第70話 「なにもないなんて」
俺たちが転移したのは山の中だった。どこに飛ぶのかをイメージしてなかったから、今どこにいるのか分からない。
「ここ、どこだ……」
不発になる可能性もあった。さっきまでの俺は、ソニアとシャルを守ることに必死すぎて、それ以外考えてなかったから。
「カイリ、すまない……」
「シャル、どうしたんだその傷!」
シャルの右足に焦げたような跡が付いていた。前までそんな傷は見たことない。
「カイリが魔道具を使う直前、あの矢がかすってしまったらしい」
俺のアイテムボックスには少量の回復アイテムしか入ってない。
迷わずシャルのために使いきったけど……ただのかすり傷を治すにも、俺の持っている分じゃ足りなかった。
「ごめんな。こんなことしか、できなくて」
「治してくれるだけありがたい。寧ろ、カイリは良いのか? 私のために貴重な回復を使うなんて……」
「これ以上誰かを失うくらいなら安いもんだ。……もう、俺は誰にもいなくなってほしくない」
失うことが怖い。今まで、俺さえいればみんなを助けられた。
……思い上がり、だったんだ。所詮俺は、俺じゃない別の誰かの力を、自分の力だと思っていた。
なにもかも借り物で、なに一つ、俺の手で手に入れたものなんてないのに。
全部全部、自分の力だと思い込んでいた。俺は日本にいた時から、なにも為せていない。
「ありがとう。多少は動けるようになった。まだ、痛みはあるが」
「マシになったなら良かったよ。とりあえず、ここがどこかを確認しねえとな。山頂が見えるし、そっから見渡せば大体どこかは特定できるだろ」
「そうだね。流石、カイリ。冴えてるね」
「やめてくれ。今はそういうの、受け入れられる気がしない」
そんなことで褒められても、慰めにもならない。
ともあれ俺たちは山頂に向かって歩く。俺の転移したところは山頂まで目と鼻の先だったから、すぐに到着した。
「ここはアウスト王国内っぽいな。見覚えのあるところが、いくつか……」
俺の眼下には街の景色と――燃え盛る、城の姿があった。
王城と、城下町が燃えている。誰の仕業か、もはや考えるまでもない。
――俺が逃げたから? 俺が逃げたから、邪神は俺を探しながらあちこち燃やして回ってるのか?
この炎で人が何人犠牲になった? 城下町は国内で一番人口が多い。そんなところが燃やされて、無事でいられるのか?
「俺の、せいだ……」
またしても、俺は選択を間違えた。逃げては行けないと分かっていたのに。
なぜカルード帝国に向かわず日和った失敗を繰り返した。
たとえ無謀でも、戦った方がマシだと、思っていたのに。
何度同じ過ちを犯せば気が済むのだろう。どうして、学習しないんだろう。
「はは、は……」
乾いた笑いが出てくる。自分で自分を、嗤っている。
無能なだけならまだ良かった。自分が謗りを受けるだけで良かったから。
でも、今の俺は、他人を巻き込み、誰も……自分さえ救えない最悪な人間だと理解してしまった。
「こんな俺に、なにができるってんだよ。どうしろってんだよ。……あいつは、俺になにを求めてんだよ……」
精神世界で出会ったシオンは、俺に言っていた。
『今はなにもないと感じていても、カイリには立ち上がるための力はあるんだ』
――おかしな話だ。ここまで無力で、なんにもできない俺に、力があるなんて。
「あるわけ、ねえだろ。俺はあいつみたいにはなれない」
俺は俺の限界を知っている。俺がどれほど粗悪で、どれほど劣悪で、どれほど悪質であるかを、よく知っている。
『俺とカイリはさ、英雄になるべく生まれてきたんだ』
「英雄に……? こんな、俺が……? ははっ、なんの冗談だよ」
俺が本当に英雄だったなら、こんな状況にならなかった。
国も、城も、街すらも。俺はなに一つ守れなかった。
「そりゃそうだろ。こんな空っぽの、薄っぺらい人間に守れるわけがねえ」
違う世界なら俺は変われるのだと、本気で信じていた。
日本では特別すごいこともできなければ頭もよくない。取り柄なんて一つもなかったけど、物語みたく、別の世界でなら。
そんな希望を、俺は信じていた。だから、神様が付いてるなんて舞い上がったんだ。
胡散臭いし、嘘臭いとは、分かっていた。いきなり脳内に話しかけられて、神様だとか言われて。それを鵜呑みにするなんて普通はしない。
でも俺は、それに縋った。異世界に来て、魔法もスキルも使えないと分かった俺に残されたのは、自称神様だけだったんだ。
異世界に行けば変われる。でも、異世界でもなんの取り柄も、力もなかったら?
頼るべき相手もいない世界で、縋るべき「
なにか」を持ってないと知ってしまったら。
俺はそれが怖くて、「神」という存在を手放せなかった。
嫌なことからは、目を逸らしてしまえばいい。都合の悪いことは、忘れてしまえばいい。
「そうやって生きてきたツケが、これかよ……」
燃え盛る城下町。失った仲間。見たくないものを見て見ぬふりして進んで来た俺に与えられた報酬は、それだけだった。
「なにも、残ってない。俺には、なにも――」
小さな俺の呟きは、別の声によって遮られた。
「なんで、カイリはそうやって自分を追い詰めてるの」
ソニアだ。眼鏡の奥の、黒い瞳が俺を見つめている。
「残ってるものがなにもないなんて、そんなことあるはずがない!」
全てを失ったはずの俺の心に、ソニアの声が響く。




