37-1話:母の愛に包まれて
(っ ´-` c)ママ〜……
ママの出番ほしいんですけどね。
あなたの出番は第二幕からです。
わたしは今、鬱蒼とした森の中を駆けている。
リラと歩いていた時とはまるで違う、なんの温もりも感じない迷路のようだった。
ザワザワと囁く木々の声が、自分の心の騒めきと共鳴して責められているように感じてしまう。
――わたしは怒っていた。
いったい何に?
わからない。わからないから、余計に苛立ちが胸の底から湧き上がってくる。悔しくて、悲しくて、どうしようもなく嫌気がさす。
あの時はエフェリアのいた花畑までかなりの時間がかかったけれど、牝鹿の脚で駆けてしまえば、ものの数十分で花畑に差し掛かれた。
なるべくエフェリアの家族である花を踏み潰さないように、隙間を跳ねながら通っていく。
チリリ、チリン。と、わたしが通り過ぎて風を起こす度に鈴のような音を出す。
何をそんなに急いでいるのか、危ないじゃないかと言われているような気がする。
けれど、正直、わたしにはあなたたちのことなんてどうだっていいんだ。雑踏の中ですれ違う人々と同じで、いちいち謝ろうとも思わないし、止まってなんていられない。
それでもかわいらしい花を傷付けないように、細心の注意を払いながら足を付ける。
自分の魔力の気配を追って、ついにいつかトレントと戦った場所へと辿り着いた。
以前生み出した魔氷晶はなくなっていて、切り株にはスポットライトのように一筋の太い光が射し込んでいた。その周りをには小さな白い花が一面に咲き誇り、優雅に揺れていた。
そしてなにより。
――森の歌姫のような美しい乙女が、ライアーを持って切り株に座って歌っていたんだ。
森の動物たちに囲まれて、夢想曲のように穏やかな歌を口ずさんでいる。
優しい声だった。
優しい音色だった。
まるで母が子供に子守唄を歌っているときのような、愛に満ちた歌だったんだ。
わたしはその広場の入口で、木陰に身を隠すように踏み入るのを躊躇していた。
脚が竦んで動かないようだった。
この先に進んでしまったら、もうこの歌が聴けなくなってしまう。そんな予感がしたせいだ。
誰もが持っているような、彼方の記憶の中にある母の面影。昼下がりに母の温かな手が身体を優しく揺さぶり、穏やかな眠りへと誘なってくれたかの日。
その懐かしい記憶が呼び起こされるようだった。
――邪魔したくない。
そんな気持ちになってしまう。
さっきまで感じていた煮え滾るような怒りは、いつのまにか収まっていた。
わたしは後退りをして、木の枝を踏んづけてしまった。
バキッ――と。
動物たちがその音に気が付いて、一斉にわたしの方を向いた。そして、森の歌姫のような美しい乙女が、ゆっくりとわたしの姿を認める。
「いらっしゃい――」
「怖がらないで――」
大きくない声のはずなのに、わたしの耳まで突き抜けるようにハッキリと聞き取れた。わたしは戸惑いつつも、ゆっくりと脚を踏みだした。
木陰のヴェールから身を露わにして、牝鹿の下肢に人の身体を持った、鹿娘の姿を晒す。整えてもいない長く白い髪に、優美なネグリジェを纏った姿で。
動物たちが逃げ出さなかったのは、わたしが精霊の類だからだろうか。それとも、動物の下肢を持っていたからだろうか……。
「まぁ、かわいい仔……」
「もっとよく、お顔を見せて?」
わたしはゆっくりと近づいて、歌姫の前に座った。
森の歌姫のような美しい乙女――きっと、彼女が『ママ』なのだろうと、ひと目でわかる。わからせられた。
長く尖った耳を持っていて、少し垂れて優しそうな黄金の目をしている。森の賢者――エルフを思わせる容姿だと思った。
彼女の緩やかなウェーブのかかった若葉色の髪は切り株に垂れて広がっていて、その木が蘇った新芽なのではないかと思ってしまうほどに美しくしなやかな髪だった。
彼女はリラも着ていたような、キトンのような服を身に纏っている。美しい身のこなしも相まって、より繊細で品のある、女神と言っても過言ではないと思わせるようなヒトだった。
「――あの仔と同じ目をしている」
「あのコ……? リラを知っている……んですか?」
「えぇ、もちろん――わたくしの愛しい仔たちだもの」
その美しいヒトはわたしの頬を我が子を慈しむように優しく撫でた。
わたしは一瞬、身を竦わせたけれど、その手はとても温かくて、今まで感じていた昏い感情は日に当てられた影のように霧散していってしまった。
その温もりがとても心地よくて、わたしは無意識にもっと撫でてほしいと乞うように背筋が伸びて、顔があがっていた。下肢に付いている丸い尻尾は正直なようで、フリフリと震えていた。
それに気が付いて、わたしは顔が紅くなって痒くなる。
わたしがこの美しいヒトを見ないことで、わたしの姿が消えるわけでもないのに、そっぽを向いて知らんふりをしようとする。
イヤだけれど、イヤじゃなくって、ずっとしてほしいと思うのに、今すぐ止めてほしいとも思ってしまう。様々な感情が心の中で渦巻いて、沸騰して溢れてしまいそうな感情をむりやり冷やそうとしている鍋のようだと思った。
「あっ……あのっ……!」
わたしは真っ赤になった顔で、そっぽを向いたまま抗議の声を上げた。
「わ、わたし……あなたに訊きたいことがあって来ました……」
「やっぱり……そうだと思ったわ」
「会いに来てくれて嬉しいわ」
「けれど、その前に……わたくしも伝えたいことがあるの」
わたしは前に向き直って彼女を言葉を待つように、少し上目遣いになって待っていた。
「あなたに謝らなければいけないと思って……」
「あの仔と、あなたに。痛い思いをさせてしまってごめんなさい」
「赦してくれるかしら」
「その……なにかありましたっけ……」
赦すもなにも、わたしはこのヒトがしてしまったことを知らない。知らないのに、赦すことはできない。
わたしだけならまだしも、リラにも関係すると言うなら、なにも知らないのに赦すというのはあまりにも無責任だと思う。
「あの仔と一緒にいてあげられなかったこと――」
「この仔を使って、あなたを傷つけてしまったこと――」
その美しいヒトは座っている切り株を撫でた。その姿は長い睫毛の目を伏せて、とても悲しんでいるように見えた。
「わたしのことは……構いません、なんとなく理由はわかっているので」
「森を護ることがあなたの役目なら、この花たちを粗末にしたわたしはそうあったべきでしょう?」
そのヒトは静かに頷いた。けれど、その顔は俯いたままだった。
「リラのことは――」
「………………」
「あなたはどうして、リラの側にいてくれなかった、のですか?」
「あの仔はリラと言うのね……あなたがお名前を付けてくれたの?」
美しいヒトは彼方を見て、口を綻ばせた。
……今、このヒトはワザと話を逸らした。
「――はい、わたしが付けました」
「小さな白い花のように、愛されてほしいから……」
「いい名前ね」
「――あなたは?」
美しいヒトはわたしに向き直って、優しく問う。
「わたし……?」
「わたしは……サフィ」
「サフィ――」
「ありがとう――」
わたしは彼女に徐ろに抱き寄せられて、その温もりに包まれた。否定するには充分な時間があったのに、わたしはその温もりを、愛を拒絶することは、ついにはできなかった。
「あっ――」
わたしは抱き返すこともできず、ただただ、その場で固まってしまっていた。
うるさいくらいに胸が高鳴って、張り裂けてしまうのではないかと錯覚した。
彼女からはとてもいい匂いがする。お母さんの匂いだ。お日さまとお花の、温かい匂い。彼女の柔らかな髪がふわりと香って、鼻腔をくすぐる。
――温かい。
リラと抱き合ったときとはまた違うような、なにもかもを任せてしまって、眠りに就きたくなってしまうような温かさ。どんな哀しみも、どんな怒りも優しく包んで赦してくれるような母の温もりだ。
優しく背中を叩かれて、頭を撫でられる。
何年ぶりだろうか。
お母さんの腕に抱かれたのは。
何年ぶりだろうか。
お母さんに甘えてしまったのは。
人間はあまりにも脆い。だと言うのに、他人の愛に直接触れず、ひとりで耐えようとする。愛されることを恥ずかしいことだと勘違いして、自分は大人だからと強がるんだ。
誰だって、誰かの腕に抱かれて慰められることを願っているクセに、ひとりで生きようと無理をする。
いったい、それのなにが立派だというのか――。
わたしは大粒の涙を流していた。
なぜ?
わからないんだ。
わけのわからない感情が押し寄せて、喉から嗚咽となって漏れてくる。声が震えて、うまく呼吸ができないんだ。今のわたしには、そんなものはないはずなのに。
「――もう、大丈夫よ」
そう言われて、わたしの心の中の波は壁を壊して溢れ出したんだ。我慢していた声が留めなく溢れて、熱い涙が溢れていく。
「うぅぅ……あぁぁぁぁ……! ……っ!」
わたしは母に抱きついて、情けなく、子供のように泣いていた。
「――もう、怖くないわ」
そう。そうだ。わたしは怖かったんだ。
知らない場所に放り出されて、生きていかなければいけない。怖くないわけがないんだ。
わたしにはリラが、エフェリアがいてくれた。けれど、ひとりではなかったとしても、わたしはもう大人だから。そう言って、守ろうと必死になる。助けてくれる誰かなんていなくって、弱さを見せても赦してくれる誰かなんていなくって。
――情けない。
リラの方が、もっと、もっと怖くって。ずっと、ずっと寂しかったはずなのに。これくらいのことで心の奥底では音を上げていた自分が恥ずかしいんだ。
でも、それでも。今だけは赦されるような気がして、わたしは泣いていた――。
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