21. レストランにて
このお肉屋さんでは獲物の持ち込みを受け付けている。
主に冒険者向けのサービスで、クリスが獲ってくるお肉も最近はここに解体をお願いして必要な分だけライラが引き取るという形に落ち着いていた。
クリスがお肉屋さんの扉を開けて入っていく。
「来たわよ! オーナーいる?」
「おう、クリスじゃないか。ん? 今日はライラさんとこのお嬢ちゃんも一緒か」
出迎えたのはスキンヘッドがキラリと光るお肉屋さんの店主だった。白い口ひげとたくましい腕の筋肉が目印の、少し小太りのおじさんだ。
以前、店に来たときには解体作業を少しだけ見せてもらった。吊るされた牛の枝肉に巨大なナタのような肉切り包丁を叩きつけて、牛を縦に真っ二つに切断していた。
豪快で荒々しい作業に見えたのに断面はまるで鏡みたいにぴかぴかで、この道30年のベテランだという言葉の重みを実感させられたものだ。
「こんにちは。今日はライラさんのおつかいで来たんです」
ライラから預かっていたメモをオーナーにわたす。
「なんだ。わざわざ取りに来たのか? 言ってくれりゃあこっちで届けるのによ。あいにく今日は作業が立て込んでてな。昨日のノコギリイノシシはこれから分けるところだ」
オーナーが親指で示した先には、大きな肉が吊るされていた。
ノコギリイノシシの特徴である刃物のような外皮と内臓が取り除かれているので、今ではもうただのお肉の塊にしか見えない。
「せっかく来てくれたんだ。待ってる間うちのレストランで肉でも食っていってくれ」
精肉所の隣には、ここで解体したお肉を使ったお肉料理専門のレストランが併設されている。
レストランにはまだ入ったことがなかったので、ちょうどいい機会だ。
「いいですね。クリスさん、食べていきましょう!」
「ええ。まあいいわよ」
レストランの内装はダークカラーの木材で統一されていた。
店内に漂う甘い脂の匂いも相まって、美味しいお肉を出してくれそうな期待感に満たされている。
「わ……、なんだか思っていたよりおしゃれなお店ですね。クリスさんは、このお店来たことあります?」
いかにも高級店といった雰囲気に、私はちょっと気圧されていた。
「も、もちろんあるわよ」
クリスはうなずいて、私を案内してくれた。
席についてメニューを見てみたものの、文字を勉強中の私にはちょっとむずかしい。
「う……何が書いてあるのか全然読めないです……」
「しょうがないわねーシホは。わたしが注文してあげるわ。それじゃあシホには看板メニューの熟成メガステーキと、わたしは……そうね、この最高級のステーキをもらおうかしら!」
慣れた様子でクリスがスタッフに注文する。しばらくすると、私の前には大きな肉の塊がどーんと置かれた。
対してクリスの前に置かれた肉はやけに小さかった。ほとんど一口サイズだ。
「は?…………」
クリスは一瞬、ウェイターを呼び止めるように手をあげかけたが、すぐにその手をおろした。
顔には明らかに不満そうな表情が浮かんでいる。
クリスは私に向けて言った。
「あ、あんまりお腹空いてないからこのくらいで充分なのよ!」
「そうなんですか……?」
私が巨大なお肉を相手にナイフとフォークで切り分けてやっと一口目にありついたころ、クリスは小さなお肉を食べきってしまっていた。
空っぽになったお皿を見つめるその表情は少し悲しそうで、やっぱり物足りないようだった。
私は、一口サイズに切り分けたお肉の切れ端をフォークに刺してクリスの前に差し出した。
「クリスさん、あーん」
「なっ、なによ、いきなり」
「一緒に食べましょう?」
「は、恥ずかしいわよ、こんなところで……!」
「早く食べてくれないと冷めてしまいます。クリスさん。あーんしてください。はやく」
「わ、わかったわよ! あー……ん」
クリスがぱくりとお肉に食いついた。口についたソースを指で拭いながら、遠慮がちに咀嚼する。
「美味しいですか?」
「お、美味しいわよ……」
「ふふ、よかったです」
お肉は柔らかく、噛むほどに閉じ込められたうまみがじゅわっと飛び出してきた。
ライカ亭で食べたステーキもとても美味しかったけど、こちらはさすがお肉の専門家なだけあってワンランク上の味がする……ような気がする。
クリスが小さな声でつぶやいた。
「……本当は初めてなのよ」
「なにがです?」
「この店に来るの……。わたしが頼んだお肉、あんなに小さいなんて知らなかったし」
「そうなんですか。でも……あれ?」
来たことがあるようなことを言ってなかったっけ。
と思っていると、クリスは少し言いにくそうに口を開いた。
「……だって、こんなお店に行きつけてたら、かっこよく見えるじゃない?」
「そんなところで見栄を張らなくても」
「う、うるさいわね! もう、どうでもいいわよ。今日は変なところばっかり……最低だわ……」
頬杖をついていじけたように顔をそむける。
「まあまあ。まだお肉は沢山ありますから、いっぱい食べましょう。すぐ切り分けますねっ」
と言いながらもナイフはなかなか通らない。よいしょよいしょと巨大な肉塊を相手に苦戦していると、向かい側からクリスもナイフとフォークを手に参戦してきた。
「じれったいわね。わたしがやるわっ」
クリスはすぱすぱとナイフを入れて、きれいな一口サイズに切り分けた。
「すごいです、クリスさん。かっこいいです!」
「今おだてられても皮肉にしか聞こえないわよ!」
クリスはお肉をフォークにさして、私の前に差し出してきた。
「あ、あーん……」
「え? これ、私にですか?」
「あ、あんたが始めたんでしょ!」
「あっ、はい。あー……ん」
もぐもぐ。とっても美味しい。
私たちは交互に食べ合いながら、お肉の塊をお腹に収めたのだった。
その日の夜。
私が着替えを済ませてベッドに入ると、クリスはベッドの横で気まずそうに立っていた。
「クリスさん、どうしたんですか?」
「……ごめんなさい」
クリスが急に謝罪の言葉をのべた。
「えっ、なんですか、急に」
「あの……今朝の……一応、ちゃんと謝っておこうと思って……」
「今朝?」
「ゆ、夢だと思ってて……。あんなことするつもりじゃなかったの。本当よ?」
クリスは寝間着のすそをぎゅっと握りしめて、懇願するような目で私を見た。
あんなことってなんだろう。なにかされたっけ……?
「あの、私は別になんとも思ってませんから、そんな謝らなくて大丈夫ですよ」
と言いながら、ふと思った。
「クリスさんは……おっぱいが好きなんですか?」
「はっ、はあっ!!?? なに言ってんのよ!!」
「お風呂に入ったときもずっと見てましたし」
「そっ、そんなこと……」
クリスの顔がゆでダコのように赤くなる。
「いいんですよ。なんとなく気持ちはわかります。だって、私もクリスさんの――」
「え、えっ、ちょっと、そんな急に――」
「筋肉を触ってみたいなってずっと思ってましたから」
「え、なんて?」
「筋肉です。触らせてもらえませんか? おんぶしてもらったときに感じた僧帽筋の盛り上がりと大きな三角筋が忘れられなくて……」
「…………何言ってるのかわからないけど、筋肉? まあ、好きにすれば?」
クリスが力なくベッドに腰を下ろす。
「本当ですか!?」
私はうれしくなってベッドの上を滑るようにクリスに近づいた。
背中や肩にぺたぺたと触れてみる。
おや、と思った。
多少筋肉質ではあるものの、やわらかくて丸みのある女の子の体つきだ。
うーん……?
前に触ったときは、もっと固くてがっしりとしていたはずなんだけど。
「あの……クリスさん、少し力を入れてみてもらえますか?」
「いいけど。こう?」
クリスがそう言った瞬間、手が触れていた肩の肉が盛り上がり、かちかちの筋繊維が指先に伝わってくるような仕上がった筋肉が姿を表した。
「えっ! すごい! どうやったんですか!!??」
「べ、べつに。ちょっと力入れただけだけど?」
さっきまでかちかちだった筋肉がしゅわっと溶けてしまったみたいになくなって、やわらかい体に戻る。
「もう一回、もう一回やってみてください」
「う、うん」
肩のお肉に沈んでいた私の指が、かちかちの筋肉に跳ね返されて、ぴーんと弾かれた。
「すごい……。あの、上腕二頭筋を! こうやって力こぶを作ってみてください!」
「わ、わかったから、少し落ち着いて」
私はクリスにねだって片腕で力こぶをつくるポージングをしてもらった。
「えーっ! すごいっ、ぶら下がってもへっちゃらです! これはもう住めますね! 私ここに住みたいです!」
「住めないわよ! なにおかしなこと言ってるのよ!?」
「次は腹筋! シックスパックが見たいです! お腹を見せてください!」
「わかった……って、お腹なんて見せないわよ! 恥ずかしい」
「いいじゃないですか。お風呂にも一緒に入ったんですから」
「お風呂はお風呂でしょ! ベッドの上だと、なんか……なんか、変な感じになるじゃない」
「クリスさんは私のおっぱい触ったのに……」
「わ、わかったわよ! ふ、服の上からならいいから」
「わーい」
後ろから手を回してお腹を触る。
さわさわ。まだお腹はやわらかく、すべすべしている。
「力を入れてみてください」
柔らかかったお腹の筋肉がぎゅっと収縮し、すきまに指が入りそうなくらいに割れたシックスパックが現れた。
「わ、わああ! 凄いです、凄いですよ、これ!」
「ちょ……っ、手付きが……っ」
「1,2,3……6個じゃ足りません! 一体いくつに割れてるんですか!?」
「く、くすぐったい……。くっ……シホ、や、やめなさいってばっ!!」
「きゃっ」
調子に乗りすぎた。
怒ったクリスが私のうしろに回って羽交い締めにする。乱れた呼吸が私の耳をくすぐった。
「フーッ、フー……いい加減にしなさい……っ!」
がっちり拘束されて身動きがとれなくなる。
「っ、全然動けないです……! あ、でも、こっちの腕をまげて、首に回すと絞め技になりますよ」
「え、え? なに……? こうすればいいの……?」
クリスは戸惑いながらも私の首に腕をまわした。
がっちりと噛み合って、スリーパーホールドの体勢になる。
「はい、それで力を入れてみてくださ…………い、息……が……っ」
「えっ、ちょっと!? 大丈夫?」
「……あぁ……ぁ…………はっ、落ちそうになってました……さすがです」
心配するクリスを尻目に、私は意識が飛びそうになった感覚を反芻していた。
自分の力では絶対に外せなかった。あのとき、クリスが私の全部をにぎっていた。
強い力で押さえつけられるのって、なんだかぞくぞくして気持ちいいかもしれない。
「あっ、あとはですね、こういうのもあるんですけど――」
私は、クリスにかけてほしい絞め技をうきうきしながら説明した。
「うーん、言葉で説明されてもわかりにくいわね。ためしにやってみてくれない?」
「ええと――こういう感じ、でしょうか。どうですか?」
「間接が曲がらないように固定するの? へえ、面白いわね。それなら、こういうのはどうかしら?」
クリスはクリスで武術に興味があるらしく、私に絞め技や間接技をかけてくれた。
その後もプロレスごっこでどたばたとやりあって、二人して疲れ果ててその日はぐっすりと眠ったのだった。
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