第十三話 事務棟へ
降車地点に戻ってみれば、軽ワゴンは変わらずその場に停まっていた。
「りょーちゃん!」
良太の姿を見つけた美鈴が、たまりかねたように後席から飛び出してくる。
「ほら、無事に戻ったよ」
安否を問うてくる少女に、少年は透き通るような笑顔で答える。
「どうだった、薬とデータはあったか!?」
そして間を置かず、運転席から降りてきた小崎がそう尋ねる。
「薬は見つけましたよ。ほら! ……ただ、まだ事務棟は調べてないんです。思ったより時間が掛かったので、一旦戻ってきました」
良太は嬉しそうにリュックサックからプリザーブXを取り出し、二人に見せつける。
「でかしたな。これで安全は確保したも同然だ!」
と、小崎が快哉を叫ぶ。
「よし。車に積み込もう。ああ、何度も言うが封を切るなよ。グロブに嗅ぎ付けられやすくなるからな。使うのは、自分が狙われた時だけだ」
そう言って、小崎が車内からビールの空き瓶を取り出した。
彼が出発の時に積み込んでいたが、用途が分からなかった物だ。
「プリザーブXは粉剤だ。グロブをおびき寄せる時には瓶の中に入れて使え。そのまま撒いても、すぐ舐めとられておしまいだからな」
と、薬剤の使用に関して説明する。
「わかりました。それで、工場の中なんですが……」
一頻り薬の話を聞くと、良太は工場内の様子を二人に語った。
工場内に生存者は皆無であり、またその為かグロブの姿も見当たらなかったと伝える。そして、
「もう一度行ってきます。USBメモリを探さないといけませんし、プリザーブXもまだ沢山有りましたから」
良太は空になったリュックサックを背負うと、再び工場に向けて歩き出した。
「ちょっと待て!」
少年を呼び止めたのは小崎だ。
彼は車の後席から己の鞄を取り出すと、
「俺も行く。九条君だけで探すより早いだろう」
そう言って歩き出す。
「な! 危ないですよ。事務棟はまだ安全が確認できた訳じゃないんですから!」
良太はそう諌めるが、
「なに、そんときゃ薬を撒けばいいのさ。その為に取ってきてもらったんだ。俺も一本持っていく」
と、小崎は意にも解さない。
「じゃ、じゃあ私も行く!」
そんな男二人を見て、美鈴が思わずそう叫ぶ。だが、
「いや、山城さんには車の番をしていてほしい。流石にこっちを無人にする訳にはいかないからな。もしグロブが来たら、薬で誘導して俺たちに知らせてくれ」
小崎が意見を退ける。
「う……わ、わかりました」
まったくの正論で諭されてしまっては、美鈴も強情は張れない。
去りゆく二人の姿を、少女は黙って見送った。
「なんだろう……なにか、嫌な感じがする」
事態は確実にいい方に進んでいる。にもかかわらず、美鈴は得体の知れない恐怖を感じ、身を竦ませた。
× × ×
「これだけあれば、足りるんじゃないですか?」
「ああ、あまり沢山持って帰っても車に積み切れないしな」
再び工場に潜入した良太と小崎は、工場の倉庫からプリザーブXを回収していた。
小崎も同僚の変わり果てた姿には慄然としていたようだが、それでも動揺を押し殺し、作業を沈着にこなしていた。
「……それじゃあ、事務棟に向かうぞ」
「はい」
薬剤で一杯になったリュックサックを背負うと、二人は工場を後にする。
敷地内を奥の方へ進むと、簡素な事務棟が見えてくる。二階建てだが、それなりに規模が大きな建物だ。
「僕が先に中を見てきます」
正面扉の鍵を開けると、良太が率先して中に踏み込んだ。
事務棟は工場に比べて窓が多いためそれなりに明るいが、油断は禁物だ。
少年はライトで油断なく辺りを探りながら、建物内を練り歩く。
途中で事務所を見かけたが、室内を軽く確認しただけで直ぐに立ち去る。まずは建物全体の安全を確保しなければならない。
会議室、倉庫、社員食堂、機械室。施設内を隅々まで確認し終えると、良太は足早に入口まで戻った。
「中は安全です。入っても大丈夫」
事務棟内にグロブの姿が見られないことを小崎に伝え、今度は二人で連れだって建物へ入る。
そうして一直線に事務所までやってくると、
「大変だったんでしょうね……」
と、同情も露わに良太が呟いた。
事務所はかなりの荒れようで、書類や文具が床に散らばっている。椅子は横倒しになり、砕けたカップの隣にはコーヒーが染みを作っていた。
グロブが発生した際、大混乱に陥ったのだろう。
不幸中の幸いであったのは、犠牲者の姿が殆ど見られなかったことだ。事務棟に居た職員たちは、なんとか逃げ出すことができたのだろう。
「奥の、灰皿が置いてある机……ここですか?」
「……ああ、そこで間違いない」
良太は工場長の机の側に近寄ると、引き出しを開けてUSBメモリを探し始めた。
「これ、かな?」
机を引っ掻き回し、中の物を片端から出して見聞していくと、如何にも厳重そうに小箱に納められたUSBメモリがあった。
「九条君。そこのノートパソコンを起動して、中身を確かめてくれ。俺はもう少し工場長の机を探してみるよ」
小崎は別の机を指差し、少年にそう告げる。
「分かりました。パスワードはわかりますか?」
「いや、共用のパソコンには設定していない筈だ」
良太は指示通り、別の席に移動してノートパソコンを起動する。
OSが立ち上がるまでの微妙な待ち時間。少年は手持無沙汰に画面を凝視する。するとその時、
「な――」
小さなクラクションの音が、それでもはっきりと良太の耳朶を打った。
建物の外から聞こえる長いクラクションは、グロブの接近を知らせる美鈴の合図である。
「しまった!」
焦燥に駆られた良太は、外の様子を窺おうと窓に走り寄る。
だが、奥まった場所にある管理棟から、大通りに停めた車両は見えない。
「戻りましょう小崎さん!」
少女の危機に居ても立ってもいられなくなった少年は、即座に同行者へそう話しかける。だが――
「え……」
良太の喉から、間の抜けた声が漏れる。
振り向くと、小崎は少年のすぐ後ろに居た。
だが、男の佇まいには明らかな異変が起きている。
少年を見据える瞳は昏く澱み、その手には大きな肉切り包丁が握られていたのだ。
「な、どうし――」
良太は問いを発することさえできなかった。
小崎は庖丁を大きく振りかぶり、少年へと襲い掛かった。




