後編
* * *
あの後、会場内でカティアたちの会話を聞いていた人々に祝福の言葉をもらい、お互いの国への報告もあるからとパーティー中ではあったがカティアたちだけ途中退出することになった。そして今────
「それで、レモーネ公爵家は今回の件についてどう落とし前を付けるつもりだ? まさかカティアの方にも非はあった、なんて馬鹿げたことは言わないだろうな?」
「そ、それは……」
「お父様、私からも言いたいことがあるので少し発言させていただいてもよろしいでしょうか?」
「ああ、好きにしろ」
「ありがとうございます」
ローデント公爵家の客室、兄たちを含めた家族全員が怒りを抑えているのが分かる。
そんなローデント家のテーブルを挟んだ正面に座って青褪めているのはレモーネ公爵家の者たち。
(彼らも、冤罪で婚約を破棄したのだから黙り込むわけにはいかないでしょうね。しかもその相手は大帝国の皇女だったわけですし)
とんでもない相手に喧嘩を売ってしまったと、内心大慌てだろう。あるいはなぜ自分たちがこのような目に、と適当な理由を付けてカティアに責任転嫁し、内心憤っているかもしれない。
残念ながら、今まで散々レモーネ家の人間に迷惑をかけられてきた身としては、後者の方が可能性が高いと思ってしまう。
「公爵夫人、いつもの嫌味はどこにいったのでしょうか? 家族には報告済みですし、この場でも遠慮なく言ってくださって構わないのですよ。それとも自分より上の立場だと分かった瞬間態度を変えるのですか? おかしいですね、『レイモンドには媚を売っているくせに、私には失礼な態度しか取れないのかしら! 私は相手によって態度を変える人間が嫌いよ!』と……そうおっしゃっていたはずですのに」
身分制度が存在する以上、相手によって態度を変えるのは当然のこと。それは下の者に対しても対等に接することができる人が言う言葉であって、愛する息子の婚約者だからというだけの理由で嫌がらせをする者が言うべき言葉はない。彼女はそのことについて一体どう考えているのか。
「私からすると、あなたの言葉と行動は矛盾しているのではないかと思うのですけれど」
「何だかんだ言ってカティアが一番鬼畜じゃないか……」
「…………」
「誤解しないでいただきたいのですが、別に責めているわけではありませんからね。ただ私の意見を述べただけです。答えたくないのならそれで構いませんよ」
(というよりも、答えられないと言った方が正しいでしょうか? ……愚かでお可哀想に)
俯いたまま何も言わない公爵夫人を見れば、それくらい誰でも分かる。まあ正直、公爵夫人はどうでもいいのだ。面倒に思っていたとはいえ、あの程度の嫌がらせで気に病むほど弱くはない。あれくらいで堪えていては皇女なんてやってられないのだ。
「問題は……」
「ああ、子息の方だな」
父の言葉に、名指しされたレイモンドはあからさまに緊張した表情になる。
(この場が用意された意味も分からぬほど馬鹿になったわけではないようで、とても安心しました。ここからはお父様にお任せすれば良いでしょう)
レイモンドは冤罪であったことを認めるのか、それとも言い訳を続けるのか……とても楽しみである。
いくら何でも、冤罪であったことをまだ知らない、なんてことはないはずだ。国王に証拠を提出したのだから、きっと見せられていると思う。
「カティアへの無礼、レモーネ公爵令息はどう償う? 謝罪すらされていないが」
「レ、レイモンドには──」
「公爵には聞いていない。令息に問うが、まさか謝罪で済ませるつもりはないだろう?」
「ど、どうすれば良いのでしょうか……?」
「……失礼だが、彼に公爵家を継がせるのはやめた方がいいのではないか? これくらいのことが、自分で仕出かしたことへの償い方さえ考えられないような人間が、国にとって大きな役目を担う公爵家を継いでも家を潰すだけだと思うが」
苦い顔で告げられたその言葉に、カティアは『あら』と首を傾げる。それは名案だ。
(こんな人たちに助言して差し上げるお父様は普通に考えたら優しいと思いますけれど、本当にそうなったらレイモンド様は堪ったものではないでしょう。彼はご自分の『レモーネ公爵家次期当主』という肩書にかなり執着しているようでした)
だが母や兄たちもそれがいいと頷いていることだし、カティアも便乗しても良いだろうか?
カティアはこの場の誰よりも、レイモンドの『レモーネ公爵家次期当主』という立場への執着をよく知っている。だからこそ。
(レイモンド様にとっては充分に罰となるに違いありません。本音を言うのであれば、こんな爵位だけの役に立たない家なんて潰れてしまえばいいと思いますよ?)
それでも歴史のある家だし、レモーネ公爵家が没落することで困る人もいるはず。彼らに罪はないので、やはりレイモンドの廃嫡くらいがちょうど良いのでは。
ローデント公爵家一同の反応に青褪めたレイモンドは、ガタッと音を立て慌てて立ち上がり、こにらに身を乗り出す。
彼の反応を見て、カティアは決めた。
「ッ、それは……!」
「お父様、レモーネ公爵家の皆様の処分は私が決めて良いのですよね?」
「ああ。構わないが、何かいい案でもあるのか?」
「お父様がおっしゃっていたように、レモーネ公爵家の跡取りの座を彼から剥奪してはどうかと思いまして。レイモンド様には優秀な弟君がいらっしゃいます。弟君だけは私に良くしてくださったので、巻き込んでしまって申し訳ないのですが……」
弟と言っても、レイモンドとは双子の弟だ。
このレイモンドとは違って優秀な人なので、現在はアルバートの国であるメイスフィールド帝国に留学へ行っており、この場にはいない。
(盤面が狂い始めたのは、一体いつ頃からだったかしら)
答えは分かっている。分かっていながらも、今は素知らぬふりをした。
「そうだな。私もそれが良いと思う。レモーネ公爵、カティアもこう言っていることだし、そちらは跡取りの座を移し公爵らは爵位を譲って隠居する。──カティアを怒らせた以上、我が家が譲歩できるのはここまでだ。この子は皇位継承権こそ高くないが、皇帝に気に入られているためアーリスティンではかなりの権力がある。不敬罪で処刑することも可能だということを頭に入れた上で、よく考えてみると良い」
アーリスティンの直系皇族には男児しかいないのだ。ゆえに皇帝である伯父は、数少ない女性であるカティアを殊の外かわいがる。
父の言葉は例えカティアが許しても、アーリスティン大帝国の皇帝は許さないぞ、と。そういう意味である。
「だ、旦那様……」
「……分かっている」
縋るようにレモーネ公爵を見た夫人に、レモーネ公爵は苦々しい顔でゆっくりと頷く。
(あら……もっと渋るかと思いましたが、案すんなりと受け入れましたか。お父様が脅したからでしょうか。でもお二人はそれでいいとして……この騒動の原因であるレイモンド様が黙っている、なんてことはないでしょう?)
全く嬉しくないが、長年婚約者を務めてきただけはある。カティアはレイモンドのことを、とても良く理解していた。
今後の展開を予想しながら、すぅっと目を細めてレイモンドを見る。が、動揺するレイモンドはその視線に気付けなかったのだろう。案の定、己の感情を制御することもできずに叫んだ。
「お待ちください、父上! レモーネ公爵家を継ぐのは俺です! 元はと言えば、カティアが俺好みの女であれば浮気なんてしなかった……! 悪いのはカティアの方です!」
そうだろう、本気で嫌なはずだ。レイモンドは驚くほどに次期当主の座に執着していたから。だからこそカティアは、これが最も堪える罰であると理解した上で提案したのだ。
(本気嫌がって、駄々を捏ねてくださらなければ困ります。今までの私の時間を……そしてこれからの弟君の時間を奪うのですから)
カティアたちだけ苦労するのは納得いかない。
「……レイモンド様、責任転嫁が過ぎますよ。私はあなたのご機嫌取りでもすれば良かったのですか? そんなの絶対にお断りですよ。誰が婚約者とはいえ、嫌いな相手の機嫌など取るものですか」
こんな感じだから嫌いなのだ。もはや彼に対しては包み隠す必要はないように思う。
「父上、マズいですよ。カティアが怒っています」
「……私は知らない。あまりにも酷いようならアニエスが止めてくれるだろう」
「ちょっと旦那様! わたくしは関係ありません!」
(……お父様方、コソコソ話さなくても全部聞こえていますからね?)
心の中で指摘しながらも、表情には出さない。
「──レモーネ公爵令息。うるさいですよ、少しお黙りなさい」
「だ、誰にそんな口を利いている!」
「そうですね……平民に落とされた無能の元公爵家嫡男でしょうか」
「平民!? そ、そんなはずは……!」
「『平民に落とされた元公爵令息』になるかどうかは今後の公爵夫妻とあなたの言動によりますが、今のその態度だと不敬罪で平民落ちどころではないかもしれませんね」
にっこり笑って告げた言葉に、レイモンドは震え上がる。
彼の方こそ、カティアを一体誰だと思っているのだろうか。カティアがアーリスティンの皇族であり、そしてメイスフィールド皇太子の婚約者となったことは、すでに知れ渡っているはず。
もうレイモンドたちレモーネ公爵家如きが冷遇していい相手ではない。
(本当、無知無能ですこと。そんなだから身分の釣り合わない令嬢と浮気をしてこのような騒動に発展させてしまうのですよ?)
恋物語だと身分に大きな差がある男女でもそれを乗り越え、大恋愛の末に結婚──なんて展開になるのかもしれないけれど、そんなものは所詮は物語。現実世界で同じことをするならば、国中の誰よりも優れた何かの実力を持っているなど、本当に特別な理由でもない限りあり得ない。
(この貴族社会で覆すことのできない身分差を埋めるほどの何かを、あなた方は持っていなかった)
だからこの場ではより身分の高いカティアたちを怒らせることは得策ではないと思う。
「今回の件、非常に不愉快ですが私は当事者です。当事者の中で一番身分が高いのが私です。これがどういうことか分かりますか?」
「……俺はお前に従うしかないと?」
「その通りです。それに私は被害者なので、今回の件をどう収めようと、私に文句を付けられる人は誰ひとりとしていないのですよ」
ただでさえ『極刑』という判決が下せる状況なのだ。ならばカティアは好きに罰を決定できる。
より現実を受け止められるよう、あえて淡々と告げてみると、ようやく本当の意味でこの状況を理解したのだろうか。レイモンドの表情が絶望に染まる。
カティアが言った『誰ひとりとして』の中には王国、帝国、大帝国の王たちも入っていること、ちゃんとご理解いただけたらしい。この国の国王は以ての外だけれど、帝国と大帝国の皇帝は私に文句を付ける理由もないだろうし、むしろ重い罪であればあるほど喜ばれそう。お怒りだと聞いているから。
「私もできることなら血生臭い方向に罰を変えたくはありません。先ほどまでのことは見逃します。あなたが冷静でいられるかどうかで今後の人生は変わってしまいますので、どうかそのことをお忘れなく。それでは話を戻しましょうね、レイモンド様?」
「ご存知かと思いますが、私はアルバート皇太子殿下の婚約者になったのですよ。色々とやらなければならないことが山積みなので早めにこの話し合いを終わらせたいです。……せっかくですし、レイモンド様に決めていただきましょう。レイモンド様、公爵家の跡取りの座を降りるのとそれ以上に重い罪に罰を科せられること、どちらがよろしいですか? 私はどちらでも構いませんよ」
ようやくレモーネ公爵夫妻と同じように席に着き、話を聞く姿勢を見せたレイモンドにカティアは微笑んだ。
微笑みと共にするような話ではないが、愚かさを感じないレイモンドの方が好きなのだから、自然と口角が上がってしまうのは仕方あるまい。
「……それ以上に重い罰、とは?」
「まだ考えていません。いくらでもありますから。労働刑、身分剥奪、鞭打ち、極刑……言い出したらキリがありません」
普通に考えて、跡取りの座を降りるのが一番だと思う。だって跡取りの座を降りさえすれば、他はなかったことにすると言っているのだ。
公爵家の嫡男なのだから血筋や家柄、金銭などを求め、不祥事があったとしても婿入りさせたいと考える家も少なくはないはずだ。肩身の狭い思いはするかもしれないけれも、そこはカティアの知ったことではない。
「少し考える時間をもらえないか?」
「構いませんよ。それでしたら、少しお話でもしましょうか。皆様は少しだけ、席を外していただけませんか? 護衛はそのままで」
「……分かった」
彼との長い付き合いももう終わることだし、と父に願い出れば、少し渋りながらも了承してくれた。
(何となく、レイモンド様と二人きりで話をする必要がある気がしました)
それはどうしてだろうと内心首を傾げつつも、ありがとうございます、と静かに立ち上がった家族に頭を下げる。
護衛以外の全員が出て行ったことを確認したカティアは、改めてレイモンドに向き合った。
「私がひとりで勝手に話しますので、無視してくださって構いません。その間に考えてくださいな」
「ああ」
……随分と大人しくなった。その理由に心当たりがないわけではないけれど、近年のカティアへの態度とは似ても似つかない。
「私はあなたに無能と言いました。ですがそれはここ数年の話です。レイモンド様は記憶にないかもしれませんが、学園に入るまでは今ほどあなたの態度も悪くなかったのですよ。嫌われているのはよく分かりましたが、それでも公爵家の令息としては文句の付けどころがなかったのです。……上から目線で話していますが、そこはお許しくださいね」
「…………」
「振る舞いも教養も、王族に劣らないくらいに完璧でした。私以外の女性には紳士的で、多少険はあれど不誠実とまではいかなかった。良くも悪くも、身近な人に向けられた言動は忘れないものです」
無視していいと言ったからか返答はないものの、その目は真っすぐにカティアを見て逸らさない。
けれど、とカティアは小さく呟く。
(学園に入学して、あの男爵令嬢と関わるようになってから、明らかに私に対する態度が悪化したのですよ。それを見た周囲の方々は関わるべきではないと彼を避けるため、お二人の関係を知っている方もほとんどが注意しない……)
そうして気が付いたら、今のようになってしまっていた。これに関してはカティアにも非がなかったとは言い切れない。婚約者なのだから放置では駄目だ。
だがそもそも入学する以前に、レイモンドがカティアを嫌い始めた頃。ちょうどその頃から、カティアはレモーネ家に花嫁教育で通っていた。
──人が人を嫌うには必ず理由があると、カティアは思う。
何となく苦手、というだけの相手でも、その『何となく』の理由があるはず。容姿、性格、話し方……このあたりは多種多様で、人それぞれ。カティアはレイモンドの態度があまりにも酷いから、気が付いたら嫌いになっていた。
結局何が言いたいのかというと、レイモンドにもカティアを嫌いになった理由があると思うのだ。
「俺はお前が嫌いだから、嫌いなんだ。そこに理由なんてものはない」
「そうですか」
(きっかけ……私は心当たりがありますけれど)
あくまでも男爵令嬢は追い打ちになっただけ。カティアの勝手な想像に過ぎないが────元凶はレモーネ公爵夫人。レイモンドの母であろう。
「そろそろ決まりましたか?」
「……他の選択肢はないのか?」
「ありませんね。……レイモンド様はどうしてそこまで跡取りの座に執着するのですか? 権力は便利な時もありますけど、生まれた時から決められた人生ほど、つまらないものもないと思うのですが」
ただ権力がほしいだけかもしれない。それでも別に不思議ではないだろう。でも明確な理由を聞いたことはなかった。
「俺は……お前が婚約者であったことと同じように、公爵家を継ぐことも勝手に決められていた。そのための教育だって受けてきた。苦労して学んできたというのに、今更それを無駄にしたくない」
「…………甘えないで。その努力を無駄にするような行動を取ってきたのは、一体どこの誰かしら? それなら私だって同じです。レモーネ家が私にまともな態度を取ってくださったことは一度もありません」
今更何を言うのだと、反論の隙も与えず一息で捲し立てる。こればっかりは許せない。
「それでも私は花嫁教育を受けてきたわ。それが無駄になったのは他の誰でもなく、あなたのせいでしょう。自分の努力だけでなく私の努力まで踏みにじったあなたが口にしていい言葉ではないわよ」
持っていて無駄になる知識はない。それも全部含めての『カティア』だ。
それでも、彼の婚約者でなければ他にできたことはたくさんあった。このように婚約破棄になるのであれば、カティアの……皇族の貴重な時間を奪わないでほしかった。
(返してほしいですよ、私の約十年という長い時間を。私なりの愛を)
感情に任せて睨みつければ、一度目を伏せたレイモンドはやがて自嘲するようにフッと笑う。
「……そうだな」
(……レイモンドが認めた……? いえ、今はそんなことはどうでも良いですね)
それよりも聞くべきことがある。そろそろタイムリミットだと思うから。
「それで。レイモンド様、あなたはこれからどうなさいますの?」
「跡取りの座を降りる。これが誰にとっても最善の選択だろうからな」
「……分かりました。では、私はこれで失礼いたします」
最後はあっさりと答えが出たようだった。
ようやくすべてが終わったと一瞬だけ彼の方を振り返り、それからすぐに退室しようとした時──ハッと息を呑むような声がしたかと思えば、懐かしい声と共に後ろから声を掛けられる。
もう一度振り返って見ると……まるで憑き物が落ちたかのように、すっきりとした表情のレイモンドがいた。
「カティア…………いや、カティア皇女殿下。この度は大変申し訳ございませんでした。結局俺は最初から最後まで、あなたに迷惑しか掛けていなかったようです」
「……ッ、レイモンド様。あなたもしかして……!」
今目の前にいるレイモンドは、カティアの幻想だろうか。それとも夢だろうか。
なぜ。なぜこのタイミングで、カティアがずっと求めていた彼が……!
一目で分かるほどに動揺しているカティアだったが、その原因たるレイモンドの方もどこか困惑したような様子を見せている。
(ええ……ええ、当然だわ。これが私の幻想や夢ではなくて、現実ならば)
今誰よりも動揺し、困惑し、気が付いたらすべてが終わっていた絶望や苦しみやら、ありとあらゆる感情を抑え込んでいるのはレイモンドの方だ。
それでも彼は、それはもう優しく優雅に、それでいて少しだけ苦々しい顔で微笑む。
「これ当然の結果、当然の報いですね。今までこんな俺と共にいてくださって……本当に、ありがとうございました」
「……畏まっているのはあなたらしくなくてよ。もっと堂々としていてくださいませ。すべての非があなたにあったとも思いません。ですが……もう同じことを繰り返してしまわないよう、肝に銘じるように。わたくしはあなたが優秀であると知っています。家柄だけでなく、それに見合った能力があるとちゃんと分かっています。次会う時は昔のように……私が望み続けた素敵な方になっているよう願っておりますから」
「はい。……ずっとお慕いしておりました。今度お会いする機会がありましたら、その時は……」
「昔のようにお話しできるといいですね。私も友人としてお慕いしていますよ。ご家族との問題も無事に解決できますように。それでは」
本当に、まさかの結末だった。最後の最後で……今後レイモンドと会うことは一生ないと思っていたけれど、今の彼なら話くらいはしてもいいかもしれない。
(だってもう──昔のレイモンド様に、戻っておられるようですし。それから、ご家族との問題には口を出さないようにしましょう。それも罰のひとつです)
パタンと扉を閉めたカティアは、静かにゆっくりと口角を上げる。それからは一度もレイモンドがいる部屋を振り返ることなく、父たちが待つ部屋へと歩き出した。
その道中、今まで何も言わずに話を聞いていた護衛騎士ことリヴェンが苦言を呈すような声色で名を呼ぶ。
「……カティア殿下」
「……見逃してちょうだい。決定打は何か分からないけれど、大好きだった友人がようやく昔のように戻った様子だったのだから、あれくらい良いではないの」
「すべては殿下の手のひらの上──ということですか」
「冗談はおやめなさい。わたくしは神ではないのだから、すべてを思うままに操ることなんてできないわ。決められていた筋書きの一部を書き換えただけ。わたくしにできるのは洗脳された人間を元に戻すことくらいだった。それだってかなり手を回しても成功率が低いのだから、そんな大それた話でもないわ」
カティアにできることなんて全然ない。ただ、然程正確ではないけれど人の思考を読むことは得意だ。心理戦の延長のようなものである。
(けれどそれも、長い時間をかけて根気強くパズルのピースを嵌めていかなければなりません。ひとつでも間違えてしまうと結果は大きく変化してきます)
時には取り返しのつかないことになる場合だってある。
──レイモンドには約十年、無駄にされたとは言ったが、カティアとて何もしていなかったわけではない。彼の態度があんな感じだったので結婚はしたくないとは前々から考えていた。そのために父にも協力を頼んでいたのだし。でもレイモンドが哀れでもあったから、ずっと望んだ未来を掴み取るべく奮闘していた。学園に入学してからのここ数年は特に。
正解は最後まで分からないのでレイモンドの洗脳のようなものを解けるかは賭けだった。そのため、本当に最後の最後……カティアもレイモンドも、もう色々と失ってしまった後ではあるけれど、何とか上手くいったようで本当に安堵している。
「はいはい、そういうことにしておきましょうか。私はたとえ神々を敵に回すことになっても、殿下とだけは敵対したくありません」
「わたくしも嫌われたものね?」
「嫌っているわけではありませんよ。ただ、世界中を探しても殿下との心理戦に勝る者は誰ひとりいないと断言できます。何ですか、人間相手の心理戦で『パズルのピースを嵌めるように』、って。心理戦の範疇を超えていて、心の奥底では何を考えているか分からないのが恐ろしいです」
「そんな大袈裟なものでもないでしょうに」
わざとらしく身震いしてみせたリヴェンに冷たい視線を送るカティア。
それなのに全く気にした素振りもなくケロッとしている彼の方が、何を考えているのか分からないと思う。
部屋の外で待機していたもうひとりの護衛に父たちがいる部屋へと案内してもらい、部屋に入ると何やら満足そうな顔の家族と、真っ青を通り越して真っ白になっている公爵夫妻がいた。
どうやらこちらも話がまとまり、今日はこれで屋敷に帰るそうなので、いつの間にか暗くなった外の景色に少し驚きつつ馬車に乗り込む。
(わたくしがここへ来ることは、もう二度とないでしょうね)
レイモンドとは『またどこかで会えたなら』と話したけれど、元婚約者同士という互いの立場を考えると、たくさんの偶然が重なりでもしない限りはその時は訪れないと思う。
けれどカティアたちはきっと、これくらいの距離感がちょうどよかったのだ。これからは互いに、別々の道を歩んでいく。
「ところでお父様、公爵夫妻に何か言ったのですか?」
「いや、私はほとんど黙って聞いていただけだ。それまで大人しくしていたが、何だかんだ言って一番怒っていたらしいリオンが──」
「私は事実を言っただけです。あのような反応をしたということは、やはり自覚があったのだと思いまして」
「それで、嬉々として地獄に突き落としていたな」
「兄上はお黙りください。カティアに余計なことを吹き込んだら許しませんよ? 兄上が嫌われるなら構いませんけど、私がカティアに嫌われるのは困ります。この世の終わりです」
「この腹黒が……」
「あらあら……」
両親も兄たちも、仲がよろしいようで何より。
──リオンお兄様が腹黒なのはすでに周知の事実ですから、わざとリオンお兄様の所業を私に聞かせようとしなくても良いと思いますけれど。
あまり会話に混ざりたくないと、ひとりだけ素知らぬふりを貫いていた母と目が合い、苦笑した。
* * *
カティア・ローデント公爵令嬢。
彼女はレイモンドが生まれたその時には、すで親によって決められていた婚約者だった。物心ついた頃から一緒にいることが多く、昔は婚約者というより友人のような関係だったと思う。
いつも何をやってもレイモンドより優れているカティア。それでもかわいらしく、優しく、何より聡明でレイモンドが知らないことをたくさん教えてくれる彼女が、レイモンドは好きだったのだ。気が付けば終わっていた初恋は……カティアだったように思う。
(俺がカティアに嫌悪感を持つようになったのは、いつ頃からだったか……)
──誰もいない居間の長椅子の背に深く体を預けながら、そっと目を伏せた。ここ数日の疲労感からか自然とため息を吐きつつ、静まり返る部屋の中で当時を思い出す。
嫌悪感とは少し違うかもしれないが、思い返してみればカティアがレモーネの屋敷に花嫁教育として通うようになってからだった気がする。そしてその『嫌悪感』の原因は恐らく母であるレモーネ公爵夫人だ。
すべてを母のせいにするつもりはない。それでもきっかけは母だと考えてまず間違いないだろう。
母はカティアを嫌っていた。それはレイモンドが彼女を好いていたからだろうと、今のレイモンドには分かる。
「レオンです。ただいま帰りました。……って、あれ? 兄上、父上たちはどちらに?」
「ちょうど今、王城に行かれたところだ」
レオンはレイモンドの双子の弟だ。レイモンドとは違い、非常に優秀であるため隣国メイスフィールド帝国へ留学に行っていたのだが、まさかこのタイミングで帰省するとは。
「ああ、兄上の不祥事のことですか。跡取りのことなど、詳しいことは先ほど父上の側近に聞きました。……でもおかしいですね。兄上は正気に戻っているようなのに、どうしてあのような騒ぎを起こしたのですか? というか、どうやって正気に戻ったのです?」
「お前の自由を奪うことになってしまったのは申し訳ないと思っている。俺が正気に戻った理由は、きっとカティアだ」
「そうでしたか……」
ここ十年ほど、レイモンドの心にはずっと何かに支配されているような感覚があった。気のせいかと思っていたが、あれは恐らく母に洗脳されていたのだろう。
(レオンは俺がおかしいことに気付いていたのか。……いや、俺自身これまでの自分に強い違和感を覚えるくらいだ。昔の俺をよく知る者ならば異変を感じても不思議ではない)
母がレイモンドにしてきたことと言えば、脳に刻み込まれるほどにカティアやローデント家の悪口を吹き込むくらいのものだったと思う。けれど、それを幼いレイモンドに対して行ったから問題なのだ。刷り込むというほどでなくとも、子供とは親を信じるものなのだから。
ただ、繰り返すがすべてを母のせいにするつもりはない。レイモンドはカティアに最低なことをした。謝っても謝り切れないくらいに。それだけは、どう足掻いても変わることのない事実。
けれども、そもそもどうやってレイモンドは正気に戻ったのか。レイモンドの勝手な想像でしかないが……正気に戻ることができたのはレオンにも言った通り、カティアのおかげなのではないかと思う。
(部屋から出て行こうとした時、カティアは一度だけ俺の方を振り返った……)
その瞬間に、心にかかっていた靄が晴れたような感覚になったのだ。彼女が何をしたのかまでは分からない。本当にカティアのおかげなのかも、その他にも気になることは山ほどある。しかし今のレイモンドには、それらを考えるより先にするべきことがあった。
「俺は兄上が正気に戻ってくださって嬉しいです。あの方には感謝しかありませんね」
「本当にな。だが心が晴れたとはいえ、今までのことが無かったことになるわけではない。まずは信用を取り戻すことができるように、全力で努力するつもりだ」
「ええ、頑張ってください。俺は誰よりも兄上を応援しています」
頑張ってください、と。そう告げた時、レオンは俺から隠れるように俯いた。
俯く直前、レオンが嬉しそうな、でも泣きそうな顔をしていたのをレイモンドは見逃していない。
迷惑ばかりかけてきたのだから、レオンにも嫌われているものだと思っていた。よく考えてみればレイモンドが変わってしまう前は仲が良かったのだ。昔の兄を求めてくれていたのかもしれない。元に戻った俺が褒められるような性格をしているとは限らないが、こうして自分のことを大事に思ってくれている人のためにも、早く信用を取り戻したい、と……そう思う。
* * *
後日、早々にレモーネ家の当主がレイモンドの弟であるレオンに代替わりし、公爵夫妻は領地で隠居することになったと聞いた。
レイモンドはレオンとも話をしたようで、その会話を経て何かを得ることができたのならば、彼の行動次第ではあるけれど今後は真っ当な人生を送ることができるかもしれない。
カティアはというと、無事にメイスフィールド皇太子、アルバートとの婚約の手続きを終えることができた。アルバートは卒業パーティーのためにこの国を訪れただけだったので、一旦帰国している。
ローデント公爵家は両親の意向で王家に爵位を返上する予定だったが、歴史ある家であることに変わりはなく、この機会に次兄のリオンが家を継ぐことになった。一番上の兄、リカルドはいずれアーリスティン大帝国の大公になる。
(色々。本当に色々なことがありましたし、この国や王家を支える二公爵家が揃って世代交代ということで国内の混乱は凄まじいものですが……それでも、起こった事件を考えれば最良の結果となったのかもしれません)
それにまだ、片付けなければならないこともいくつか残っている。
けれどひとまず重要な部分は片付いたので、今から三日ほどかけてカティアはアルバートの父が治める、メイスフィールド帝国に向かうことになる。婚姻は一年後で、それまでは皇后教育を受けるのだ。
(……帝国に着くまで時間がかかるので、早めに国を出る必要があるのですが)
目の前で威厳の欠片もなく、眉を下げてカティアに縋る父を冷ややかな目で見上げた。
「カティア。一度……考え直すつもりはないか?」
「ありません。お父様、しつこいですよ」
「う……だ、だが」
「旦那様、カティアが困っているでしょう。あまりしつこく止めるとカティアが怒ってしまいますよ。この子はこれで短気なところがあるのですから。特に自分で決めたことに口を出されることが嫌いだと、旦那様もよく分かっておられるでしょうに。カティアに嫌われても良いのなら、わたくしは止めませんが」
「きらっ……」
そう。カティアの父が結婚相手は本当にアルバート殿下で良かったのか、後悔していないか、と馬車に乗ろうとしていたところを引き留めているのだ。
(何もおっしゃいませんが、隣に並んで笑顔を浮かべているお兄様方もお父様を止めないあたり、同じ気持ちなのでしょうね)
レイモンドではなくアルバートが婚約者ならどんなに良かったか、と何度も繰り返していたはずなのに、そのことを忘れているだろうか。カティアは、覚えているけれどその上で何とかならないかと駄々を捏ねているのではないかと予想する。
「これ以上引き留められなければ嫌いになったりしませんから、少し落ち着いてくださいませ。結婚までに一度は帰ってきます」
嫌われる、という言葉を聞いた途端に石のように固まってしまった父に笑いかけると、少しの間の後にようやく解放された。その隙を逃さぬようにとさっさと馬車に乗れば、なんとそこにいたのはアルバート。帰国したと聞いていたが……
「お久しぶりです、カティア殿下。今日のあなたも太陽より眩しいですね」
「あ、ありがとうございます。殿下はなぜこちらに……?」
「皇帝陛下への報告等をすべて側近が請け負ってくれましてね。あまり重要な内容でもなかったので、押し付け……厚意に甘えることにしたのです。せっかく長年の片想いが実ったのですから、少しでも長くあなたと共にいたいに決まっているでしょう?」
「そっ、そうですか……」
皇帝への報告が伝言とは、これまた雑というか何というか……親子仲が良い、のだろうか……? それに『押し付けた』と言いかけていたような。
(……いえ、アルバート殿下がそのようなことをなさるはずがありませんよね)
聞き間違いだと思うことにして、カティアもこれからアルバートと一緒に過ごせることを喜ぶことにした。
「殿下。婚約者となったのですから、私のことはお好きなように呼んでくださって構いませんよ。敬称も敬語もいりません」
「そうですか? ……それなら愛称で、ティアと呼ばせてくれる? 私のことも名前でいいよ」
「ではアルバート様と呼ばせていただきましょう。なんだか慣れないので気恥ずかしいですけれど……」
「んんっ……やっぱりかわいい……」
「おい、イチャつくな」
アルバートと話をしていると、馬車の外から声を掛けてきたのは一番上の兄、リカルドだった。お父様の次はお兄様ですかと、カティアは呆れた眼差しを向ける。
「リオンお兄様? ちょっとこの方を屋敷に閉じ込めておいてくださいます?」
「ふっ……兄上、お兄様とも呼んでもらえないだなんて、とっても可哀想ですね。私のように大人しくしていれば、こうしてカティアの方から声をかけてくれるというのに」
馬鹿にしたような笑顔で父とリカルドを一瞥するリオン。
父も兄たちも、どっちもどっち、という言葉をご存知ないのかもしれない。
リオンの言葉に焦った様子のリカルドは、慌てて馬車から一歩離れた。
「嘘だ、黙っているから屋敷には閉じ込めるな。遠くへ行ってしまうカティアとの大事な語らいなんだぞ……!」
「それなら最初からそうしてください。アルバート様、そろそろ行きましょうか」
「そうだね。アーリスティン大公、皇帝陛下によろしくお伝えください」
「ああ」
「では皆様、お元気で。またお会いできる日を楽しみにしております」
カティアが笑顔で家族に手を振るのを眺めた後で、アルバートが馬車を出すよう御者に指示を出す。
小さくなっていくローデントの屋敷と家族の姿を見ていたカティアは、やがて小さく息を吐いて、優しく微笑むアルバートに向き直る。
────長年のしがらみから解放されて、友人も本来の性格に戻り、好きな人とも結ばれ、家族も笑顔で。こんなに幸せなことがあっても良いのだろうか?
そこまで考えたカティアは、自問自答するように小さく首を横に振った。
(……いいえ。長年苦労してきたのですから、これからは絶対に幸せになってみせますよ。一時はどうなることかと思いましたが、私が考えていた中で最も円満な結末を迎えることができました)
現実は物語のようにはいかない。
『悪役令嬢』だって幸せにはなれる。
『ヒロイン』でも不幸になることはある。
自分の思うままに事を動かしたいのなら……誰でも考えつくような浅慮な作戦ではなく、もっと時間をかけて丁寧に物事を見る必要があるのだ。その上で何年、何十年という膨大な時間や自分の人生をも捨てる覚悟があれば、なお良し。
ずっと自分を好いてくれて、そうしてカティア自身も心から惹かれた人との幸せな時間を噛み締めながら。あくまでも自然に、扇子で口元を隠す。
そうしてカティアは、嘲笑うようにゆったりと口角を上げた。カティアは皇女なので、どこぞの泥棒猫とは違って歪みなく美しい笑みだ。
────悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう? ねぇ、自称ヒロインさん?
ご覧いただきありがとうございます!
よろしければ感想、レビュー、ブックマークや広告下の☆☆☆☆☆で評価していただけると励みになります!
また、X(旧Twitter)にて新作や更新情報、たまに作品の小ネタ等も載せています。興味を持っていただけましたら、ぜひ下記URLからご覧ください!
(https://x.com/ria_yamasaki)




