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カツン、と気高いヒールの音が夜の廊下にこだました。
「ごきげんよう、ハンナ・シェルトンさん」
誰もいない静かな廊下の先、小さなランプを持って歩く女性の背中に声をかける。
するとその人はビクリと大袈裟に肩を震わせて、恐る恐るこちらを振り返った。
「あ、貴女様が何故ここに……!」
まるで化物でも見るかのような表情でこちらを見つめるハンナに、私は少し笑って口を開く。
「あら? ここはわたくしの婚約者の家よ。わたくしがいたらおかしい?……それとも何かわたくしがいたら良くないことでもあるのかしら」
家というか王宮であるが。
そもそも今日は先述した通り王宮内で会食が成されている日である。普通であれば第二皇子の婚約者である私も呼ばれているはずなのだが、まぁ、お察しの通りで。
そのお陰でドルシェの部屋を調べたり、それから今夜起こるであろうイベント──ドルシェとパルシアの浮気現場の目撃を回避したりできるのだから、逆に好都合であったのだが。
「ふぅ」と億劫さを隠すこともせずため息をつく。
普段のミレイユからは想像できないであろう仕草にハンナは訝しげに眉を寄せた。
ハンナ・シェルトンはドルシェ専属のメイドである。見目も良く年若い彼女は半年ほど前から王宮に仕えているらしく、いわゆるドルシェの“お気に入り”というやつだった。
そして彼女が、最後のピースだ。
「いろいろ調べさせてもらったわ。もちろん、ドルシェ様との関係もね」
「……ッ!」
ひとえに“お気に入り”と言っても、ハンナの場合はそういう意味のお気に入りだった。
彼女は従事を始めた半年前からずっとドルシェと肉体関係にあったのである。
というのは王宮の使用人たちの間では有名な話で、少し聞き込みをすれば簡単に調べがついた。
ミレイユと婚約を結んだのが2年前で、パルシアとの関係が始まったのも同時期。
つまりドルシェはこの半年間、三股をかけていたのだ。
しかも原作「ゆりかごの面影」ではパルシアとミレイユの間で不貞事実の共有があっても、ハンナの存在は明かされていないのだから驚きである。
ドルシェは“そういうこと”に対しては無駄に徹底したところがある男だった。
そしてハンナ自身も、とある秘密を隠している。
警戒したようにこちらをランプで照らすハンナに、私は「本題に入りましょう」と紫の瞳で彼女を見据えた。
「あなた、お腹に子どもがいるんでしょう? ドルシェ様との間に出来た子が」
「な、なぜそれを……!?」
「少し調べれば簡単にわかることだわ。歩き方ひとつ、身のこなし方ひとつに人間は証拠を残すものなのよ」
使用人たちの間で噂になるほど激変した食生活。少し前屈みになって腹を庇いながら進む歩き方……など、その他の不自然な点を組み合わせて導き出させる解はそれだけだった。
そして以上のことから、ハンナは胎児の健康等に非常に気を使い、大切にしていることが窺える。ハンナはその腹に宿した子を産むつもりなのだろう。
だが。
「ドルシェ様の正妻がわたくしなら側女にでも何にでもなれからもしれないけれど、残念ながら相手はあのパルシア・エスティアナよ。あなたとドルシェ様の関係が知れれば、あなたも、もちろんそのお腹の子もタダでは済まないでしょうね」
「そ、そんな……!」
パルシアは非常にプライドが高く、嫉妬深い女である。そしてあまりに残忍な性格をしていた。
いち使用人がドルシェと関係を持ち、あまつさえ子をつくったなど許されるはずもないだろう。激昂して、腹の子どもごと殺される可能性もゼロではない。
ハンナも同じことを考えたのだろう。
顔色を真っ青にしてガタガタと震え始めた。
そんな彼女に、私は勤めて優しく声をかける。
「ハンナ・シェルトン。わたくしに協力して頂戴。そうすればあなたとお腹の子の命だけは助けてあげるわ」
そう、命だけは──
微笑んで差し出した手のひらに、二人分の温度がそっと重なった。




