102話:町並み
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仕立て屋さんを出て、大通りを歩いている。建ち並ぶ建物は白い壁に朱い屋根のオシャレな家屋だ。湖の上を繋ぐ橋の上を歩いていると、水の音が聞こえてくる。柵から少し身を乗り出して湖を覗くと水面にわたしの影が映し出され、それに驚いた魚が身を翻して遠くへ泳いで行くのが見えた。
水は澄んでいて、湖畔に近いのに底が見えないほどに深いようだった。落ちてしまったらひとたまりもないけれど、今は水を司る精霊であるわたしは、潜って泳いでみたい欲に駆られていた。
リラと一緒に水中遊泳を楽しむのも悪くない。きっと、リラは見たことがない魚たちと友だちになって夢中になるはずだ。魚がそんなリラの周りをゆっくりと泳ぐ姿を想像して、人魚姫のようだと思っていた。
橋の柵は意匠の凝らされた職人の愛が垣間見える芸術作品のようだった。効率や費用を考えず、美しさを追求する人々の熱意はとても尊敬してしまう。そんなものが町の至る所に存在していて、なんでもないただの散歩でもとても楽しく過ごせるんだ。
道端の花壇には真っ赤な小さい花が植えられていて、町を彩っていた。
そよ風が吹く度にその身体を揺らして、漣のメロディに合わせているようだった。
道行く人々の喧騒や靴が地を蹴る音も、今ではひとつの音楽として町を賑わせ、お祭りが開かれているのではないかと思わせる。通りにずらりと並ぶ市場へと向かう人々の顔は、みんな笑顔だった。
決して大きい町ではないけれど、町は活気に溢れているように見えた。
リラやシャナもその熱に浮かれるように、その花のような顔に笑顔を咲かせていた。
わたしは胸の裡にあった、ちょっとした不安が解れていくのを感じていた。
もしかしたらリラやエフェリアは、町の喧騒が苦手なんじゃないかって考えていたんだ。今までずっと、あの泉で、森でひとり過ごしてきたリラやエフェリアは、大きな音や聞き取れない音が苦痛に感じてしまうかもしれない。慣れない土地や目まぐるしく変わる景色に疲れてしまうかもしれない。
そんなことを心配していた。
けれど、幸いなことにその心配は杞憂に終わった。
リラとエフェリアのふたりは初めて見る人の世界に興味が尽きないようだった。今も辺りを見渡しては、楽しそうなものを見つけて咲っていた。
リラと繋いでいる手は上下に揺れて、離れてしまわないように力強く握られている。その手に感じる温もりが、リラの感じている喜びをわたしに分け与えているようにさえ感じていた。
わたしたちは今、既に幸せの真っ只中にいるけれど、これで終わりなんてことはない。楽しみにしていたお出かけはまだまだこれからで、始まってすらいないんだ。
今感じている幸せよりも、もっと幸せになれる。そう考えただけでも笑顔になってしまう。
大好きなみんなとオシャレな服を着てお出かけをして、美味しいご飯を食べて、一生忘れられないような思い出を作る。なんて贅沢な時間なのだろうか。
すべてが夢のようで明るくぼやけ、いつの間にか忘れてしまっているんじゃないかという不安が芽生えてしまうくらいに、わたしは今日という日をいつまでも憶えていたいと感じていた。
見覚えのある大きな建物、ギルドが見えてきた。
整備された歩道の境目に等間隔で立ち並ぶ街頭の騎士たちが太陽に照らされている。後ろから馬車が蹄を鳴らして過ぎ去っていけば、手綱を引かれて嘶く駿馬は目的地に着いたことを御者に知らせていた。
馬車の扉が勢いよく開け放たれ、艶やかな長い黒髪を持った少女がギルドへと駆けていく姿が見えた。
こういうトラブルのような場面に遭遇するのも、害が及ばなければ少し心が踊ってしまう。人々が日常を過ごしている姿を目に捉えるのはなんとも微笑ましく感じるんだ。戻ってこられたのだ。と。泉にいたときは、わたしたち以外は誰もいないんじゃないかという不安を抱いていた。けれど、こうして同じような人の姿を目にしているだけでなんともいえない安心感に包まれる。
「さっきの子、大丈夫かしら。ともかく、私たちは荷物を置きに戻らないとね。なにかのトラブルだったら、他のギルド職員が解決してくれるわ。私たちは私たちの一日を楽しみましょ」
受付嬢さんはギルドの扉を開けて、わたしたちが泊まっている部屋まで着いてきてくれた。部屋に今まで着ていた服を畳んで置いて、手ぶらになって部屋の前に集まる。エリアーヌも隣の部屋から戻ってきて、また全員が集合した。
行きも、帰りも受付の前にさっきの少女は見当たらず、トラブルを感じさせるような声も聞こえてこなかった。もしかしたらただ急いでいただけなのかもしれない。
「もうそろそろお昼になっちゃうわね。お昼はどこで食べたい? 湖の近くのお店か、丘の上のお店。どっちもオススメよ」
「イドニアのオススメはどっち?」
「そうね……どちらかといえば、丘の上かしら。湖の近くのお店は定番のいいお店だし、湖もとってもキレイに見えるのよ。でも、初めて来たなら町と湖が見渡せる丘の上のお店の方が楽しめるかも。どうせこの町に来たら、湖はずっと近くにあるもの。いつでも楽しめる湖を堪能するより、別の魅了も知れた方が良いでしょ?」
確かに、受付嬢さんの言う通りだと思った。わたしたちは既に湖で遊んできてしまっている。それなら、もっと別の魅力を楽しめる場所の方が楽しい思い出を増やせると思った。
初めては定番の楽しみ方をするべき、という人もいるだろう。でも、町を知り尽くしているだろう受付嬢さんが言うことなら間違いないだろうと思うんだ。
「イドニアがそう言ってくれるなら、それが一番だよ。オススメの料理もあるの?」
「もちろんよ。この辺りではやっぱりチーズを使った料理が一番オススメね。昨日のチーズフォンデュも美味しかったでしょ?」
「うん。初めて食べたけど、とっても美味しかったよ」
「わたし、アレ好きよ。みんなで食べられるのが楽しかったわ」
「ふふっ、そうでしょ。チーズフォンデュの魅力が伝わっていて良かったわ。でも、また同じものを食べるんじゃちょっぴり味気ないわよね。だから、今からいくお店ではラクレットっていうお料理がオススメよ」
「それもチーズを使った料理なの?」
「そうよ。半分に切ったチーズのホールの表面を焼いてね、溶けて焦げたチーズをお料理に掛けて食べるの。レシュティっていうお芋のお料理に掛けたらもっと美味しいんだから。そこにね、卵も乗っけてこんがり焼いたパンがあれば完璧よ」
「なにそれ、とっても美味しそう!」
想像しただけでもヨダレが出てきてしまいそうなくらい、美味しそうな響きだった。受付嬢さんが言うには、サラダもあれば油っこさもなくなってペロリと食べられちゃうらしい。
わたしはおしとやかにいることも忘れて、ついつい騒いでしまった。リラもとっても楽しみになってしまったようで、ステップを踏んでいた。
シャナとエリアーヌも食べたことがないらしく、今にも待ち切れないといった風に目を輝かせている。受付嬢さんはそんなわたしたちを見て、まるで妹たちを窘めるように優しく引率してくれた。
「楽しみにしてくれるのはとっても嬉しいけど、周りの人に迷惑は掛けちゃダメよ? おしとやかに、お嬢さんらしく行きましょ」
あなたたちを見ていたら、私まで我慢できなくなっちゃうわ? と、受付嬢さんはちょっぴりあざとくおどけてみせた。
その姿さえとても様になっているのだから、大人の魅力はすごいと思う。
わたしたちは手を繋いで、仲良く丘の上を目指して歩いていった。




