第十四話 巨大グロブ
留守番を任された美鈴は、軽ワゴン車の側で所在なげに立ち尽くしていた。
いわく言い難い焦燥に胸を焦がされた少女は、苛立ち紛れにアスファルトを爪先で叩く。
彼女が時折感じるこの種の直感は、悪い事柄に限って外れたことが無い。
工場へと赴いた良太の身が案じられ、少女は歯噛みする。
「いや、でも……そんな……」
ぶつぶつと独り言を漏らす美鈴。
不安の原因ははっきりしている。
彼女たちをここまで連れてきた男性、小崎友則。彼の言動が、どうにも怪しいのだ。
生来楽天的で、考えるより先に体が動くタイプの少女は、あまり難しい問題にはあえて口を挟まず、敬愛する幼馴染の少年に判断をゆだねてきた。
今回の工場行きも、一見すると話の筋は通っており、実行する価値のある行動だとは思うのだが、それを持ちかけてきた小崎に、どうしても不信感を覚えてしまう。
「私の勘違い、なのかな……」
初対面の時から微かな不信感はあったのだが、男性とは常に行動を共にしていたため、終ぞ良太に相談することができなかった。
それに、彼を助けようと言い出したのは美鈴である。
自分の我儘で助けた人間を、後になって疑うというのは、お人好しの少女にとっては出来る事ではない。
だが、時間と共に焦燥と恐怖は強まるばかり。
「早く、早く帰ってきて……」
思わずスマホを取り出し、時刻を見る。
良太たちが工場に向かってから、まだ二十分と経っていない。
空はまだ明るいが、秋の日暮れは速い。後二時間もすれば、辺りは完全に闇に閉ざされるだろう。
「~~っ、もう!」
何度目とも分からない悪態を溢し、美鈴が地面を蹴る。その時、
「――っ!」
濡れた布団を引きずるような、びちゃびちゃと耳障りな異様を、少女は聞き咎めた。
「グロブ!」
見れば、道路の彼方、アスファルトの上をピンク色の肉塊がこちらに向けて這いずってきている。
しかも、数が多い。道を埋め尽くさんばかりのグロブの群れは、見えるだけでも数百はいるだろうか。
「っ!」
美鈴は即座に窓から運転席に腕を突っ込み、クラクションを大きく鳴らした。
耳が痛くなるほどの大音量である。きっと工場にまで聞こえただろう。
「逃げなきゃ!」
たっぷり十秒以上クラクションを鳴らすと、次いで美鈴は工場とは逆方向に道路を走り始めた。
グロブが現れた際の対応策は、入念に練ってある。
まずは肉塊どもを車から引き離す。もし車両が壊れてしまえば、たちまち美鈴たちは立ち往生してしまうからだ。
そして適当なところに誘導すると、プリザーブXをビール瓶に移し、ブロックや石などで動かないよう固定する。
そうすればグロブは薬剤に釣られて一所に集まり、しかもガラスを割れずに延々と堂々巡りすることになる。
後は連中の横を抜けて逃げるだけだ。
「よし! ここまで来れば……」
目論見通りグロブの群れが追いかけてきたのを確認すると、美鈴はリュックサックからプリザーブXのボトルとビール瓶を取り出す。
背後から化け物に追いすがられている危機的な状況だが、ここで焦ってはいけない。
美鈴はボトルを開封し、慎重に薬剤を瓶に移そうとする。だがその時、
「嘘……な、何よあれ!」
少女の目が驚愕に見開いた。
グロブの群れとは別方向から、新たな肉塊が現れたのだ。
異常なのは、そのサイズだ。
今まで見てきたグロブは、大きくてもA4用紙程度、二、三キロが精々である。
しかし、道路脇のガードレールを乗り越えて現れたソレは、大きさが畳一枚ほどあり、厚みも部位によっては三十センチもある。おそらく重量は三百キロを優に超えるだろう。
「な……」
しかも、その巨大グロブは美鈴が瞠目するほどの速さで動いた。
「ちょっと待って冗談でしょ!?」
通常のグロブは大人が歩く程度のスピードだが、巨大グロブは大人の疾走に近い速度で地を這いずっている。
狙いは勿論、プリザーブXを手にした美鈴だ。
「ち、近寄らないでっ!」
悲鳴にも似た叫び声を上げながら、少女は来た道を駆け戻る。
少女の俊足を以てしても、巨大グロブはなかなか引き離せない。
そうこうしているうちに、前方には小型グロブの大群が近づいてきた。
「く……」
薬剤を瓶に移している暇など有る筈がない。
少女は逡巡の後、プリザーブXの入ったボトルを道路脇へと投擲した。
薬剤を溢しつつ宙を飛んだボトルは、道路沿いの畑へと落ちる。
途端に肉塊どもは進路を曲げ、津波のように畑へと押し寄せ始めた。
薬剤の誘引力は本物だ。ただ、固定もしていないプラスチックボトルでは、直ぐに中身は消化されてしまうだろう。
「早く逃げないと……」
ともかく、グロブを車から引き離すことはできた。少女は急いで来た道を引き返す。
そうして車へと戻ってきたが、良太たちの姿はない。
「なんで、なんで戻ってこないの!?」
クラクションを鳴らしてから、それなりに時間は経っている。
工場まで距離があることを差し引いても、彼らの方が先に車に辿り着いていなければおかしいのだ。
それに、有事の際は作業を切り上げ、避難を優先すると良太ははっきり言っていた。
「中で何かあったんだ……」
少女の顔から血の気が引く。やはり、自分が感じた不安は正しかったのだ。
少年たちは工場内でトラブルに巻き込まれ、逃げ出せずにいるのだろう。
「――待っててりょーちゃん! すぐに行くから!」
しかし、彼女の心は折れなかった。
美鈴はすぐさま地面を蹴立てて走り出した。
恐怖に涙を流すのも、絶望に身を震わせるのもまだ早い。
愛する少年を救い出すため、少女は放たれた矢のように工場へと向かった。




