91. ダラルロートの跡継
ゼシャ・ウォンの強制召喚と断罪を執り行った後、聖火で腐敗しきった残骸を清めて灰すら残さなかった俺を待ち受けていたのは膨大な事務作業だった。パラカレ城砦の重要文書は処分されるか散逸してしまっており、ゼシャ・ウォンと共に回収できたのは微々たる量の機密文書と金品のみだった。兵の名簿や金銭の流れを示す帳簿と言った基本的なものからパラクレートス線の建造方法と言った極秘事項まで多くの文書が失われた。
俺と母と父とワバルロートの事務能力だけでは手が足りない事は明らかだ。兵どもを締め出した指揮官の居室で両肩の烙印の力を借り、分体を鎧を脱いだ母からダラルロートに変えて対応を指揮させる事にした。
「母よ、ダラルロートに代わってくれ」
「お呼びでしょうか、我が主よ。ワバルロートは役に立ちましたかねえ?」
「ああ。上級監察官を現地へ送り込んでいたのなら一言欲しかったがね」
「不要となる可能性もございましたから」
これだよ! ミラーソードの四天王の中で一番の食わせ者はやはりダラルロートだ。呼ばれると確信していたらしい整えた長い黒髪の中年男を眼鏡越しに眺め、俺はパラカレ城砦の統率に何が必要か問い質そうとした。
「ミーセオ皇帝とスコトスは現状を把握しておらんと見ていいか?」
「ワバルロートからの報告では仰る通りです。全く、エピスタタが生きていればこのような事態は有り得ませんでしたねえ」
「ティリンス侯爵の名前だったか? アステールと言い貴様と言い、評価の高い事だ」
「使徒ではない個人としては旧アガソスで最も傑出した個人でした」
「へえ。貴様がそこまで褒める個体など初めて聞いた」
ダラルロート曰く、ティリンス侯エピスタタと言うのは当主が同じ名前を代々世襲する武家だったそうだ。ティリンス地方の守護を一族の使命として掲げ、狂土エムブレポとアガソスの国境線を強固に守り続けた。堅牢なるティリンスと渾名された家系からはアガシアの使徒も度々輩出したが、当主は必ず定命の者だったと言う。それほどの強者ならば喰ってみたかったものだ。
「神の血さえ濃ければ王族の傍系であっても契印と契約できますが、使徒であってはなりません。
ティリンス侯爵家の存在意義はアガソスの王統の予備と言う一面にもありました。備えが役に立つ事はなかったのですがねえ」
アガソスの事情に俺はさほど関心を払って来なかった。話のついでにダラルロートに聞いた。
「アステールのスタウロス公爵家はどうだったんだ? あいつの歳を知った時には驚いたぞ」
「スタウロス公爵家はスタウロス公爵家なりに当主が長命ゆえの弊害がございました。アステールはアガシアに寵愛されてはおりましたが、一族の者の総数は少なかったですねえ。アステール自身による護りさえ剥いでしまえば根絶は容易でした」
そうだ、ダラルロートなら知っているかもしれんなと思い付いた。俺は長命な存在に関心がある。父は夭折して精神的には今2歳、俺はまだ1歳。長命さへの憧れのようなものを感じている。
「スタウロス公爵領の歴史書に興味がある。手に入れられないか?」
「我が主がお求めになるには奇妙な品ですねえ。ミーセオ軍が略奪していると思われますが、探し出しますか。歴史ある名家の歴史書は損壊されずに売り飛ばされた可能性が高いです。おそらくは大部ですし、全てを入手するにはお時間を頂くでしょう」
「人員と予算は好きに使ってくれていい。個人的な興味だ」
「それほど熱心なお探し物であれば指に命じましょう」
「采配は大君に任せる」
指と言うのは長き指先と言っていた直轄の密偵の事だな? ワバルロートの腕は良さそうだが、略奪されたであろう本探しもできるのか。期待しているよりは早く読めるかもな。
「ミラー様、パラカレ城砦一帯の駐留兵についての事務的な些事はリンミから人員を輸送し数日中に終えさせます。他の前線は如何なさいますか」
「面倒くせえと言ってしまっても構わんかね? 他の前線もこの調子だとしたら俺だけでは手が足りない。まずはパラカレの支配権確立とパラクレートス線の保全が無難なのではないか」
卓に突っ伏してダラルロートに愚痴る。俺はまだエムブレポ兵と精霊を直接見ていないぞ。俺が何をしにアディケオの意向で遣わされたと思っている? ミーセオ兵の尻拭いばかりではないか。ミーセオ兵に支払う給料の肩代わりをリンミニアがやる事に異存はないが、手間ばかり掛けさせやがる。支配できぬのならエムブレポに譲ってしまえとも思うが、甘いワインが特産だったか。
「そもそも、陽が沈んだら俺は自宅に帰るぞ」
「分体をパラカレもしくはティリンス地方内に残されますか。それとも全員で引き揚げますか?」
お化けの怖い俺が譲る気のない一点を口にすればダラルロートが指摘して来る。
「……留守番ができる者などいるのか?」
まず父は論外だ。肉体など与えても碌な事をしないし、肉体的には最も貧弱だ。何があるか解らぬ最前線に置くべき分体ではない。次に母も論外だ。肉体を与えて俺が目を離せば何を仕出かすか全く解らない。
「老騎士殿に任せようとはお考えにならぬようお勧めします」
「俺とてもアステールにエムブレポとイクタス・バーナバへの敵愾心をあれだけ見せられた後では留守番役に選ぼうとは思えん」
アステールも母並に何をするか解らんぞ、今回は。気に入らないエムブレポの王族を少し減らして来た、などと破壊活動くらいはやりそうだ。元は第一使徒だった二人はどちらも危険過ぎる。
「ダラルロートは……能力があるのは解るが……」
「お嫌ですか? 私にお命じ下さるならばリンミの大君との二役も演じましょう」
「私と神子を残せば良かろう、我が子よ」
母に次いで野放しにはしたくないダラルロートが言えば、静かだった鏡の剣から母の声も響いた。俺は建前を探す。
「……仮にノモスケファーラが母の強制召喚を試みた場合、俺か父がいないと召喚を止められんと思う。できれば母が肉体を持っている間は俺の傍にいて欲しい。副官役でも何でもするぞ」
「そうね、刺客を送られたのはつい先日よお母さん」
「好ましい事態ではないな」
内心、安堵の息を吐く。五つもの権能で知られる規律神ノモスケファーラが何を考えているかなど知らんが、母を説得する出汁に使えるならなんだっていい。ダラルロートに問い掛ける。
「ワバルロートでは駄目か。あいつはどの程度のことができる?」
「いずれは大君の座を譲る事も考えておりますがまだまだ、ですねえ」
二刀と幻術を操る化け物の跡継としてはまだ器が足りていないように見えるが、そこいらの凡骨よりかは随分と優良なのも解る。
「俺としてはワバルロートに連絡手段と脱出手段を授けた上での撤収に傾いている。夏喰らいがパラクレートス線の一帯で成果を挙げるには時間も欲しい。どう思うか」
「では、私が我が主より授かった鏡の剣を預けましょうか」
「いいのか?」
三人の腹心の一人としての太守ダラルロートに俺が授けた鏡の剣には、父と母が宿る鏡の剣との遠距離通話能力を付与してある。分体のダラルロートには不要な能力だが、父の声を聞き取る魔力もある。ダラルロートは大君としての行動中にも常に帯剣しているし、手入れもされていると知っている。
「ワバルロートは私の跡継候補としては最有力ですからねえ。
今は預けるだけですが、いずれは正式に譲渡する日が来るやもしれません」
「ならば留守番役が務まるかどうかで器を測っても良かろう。俺からは呪文封印の指輪と耐性賦活の指輪を貸してやる」
「決定ですな。ワバルロートには私から通達します。幾つかの別命からも外さねばなりませんので」
生身のままの定命の者は容易く死ぬ非力な存在だが、ワバルロートには見込みが全くない訳ではなさそうだ。アガシアの下位の使徒が相手ならば術策を尽くす必要はあるとしても殺せるのではないか? アガシアの使徒がいなくなった今では試しようはないがね。外した指輪をダラルロートへくれてやる。
「それじゃあ今日は後はもう、人員やお金の移動で終わりかな」
「ああ。ワバルロートをミラーソードの副官として周知するのと併せて段取ろう」
平時は事務的な作業をいかに大量にダラルロートが受け持ってくれているのか、よく解ったよ。俺は夏喰らいの様子を見つつ、貧弱なミーセオ駐留軍の面倒も見てやらねばならぬらしい。パラクレートス線の建造に関わる資料の奪回指示、ミーセオ帝国への正確な現状報告書の直接提出、リンミニア国庫からの給与肩代わりに関する厳密な契約書の作成などとダラルロートが陣頭指揮を執ってくれなければ何をどれだけ見落とした事やら。
夕刻を過ぎて琥珀の館に帰り着いた時にはもう、夕食が待ち遠しくて仕方なかった。




