翼を広げて ~ルイス
美しい人だと思った。
仕事柄貴族の令嬢の相手をすることも多々あり、平民の娘とは違うそういった令嬢たちともずいぶん顔を合わせていたし、彼女よりも顔立ちや所作の綺麗な令嬢だって何人か見かけたことがあったが、それでも、会った瞬間に一目で彼女に惹かれた。
自分はそこそこ大きな商家の跡取り息子で、弟達と一緒に将来は実家をもっと繁栄させて国一番の商家に成り上がろうと意気込んで仕事に邁進している最中だった。
成人してからは父たちとも話し合い、隣国に新たに進出してその支店をがむしゃらになって立ち上げ、何年もかけてようやく満足いく形になってきたところだ。
いくつかの異なる商品を扱う専門店を構え、見知らぬ国で流行を作っていく仕事はやりがいがあった。
だからそのうちの一つの、まだこの国では扱っていない珍しい手芸用品を売る店舗に、裕福な貴族である子爵家の次女が居合わせたことで縁ができた時にも素直に喜んだ。
他にも二三お得意様と呼べるような高位貴族との伝手もでき、これで商会の発展に繋がると考えていたところへまたもいい話が向こうから飛び込んできたのだから当然だ。
近く婚約が整いそうな長女のための商品を見繕って持ってきてほしいという話を貰った時には小躍りして喜んだ。
選りすぐりの商品を携え、応接間に通されて待っていると当主と共に彼女が入ってきたのだ。
何度か対応したことのある次女の淡い金髪をもっとずっと濃くしたような見事な金の髪と意志の強そうな青い瞳。
同じ色合いを持つ父親と同じく鋭い目で自分を見る彼女の目に最初に惹きつけられた。
それから今にも花開こうとしているような初々しく女性らしい体つき。
手垢のついていない自分だけがみつけた素晴らしい商品に出会ったときに感じるような高揚感に鼓動がせわしなく跳ねた。
商人としての仮面をかぶっていたものの、吸い寄せられるように彼女を見つめてしまいそうになる。
駄目だ、駄目だ。この国ではまだ身分制度はかなり厳しい。しかも相手は婚約間際の貴族の跡取り娘だぞ! と気を引き締めていたが、何度が会ううちに、とうとう抑えきれずに彼女の手に触れてしまった。
彼女があまりにも悲し気な目をしていたものだから思わず。
「貴女は婚約者の方を愛しているのですか?」
唐突な問いかけに驚いたのか目をしばたたかせる姿が可愛らしかった。
「いいえ。そもそもわたくしたちはまだ婚約もしていませんわ」
「貴女が好きです」
彼女は目を見開いた後、口元を歪め吐き出すように言った。
「なんてことかしら。これはわたくしの心の奥底にある醜さの体現なの?」
彼女の言ってることの意味はわからなかったが、そんな顔をしないでほしいと思った。
彼女の白い頬を両手で包み込むようにしてその瞳を覗いた。
「貴女は美しい。僕は貴女が欲しい」
身分差から許されないことだとはわかっていた。しかも、彼女は”まだ”自分を特別に好いてさえいないのだ。
だが、それからの自分はまるで憑かれたかのように彼女の事だけを思い、彼女に愛を請い、密かに彼女との生活を具体的に計算し始めていた。
故郷では既に貴族と平民の垣根がこの国ほど高くはない。最悪の場合、彼女を連れて隣国に駆け込んだとしてもそれほど難なく彼女との生活を維持できるだけの基盤もある。もちろん、彼女の実家ほど優雅な暮らしをさせることはできないだろうが、それなりの暮らしはさせてやれるだろう。
それに実のところ、自分は彼女の妹のために屋敷に呼ばれているのだと薄々気が付いていた。娘に相応しい男かどうかを試されているのだとも。
偶に図ったように顔を見せる次女の目には自分に対する好意が全く隠す様子なく現れていたからだ。
だが、自分が欲しているのは次女ではなく彼女だ。
彼女が欲しい。彼女の憂いを払い、弾けるように幸せをふりまくようなそんな姿を見たい。
もちろん、そのとき彼女の隣にいる相手は婚約者になるかもしれない男でも他の誰でもなくこの自分でなければ意味はないが。
この国の貴族の事情や考え方は本当のところはよくわからないが、妹がいいなら姉だっていいはずだろう。
婿を取るのが姉だろうが妹だろうが良いはずだし、平民のところへ嫁にやるのが妹だろうが姉だろうが良いはずだ。
いざとなったら、子爵の了解すら取らずに彼女を連れて隣国に逃げ込んでやろう。
そのためには彼女の気持ちが自分に向いている必要があるが、彼女からは自分に対する悪感情は最初から感じられないから、きっとなんとかなるさ。
そしてなりふり構わないアプローチに頑なだった彼女の心が綻んできたのがわかるころには、自分の計画はきちんとした形になっていたし、彼女のほうでも自分への気持ちが徐々に芽生えているのがわかった。
商人である自分は汚い取引だって必要とあらばやってのける。
彼女の父親は、娘たちを愛しているようだった。だから隣国の商人風情の話をきちんと聞いてくれる機会を設けてくれた。
「君には私の次女のミアとの縁談を考えていたのだが」
「恐れながら、私はエリー様をお慕いしておりますのでそのお話はお受けできません」
「エリーには既に決まりそうな縁談がある上に、あの娘は実質的にはこの家の跡取りだ」
「失礼ながら、その男性はエリー様ではなくミア様に好意をもってらっしゃると聞いております」
「……貴族の結婚とは時に無情なものだ。それに婚約すれば相手の気持ちも変わるだろう」
「私の気持ちは変わりません」
「どちらも素晴らしい娘だ。婚約すればローガンはエリーを、君はミアを見るようになるさ」
「一つ疑問に思うのですが、どうしてエリーには厳しくミア嬢にはそれほどまでに優しいのですか? どちらも同じ娘なのに」
「それは……」
「貴方は妹を愛する男の気持ちを知ったうえでエリーにその男を支えろといい、エリーを愛する男にそれを隠してミア嬢を愛せとおっしゃる。無意識なのでしょう?
なぜですか? ミア嬢以外の我々は皆不幸だ。どうしてそんなまどろっこしいことをしなければならないのでしょう。
我々皆を不幸にしてもミア嬢が幸せならばいいということですか? まさか違いますよね?
生憎ですが機会があればすぐにでも私はミア嬢に伝えますよ、私が愛しているのはエリーだと。そうなればミア嬢も不幸の仲間入りだ。
ああ、ミア嬢以外に子爵家の将来を考える子爵様の幸せもありますね。だが、それだってミア嬢に家のために頑張ってもらえば解決です。
わからないのは、どうしてミア嬢が好意を抱いているからといって私を彼女に与えようとするのに、エリーの気持ちは無視しても良いと考えられるのか、ということです。
エリーには最初から我慢を強いるのにミア嬢には綺麗に道を整えてやる。どうしてでしょう。なぜ同じ娘なのにエリーには苦難をミア嬢には安易な道を自然と用意しようとされるのか。
ミア嬢にこそ我慢をさせて、少なくとも彼女を好きだという男と婚姻させてはいけないのでしょうか? そしてエリーがやってきたように家のために尽くさせるほうがこの場合は容易いのでは?
とにかく私のことは諦めてください。子爵家の縁談に関することは私にはどうしようもないことですが、私自身はミア嬢との婚姻を承諾することはありませんので」
貴族に対して不敬な発言しかなかったとは思うが、子爵は自分の発言に関しては不問にしてくれるようだった。
だが、子爵家への出入りは禁じられた。ミア嬢の件はこちらからきっぱり断ったのだから、エリーとのことは認めないという子爵の意思表示だろう。
せっかく心血を注いだこの国での商会の立場に悪影響を与えることはわかっていたが、自分の気持ちはもう止められないところまで来てしまっていた。
苦労してなんとか手紙のやり取りでエリーを説得し、外出を禁じられているわけではないエリーが商会に自分を訪ねてきた日にそのまま二人で隣国行きの馬車に乗ることにした。
「二人して後悔することもあるかもしれない。貴女は僕を、僕は貴女を恨むことだってあるかもしれないね。だけど、そんなこと忘れるくらいに絶対君を幸せにすると誓うよ。僕と一緒に行こう。何もかも捨ててここから飛び出すんだ」
そう言った自分の手をエリーの手がしっかりと掴む。
自分が見惚れた綺麗な瞳の中には色々な感情が渦巻いているようだったが、初めて見た時よりもずっと自分は彼女のその美しい瞳に惹かれ、いつか彼女が感じるかもしれない後悔なんか吹き飛ばしてやるぞという強い気持ちでいっぱいだった。
もしかしたら、誰のことも苦しめずにすむ、穏便なもっと上手い方法があったのかもしれないが、自分たちはこの方法を選び、実行した。
この日、飛び立つ決意をしたことだけはきっと後悔することはないだろう。
エリーは手紙を残してきたと言った。
父と妹へ、勝手をした自分を許さなくていい、自分の事はどうか忘れてくれという手紙を。
悲しい事だとは思う。
だが、彼女にとっては必要なことだったのだ。
いつか、また出会える日がくるかもしれないし、そんな日はこないのかもしれないがエリーが愛した家族にも幸せでいてほしいと思う。
子爵はあの日、自分が言った言葉のいくつかについて同意せざるを得ないはずだ。
それにエリーを愛しているのなら、彼女の意思を尊重してくれるだろう。
ミア嬢も出来るだけでいいから頑張っていってくれればいい。まあ、彼女が頑張らなくてもエリーの婚約者候補だったという男が上手くやるだろう。惚れた女のためだ、やるしかないさ。
自分は、せっかく軌道に乗せたあの国の店に未練がないわけではないが、あそこは弟に任せて実家での仕事についてもいいし、今度はまた違う国に行って一から出直してもいい。
自分とは違った価値観の中で生きてきたエリーと一緒ならまた違ったやり方がみつかるかもしれないし。
惚れた女のためなのだ、これからは二人でこの世界を生き抜いていこうと新たに決意した。