29.父の描いた『肖像』
まんまる月夜に微笑む肖像。
月明かりに照らされ、蒼いドレスの知らない女性が柔らかな微笑を浮かべている。その絵の下に隠された少女の微笑を思い出し、リズは唇を綻ばせた。
本物のエドワード・ランカの『微笑』はここにある。
誰の手も加えられず、父が描いたまま、父が望んだままの状態で、リズの部屋に飾られている。
満足して、リズはクルリと踵を返す。
「リズ、また仮面の騎士が必要なら言うんだよ! パパ、がんばっちゃうから!」
部屋を出ると、待ち構えていたセドリックが嬉しそうに身を乗り出してくる。
あいかわらず、うるさい養父だ。
「いらないよ。余計な真似するな、もう若くないくせに」
「失礼な。まだピチピチの二十歳です☆ リズのお相手も出来」
「うっさい、二十八のクソオヤジ。なんの相手だ」
「具体的には、あんなことやこんなことで、キャッキャウフフ?」
「言わんでいい!」
しかも、具体的でもない。
言わんとすることはわかるのだが、馬鹿らしすぎる。
「だいたい、若い頃は天才剣士だったとか、元々バートン家は軍事家系だったとか、初耳だったんだが。胡散臭く隠しやがって」
「あれ? 言ってなかったっけ? 知ってると思ってたよ。ごめんごめん。でも、もう引退しちゃったのはホントだから」
「どうだか」
「ホントだよ。今回みたいに、リズのために役立てばいいと思っている程度さ。隠れた特技だとでも思っていてくれたまえ」
「特技ねぇ……」
さり気なく擦り寄ってくるエロオヤジを蹴り飛ばし、リズは結い上げていたストロベリーブロンドを解く。そして、コルセットの紐を緩めた。
「リズ~。お馬鹿な伯爵さまなんて放っておいて、早くお菓子をもらいに行きましょうよぉ~!」
どこからかメイが飛んできて、嬉しそうに羽を動かした。
メイは甘い表情でリズの髪をまとめやすい三つ編みにしていく。早く行きたいという、彼女の意思表示である。
「急かすなよ、夜は長いぞ?」
リズは唇の端をつりあげながら、マスクを取り出す。
そして、一気にドレスを脱ぎ捨てた。
闇夜を切り裂く、青いマントがひるがえる。
† † † † † † †
今日もどこかで、少女は駆けているのだろうか。
アトリエから満月を見上げて、キースは緩やかな笑みを描いた。
手にしているのは絵筆と、色の詰まったパレット。傍らの作業机には、猫の紋章が彫り込まれた金貨が置かれている。
あれから、キースはまた自分の絵を描くようになった。
贋作ではなく、キースが描きたいものを描いている。
やはり、キースが描く絵は誰かの画法を真似てしまい、誰かの描いた絵と同じ印象を与えてしまう。どう足掻いても、凡作だ。
それでも、これをキースの絵だと言ってくれる人がいる。
絵筆を取って、好きなものを好きなように描く喜びも思い出すことが出来た。先日、新しく描いた絵に、安価だが買い手もついたところだ。
やはり、絵が好きだった。
ウィルも、それを思い出すことを望んでいたのかもしれない。きっと、そうだと思えるようになった。
「良い月だね」
誰に言うでもなく、闇に消える言葉。燭台の灯りが、ゆらゆらと手元を照らしている。
窓から、四角い箱のように区切られた庭の夜空を見上げた。
その瞬間に、なにかが部屋の内側へと飛び込む音がする。
煌めきの音色を奏でるのは、猫の紋章が刻まれた金貨だ。
キースはすぐに立ち上がり、空をよく見ようと窓から顔を乗り出した。
大きな月を背景に、何者かの影が素早く横切る。屋根から屋根へと飛び移るように跳ねる影を見て、自然と笑みがこぼれた。
「あいかわらずだ」
部屋の中に視線を戻すと、描きかけの絵画が燭台の燈に照らされている。
キースは再びキャンバスの前に腰を降ろすと、筆を使って丁寧に色を乗せていった。
月夜を疾風のごとく切り裂く怪盗の姿を描きながら、キースは満足げな笑みを湛えた。
まんまる月夜に響くのは軽快な足音と、煌めきの金貨が弾ける音色。
その音を奏でながら、影は進む。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
のろのろとはしていますが、これからも隅っこで活動していきますので、よろしくお願いします。




