第27話 半日
その子供は、半日後、吐いた。
母親が、宿の裏まで走ってきた。息を切らして、俺の腕を掴んだ。
「先生! あの子が、吐いて、それで、呼んでも起きなくて!」
俺は、荷を掴んで走った。
指物師の家の三軒隣。子供は、寝床に横たわっていた。
瞳を確かめる。
左が、大きい。
------出血している。
頭の中で、血が溜まっている。溜まった血が、脳を押している。押された側の瞳が、開いたまま戻らなくなる。
前の世界なら、頭蓋を開けて、血を抜く。
急性硬膜外血腫。時間との勝負だが、開けさえすれば助かる率は高い。数時間以内なら。
俺は、道具を見た。
四本の刃物。糸。針。
------頭蓋骨を開ける道具が、ない。
穿頭。頭の骨に穴を開ける。そのための錐が要る。骨を削る道具が要る。前の世界には、専用の器具があった。
ここには、ない。
「先生! 先生、この子は!」
俺は、母親の顔を見た。
言うべきか。
言えば、この母親は絶望する。言わなければ、希望を持ったまま、子供が死ぬのを見る。
------事実を言う。
俺は、そう決めた。
「頭の中で、血が、溜まってる」
「そんな......でも、傷は治って」
「外だけだ」
「じゃあ、じゃあ、どうすれば」
「骨に穴を開けて、血をぬく」
母親が、絶句した。
「そ、そんなこと、できるんですか」
「道具が、ない」
俺は、正直に言った。
「今から、作らせても間にあわない」
母親が、崩れた。
俺は、その場に立っていた。
立って、考えていた。
錐はある。大工が使う錐だ。この街は指物師の街だ。木に穴を開ける錐なら、いくらでもある。
だが、木と骨は違う。木用の錐で頭蓋を開ければ、突き抜ける。突き抜けた先には、脳がある。
------深さを制御できない。
止める仕組みが要る。ある深さで自動的に止まる仕組み。前の世界の穿頭器には、それがあった。
いま、作れるか。
------作れない。時間がない。
俺は、拳を握った。
その時、戸が開いた。
昨日の、少女だった。
「話は聞きました」
彼女は、息を切らしていた。走ってきたらしい。
「もう一度、祈ります」
「無駄だ」
「なぜ!」
「外の傷は、もう、塞がってる。治すものが、ない」
少女が、俺を睨んだ。
「やってみなければ、わかりません!」
そして、子供の頭に手をかざした。
「主よ。この者を癒し給え」
光が、灯った。
子供の頭。既に塞がっている傷の上で、光が、行き場を失ったように揺れた。
そして、消えた。
何も、起こらなかった。
少女の手が、震えた。
「もう一度」
「やめろ」
「もう、一度です!」
二度目。三度目。
同じだった。光は灯り、揺れて、消える。子供の呼吸は、少しずつ、乱れていく。
四度目の途中で、少女は、膝をついた。
顔が、白い。
魔力を使いすぎたのだ、と俺は理解した。祈りは、無限には撃てない。撃てば、撃った者が消耗する。
「もう、やめろ」
「まだ…」
「やめろ。あんたが、倒れる」
俺は、彼女の腕を掴んだ。
彼女は、抵抗しなかった。抵抗する力が、残っていなかった。
子供の呼吸が、間延びしていく。
母親が、名前を呼び続けている。
俺は、その傍らに座った。
座って、待った。
俺にできることは、それだけだった。
子供は、夕方に死んだ。
母親が泣き崩れる中、少女は、部屋の隅に座り込んでいた。
顔が白いままだ。手を握りしめている。
俺は、その隣に立った。
「あんた」
「…」
「魔力の使いすぎだ。少し、食べたほうがいい」
彼女は、答えなかった。
しばらくして、こう言った。
「なぜ」
「なにが」
「なぜ、癒されなかったのですか」
俺は、彼女を見下ろした。
来た、と思った。
これが、この少女の分岐点だ。
ここで「私の信仰が足りなかった」と言うなら、この少女とは組めない。「この子の信仰が足りなかった」と言うなら、なおさらだ。
だが、彼女は、そのどちらも言わなかった。
「なぜ」
彼女は、もう一度、そう言った。
「傷は、癒えたのに。私は、確かに癒したのに。なぜ、この子は死んだのですか」
------問うた。
俺は、その言葉を聞いて、自分の中で何かが動くのを感じた。
この少女は、「なぜ」と言った。
「祈りが足りなかった」ではなく、「なぜ」と。
「教えてやろうか」
彼女が、顔を上げた。
「…何を」
「なぜ、死んだか」
「…あなたにわかるのですか」
「わかる」
俺は、しゃがんで、彼女と目線を合わせた。
「祈りも、薬も、外から、治す。一番外の、皮から先に塞がる」
「…はい」
「塞がったら、そこで、止まる。中までは届かない」
彼女の目が、揺れた。
「この子は頭をうった。外の皮が切れた。中の細い管も、切れた。そしてあんたが祈った。外の皮が、塞がった」
「......」
「中の管は、切れたままだ。でも、外が塞がってるから、外に出られない。だから、頭の中にたまった」
彼女の唇が、動いた。声は、出なかった。
「たまった血が、中から押した。だから目がおかしくなって、吐いて、起きなくなった」
「…そんな」
「あんたの祈りは、効いた。ちゃんと、効いた」
俺は、言った。
「効いたから、この子は、死んだ」
彼女が、俺を見た。
その目から、涙が、落ちた。
俺は、それを黙って見ていた。
残酷なことを言った自覚は、あった。
だが、嘘をつくよりは、遥かにましだ。
嘘をつけば、この少女は、明日も同じことをする。同じ機序で、同じように人を殺す。そして、そのたびに「なぜ」と問い続ける。
答えが与えられなければ、いつか、問うことをやめる。
やめた者は、こう言うようになる。
「なぜ」と問い続けるのは、つらい。答えが、返ってこないからだ。問うほど、自分の無力が、際立つ。
だから、多くの者は、いつか、問うのをやめる。やめれば、楽になる。楽になる代わりに殺した理由を相手の落ち度に付け替える。
------信仰が足りなかったのだ、と。
「あなたは」
彼女が、掠れた声で言った。
「なぜ、それを知っているのですか」
「数えたからだ」
俺は、懐から、帳面を出した。
紙の束。汚れた包み紙の裏に読めない文字で埋め尽くされた、千枚を超える記録。
「これに全部、書いてある。だれが、どんな傷で、なにをして、どうなったか」
彼女は、その束を見た。
「…読めません」
「読めなくていい。数えた、ってことだけ、わかればいい」
俺は、帳面をしまった。
「あんた、名前は」
彼女は、しばらく黙ってから、答えた。
「…リィシャ」
「クレイだ」
俺は、そう名乗った。
「あんた、明日、暇か」




