不器用なわがまま
あのパーティーの夜から時は流れ、春になりーー蒼が高校二年生に進級して二週間が経った。
「あーやっぱ蒼と違うクラスなの寂しい。ね、蒼。今は無理だろうけど、落ち着いたらどこか遊びにいこ?」
帰り道、そう言ってきた実咲の言葉に蒼は、うんと答えた。
クラス替えで蒼と実咲は別々のクラスになったのだった。
とは言っても隣のクラスで、体育や選択科目の授業は同じだし、一年の時と変わらず昼休みにご飯を食べるのも放課後帰るのも一緒だ。
ただ、ここしばらく二人で帰りにどこか寄ったり休日に遊んだりすることはなかった。
「ところで…おばさんの調子はどう…?」
少し聞きにくそうに実咲が聞いた。蒼は表情を和らげる。
「すっかりよくなったみたい。昨日の夜にお礼と、もう大丈夫だから遊びにでも行っておいで、って言われた」
二ヶ月くらい前に美智江は腰を痛めたのだった。それはなかなか治らないようで、その日から今日まで蒼は家事の手伝いを以前より専念して行っていた。
「そっか、よかったね」
「うん、ありがと。けどまだ心配だから、遊ぶのはもう少し先かな…。ごめん」
クラスが変わって実咲は少し元気がなさそうだった。最近は夜に電話やメッセージで話を聞いているが、彼女の好きな甘い物を食べに行ってもっと元気づけたいところだ。
「いいよ、分かった。でもたまには息抜きしなよ。ここのところ蒼、勉強と家事ばっかなんだし。散歩するのでもいいから」
「…そうだね」
美智江も自身の代わりに家事をする自分に対して気兼ねしていたようだし、美智江の言葉に甘えるのもある意味彼女の気が楽になるのかもしれなかった。
それから蒼と実咲は電車に乗りーーそれぞれ帰途についた。
降車駅を出て、蒼は家へと歩く。
今日は春らしい陽気で、暖かく柔らかい心地がする。
桜のピークは過ぎたが、まだところどころに咲いていて、可愛らしいピンク色が景色に華を添えている。
気持ちよくて大きく息を吸い込んだ蒼のスマホに、着信があった。
何気なくスマホを見ーー
蒼は立ち止まった。
日向が正式に婚約したという、蓮からのメッセージだった。
こないだ紹介された麗奈だろうか。
ショックでもなく、かと言って祝う気にもなれず、収まるとこに収まったと蒼は思った。
そっか……お似合いだったもんな、あの二人
蒼は歩き出した。
真っ直ぐ家に帰るつもりだったのに、今は何となくそんな気分じゃない。実咲が言ったように散歩でもしようかと、蒼の足はふらふらと家とは別の場所へと向かっていた。
※
その場所に近付くと、違和感があった。
楽しそうな子供達の笑い声が聞こえてくる。今までそんなことなかったのにーー
その場所に着いた蒼は、目を疑った。
そこーー公園は、以前とは見違えるような光景になっていたから。
五人ほどの子供達が遊んでいる。どれも色鮮やかな真新しい遊具で。それらの遊具が浮かない、綺麗に整えられた公園内を走って。
蒼は足を踏み入れた。
花壇には様々な種類の花が咲き、地面にはシロツメクサが生えている。
まるで、昔日向と遊んだーー
「ーーあお、ちゃん?」
蒼は振り返る。
「……ここ…こんなに綺麗になってるなんて、びっくりした。最近来てなかったから……。そうだ、婚約おめでとう。ひな」
蒼は微笑んだ。今目の前にいる日向に向かって。
新しく植えられたらしい常緑樹が、さわさわと揺れる。
「こんやく……?」
まるで初めて聞く単語のように日向が言った。
「うん…ひなが婚約したって、蓮から聞いた」
日向から目を逸らさないように蒼は意識した。日向の視線が刺さる。
「ああ…そういうことか。この公園のことをあいつに話した時、自分に任せろって言ってたけど……」
何か思い当たったように日向が呟いた。そして蒼に聞く。
「あおちゃんは最近、ここに来てなかったんだ」
「…美智江さんが腰を痛めてしまって、家事とかでちょっと忙しかったから…」
「じゃあ今日はどうしてここに?」
「それはーー」
美智江の調子がよくなったからーーいや、それだけじゃない。
だって自分は帰ろうとしていた。まだ美智江の手伝いをするつもりだった。
それなのに自分はここに来た。
辛くなったり淋しくなったりした時に来るこの場所にーー
「婚約はしてないよ」
俯く蒼の耳にそう言った日向の声が聞こえた。蒼は顔を上げる。
「…え……?」
「そういう話は綺麗さっぱりなくなった。それにもう、僕の相手については誰も口出し出来ない」
「え、でも、蓮が……」
話が見えなくて蒼が戸惑っている中、日向が続ける。
「水無瀬の策略だ。多分、美智江さんは腰を痛めてないんだと思うよ」
「…どういうこと…?」
わけが分からない。水無瀬が何を企んでいたというんだろう。
なぜ日向は美智江が嘘をついていたと言うんだろう。
「美智江さんや俊昭さん、新田さんとは数回連絡を取っていたんだけど、そんなことは一言も言ってなかったから…。三人とも水無瀬に何か言われたんだよ、きっと。この公園にあおちゃんを近付けないように」
そう言うと日向が公園内を見回した。
「やっと昨日工事が完了して、僕が今日見に行くことも水無瀬には言ってたし……」
それから日向は蒼に向かって微笑んだ。
「どう? あおちゃん。気に入ってくれた?」
蒼は少しずつ理解してきた。
この公園が見違えるようになったのは、日向が原因だ。
有峰の人間である日向なら、こんな小さな公園の工事を手配することも容易いことに違いない。
自分は工事中ここに来ることはなかった。
心が不安定な時はあった。それでも腰を痛めたと言う美智江の負担を減らすため家事中心で、ここへ来る暇がなかった。
そして、昨日美智江に調子がよくなったと言われ、今日蓮からメッセージが来た。
今、ここに、自分を来させるかのように、タイミングよく。
「……みんな僕をあおちゃんのヒーローにするために、進んで悪役になってくれた。優しい悪役だけど」
何も言わず口に軽く手を当てている蒼に日向が言った。
みんなグルになって自分を騙していた。今日この日のために。
少しも腹が立たない。悲しいというよりみんなの優しさが身に染みて、泣きたくなる。
「あおちゃ危なーー」
蒼を現実に引き戻すように、突然背後にどん、と衝撃があった。
「…あ……」
弱々しい小さな声。蒼の足元に、尻もちをついた男の子がいた。
小学低学年くらいのその男の子の側には、サッカーボールが転がっている。ぶつかって転んでしまった痛みと驚きとでだろう、彼の目は潤んでいた。
「大丈夫?」
蒼は手を差し出した。だが男の子はその手を取らずに尻もちをついたまま、ますます泣きそうになっている。
「何やってんだよ、ゆづ!」
もう一人の男の子が蒼達のもとに走って近付いてきた。すると、
「ひろくんっ」
さっきまで何も喋れない様子だった男の子ーー『ゆづ』というらしいーーが笑顔を見せた。
「ったく、怪我してねぇか?」
「うん、大丈夫」
『ひろくん』と呼ばれた男の子が、ゆづに手を差し伸べて立たせる。それからひろくんは蒼に向かってぺこりとお辞儀をした。
「ごめんなさい」
「…ごめんなさい」
ひろくんの真似をするように、ゆづもお辞儀をして謝った。
「怪我がないならよかった」
そう蒼が言うと、ゆづが俯いてもじもじとした。ひろくんがにかっと笑う。
それから彼はサッカーボールを向こうへと軽く蹴り出す。ゆづが彼を追いかける。
「ひろくん、待ってよ!」
ボールを上手に操るひろくんと、彼からのパスを一生懸命に受け取めるゆづ。
彼らの姿は微笑ましかった。
昔の自分達を見ているようで、愛おしかった。
「あおちゃん」
「ん?」
日向の声に、思わず微笑を浮かべたまま蒼は振り返る。
「僕とーー結婚してくれる?」
優しい声で、優しい表情で、日向が言った。
蒼は言葉の意味が一瞬理解出来なくて、ほうけた顔で日向を見る。
「あ、えと、すぐにって言うわけじゃなくて…あおちゃんのいいタイミングで…僕はいつまでも待つから」
日向が珍しくしどろもどろになっている。
そんな彼の姿を見ている内に、蒼は段々言葉の意味が飲み込めてきた。
日向は馬鹿だ。本当に馬鹿だ。
付き合ってもいないのに、いきなり結婚なんて言い出して。
私と結婚したって、何もいいことないのにーー
蒼は顔を動かし、その一帯に咲くシロツメクサを見た。
思い出す。日向からシロツメクサの花冠を貰ったこと。嬉しくて、大事にしようと思ったこと。
それなのに、
その花冠を恭子に捨てられたこと。
自分が弱くて無力なせいで、
守れなかった、なくしてしまった、幸せを
「昔、ひなが私にシロツメクサで作った花冠をくれたの覚えてる?」
「覚えてるよ。あおちゃんによく、似合ってた」
微笑む日向の顔を見るのが辛い。
「…私、嬉しかったの。大事にしようと思った。でも、でも……捨てられちゃった」
声が震える。けれども構わず、蒼は続けた。
「ごめん、ごめんねひな。せっかくくれたのに。私は、守れなかった…。もうなくしたくないの。ひながくれた幸せを…なくすのが、怖い……」
最後の方はもう、消え入るような声だった。
「大丈夫、あおちゃんはただ望むだけでいい。花冠も幸せもそれ以外のものも。そしたら僕はあげるから。もしなくしたとしても、何度でもあげるから。それが僕のーー」
蒼は俯き、顔を大きく横に振った。
それが僕のやるべきことだーーきっとそう続く言葉を遮りたかった。
いや、彼はそれが自身のやりたいことだと言うかもしれない。
そんなわけないのにーー
自分のヒーローになるために努力した彼は、そういったことが曖昧になっているのだ。義務感がやりがいに変わった。そう思い込んでしまっている。
それに、日向に色々なものを与えられても、自分は何も返せない。
それなのに日向は自分に与え続けるんだろう。それはまるで、自己犠牲のような生き方でーー
日向の人生をこれ以上めちゃくちゃにしたくない。
私が望むのはーー日向の幸せだ。
「ーーよく聞け、あお!」
日向の両手で顔を横から挟まれ、蒼は上を向かされた。
「それが俺の幸せだ」
日向の、怖いくらい真剣な目。
彼の幸せを勝手に決めつけるなと怒っているかのようなーー
その目が、彼の言葉が、あの頃を思い出させるこの場所が、蒼の心を溶かした。
「ひなっ」
蒼は日向に抱きついた。
「…私ずっと、ひなに側にいてほしい。私ずっと、ひなの側にいたい。……側にいて…側にいさせて…」
わがままを言った。今までうまく言えなかったわがままを。
「ああ」
蒼は日向の胸に顔を埋めているので、彼の表情は見えなかった。
だけど彼の声は、本当に幸せそうだった。
日向が蒼を優しく強く抱き返す。蒼の耳元で、彼が囁く。
「やっと言ってくれた…。俺も、あおと同じことを望んでる」




