閑話 大神官就任の裏側 6 前編 ノアール視点 偽物魔女王の思い
「ええ。お似合いでしょう? 偽物同士」
「偽物……同士……」
私の呟きに、はい。
と、目の前の男性――魔王エリクスは静かに頷いてみせた。
「さっきも少し言いましたが、私はあの黒い洗礼を受けたのが貴女で良かった、と思っているのです。
何せ、マリカ皇女は本物ですから。ここに連れて来ても大人しく私の言うことなど聞いては下さらない。間違いなく今頃は大暴れでしたでしょうからね」
彼の言葉通りのことが容易に想像できるあたり、私もマリカ皇女に色々と毒されているのだと思う。
もし、変生とやらを受け、マリカ皇女がここに連れて来られたとしても。
彼女は多分、大人しく魔王の番などやっていない。
自力で脱出しようと騒ぐか、精霊獣を呼び寄せて『精霊神』を憑依させて暴れるか。
少年騎士や魔術師が必死になって探し、助けに来るかもしれない。
とにかく、魔王の思い通りにはいかなかったことだろう。
それは逆に言えば、私であれば彼らは危険を犯してまで助けには来ないだろうという確信でもあった。
「そうですね。貴女が思う通り、彼女を取り戻しに強敵達がぞろぞろやって来ますし、何より彼女の側には本物の『勇者』アルフィリーガがいる。
僕になど眼もくれては下さらないでしょう」
そうだろうな、と思いながら、私は気付く。
今、私、自分の考えを言葉にしただろうか?
「ああ、失礼。
僕には人の心、記憶、思いを読み取れる能力があるのですよ。
直接触れなければ感情の機微を感じ取るくらいですが、手を触れて、その気になれば相手の心の中をかなり深く読み取れます。
もっとも、今は貴女の表情を見れば十分でしたが。顔にわかる、わかる。と書いて下さっていましたからね」
びくり、と身体が強張ったのが解った。
心を読まれる、と聞いて嬉しい思いになる人は多くないだろう。
ましてや私は、自分がマリカ皇女に対してどす黒い感情を抱いていることを自覚している。
「ワザと、ではありませんが、貴女をこの城に連れて来る時、少し貴女の思いが伝わってきました。
マリカ皇女に救われ、良い環境に置かれながら、自分と彼女との差を感じて苦しみ、どす黒い澱を胸に抱いていた」
そうか、と私は思う。
この男は私の心の中を知っているのだ。
「ズルい、ですよね」
地獄から救い出してくれたマリカ皇女に恩を感じながらも、生まれついての差。
その不公平さを呪う。
私の昏い心の澱を。
「彼女は生まれながらに、ありとあらゆるものを持っていた。
二国の血を引く英傑の才。優しい親。溢れる才能。誰もが目を引く美貌。
『精霊』――いえ、『神』と『星』をも寵愛する能力と、各国の国王達を味方に付け、誰にも好かれる愛らしさ。
彼女は一人で、人間が持つ美徳その全てを持っていると言っても過言ではない」
それに、実は生きた精霊。
魔王と呼ばれた存在の転生。
それも加わる。
彼がそれを知っているかどうかは解らないけれど。
「誘拐され、苦難の中で子ども時代を生きたとは聞きます。
それでも。
あまりにも生まれ持ったものが違いすぎると思うのです。
……僕には、貴女の気持ちがよく解ります」
私の思いを理解してくれる。
そんな不思議な親近感を彼は私に与えていた。
「僕自身は恵まれた容姿を授けられ、読心の能力を持ち、勇者の転生と崇められる環境にありましたから、貴女の苦しみのほんの一部も本当は解っていないのかもしれません。
ただ、僕も真実の才能。
生まれ持った資質の違いに叩きのめされた人間です。
いえ、自分には才能があると驕り高ぶっていたからこそ、真実の才能の前に己との違いを実感し、求めていたものは決して手に入らないと知らされてしまった」
彼もまた、生まれついての才能の差を見せつけられた同胞なのだと思えたからだ。
「恥ずかしい話ですが、真実を知り、自分が偽物であることを自覚したことで、僕は逆に自分という存在に自信が持てた気がするのです。
偽物は偽物。どうあっても本物にはなれない。
けれど、偽物だからこそできることもあるのだと。
恥ずかしい話ですが」
そう言って、照れくさそうに微笑みながら彼は私に手を伸ばした。
「いかがです?
偽物同士。
本物に一泡吹かせてやりませんか?」
魔王の微笑と共に。
「選択権は貴女に差し上げます。
皆の所に戻り、光の中でマリカ皇女と共に在りたいのであればそうなさって下さい。
元の身体には戻れませんが、魔術師として、あるいは神官として。
今の貴女なら、尊重される道はあるでしょう」
それは正しく魔の誘惑だった。
「魔王城に、僕の側に残るのであれば人の敵。
幸せに生きる道は閉ざされますが、魔女王として尊重します。
全ての魔性と精霊は貴女に従い、ひれ伏すでしょう。
無論、僕も貴女を愛し、女王として敬います。
僕には貴女が必要なのです」
魔女王。
自分が望んでいたもの。
特別な存在への道が開かれる。
世界でただ一人の存在になれるのだ。
ただ、人としての人生を捨てさえすれば。
「魔王の番……ということは、私は貴方に抱かれることになるのですか?」
震える声で問いかけた。
「無論」
彼の答えは単純明快に返る。
「この魔王の城には貴女と僕の二人きり。
兄弟でもない男と女が愛し合い、一つの屋根の下で暮らすのに、そううならないことはむしろ不自然でしょう?
大切に思うのであれば、それは言葉ではなく行動で示すべき。
僕はそう考えます」
あの少年騎士よりはずっと。
「ですから、望まないのであればそう言って下さい。
直ぐに外へお返しします。
時間が経てば経つほど、貴女に愛着が湧いてしまいますから。できれば早い方が……!」
魔王の前で、私は服を解除する。
最初に目覚めた時と同様に、指輪以外何も身に着けない、生まれたままの姿になった私を見て、彼が息を呑んだのが解った。
「きゃあっ!」
そのまま彼は、私の手を掴みベッドに向けて押し倒した。
そして覆いかぶさってくる。
両手首は彼の手で寝台に縫い留められてしまった。
細身の割に力が強い。
身動きができない。
そのまま唇を奪われた。強引に重ねるように、貪るように。
唇を舌で割り貪欲に絡めとってくる。
慣れているようで慣れていない。そんな感じだ。
童貞、ではないだろうけれど、経験豊富ではなさそう。
そんな生意気なことを考えながら、自分もそれに応えるように舌を絡めた。
お互いに息ができない程に互いを味わって、唇を離したころには息も絶え絶え。
でも。彼は真っすぐに私を、私だけを見つめている。
「挑発しているのですか? 貴女は」
「挑発しているわけでは無いですけれど……」
顔が近い。
金の髪、碧の瞳。
精霊の色を宿した誰もが憧れる勇者の転生が、熱っぽい眼差しで自分の上から見つめているなど一年前の私には想像もできなかったろう。
これと同じような場面は何度もあったけれど。
プラーミァの貴族家で飼われていた時……力で初めてを奪われた時から幾度となく。
「私は、乙女ではないですよ」
「え?」
彼の目が瞬いた。
読心できるのなら解るだろう。
それでも、はっきりと言葉にしておきたかった。
言質が欲しかった。
「私はプラーミァで性奴隷として使われていました。
マリカ皇女のように『聖なる乙女』を后にお求めなら、ご期待には沿えません。
それでも構わないのなら」
一度息を吸う。
そして、胸の奥にしまい込んでいた本音を吐き出した。
「私を……番にして下さい」
性奴隷から解放されても、一度そういう過去を持つ娘が普通の結婚をするのは難しいと知っていた。
子どもの数が少ないこの時代。
子どもや子ども上がりが、まともな相手を手に入れられることもほとんどない。
皇女のように、勇者の転生が婚約者として側にいて、誠実に愛してくれるなどまず有り得ない。
皇女は理解するべきなのだ。
その一点だけでも、自分がどれほど恵まれているのかを。
「私は、マリカ皇女のようになりたかった。
皆に愛され、必要とされて。
自分がそこにいてもいいのだと。
貴女が必要なのだと言って欲しかった」
能力。
外見。
愛してくれる家族。
財力。
そんなものも確かに羨ましかった。
けれど。
「マリカ皇女の代わりでも構いません。
私を愛して、ずっと側にいて下さい」
一番欲しかったのは、きっと勇者の転生だ。
自分だけを愛し、愛してくれる存在。
この男なら何も隠す必要はない。
心の醜さも、嫉妬も、劣等感も。
全て知られているのだから。
エリクスはしばらく黙っていた。
やがて、そっと私の頬に触れる。
その指先は不思議なほど優しかった。
「約束しましょう。我が魔女王。
我が命尽きるまで、貴女の側に」
その言葉に、張り詰めていた何かがほどけた。
私は彼へ手を伸ばす。
彼もまた私を抱き寄せた。
漆黒の翼。
闇色の角。
人外の魔王。
けれど、その腕の温もりは確かに人のものだった。
「愛しています。ノアール。
我が『黒き乙女』」
「エリクスさ……ま……」
その囁きに応えるように、私は目を閉じる。
彼は、私に触れ、抱きしめ。
貪り、食らう。
彼との接触は、交わりは、私を変えていく。
変生よりも確実に。
変生よりも深く。
私はもう、人あ間の世界へ戻れない場所へ足を踏み入れたのだと理解していた。
けれど構わない。
私は欲しかったものを手に入れたのだから。
必要としてくれる誰かを。
自分だけを見てくれる存在を。
「偽物同士、本物に解らせてやりましょう。
我々の意地を、思いを。
そして、いつか彼らから……」
「はい。共に……」
その後、魔性は魔王エリクスの指揮のもと、増加の一途を辿り人々を襲う。
死者こそ出なかったが、畑や人の精霊力を喰らう彼らは、平穏だった不老不死世界の脅威となった。
時に、その傍らに美しき魔女王の姿が目撃されることもあったという。
だが、彼らの居場所は二年を過ぎた今も、ようとして知れない。




