第三十一話 逃亡は救出の後で
「どうすんだよこれ」
ルシがヴェーゼンの胸ぐらをつかむ。
「僕は悪くない。悪いのはルシだ」
対するヴェーゼンも悪びれる様子もなく言い放つ。
「俺だって悪くない。悪いのはメランコリアだ」
「わ、私ですかな?」
メランコリアはわずかな動揺を見せる。
その後すぐに咳ばらいをして、
「そもそも、キフェル氏を助けに行くのではないのですか?」
それに対して、
「…でも追手がいる。俺はつかまりたくないんだよ」
ルシは困ったように言う。
「そもそも、キフェルってどこにいるんだ?」
ヴェーゼンは呆れたように言う。
同じ景色ばかりで現在位置もわかりやしない。
「…行けばわかりますよ」
メランコリアは陰のある笑顔でこぼす。
そして、くるりと踵を返す。
歩き出したのはさらに闇の濃い裏路地だった。
「あ、待て」
何かに魅入られるように歩き出すメランコリアを慌てて追いかける。
「この下に、聖域はありますよ」
四方を建物に囲まれた袋小路。
その真ん中の排水溝をメランコリアは指す。
「下水道?」
ルシが顔をしかめながら排水溝をのぞき込む。
それからヴェーゼンの方に振り向いてそういう。
「いいえ、ここはどこにもつながらない行き止まり」
メランコリアはルシとヴェーゼンの顔を眺めてから微笑み、
「この町一番の闇です」
ゴンッ
ヴェーゼンが排水溝の蓋を外す。
「私はここまでです。あなた方を導いたことがばれると都合が悪いので」
メランコリアは恭し気に礼をすると、
「では、失礼します」
そう言って裏路地の闇の中に溶けていった。
「……ルシ。この先に何があるか知ってるか?」
ヴェーゼンは底なしの穴をのぞき込む。
簡素な石の足場だけが頼りだった。
「知るわけない。俺はただ矯正させられただけだよ」
呆れたようにルシはいう。
しかし、その目も穴へ固定されていた。
そのうえ、手は小刻みに震えていた。
「それで?どうする。灯りなんて持ってない」
ヴェーゼンは内ポケットを探った末に言う。
「…それなら持ってるよ。着火用のライター」
ルシは神官服から小さなライターを取り出す。
何に着火するのだろうという疑問がヴェーゼンの脳裏をよぎる。
「爆破するのにも火種が必要だからね」
ルシは自信満々に言った。
「じゃ、僕先に行くからついてきて」
そして、ヴェーゼンは足場を使わずに飛び降りる。
「は?え。足大丈夫?」
幸いにも高さは五メートル程度だった。
「大丈夫だ。それよりその足場は使わないほうがいい」
ルシがまさに足を掛けようとした石の突起を指して言う。
「風化してる」
ガララ…
少し手が触れただけで砂になってしまった。
「…おかしいな。僕が来たのは六か月前なんだけど」
「何やらかしたんだよお前…」
そう言いつつヴェーゼンはあたりを見渡す。
ライターの頼りない灯りだ。
かろうじで前が見える程度の。
グキッ
「…で?なんかあった」
ルシは、怪我をしたような音を立てながら落ちてきた。
「足元が石畳ってことぐらいしか」
ヴェーゼンは一本道を左に行く。
もう片方は完全な行き止まりだった。
コツコツコツ
歩き続けること約五分。
今だ何もない。
「ルシ、何か知らないか?」
後ろにいるであろうルシに問いかける。
「いや、俺も詳しくは知らないよ」
そう前置きして黙り込む。
沈黙はまるで氷のように冷たかった。
「どうかしたか?」
ヴェーゼンはどうでもいいように尋ねる。
立ち止まっているルシをよそに先に進んでいくぐらいに。
どうでもいいことなのだ。
「…少し先に受付がある。聖騎士とかしか出入りできないようになってる」
ヴェーゼンは足を止めて振り返る。
「声が聞こえた。嘘じゃないな」
「何で疑ってるの?」
ルシは戸惑いを隠せないように言う。
もちろん、小声だ。
「…僕がルシを捕まえて投獄しに来たことにする」
ヴェーゼンは涼し気にそう言って歩き出す。
「え、なんで僕つかまるの?」
松明の灯りが揺らめいていた。
固く閉ざされた錆びた鉄の戸がきしむ音が響く。
ガンガン
「…何用だ?少年兵」
出てきたのはくまの濃い騎士だった。
「…聖女をとらえた。投獄までの護衛をしている」
ヴェーゼンはルシの服の端をつかんで見せる。
「…よいだろう。何者であろうと聖女をとらえたのならば」
そう言って騎士は鍵の束を渡す。
「これはなんだ?」
ヴェーゼンは受け取りつつ問う。
「…取調室地下二階、地下三階その他の鍵」
ぶっきらぼうに騎士はいうと鉄の戸を荒々しく締めた。
向こう側からはわずかに寝息が聞こえてくる。
「行くぞ」
グイッと服の端を引っ張るとルシはよろめく。
「ちょっと、俺聖女なんだけど?もっと丁寧に扱ってよね」
ルシはそう言いつつ先を行くヴェーゼンについていく。
「…階段?」
その先に合ったのは、消えかけのランタンが揺れる闇だった。
コツコツコツコツ
いくら降りたのだろうか。
無限に続くような螺旋階段をルシとヴェーゼンは降りていた。
「ねぇ、これ帰れなくなったりしないよね」
ルシが不安げにこぼす。
「…さすがにそれはないと思う」
風の音も叫び声も聞こえない完全な無音が不気味だった。
「地下二階――か?」
螺旋階段の小さな踊り場だった。
そこに、錆びた鉄のドアがあった。
「なぁルシ――」
ガチャ
ヴェーゼンがルシと相談するより早かった。
ルシが扉を開けるのは。
幸いにもカギはかかっていなかった。
「何で開けるんだよ」
「いやだって、そうしないと先に進まないじゃん」
少しだけ不満げにルシが言う。
ギィィィ
悲鳴のような音をあげて扉は開く。
「……」
その光景に二人は言葉を失った。
長い回廊だった。
各所には暗い牢獄がはめ込まれていた。
聞こえてくるのは鎖を引きずる音。
呻きも叫びも聞こえない。
「ひどいな」
ヴェーゼンが近くにある牢屋の中をライターで照らす。
人が一人、横たわっていた。
胸が上下しているため生きてはいるようだ。
「…やっぱり、碌なところじゃないね」
ルシは腑に落ちたかのように回廊を歩く。
ガン
ほんの一瞬ヴェーゼンが意識を牢屋から放したとき。
先ほどまで横たわっていた人間が鉄格子に寄り掛かる。
いや、まるですがっているかのようだった。
「…たスけテ。ハらへッタ」
「うわぁ…」
ルシは若干離れる。
「ふーん」
それだけ言ってヴェーゼンは離れる。
目的はキフェルだ。
「…助けてあげないのか?」
ルシが少しだけ首をかしげる。
やはり、ヴェーゼンとは価値観が違う。
「英雄ごっこをやる時間はないんだ」




