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【改稿版】悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう?  作者: 山咲莉亜
【改稿版】悪役令嬢と言われましたけど、大人しく断罪されるわけないでしょう?

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前編

 こちらは本編の大幅改稿版です。

 大まかな流れは変わりませんが、視点変更や簡単な追加エピソード等が入っています。コンテスト用に改稿したため、いずれ改稿前の方は削除し、近況ノート等のみでの公開になる可能性もあります。ご了承ください。

「カティア・ローデント公爵令嬢! 心優しい彼女をいじめ抜き、先日は階段から突き落としたそうだな!」


 煌びやかな夜会の会場。多くの重鎮が集まる学園の卒業パーティーという大事な場で、突如誰かの大声が響いた。ちょうど次の音楽へと切り替わる瞬間だったためか、絶妙なタイミングで響いたその声に誰もが振り返る。


 いま周囲の注目を集めている金髪碧眼の男性は、生まれた時から決められていたカティアの婚約者だ。そのため当然のようにこちらにも好奇の視線が向かう。


(このような場で、なんということを……叶うことなら他人のふりをしたかったですね……)


 名指しをされなければ間違いなく無視していたことだろう。

 扇子の下で小さく息を吐いたカティアは、感情を悟らせないよう優雅に微笑んで婚約者の方を向いた。


 その間にもカティアの婚約者、レイモンド・レモーネ公爵令息は大切そうに抱き寄せた女性に対する、カティアの罪状を言い連ねる。やれ教科書を捨てただの、彼女の机をズタズタにしただのと、どこの馬鹿がそのような証拠が残りそうなことばかりをするのか、逆にこちらが尋ねてやりたい。

 そうして一拍おき、カティアのことを鋭く睨んだ彼はハッキリと言葉を紡いだ。


「俺はそんな悪役令嬢のような女と結婚するつもりはない! お前との婚約を破棄し、ここにいる男爵令嬢アリアとの婚約を宣言する!」


 途端に、静まり返っていた周囲が騒めく。


 ────悪役令嬢。近年国内で人気のある、平民女性や身分の低い女性の成り上がり物語に登場する人物だ。主人公は悪役令嬢という名のヒーローの婚約者にいじめられながらも、ヒーローと共に様々な試練を乗り越えていく。

 そうしていつしか惹かれ合った二人は、主人公を苦しめ続けてきた『悪役令嬢』を断罪し……最後には無事に結ばれ、ハッピーエンドを迎える。


(ただの浮気男と泥棒猫、という感想しか持てなかった記憶があります)


 カティアと同じ年頃の女性には『こんな風に一途に愛されてみたい』と人気のようだが、自分の婚約者を放って別の女性と親しくしている男性のどこが一途なのだろう。主人公は悪役令嬢にいじめられていると言うが、カティアにはそのほとんどがまともな忠告程度にしか見えなかった。

 それに貴族社会なのだから、身分が高い方がどのような行動を取ったとしても、法に触れない限りは見て見ぬふりされるのが現実。


(それが物語の中だけのお話ならば楽しめるかもしれませんけれど、現実世界に持ってくるだなんて、レイモンド様は一体何をお考えなのでしょう?)


 少し前に読んだばかりの物語を思い出していたカティアは、『聞いているのか!?』とレイモンドに怒鳴られたことで、ようやく彼らの方へと意識を戻す。


「……レイモンド様。そちらの女性は?」


 黒髪に濃い青の瞳を持つ、どちらかといえばクールな印象を受けるカティアとは逆で、花のようなピンク色の髪に紫の瞳をした愛らしい顔立ちの少女だ。しかしレイモンドが見ていないからか、その顔に浮かぶのは愉悦からくる歪んだ笑み。

 そんな彼女の様子に気付いていない彼は、カティアの問いに不愉快そうに顔を顰めた。


「惚けるつもりか!? お前がいじめていた相手、アリア・ルー男爵令嬢だ!」


 ルー男爵家。カティアは公爵令嬢なので国内すべての貴族家を把握しているが、個人的に関係を持った覚えはない。


(それにいじめていた、というのは……? 何から何まで心当たりがありませんけれど、勝ち誇った顔をしている余裕があるのならもっと詳しく教えていただきたいですわね……)


 どうしましょうね、と考えを巡らせながら普段あまり動かさない表情筋を笑みの形に保たせる。


 カティアとレイモンドの婚約は王家が決めたものだ。ローデント家とレモーネ家は王国を支える二公爵家……つまり国の中枢を担う重鎮だが、この二家は何代も前から敵対していた。

 そのためカティアの両親は『何をしてくるか分からない家に大事な娘を嫁がせることはできない』と最後まで抵抗していたようだが、そこへ両家の関係を少しでも改善させるために王命が下る。王命とあってはカティアの両親も断ることはできず、結局王の命に従う結果となった。


 しかしカティアが生まれて数年後。花嫁教育としてレモーネ家に通うようになったカティアだが、当然レモーネ家では嫌われ者。レイモンドにも婚約者として大切にされた覚えはなく、学園に入学してからは今目の前にいるアリア・ルー嬢と浮気。


(……私を何だと思っているのでしょうか? 今までどんなに嫌がらせをされても悪口を言われても、ずっと黙っていました。でもそれは家に迷惑をかけないため。決してあなたに好き勝手されるためではないのですよ)


 浮気のことだって一応は隠していたつもりだが、公爵令嬢として数多の情報網を持つカティアが気付かないはずもない。


「ではアリア嬢にお聞きします。私があなたをいじめていた証拠はあるのですか?」

「ひ……ひどいです、カティア様! 証拠なんてなくても、あなたが私をいじめてきたのに変わりはないでしょう? 私がレイモンド様と仲が良かったから嫉妬していたのだと分かっています。でも私、謝っていただけたらそれで許しますから……!」

「もしかして私を馬鹿にしています? 証拠がないのに謝罪することはできません。それから、私を名前で呼ぶ許可を出した覚えはなくてよ」


 問いの形ではあるけれど、彼女の言動を見るに、もしかしなくても馬鹿にしているのだろう。

 卒業パーティーという大事な場での婚約破棄、上の身分の者に対する無礼、許可なく名前呼び。いじめや階段から突き落としたというのは冤罪であるし、この場に集められた貴族たちは迷惑そうにしている。彼らはそういった視線にすら気が付いていないのだろうか。あるいは自分たちの都合のいいように解釈しているのかもしれない。


(……何より、私は彼のことを好きではないのですよ。むしろ嫌いです。嫌いな相手と別の女性が親しくしているのを見ても、嫉妬なんてするはずがないでしょうに)


 彼らの考えは根本的に間違っているのだ。それにもし、万が一カティアがレイモンドを好いていたとしても、カティアは自身の名誉を傷つけるような言動を取るほど愚かではない。公爵令嬢なのだから金銭を使って誰かを動かす方が余程効率的ではないか。格下の貴族相手に自らの労力を割く貴族が、一体どれほどいるのだろうとカティアは首を傾げる。


(それから、ここは学園の卒業パーティーの場ですから両陛下や他国の王族だっていらっしゃいます。この婚約破棄、皆様の様子を見るに許可を取っての行動ではなさそうですね。国王陛下は何もおっしゃいませんけれど……普通に牢獄に入れられるのでは。それともそれがお望み……?)


 変わった方々ですこと、と扇子を広げつつもあえて冷笑してみせる。


「話を逸らすな! 心優しい彼女が謝れば許してくれると言っているんだ、素直に謝罪すれば良いものを!!」

「ですから、証拠がないのに謝ることはできないと言っているでしょう? 私にも名誉というものがあります。私はそちらの方をいじめた覚えはありませんし、話すどころかこうしてまともにお会いしたのも初めてです。会ったこともない相手をどうやっていじめるというのですか?」


 そう、カティアが彼女を自らの手で直接害したと言うのなら、ほんの僅かにでも接点がなければおかしい。せめて人を雇ったのだろう、とでも言えばその矛盾点も解決したのに。


「どうせ取り巻きでも使ったんじゃないのか? いつも一緒にいるそいつらだ。陰湿なくせして、口だけはよく回るようだな!」


 そう言ってカティアの友人たちを指差したレイモンドは意地悪く口角を上げたが、突然思ってもみなかった暴言を吐かれ、カティアは張り付けていた笑みを消す。


(……彼女たちは()()()()()友人よ。将来の側近候補だから、わざわざこの学園に転入してきてくれたというのに)


 だがそのような物言いをされるくらいなら、連れて来ない方が良かっただろうか。まさかカティアの取り巻きだと勘違いされるとは。


 聞き捨てならない言葉に沸々と怒りがこみ上げてくる。カティアが一体どれだけ、彼女たちを大切にしていると思っている。どれほど重宝していることか。彼女たちは『取り巻き』などと馬鹿げた言葉で片付けて良い存在ではない。

 ミシ、と扇子が軋む音がした。そんなカティアの怒りに気付いたらしい友人たちが、背後から窘めるようにカティアの名を呼ぶ。


(もう少し穏便に事を片付けるつもりだったけれど……気が変わったわ)


「……レイモンド様。私の友人を取り巻きだなんて、失礼なことを言わないでいただける? 私はあなたのように友人を取り巻きだなんて思いませんし、仮にそう思っていたとしても男爵令嬢のために時間を使うほど、私も彼女たちも暇ではないのですよ。あなたには私という婚約者がいながら他の女性にうつつを抜かす余裕があったようですけれど」

「なっ! この俺に対して失礼だぞ!」

「あら、何が失礼なのでしょう? 失礼なのは先ほどからのあなた方の言動ではありませんか。証拠もなしに公衆の面前で婚約破棄を宣言し、一方的に好き放題言って……この際ですから言いますが、あなた達レモーネ家は私のこと何だと思っていらっしゃるので? 私とレイモンド様は政略結婚です。双方の利を考えての婚約ですのに、一方的に嫌がらせを受けて私がいつまでも黙っていると本気で思っていたのですか? もしそうだとしたら……」


 レモーネ家の未来はありませんね、と皮肉を込めた笑顔で続ける。動向を見守っていた周囲もカティアの怒りに気付いたらしく、次第にこの場の空気が凍り始めた。


 レモーネ公爵夫妻もレイモンドも、そんなにカティアが大人しい性格に見えていたのだろうか。自分がされていることを誰にも話せないような、気弱な人間だと勘違いしていたとでも? 当然、カティアはそのような大人しい性格はしていない。だからこそこれまで彼らにされてきたことを思い返すほど、愚かだとしか言いようがなくなる。


(私は早い段階でお父様に相談し、いざとなったら抗議していただけるように準備をしていました。私が言わなくても気付かれていたでしょうけれど。……自分で言うのもおかしいですが、私は家族に愛されているんですよ。そんな家族が敵対する家に嫁ごうとしている私が置かれている状況を調べないはずがないのです)


 冷めた視線の先には、怒りと羞恥に顔を赤くして震えるレイモンドがいた。アリア・ルー嬢は悔しそうに唇を噛む。


「言わせておけば……っ!」


 顔を歪め、アリア・ルー嬢から離れたレイモンドはズカズカと怒りのままにこちらへ向かってきて、手を伸ばす。

 しかしそれより早く、突然現れたカティアの護衛騎士がその手首を捻り上げたのだった。組み伏せられたレイモンドは必死に抗っているが、カティアの護衛騎士はそこらの王族に仕える者より余程強いので、余裕の表情でギリギリと床に押さえつけている。


「リヴェン、もう離して構わないわ」

「かしこまりました」


 どうしますか、とこちらを振り返った護衛騎士の彼──リヴェンに大丈夫だと告げて下がるように言ったが、このままカティアの後ろに控えているつもりらしい。

 レイモンドに向ける鋭い視線を見るに、不審な動きを見せたらすぐにまた捕らえるのだろう。


「レイモンド様。女性に手を上げようとするだなんて、それでも紳士ですか? ……そろそろ本題に戻りましょう。婚約破棄の件は承知いたしました。ですが彼女をいじめていたことに関しては認めませんよ。──国王陛下、発言してもよろしいでしょうか」

「許す」


 国王がしっかりと頷くのを確認して、カティアは軽く頭を下げた。


(私を冤罪で断罪しようとしたのですから、相応の覚悟はしていますよね? 特にアリア・ルー嬢は)


 レイモンドは気付かなかったのかもしれないが、彼女はかなり計算高いタイプだろう。なにせありもしないことで訴えて、カティアの地位と名誉を地に落とそうとしたのだから。


「ご覧の通りですので、レモーネ公爵令息とルー男爵令嬢の浮気を証言いたします。証拠はこちらにございますので、よろしければご確認くださいませ」


 いつか役に立つだろうと思って用意していた、浮気の証拠をまとめた書類を侍女から受け取り、こちらへ向かってきた国王の近衛騎士に手渡す。

 パラパラと中身を確認した国王は、書類にまとめられた証拠を読み進めるにつれ、どんどんと険しい表情になっていく。やがて読み終えた書類を王妃にも渡し──内容を確認した彼女は、常の穏やかな笑顔を消して絶望の表情を浮かべた。


(王妃殿下の絶望は当然でしょうね)

 

 カティアとレイモンドの婚約が両家の関係改善のためだけではないと知っているのは極一部の者のみ。当然のことながら二人の婚約を決めた国王夫妻はそのことを知っているので、この場ですぐに取り乱さなかっただけで上々だ。


「いかがでしょうか?」

「…………レモーネ公爵令息、ローデント公爵令嬢の婚約破棄を……認める」


 痺れを切らしたカティアの問いに、頭が痛いとばかりに皺の寄った額を押さえた国王は、絞り出すようにして二人の婚約破棄を受け入れる。

 

「カティア嬢がそこの男爵令嬢をいじめていたという事実はない。私が保証しよう。そしてレモーネ公爵令息がカティア嬢に対し、失礼では済まされない態度を取っていたことについても、彼女の話していた通りだと断言しよう」

「なっ……なぜです!?」

「お前に発言を許可した覚えはないが……今回は特別に答えてやろう。いじめについてもレモーネ家が彼女を蔑ろにしていたことも、王家直属の諜報員より報告が入っていた。だがそれが誤っている可能性もあったため何も言わなかったが、こうして直接証拠まで提出されてはどうにもならない」


 王家直属の諜報員というのは、国中のあらゆる場所から常に国を見張っている存在だ。誰がどんな目に遭おうと国王の言葉以外で動くことはない。

 例えば、殺人事件が起きた際、冤罪で犯人に仕立て上げられたとする。──彼らは真犯人を知っていたとしても、国王が真偽を確かめない限り本当のことを言うことはない。

 

 つまり、国王が動かなければ冤罪も有罪になってしまうということ。


(今回は詳細を確認済みだったようですが、『情報が誤っている可能性もあったため、何も言わなかった』という言葉に関しては嘘でしょうね。私たちの婚約がなくなった場合、最も不利益を被るのは国王陛下ですもの)


「……それは……」

「自分の婚約が本当に両家の関係改善のためだけだと思っていたのか? 他の理由は考えなかったのか? もっと周りを見ていれば、察することもできただろうに……!」

「────国王陛下、もうよろしいでしょう。わたくし達をこの国に留めておきたかったのなら、『カティアが蔑ろにされている』という情報を得た時点で対処するべきでした。こちらが何も言わないのをいいことに、誠実な対応を怠ったのはあなた方の責任」


 今までこの状況を静かに見守っていたカティアの両親と兄たちが、恐ろしく圧のある笑顔と共に姿を現す。

 国王の怒りに水を差すようにして口を挟んだ母は特に、レモーネ家や王家に対して憤っているようだった。


 そうして母は笑顔のままで宣言した。

 

「陛下。わたくし……夫と息子たち、そしてカティアを連れて母国に帰ろうと思います」


 母の言葉に、国王夫妻が目を見開く。やはりまだ見捨てられていない可能性を、少しは期待していたのだろう。 

 カティアとレイモンドが生まれる前から決まっていたこの婚約は、ただ両家の関係改善だけを目的としたものではない。


 ──カティアの母、ローデント公爵夫人は大陸一の国力を誇るアーリスティン大帝国の皇妹だ。


 現在はカティアの父が婿入りという形で大帝国の大公……つまり皇太子と同等の地位を持っており、ゆえに皇女となるカティアも順位こそ低いが皇位継承権を持つ。


(私とレイモンド様の婚約は表向き『両家の関係改善のため』とされていますけれど、実際は東の隣国である大帝国と深い繋がりを持つためというのが、一番の理由だったはずです)

 

 ローデント家の素性について、察している者も少なくなかったのではなかろうか。

 なにせカティアの母は大帝国の元皇女、顔が知れた存在である。アーリスティン大帝国との関わりが深い者などは、皇族の証にも気付いていたかもしれない。


「……それは大帝国側の総意か?」

「そうですわね、婚約に関しては一任されていますから。元より大帝国の皇帝陛下は、わたくし達がこちらで暮らすことを好ましく思っておられませんでした。大帝国ではこちらの国以上に大きな地位と権力を持っていますからね。それに……」

「カティアの婚約者のことを知ってからは、さらに否定的でしたね」


 大帝国の皇帝陛下──カティアからすれば伯父にあたる彼は、妹であるカティアの母を溺愛している。愛する妹の子供が婚約者やその家族に蔑ろにされているとなると、否定的なのも道理だ。

 王国に対して、ほんの少しの恩と婚約で得られる利益があったから渋々受け入れたものの、大帝国としても破棄できるのならその方が良いのではないだろうか。皇位継承権を持つカティアなら、もっと国の利益となる婚約者を探すこともできる。


「そうか……しつこく問うようだが、この国に留まるという選択肢はないのか? 留まってくれるのなら、快適に暮らせるよう手を尽くす」

「息子たちが留まりたいと言うのなら考えますけれど……」

「俺たちは別にこの国に未練などないからどちらでも」

「私も同じく」

「……ということですので、準備ができ次第この国を出ますわ。これ以上お話しすることもないでしょうし、わたくし達はこれで失礼いたします」


 何のためにそのような分かりきったことを問うのか。この国の王が手を尽くしたところで、できることなど大帝国の足元にも及ばないだろうに。


 家督を継ぐか大帝国に婿入りするか、父方の祖父たちも好きにすれば良いと言っていたようだし、今から大帝国に帰ることになっても文句は言われない。爵位は親族に継がせるなり何なり、いくらでもやりようはある。


「お待ちください」

 

 何の未練もなく、無駄に注目を浴びながらも会場から出て行こうとしたところで、ひとりの男性に呼び止められる。


(アルバート皇太子殿下……?)

 

 彼はこの王国の西に位置する隣国、メイスフィールド帝国の皇太子だ。文武両道、容姿端麗と多くの貴族の支持を集めている人である。


「不躾ながらローデント公爵。例の件ですが、条件を満たしましたのでよろしいでしょうか?」

「……ああ」

 

 核心を濁した意味深な会話に何のことかと首を傾げていると、アルバートはカティアの方へと向かって歩いてくる。


(例の件……というのは、私に関わることなのでしょうか……?)


 突然の出来事に戸惑いながらも大人しく彼の動向を見守る。


「カティア嬢……いえ、カティア皇女殿下。お久しぶりですね」

「え、ええ……お元気そうで何よりです、アルバート皇太子殿下」

「あなたも。挨拶もそこそこに申し訳ないのですが……レイモンド・レモーネ公爵令息との婚約を破棄されたのですよね?」

「はい、そうですけれど……?」


 彼はこの場に招待されていたのだから、一部始終見ていたはずだ。

 改めて確認してどうするのかと思いつつ次の言葉を待っていると、小さく頷いたアルバートは一度緊張を和らげるように深呼吸をし──そうかと思えば、その美しく整った容貌に微笑を浮かべ、カティアの前で跪いた。


 どういうことだと困惑する周囲を気にも留めず、彼カティアを見上げる。


「ご存知の通り、私はずっと……本当にずっと前から、あなたをお慕いしておりました。これで十三回目の求婚です。今までは婚約者がいるからと断られていましたが……ローデント公爵に、とある条件を満たすことができたなら、もう一度あなたに求婚するチャンスをくださると伺いまして」

「……条件、ですか?」


 それが先ほどの父との短い会話に関係しているのだろうか。ということは、例の件というのはカティアへの求婚のこと……いや、まだそうと決まったわけではない。せめて最後まで話を聞いてから考えるべきだ。


 すでに問いたいことは山のようにあるけれど、それらすべてを一旦押し殺す。 


「はい。その条件というのが、『レイモンド・レモーネがカティアに対して不誠実な態度を取っていたことが露呈すること』です。その条件はご令息自ら首を絞めてくださいましたので、満たされたことになります」


 つまり、レイモンドの自爆かあるいはアルバートが仕組んでその条件を満たすのが先か、ローデント家の誰かが真実を暴露するのが先か。前者であった場合、アルバートが再びカティアに求婚しても黙認すると。


(……いかにもアーリスティン皇帝陛下……伯父様が考えそうなことですね)

 

 これはきっと、一石二鳥どころか三鳥、上手くいけばそれ以上を狙った伯父が父に吹き込んだ言葉なのだろうと予想する。そして父にとっても都合がよかったからその通りにアルバートに伝えたのだ。


 扇子で表情を隠し、斜め後ろに立っていた父へ視線を送れば気まずそうに逸らされる。つまりはそういうことだ。


「ですから、あとはカティア皇女殿下が受け入れてくだされば婚約させていただけると。もちろん、私は政略結婚がしたいわけではありません。政略結婚ならば他の女性を選びます。恋愛結婚であることを前提に、あなたの隣に立つ権利をいただきたいのです」

「で、殿下……いつの間にお父様とそのようなお話をされていたのですか? 私は何も聞き及んでおりませんけれど……」

 

 ──そんな話になっていたのなら、当事者の私に一言でも伝えておいてくだされば良かったのに。

 

 少しの不満に、カティアは軽く眉を寄せる。


「お気を悪くされたのでしたら謝罪します。この条件が満たされる可能性は低いと思っていたものですから、あなたに余計な気を遣わせたくないと判断したのです……」


 アルバートの言葉に、今度は目を丸くするカティア。そして再び父に視線を送る。


(お父様……いざとなったら抗議できるように準備していたこと、皇太子殿下にお話ししていなかったのですか? ちょっと悪意を感じますね……?)

 

 何度も求婚してくれたアルバートに対し、父はいつも『レイモンド・レモーネではなく、アルバート皇太子殿下が婚約者なら安心してカティアを任せられるのに』と言っていた。それなのに準備していることを黙っていたとは。


 溺愛されているのは分かっているけれど、皇女かつ公爵令嬢なら結婚しない選択肢はないので、無駄な足掻きはやめていただきたいものだ。


「なるほど……あなた方の企みは理解しました」

「以後気をつけます。カティア皇女殿下、このような場で大変申し訳ありませんが、改めて言わせてください。──ずっとお慕いしておりました。何度断られても諦めきれなかったのです」

(……これまでの話の内容から、想像はついていました。私が何と言われるのか。いくら何でもここまで言われて勘付かない人はいないと思います)


 カティアは先ほどアルバートが言っていたように、すでに十二回も求婚をされている。これで驚異の十三度目。


 アルバートは数年前に王国へ留学に来ており、その時にカティアを好きになったのだと聞いた。


(今までは婚約者がいたためお断りしていましたけれど、せめて文通だけでもと言われていたので、ずっと友人の範疇に収まる程度の交流はありました)


 もちろん国境を越えてのやり取りになるので手紙の内容は検閲されており、男女としての交流でないことは証明できる。カティアはレイモンドのように、自らが置かれている立場を理解できないほど愚かではない。


(交流が途切れなかったからこそ、本当に素敵な方であることを知っています)


 文武両道なのはもちろん、容姿端麗でもあるし、何よりとても優しい。婚約者があんな感じだったから、余計にそう感じた。

 貴族らしい打算的な目で見ても、そうでなくとも、これ以上ないほど理想の相手である。

 

(これだけ完璧な方にずっと想われていたら、好きにならずにはいられないですよ……)


「何度も何度もあなたに婚約を申し込みました。以前よりは親しくなれたという自信があります。……しかし、今回受け入れていただけなかったら、もう二度と求婚しないとお約束します」


 アルバート曰く、迷惑なのは分かっているし、婚約者がいなくなった以上、断られたとしたらそれは本当の拒絶だからだろうと。


 そうしてアルバートは切なげな表情で、懇願するように言った。


「ですからお願いです、すぐに返事をしてくださらなくても大丈夫ですから……前向きに検討してはいただけないでしょうか?」


 * * *


「……娘に恋愛感情を抱く気持ちは理解できる。カティアはかわいい上に勉強も礼儀作法も、(ゴミ)のあしらい方も、すべてにおいて非の打ちどころがないからな。貴族女性の憧れの的だ。……だとしても、だ。十二回、私やカティアから断られているというのに、あなたのメンタルは一体どうなっているのか」

「私はただ彼女を想っているだけですよ。あの方は空虚だった私の心を埋めてくださいました」


 カティアが身に覚えのないことで断罪されることとなる卒業パーティーの前日。

 夜遅くに王国より遥かに大きい隣国の皇太子、アルバートはローデント公爵邸を訪れていた。その理由はただひとつ、カティアが婚約者に断罪されることになるという情報を得たから。

 

 ここ数年、留学期間を終えて自国に帰っても度々こうしてこっそりと公爵邸を訪れるようになったアルバート。そのことをカティアは知らない。カティアに会っているわけでないのなら、アルバートは何をしに来ているのか。


 それは王国から見てアルバートの国とは反対側の隣国に位置するさらに大きな国、大帝国との取引のためだ。


 最初は婚約の申し込みをしに来ていたが、文通をするようになってからはやめた。

 それでもこっそりカティアの様子を窺いに来る。どうせ来るのならお互いにとって利益の出ることをしようと決め、公爵は大帝国皇帝に代わって友好関係を築いていたのだ。そうしている内に親しくなってしまい、その結果本当に何の用もなくただ公爵と話し、カティアの様子を見て帰る、という行動を繰り返すようになっていた。


 皇太子は暇なのかと思われるかもしれないが、しっかり仕事は終わらせて来ているので父である皇帝も口を出してこない。国益を抜きにしても、カティアに嫁いできてほしいと思っているのもあるのだろう。アルバートを変えたのはカティアだから。

 

 カティアは自分がアルバートを変えたということを知らないだろうが、以前のアルバートの二つ名は『氷の皇太子』だ。


 完璧すぎるがゆえに何に対しても興味を持たなかったアルバートは無口無表情、家族にも臣下にもそれは変わらず、それでは皇太子として問題があると皇帝夫妻は頭を抱えていた。

 そんな皇太子を温厚な性格へと変えたカティアは皇帝夫妻にとっての救世主でもある。


 ちなみにアルバートが変わろうと思ったのは、少しでもカティアに好かれるため。それだけのことだった。


「それより公爵。公爵が出した条件は達成しましたので、もう一度婚約を申し込んでも構いませんよね?」

「ああ。だがカティアが受け入れるかどうかは別だ。あの子が断るなら無理強いはするな」

「それは言われるまでもなく。嫌がる彼女と結婚したいとは思いませんので。好きな女性と結婚できるのに、それが国益だけを考えた政略となっては虚しいでしょう」


 この会話も、カティアが婚約破棄されることを知っているのも二人だけの秘密だ。明日の断罪の場では知らなかったふりをする。

 そう約束し、アルバートは滞在中の王城へと帰って行った。


 


 しん、と。物音一つない静かな教室にくすりと笑う声が響いた。

 多くの貴族が通うこの学園も授業終わりの放課後となればほとんどの者が帰宅しているため、全くと言っていいほどに人の気配がない。放課後と言えどまだ明るい教室で、窓辺の席に座っているのは隣国から留学に来ている皇太子のアルバート。


 アルバートはとある目的のため、授業終わりの自主学習と称し、毎日こうして遅くまで教室に残っていた。


「彼女が来られたのですか?」

「ああ。……今日も大荷物だな」

「そのようですね。今日は一体何分であの量の書物を読み終えるのでしょうか」


 この席からは一本の大きな木が見える。

 彼女───カティア・ローデント公爵令嬢はほぼ毎日学園の書物を持ち出し、その木の下で暗くなる直前まで読み耽っていた。


 この学園は申請すれば書物を外に持ち出して良いことになっている。ただし、時間が限られているので持ち出す者はあまりいない。だが彼女の場合は例外で、教科書五冊分ほどある分厚い書物を、一冊あたり数十分という驚異の速さで読み終える。


(しかも目の動きが尋常じゃない。あれでちゃんと内容が頭に入っているのだとしたら、大したものだ)


 その大量の書物を運ぶ使用人も大変そうに思えるが、いま彼女が連れている護衛はいわゆる脳筋と言うやつで、当然公爵令嬢の護衛を勤めるだけの戦闘能力や知性もあるが基本的に鍛えることで頭がいっぱいなタイプだ。そのため大変どころかむしろ喜んで、ほぼ毎日中々の距離を重い書物を抱えて行き来している。

 

 ……と、そんなことはどうでも良い。

 結局アルバートは忙しい中毎日居残りしてまで何をしているのかと言うと、楽しそうに書物を読んでいるカティアを眺めているのだ。


 カティアには婚約者がいる。だから異性であるアルバートがそう易々と近付くことはできない。彼女の名誉を傷つける真似はしたくない。


「殿下もよく飽きませんね。敵わないことが分かっているというのに、こうして大事な時間を使ってまで彼女の顔を見たいと思えるのがすごいです。無論、殿下が良い意味で変わってくださいましたし、私としては彼女に感謝しかないのでいくらでもお供いたしますが」

「私が本気で手に入れたいと思ったのは彼女だけだからな。すでに何度フラれているか分からないが、表向きは距離を保ちつつ親しくなろうと思う」


 そう。堂々と近付くことはできなくても、こっそりならば構わないのだ。アルバートのカティアへの想いに関してはすでに多くの人間に知られているため、いくらでも手の施しようはある。


 皇太子妃として相応しい女性は他にもいる。けれどもアルバートは、皇女らしく芯の強さを持つ彼女に惹かれた。静かに策を巡らせる強かなところも良い。

 

 ──初恋は叶わないとよく言うが、アルバートはそれで終わらせるつもりなど毛頭ない。

 どんな手段を使ってでも、どんなに時間がかかったとしても彼女を手に入れて見せる、と。アルバートは、カティアに恋した瞬間から決めている。


 * * *


 前向きに検討してほしい。そんな風に訴えるアルバートの表情は、温かい微笑みの中に少しだけ切なさが混じっているように見えた。

 彼の言葉に驚くのと同時に、密かに安堵の息を吐く。


 少しだけ、不安だったのだ。アルバートはずっとカティアに愛を囁いてくれていたが、カティアにはレイモンドという婚約者がいたので断るという選択肢以外許されていなかった。

 それでも関わりを持ってアルバートのことを知っていくうちに、『氷の皇太子』という二つ名が付いていた過去ですらも、周囲が気が付いていなかっただけで本当は温かい人だったのではないかと思うようになる。真実は分からないが、カティアにとってはそれくらい素敵な人に見えた。


(それでも、いつまでも振り向いてくれない相手を愛し続けることは難しいでしょう)


 だからカティアがアルバートのことを好きになった今でも、自分の気持ちを伝えられていない以上、いつ心が離れていってもおかしくはないと考えていた。


「アルバート皇太子殿下、ひとつお聞きしたいことがあります」

「なんでしょうか?」

「殿下は諦めようとは思われなかったのですか? こうして婚約破棄されなければ私の気持ちがどうであろうとあなたを受け入れることはできませんでした」

「私はあなたに恋した時から、たったの一度も諦めようなどと思ったことはありませんよ。本当に手に入れたいものは口に出さないと伝わりませんし、行動しなければ叶うはずもない。諦める前にできることはたくさんありますから」

「そうですか……」


 別に、この質問に何か意味があるわけではない。ただ疑問に思っていたことを尋ねただけだ。それでも予想以上の熱量で語られ驚く。

 少し……いや、かなりしつこいほどに求婚してきただけはある。


「ですがカティア殿下に振り向いていただくと決めて、私もそれなりに覚悟はしていました。どんなに諦めるつもりがなくとも私を見ていただける保証はありませんので。……このような回答でよろしかったでしょうか?」

「はい、ありがとうございます」


 アルバートはカティアと婚約する、ということの意味を正しく理解しているはず。こちらの方が国力があるので、結婚することになればアルバートの方が婿入りする可能性も捨てきれないだろう。その場合は皇太子の座を降りる必要があるのだ。


 顔を隠すようにして扇子を広げたカティアは、少しだけ俯いて目を伏せる。


(……レイモンド様のことも、皇太子殿下の求婚も……そろそろ潮時ですか。()()()()の返答次第で多くの人間の運命が決まる)


 けれど今が最初で最後のチャンスだ。チラリとレイモンドの方に視線を向けた後で扇子を閉じたカティアは、もう一度アルバートと目を合わせた。


(誰かの幸福は、また別の誰かの不幸によって成り立つ場合も少なくありません。今回もそうなるでしょうね。私だって、すべてが良い結果にはなりませんでしたが……)


 それはそれで、カティアの力不足が招いた結果となるので自業自得。

 すべてが思い通りにいくはずもないのだから、どこかで何かを諦めなければならないのだろう。


「お父様、皇帝陛下はこの件に関して何とおっしゃっていました?」

「カティアの好きなようにすれば良い、と。大帝国も世継ぎには困っていないからな。詳細はまた確認する必要があるが、恐らく婚約するならカティアが嫁ぐことになるのではないか?」

「分かりました。──アルバート皇太子殿下、国家間の問題については父の言葉通りです。詳しいことは今後決めることになるでしょう」

「っ、ということは……!」

「私も、殿下をお慕いしております。私で良いのであれば、求婚をお受けしたいと思います」


 どちらの国の皇帝陛下も認めてくださることだろう。それでも互いに皇族である以上、政治が絡んでくることもある。大国同士で縁を結ぶというのは良いことだが、同時にとても大変なことだ。友好関係を結んでいるので、大丈夫だとは思うけれども。


 それでも良いのならと最終確認も兼ねて告げると、みるみるうちにアルバートの表情が明るくなる。


「ありがとう、ございます……!」

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