90. 強制召喚
「―――ミーセオ駐留軍の首脳部は四日前に逃げ出した。重要書類と資金を持ち出し、逃走先はミーセオ国内と推測される」
ダラルロートの差し金で現地で先行して調査していた上級監察官ワバルロートの報告と、俺が過去探査でパラカレ城砦の中を調べて回った結果を総合して要約するとこう言う事だ。母は指揮官の卓に座して報告を聞き、俺は副官よろしく母の脇に立っている。ワバルロートは卓の正面だ。
母はワバルロートに闘気を向けてはいないようだが、それでも発散される威圧感を前にしてよく耐えている。リンミニア騎士よりは二段か三段上の実力を伺わせる。長き指先と言う名のダラルロートが直轄する密偵集団の一員だそうだ。なるほど、化け物の長い指を思い出せる嫌な名前だ。
「現時点では占術による追跡が可能ですが、逃散に伴う小集団化が予想されます。幾つか擦り付けた追跡用の印では数日中に追い切れなくなると思われます」
「明らかな敵前逃亡だ。追討し、現任指揮官の一存で処刑して構わぬか?」
母がワバルロートに問う。必要なら術を使って正気付けてやらねば、母はワバルロートをいいように操って都合のいい法解釈を捻り出させかねない。
「ミーセオの軍規に従いますと処刑相当の者はおそらくゼシャ・ウォン将軍のみです」
「敵前逃亡であろうに」
「『老いた親を持ち養う兄弟のない兵は軍務を免じ、逃亡を咎めないものとする』条項がございます。軍法会議で死刑を言い渡されるのが確実な逃亡兵は、しばしば他の兄弟を根絶やしにしてでも条項が適用される条件を満たそうとします」
「……過酷な法治国家もあったものだな」
珍しい、母が引いているぞ。母が語ったバシレイアの軍規『死ぬまで戦え』も大概だったが、ミーセオはミーセオで方向性の違う酷さがある。老いた親の世話をする倅が一人はいなくてはならぬ、と言う意図は解るが運用のされ方に問題しかないではないか。俺の中に戻って来ているアステールも直視したくないのか、沈黙を決め込んでいて接触がない。
「遺留品を引き渡せ。ゼシャ・ウォンとやらだけでも私が暫定指揮官としての権限で召喚し、断罪する」
「我等が長からの指示により御用意してございます」
凶暴な母だが、以前よりはまだましなやり方になったのだ。母が言う召喚とは尋常な意味での呼び出しではない。召喚術で呼び戻すのだ。多くは罪人を強制的にな。ワバルロートから差し出された布に包まれた勲章のようなものを手に、母が笑う。
「できるな、神子に我が子よ」
「いいよ。召喚術はあんまり得意じゃないから三人で輪唱でもしようか」
「いいぜ。三人でやろう。やり方は教える」
母に呼び掛けられた父は輪唱しようと言う。俺達は三人とも召喚術をある程度以上には使えるのだが、極めてはいない。まだ召喚術を極めた術者を喰った事がないからだ。輪唱は少しばかり術の強度に補強が欲しい時に使う。
輪唱するには集団毎に最低でも一人は音頭を取る輪唱の心得がある術師が必要だが、俺と父は習得しているので母に指示に従って貰えれば成立する。各種の唱法は魔術師として習得すべき技術の一つではあるが、詠唱破棄して術を行使してばかりの俺と父にはさほど有益ではない。宗教的一体感の演出を重視する神官や僧と言った宗教家が好む技術なのではないかな。
「輪唱は唱法として先行と後追に術師を振り分ける。どちらがいい?」
「先行」
「なら父が先行の音頭、俺が後追だ」
短く即断して来た母は先行と言うだろうなとは思っていた。母と父には一緒に同じ呪文を唱えて貰おう。空気が読める孝行息子だろう、俺は? 後追する俺は詠唱しながら魔力を整えたり出力を調整するなどの細かい調整をやる事になる。
「公開処刑なさるので?」
「そうなるであろうな」
ワバルロートに問い掛けられた母は事も無げに言ったが、提案には魅力を感じなくもなかったようだ。
「兵の意識や正気が戻るまで待って頂ければ軍規の引き締めに有益と思われます」
「よかろう、少々闘気を鎮めていてやろう。貴官は兵を叩き起こして回れ」
「気付け薬になる程度の酒は俺が創ってやろう」
父の気分で唱える呪文が大きく変わっては困るので俺が創造した木板のようなものに呪文を刻み、実行前に申し合わせる。必要な召喚陣は中庭で父が黒い光を走らせてさっと描いてくれた。父も母も手馴れたものだ。親子三人で輪唱だなんてちょっと楽しいじゃないか。やる事は敵前逃亡したミーセオ指揮官の強制召喚と断罪だがな。俺の血族に善性なぞない。
「集合したか、パラカレ城砦駐留兵諸君」
召喚を執行する準備が整ったのは正午過ぎだっただろうか。鞘に収めた鏡の剣を腰に佩いた母がより多くの兵の掌握を望んだ結果、ワバルロートには必要な時間を与えてやった。
「私はアディケオの第三使徒、暗黒騎士ミラーソードだ」
よく通る声で怯えが伺えるミーセオ兵を前にして言い切る母を止める気は今の所ない。もういいよ、俺は副官のミラーソードで通しても。母の方が督戦が上手いのは間違いなかろう。城砦に残っていたミーセオ兵を全員集めさせ、壇上から威圧感を隠して母は言う。
「パラクレートス線を侵食する夏の権能に対し、貴官らを指揮すべきゼシャ・ウォンは敵前逃亡の大罪を犯した。兵であればまだ温情もあったろう。私、ミラーソードとしてもミーセオの軍規は重んじよう」
息子としては母がそんな殊勝な事を考えているとは思えないがね。母がすらすらと述べる建前は実に綺麗だ。
「だが、将帥の敵前逃亡は断じて許されぬ!」
精神的な衝撃に備えていた俺でも甘い痺れが来た。暗黒騎士としての力を伴う母の声を受け、熱狂した兵らが口々に叫ぶ。兵らに混ざったワバルロートが拳を振り上げて非難の叫びの音頭を取っているのも見える。何してるんだあいつ。
「そうだ、そうだ!」
「あのハゲは逃げやがった!」
「ゼシャ・ウォンは俺達を見捨てて逃げた!」
「ゼシャ・ウォンは裏切者だ!」
「今月の給料も貰ってないのに!」
ミーセオ兵には給料の未配もあるそうでな。早急に手配しないとならん。ミーセオ軍の代わりに俺が立て替える事になるのかね。ミーセオ貨は悪銭でいいなら大量にリンミの銀行で回収したが、精銭はさほどない。リンミニア貨で払う事になるかもな。
母が兵らに手を振れば狂騒が嘘のように静まり、待ち焦がれるように次の母の言葉を待つ。俺の母は美しいとは常々思っていたが、改めて見せ付けられると壮観だ。
「諸君らには重大な背信者が当然辿るべき運命と言うものをよく理解して貰いたく思いこの場を設けた。召喚陣の用意はよいな」
「はい、こちらに」
副官面した俺が母に畏まって召喚陣を示し、強制召喚に用いる触媒となる血に汚れた勲章を兵らに示す。ワバルロートはどうやったのか、勲章にはゼシャ・ウォンの血痕が付着しているのだ。強制召喚の触媒として申し分ない。
母は召喚陣を前にして鏡の剣を抜き放ち、両手に持って先端を空へ向けて掲げた。相談した手順通り、父と母が先行、俺が後追で呪文の輪唱を始める。兵らには俺と母の声しか聞こえないがね。
「「我らはここに汝を召喚する」」
「我らはここに汝を召喚する」
先行する両親を後追いして同じ呪文を唱えつつ、父と母が召喚陣へと放出した魔力を受け止めて術式へと編み上げる。
「「ミーセオ駐留軍ティリンス方面軍指揮官ゼシャ・ウォンよ」」
「ミーセオ駐留軍ティリンス方面軍指揮官ゼシャ・ウォンよ」
召喚陣の中心に置いた勲章が浮かび上がり、魔力を満たされた陣が輝く。実の所、俺達にはゼシャ・ウォンには直接の面識がないから強制召喚は少々苦しいのだ。相応しい触媒があっても面識がない者の強制召喚は困難になる。
かつてよく知っていたとしても、歳月や事故によって変わり果ててしまった者の召喚もまた困難になる。意志や魔素への抵抗力が強い者は強制召喚に抗う事もできると言った条件もあるな。そこで俺達三人で呪文を輪唱し、強度を補う訳だ。
「「その身の醜悪を覆い隠すアディケオよ、裁かれるべき醜悪よりその慈悲を取り上げ給え」」
「その身の醜悪を覆い隠すアディケオよ、裁かれるべき醜悪よりその慈悲を取り上げ給え」
アディケオに祈るのは逃亡者がミーセオ帝国の守護神の庇護を願うようならば、いかにお門違いか思い知らせる為の宣告だ。ミーセオの将兵よりも第三使徒である俺の意向の方が強い。この一節がなければ呪文を刻んだ木板など作らなかったな。
「「暗黒騎士ミラーソードの命に応えよ」」
「暗黒騎士ミラーソードの命に応えよ!」
締めを俺が唱え上げ、術式を完成させる。強制召喚には意志の強さが物を言う。俺は巨大な竜の爪を意識し、開いた回廊を介して伸ばす。弱々しい抵抗を次元の揺らぎの向こうから感じたが、俺は構わずゼシャ・ウォンが私物として認識している物品諸共にパラカレ城砦に描いた召喚陣の上へと拉致してやった。直ちに詠唱破棄した理力術で戒めをくれてやる。
「成功です」
「御苦労」
副官面した俺が暗黒騎士ミラーソードに向かい礼をして見せる。
召喚陣の上には理力術の見えざる鎖で戒められたゼシャ・ウォンがいる。壮年のミーセオニーズで禿頭の男だ。母の手で触れられるには醜い男だ、とは思った。
「ゼシャ・ウォンだな」
「……あなたさまは、ミラーソード!! わたくしはゼシャ」
「よし。死ね」
母はゼシャ・ウォンに対してろくな弁解を許さぬまま腐敗を帯びた手で触れた。吊るし上げられたゼシャ・ウォンは腐敗に抵抗できるほど強い命ではなく、腐り落ちて死んだ。母は断罪に際して僅かな手加減をしたらしく、一撃では絶命させずに命を啜り食らった感触もあった。
「執行は以上だ。正規の指揮官が不在の間は私が諸君を統率する。
遅配されている給金については早急な一時金の支給及び、給与満額の支払いをミラーソードの名において約束しよう」
兵どもは口々に公正なる暗黒騎士ミラーソードを称える声を上げた。母は啜り食らった命を俺と繋がっている経路から分け与えてくれた。俺は命を咀嚼しながら、なるほど公正とはこう言う事かと思ったね。




