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竜眼公の日常  作者: 伊簑木サイ


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番外編 ウィルバートの謝罪

「お話ししたいことがあるので、今度少し時間をとってもらえませんか?」


 覚悟を決めて、後ろから声をかけた。言おう言おうと思って、もう一ヶ月以上経っている。その間にランダイオやムンドールにお供して、なんとなく侍従の位置に就いてしまった。これ以上は遅らせられない。


 階段に片足を掛けた状態でピタリと止まったギル、いや、御城主は、ゆっくりと振り返った。


「うん、かまわないけど」


 ほっとする。

 困惑させているのがわかる。動きがゆっくりになるのは、考える時間を稼ぐためと、落ち着かない仕草を見せると大旦那様にみっともないと叱られるからだ。


 じっと見られている。真っ黒な光彩に縦にはしる金の瞳孔が、日陰のここでは半分ほど開いている。明るい場所に行けば細くなる。猫の目と同じだ。この竜眼の動きにおののく者は多い。


 御城主が少し胡乱げな目つきになった。長い付き合いだ、俺の表情の微細な変化から、竜眼は面白いなあとか、やはり待ては苦手なのかとか、微笑ましい気持ちになったのを、たぶん見抜かれた。


「いや、今聞く。今なら時間ある。ウィルバートは? 今じゃ駄目なのか?」

「今ですか……? うーん、今……。……いいです、けど……」


 ここまできてなお、勇気が要るとは。さっきした覚悟はなんだったのか。俺の覚悟はこの程度なんだなと、自嘲がこみあげてきた。

 対する御城主は、よしとばかりに顎をしゃくった。


「ちょうどいい、そこの客間で話そう」


 竜殺し特有の身の軽さで急ぐその背を追って、俺も全速力で階段を上った。




 向かい合わせのソファにそれぞれ座った。

 緊張する。せめて斜向かいにすればよかった。


「それで、話ってなんだ?」

「今まで申し訳ありませんでした」


 頭を下げる。

 まずはこれだ。後にも先にもこれ。これだけは伝えておきたかった。


「なんの謝罪だ!? 謝らなきゃならないような何をしでかしたんだ!?

 ……いや、大丈夫だ、なんとかする。話してくれ」


 半ばのけぞって慌てていたのに、後半、覚悟が決まりきったまなざしで、前のめりになっている。どうやら、俺が何かやらかしたのを、相談していると受け取ったらしい。


 俺の失敗を信じて疑ってないのも腹立たしいが、それをなんとかすると言い切っているのも腹立たしい。


 ……いっつも、まわらない口で俺のこと「ウィーバー、ウィーバー」と呼んでは、よちよち追いかけてきて、ついてまわっていた分際のくせに。


 ……いや、だから、俺はいつまで兄貴面しようとしているんだか。それが間違いの元だったってわかっているのに。


「先に言っておきますが、あなたが想像しているものは全部違います」

「どうして俺の考えていることがわかるんだよ」

「なんとかしてもらわなきゃならないことは何一つないからです」


 安心して話を聞いてもらうために断りを入れたのだが、ギルは、いや、御城主は、どことなく拗ねた表情になって、ソファの背もたれに寄りかかった。


「じゃあ、なんなんだよ!?」


 ほとんど横柄に言われるが、これは甘えている時の特徴だ。一時期――俺がツンケンしていた間――は鳴りを潜めていたけれど、侍従の位置に就いてから復活してきている。気安い従兄弟の関係。……だからこそ、なあなあにしたくない。


「あなたに『竜殺しとしての自覚を持て』と言っておりましたが、あれは、あなたの才能を妬んで、己のできなさに向き合えなかった、私のいたらなさから出たものでした。申し訳ありませんでした」


 ギルが五才、俺が七才の時に、父にもう稽古の相手はやめるように言われた。ギルの身体能力が上がって、速さでも力でも押され始めたからだった。

 それでも兄貴面したくて、相手をして。それで腕を折って、額が切れた。ケイ様が途中で気付いてかばってくれていなかったら、死んでいたかもしれない。


 ……それが、どうしても、どうしても、認められなかった。

 たった五才の小さな従兄弟に、負けたことが。


 悔しかった。それ以降、どんなに必死に鍛錬しても、追いつくどころか、次元が違った。俺はあんなに速く重い突きを繰り出すことはできない。鎧を一刀両断にもできない。塔の上から飛び降りたら死ぬし、足場を飛んで渡ることもできない。果実酒の入った樽を両肩に載せて、城門から駆け上ってくるのも無理だ。

 何をどうやっても、身体能力に雲泥の差がある。


 では読み書き計算をと頑張ったが、それすらかなわなかった。

 ギルはペンの性能のせいでそれほど速く書けないだけで、本当は俺の十倍ほどの速さで、読んで、計算していく。

 竜殺しは頭のはたらき自体が速いと言われている。体をあれだけ速く動かすのに必要なためなのだろうと。


 父にはギルが生まれる前から、いつか仕えることになる方だ、しっかりお守りしろ、と言われていた。きっと、言われなくても守っただろう。俺に遊んでほしくて追いかけてくる、小さな従兄弟がかわいくてしかたなかった。


 だけど、よちよち歩いていた従兄弟は、あっという間に俺より強くなってしまった。稽古の相手なんて、もうしてやれない。勉強だって、教えてやれることなんかなくなった。なのに、相も変わらず兄として慕ってくる。俺のほうが秀でたものなど、何一つないのに。


 自分のできなさを突きつけられているようで、いたたまれなかった。

 己が竜殺しであることに無自覚であるギルが、苛立たしかった。

 それで、「竜殺しとしての自覚をお持ちください」と言って線を引いた。おまえが優秀なのは、竜殺しだからで、俺ができないのは、ただの人だからだ、と。


 ……それが本当はどんな意味を持っているのか。俺こそがわかっていなかった。


 愚かにも、その意味に気付いたのは、竜が襲ってきた時だった。


 ギルは、大旦那様やケイ様と一緒に飛び出していった。あの、巨大で凶暴な、竜の前に。竜殺しである、というだけで。


 ――竜殺しとしての自覚を持て、とは、その身を人々の盾にしろというのと同じだった。


 ギルは無事だったけれど、ケイ様は死に、大旦那様が大怪我をされた。

 予定よりも早く城主になってからは、ギルが一人で矢面に立つようになった。竜殺しが襲ってきても、異常な大きさの異獣に対しても。海千山千の大人達を相手にしなければならない外交まで。


 俺が、ただの人である俺達が、たった十五才のギルに、それを強いている。


 ……本当は、そんなのおかしいんじゃないのか? いくら強くて秀でているからといったって、たった一人だぞ? その何倍もいる俺達人が力を合わせたら、どうにかできるものはもっとあるんじゃないのか?


「……うーん、つまり、嫉妬されていたってことか?」


 ズバリと言われて、息が止まりそうになった。が、頷く。


「そうです」

「じゃあ、貸し一個な」


 目を瞬く。かしいっこ、とは?


「俺がやってもらいたいことができた時に、なんか言うこと聞いてもらう」


 今も割とそうでは? と思いつつ、わかりました、と頷いた。


「よし、約束だからな」

「はい、約束します」

「俺に意地悪したことに対しての貸しだからな」

「はい」


 神妙に答えたのに、なぜかニヤッとされた。


「でも、おまえの言い分は間違ってなかったぞ。俺は自分を、ちょっと力が強いだけの人だと思っていたからな。本当に、竜殺しとしての自覚がなかった」

「いえ、それはないでしょう。そうでなければ、自分の命はエヴァーリのものだなどと言えるわけがありません」


 今度はギルが目を瞬く。口を開きかけたので、どうせ反論だろうと、先にたたみかける。


「俺は見てきたから知ってます。どれほど実戦さながらに、ケイ様や大旦那様に叩きのめされていたか。書記(ウォリツク)殿や家令(サマル)殿、前の財務係殿に、厳しく業務を叩き込まれてもいましたよね。できなーい! と叫んでは、すぐに、もう一回! と、できるまで何度でも指導をお願いしていました。毎日。どんな困難も投げ出すことなく。あなたはいつだってエヴァーリのために努力していたじゃないですか。

 あなたになかったのは、自分ができすぎるくらいにできた竜殺しだっていう自覚だけです」


 自分で言ってて、ああ、そうか、と腑に落ちた。できすぎた従兄弟だから、よけいにムカついていたのだ。俺よりはるかかなたの高みにいるくせに、本人はまだまだだって思っているのが。


 部屋の中はけっこう薄暗く、ギルは金の瞳孔が丸く開いた目で、俺をまじまじと見ていた。こういう時の目は、キュルンとしてかわいい。


 そのうち、とうとつに、ふはっと笑った。


「ウィルバートは俺のこと大好きだよな」


 どうしてこいつはこうデリカシーがないんだろうな!? 


「話は終わりましたので。以上です。ありがとうございました」


 気付くと、そう断っていた。席を立って、さっさと部屋を出る。

 なのにギルは、音もなくスッと俺の横に並んだ。


「なんで怒るんだよ。俺もおまえのこと大好きだってば、なあ、そんなに怒らなくったっていいじゃん、なあってば、なあ」


 右から囁かれば左を向き、左から囁かれれば右を向くと、そのたびに俺の顔を覗き込もうと、俺の前をうろうろしだす。

 小さい頃そのままの行動だ。あの頃はかわいかった。つい絆されたものだった。

 だが今は、でかい図体に声変わりの終わった低い声で、うっとうしい。


「うろうろしない! 領主なんだから、俺の前を威厳をもって歩いてください」

「えー?」

「ルーシェ様に見られても知りませんよ」


 ハッとしたように鋭い目つきで周囲を確認し、さっと前を向いて悠々と歩きだす。

 それで気付いた。こいつ、また背が伸びている。


 身長も超される日が来るかもしれないなと、少し遠い目になりつつ、その背を追った。

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