は今に至るまで彼女より美しい人に会った事がない。微笑み一つで国を滅ぼした美姫の昔話を聞いた事があるが、もし実在していたら彼女の様な人なのかも知れない。
対して僕はこれといって目立つ所が無い凡庸な男だ。相手なんて選び放題の筈の彼女が他の男には目も向けず、どうして僕に執着するのか分からない。
いつだったかそう溢した所、感情の抜け落ちた顔で、誰に言われたのか、どんな危害を加えられたのか、相手は何人だったのか3時間に渡り尋問を受けた。やっとの思いで誤解を解きフラフラになっている僕に、彼女はいつもの如く謎の上から目線で告げた。
「私が私の意志で貴方を見つけ、共にいる事を選んだのです。私の決定を覆すなど誰であろうと赦しません。例え貴方自身でも。
こうして合間見えたからには二度と逃さないので、そのつもりでいなさい。」
僕の許嫁は前世覇王か何かだったのだろうか。僕以外の前では決してしない、高慢で艶然とした笑みを浮かべる彼女を見て、僕は益体もない事を考えた。
ここまで聞いていると彼女の事を随分と強引だとか、性格が悪すぎるなどと言う人が居るかもしれないが、僕は嫌な気分になった事は一度もない。
勉強が苦手で居残りを命じられた僕に嫌な顔一つせず付き添い、噛み砕いて分かりやすく教えてくれた。拙いオルガンの演奏を茶化すでもなく、そらで弾けるようになるまで根気強く付き合ってくれた。何だかんだで面倒見が良いのだ。何だか僕はずっと前から其れを知っていた気がする。
そう言えば、生来丈夫な僕は体調を崩した事が無いが、一度だけタチの悪い風邪に罹り三日程寝込んだ時がある。
目を覚ました時最初に視界に入って来たのは、涙に濡れた紫水晶だった。余裕ぶって僕を振り回す何時もの姿は見る影も無く、僕の左手を力なく握り、静かにほとほとと涙を流していた。境界が揺らいで掻き消えそうな程危うく儚げな彼女を見て、僕は何故だか強く思った。
二度と彼女を置いて行ってはいけない、と。
♦︎
「エド!もう時間ですよ。皆待っています。
娘の結婚式に遅れる父が何処にいるのですか⁉︎」
物思いに耽っていた僕を現実に引き戻したのは、扉を開けて入って来た妻だった。
今日、僕達の末の娘マリアが遠くの街に嫁ぐのだ。梅雨時と言う事もあり、このような晴れがましい日であるのに外は土砂降りだった。娘の前途を示しているかの様で気が滅入る。溜息をつき馬車に乗り込む私に妻が語りかける。
「心配しなくても今から晴れますわ。」
そうは言うが、やはり心配は尽きない。故郷から遠く離れた場所で一人、あの子は大丈夫だろうか。嫁ぎ先は老舗のパン屋を営んでいる。慣れない仕事に苦労する事も多いだろうが、これ程離れていては直ぐに手を貸しに行くことすら出来ない。
「そう言えば、ずっと昔西の国であったじゃないか。全てを捨てて平民と結ばれた王子。パン屋になったと伝え聞いているけれど、王族が平民の暮らしに適応できる筈がない。
あぁ、あの子は大丈夫だろうか?」
雨が降りしきる窓の外を見つめながら妻が話す。
「ーーこんな話を知っていますか?
世界から国を滅ぼすよう使命を受けた化け物がいました。狡賢い化け物は人間の姿をとり、何食わぬ顔で周囲に溶け込んでいたので、皆気付きません。
ある時化け物は己の正体を見破る者に出会います。実の親ですら見破れなかった本当の自分を初めて見つけて貰えたのです。化け物はとても楽しくなり、怯える人間の側で無理矢理暮らす事にしました。人間を揶揄いながら暮らすうち、化け物はいつしか己の使命を忘れかける事さえありました。
ある日の明け方、人間は化け物の隣で動かなくなりました。どれだけ声を掛けようと、揺さぶろうともう二度と目を覚ます事はありませんでした。
化け物は泣きました。泣いて泣いて、その亡骸の傍にへたり込みました。力が入らないのです。千の人を踏み潰そうとした足も、万の人を喰らおうとした手も動きません。化け物は漸く悟りました。己はとっくの昔に人間になってしまっていたのだと。」
「聞いた事の無い話だね。けれど結局化け物は救われていないじゃないか。愛を知ってしまったばかりに非力な人間なんかになってしまった。」
窓の外を見遣る妻とは目が合わない。
やはり雨は止まないのだろうか。
「ーーずっと遠くの古い古いお話ですもの。知っている人など殆ど居ないでしょう。それにまだ続きがあります。
国を滅ぼす事が出来なくなった化け物は、代わりに国を守りました。人間の愛した国を彼の代わりに守りました。決まりを破った愚か者には多くの災厄が降り掛かりましたが、化け物は一人ではありませんでした。人間との間に成した子や孫、そして頼りになる仲間がいたからです。
こうして人間になった化け物は皆と力を合わせて国を守り切ったのでした。めでたし、めでたし。」
話を締め括ると妻は窓のカーテンを閉めた。
「愛は人を脆く弱くします。けれど同時に何より強くしなやかにもします。その何方も愛の持つ側面ですわ。
マリアには彼がついています。一人ではないのです。心配なさらなくてもあの子は何者にも負けませんわ。それに娘の危機にこの私がただ手をこまねいているとでも?
ーー因みに意外と小器用だった彼の元王子は、三男五女に恵まれパン屋の主人として幸せな生涯を過ごしたそうですよ。複雑な間柄だったとはいえ、代わりに即位した弟が目立たぬよう守っていましたから。これもまた一つの愛の形なのでしょう。」
まるで見て来たかのように話す妻を見ていると、馬車がガタリと揺れた。どうやら教会に着いたようだ。馬車の扉が開かれ、先に降りた妻が振り返る。
「言ったでしょう?今から晴れると。今日は私達の娘のハレの日なのですから。」
雨上がりの柔らかな日差しの下、彼女が僕に微笑む。一等愛しい者を見る目で、紫水晶がキラキラと細められる。その色に何故だか泣きそうになって、僕は妻に、アデルに駆け寄り強く抱きしめた。
彼女が耳元で小さく囁く。
ーー愛とはこの世で最も強く美しいものですわ。私は其れを良く知っているのです。ずっと前から。
雨雲はいつしか彼方に去り、何処までも続く青空が広がっていた。辺りに教会の鐘の音が響き渡る。幸いあれ、と。
死別エンドが辛すぎたので、転生ハピエンにしました。
エドワードの没後、トーリス王国を襲った様々な災厄は彼女が明確なルール違反(国を滅ぼす存在でありながら、国を守ろうとする)をしたからですが、来世で幸せになっているのは世界からのご褒美のようなものです。
わざわざ滅ぼす者と救う者を用意するなんて、彼等が互いに死力を尽くして闘う所を見たいからですよね、という話。迷い、嘆き、苦しみながら、足掻き続けた彼女の一生は「彼ら」にとって極上の娯楽だったでしょうから。