56. それでも俺はお化けが怖い
蛙のいる泉の奥から声が聞こえる。憤激と悲嘆に塗れた女のお化けの恨み言。「お前さえいなければ」と。知った事か、力もなく拒んだ者の弱さだと応える。己の身の丈は知っていると。女の部屋には終わりがある。終わりがあるそなたは楽なものだと独りごちる。
愛したものは失われた。善性を失った民が己の直系の血族を殺めた。流れ、止まらぬ血が守護すべき大地を黒く毒した。父母を求めて嘆く王女を封じた苦渋。「道を誤った弟子を止められなんだ」自罰の濃い呻きが連ねられる。あれは化け物だ、誰が師でも背いただろうと慰めにもならぬ確信を呟く。遅過ぎる警句さえも羨ましく思う。老人の部屋にも終わりがある。
河と桟敷。俯いていた黒髪の男が面を上げれば、酷く愉しげに歪んだ口許。艶やかに濡れた瞳。甘い毒の滴る声。怯えにするりと滑り込まれる。嬲られ、貪られて、怒りに任せて喰えばまた産まれて来る。「受け入れて下さればもっと心地よくして差し上げますよ。ずっとお仕えしますとも」終わりのない喰い合いに懇願すれども笑う声がするばかり。狂気に縋れば緑の瞳の狂気が笑う。
堕落と腐敗の源泉の底。狂気に満ちた半身が好きだからと囁く。繰り返し、繰り返し。刻もうとした己の名が腐り落ち、狂気に溶けて混ざるまで。「臣従すれば良い。私のように。そう言っただろう」心地よく溶け合い、そうしたよと応えてまた溶ける。狂気がころころと笑う声がする。呑まれた狂気に浸されただ共に笑う。そうして聖騎士が溶けていなくなり、暗黒騎士に姿を変えた。
「どれほど眠っていた?」
訊けば四日経ったと教えられ、俺は柔らかに包まれる心地のする寝台から身を起こした。仮暮らしをしていた客室ではない。この部屋は客室よりも広い。隠れる君の御所にある私邸の主が住まう部屋だ。水差しからどこか甘い水を貰うと人心地がついた。
「よくお眠りでしたよ。楽しそうに笑っておられました」
「俺は悪夢しか見た覚えがないんだが、ダラルロートよ」
笑っていた、とダラルロートは言うが俺が覚えているのはもっと不味くて爛れて仄暗い何かだ。俺は腐敗と水と血と恨み言の中から浮き上がって来た。剣呑な眼差しになる俺自身を止められない。見返して来る黒い瞳には力がある。俺を奥底から浚い、掬い、整えて形を仕上げた者が満足げに頷く。
「下手な調整では我が君がアディケオへの敵愾心を持ってしまいますからねえ。
今回の調整は慎重に行いましたとも。お加減は如何でしょうか」
「良い訳があるか、と言いたいがそう悪くはない」
機嫌は悪いが気分は悪くないと言うべきか。アガシアの第一使徒だったアステールを喰らった俺の力は確実に増している。死んでしまった残骸だけでは産み落とす為の活力が足りず、俺の右腕一本くれてやって産んだ分体も同様に。眠る直前に切り離した右腕は既に再生されており、動かそうと思えば問題なく反応する。
「これで良かったのかね」
「いいんじゃないの。ミラーは一回り大きくなったよ」
眠そうな鏡の声が枕元からした。まだ鏡にとって幸せな夢の中にいるかのような。
「選択に後悔がおありですか? 一つの妥当な展開だったと思いますが」
「妥当、な。本物のダラルロートにとってか? それとも前任のダラルロートか?
貴様自身の望みは何だ、三人目のダラルロートよ?」
整えた黒髪の美しい男が長髪を揺らして笑う。ぞくりと震える身体は覚えている、こいつの毒を。甘い毒気を。俺の本性に触れてなお自立して人の形をしていられるだけの邪悪さを。善の欠片もありはしない、黒一色の心の内を。
「ずっとお仕えさせて頂きたいと調整中に申し上げたではありませんか」
「鏡はミラーと貴様の結婚は許さないからな、ダラルロート!
ミラーにはなあ、ミラーにこそは可愛いお嫁さんと一緒になって貰うんだから!!」
「私の目にはミラー様が楽しげにしていらっしゃるように見えますがねえ」
「駄目なもんは駄目なんだい! スライムのお嫁さんはスライムの方がいいの!」
ああ。小姑が意識を覚醒させたようだ。やかましく喚き始めた鏡に内心で笑う。溶け合った後、切り分けられた俺の狂気の半身は俺を常に護るだろう。俺が手放しただけで随分と無防備に見えるらしいからな、鏡と言う奴は。本当は鏡と俺のどちらがミラーソードなのやら。
「それはそうと、鏡殿」
「ああ、そうね。ミラーが見ちゃう前に一回説明しないとね」
……今、非常に不穏な気配がしたぞ。俺が、何をすると? お化けの話をされる気配に、術と血を恐怖除去の準備に割り振る。ありったけだ。顔色を変えた俺を心の底から哀れむような視線は止せ、ダラルロート。予感が確信に変わってしまう! 俺は自分の想像でもダメなんだぞ、俺を調整した貴様は知っているだろうに!!
「実はですねえ、ミラー様」
「俺の聞きたくない話だと言う確信しかない」
「そうよ。アガシアの怨念が幽霊になってそこら中をいっぱい飛び回ってる」
……アガシアの、だと。
「いかんせん善神ですから幽霊と申しましても聖霊の一種でしてねえ。
悪霊払いとは別の聖霊払いの術式でないと効きません」
「ミラーソードのせいで、とか恨み言を言いながらびゅんびゅん飛び回ってるのよね」
「アディケオがアガシアをある程度以上に制圧するまでは継続する状況と思われます」
「だから、僕らのお家に帰ろうね」
―――俺が二人の話をどこまで聞けたのか、正確な所は思い出せない。鏡とダラルロートの二人掛かりで情けも容赦もなくお化けの話をされた。俺は話の触りだけで既に恐慌していたし、話の最中には正気や理性を持ち合わせてはいなかった。狂神の賜物が俺の全身を掌握し、力を得てもなお魂の根源を握り込まれている俺をそれはもう好き勝手に玩んだ。卒倒していた間にも心臓が愛惜しげに捏ね回され、全身の血が狂ったように踊っていたような感覚だけを何となく覚えている。
アディケオの第三使徒、暗黒騎士ミラーソードは相変わらず超重篤な幽霊恐怖症だった。
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氏名 : ミラーソード
年齢 : 1
性別 : 無性
属性 : 中立悪
種族 : スライム 分類 : 祝福されたハーフ コラプション スライム第二世代
レベル : 25 (分体活動中は -1)
クラス : 暗黒騎士4, 魔術師20
クラスリソース : 魔術師20, 暗黒騎士20, 幻魔闘士18, 魔法騎士20.
状態 : 活性化
抵抗 : 頑健33, 反応24, 意志34, 魔素48.
攻撃回数 : 3回/5回
機動速度 : 高速 / 超低速
武芸 : 戦槌開眼, 戦槌攻撃範囲拡大III, 重装鎧熟練, 剣80, 槌100, 盾40, 水泳V, 騎乗V, 騎乗戦闘V, 神威の一撃 2回, 舞踏の如き回避, 憤激.
魔術 : 防衛的発動, 詠唱破棄, 触媒不要, 威力最大化, 範囲拡大V, 範囲内対象任意選択, 請願契約, 多重詠唱, 多段詠唱, 輪唱, 前借発動, 発動遅延, 高速付与, 人形練成, 結界, 陣法, 大儀式, 魔力回路, 魔力解体, 超速魔素吸収, 呪詛返し, 低級魔法無効, 中級魔法発動阻害, 上級魔法抵抗力強化, 魔力循環V.
術適正 : 理力91, 元素105, 変成130, 占術100, 幻術92, 召喚80, 神聖100, 暗黒100, 治癒105. [▽準備]
適正外 : 死霊術【恐怖】, 精霊【暴走】.
擬呪 : 理力91, 元素/水105, 変成130, 占術100, 神聖100, 暗黒100. [▽準備]
異能 : 不老, 命喰らい, 腐敗, 邪視, 増殖, 堕落, 創造, 祝福, 無呼吸, 無視界, 美, アディケオの不正, アディケオの水【強】, アディケオの統治.
耐性 : 斬撃V, 刺突V, 打撃V, 腐敗V, 毒V, 酸V, 病気V, 精神V, 魔素V, 欺瞞V.
技能 : 調理90, 裁縫95, 清掃75, 給仕100, 農夫93, 酪農97, 鍛冶80, 彫金80, 大工95, 革加工80, 仕立95, 細工83, 工兵52, 商業II, 交渉III, 威圧V, 虚言III, 真意看破IV, 潜伏I, 柔軟I, 脱出I, 隠蔽I, 偽証I, 贈賄I, 監視V, 支配V, 政治V, 拷問II, 懲罰IV,
筆記V, 速読V, 礼法V, 兵学V, 魔法学V, 神学V, 歴史V, 錬金術V, 調合V, 茶芸V, 盆栽V.
分体に割譲中 : 刀剣開眼, 二刀流, 連続攻撃/刀剣, 省みぬ一撃, 崇高なる鉄壁, 虚言V, 真意看破V, 茶道V, 演劇V 詩歌V 舞踏V 宦官Vなど
弱点 : 幽霊恐怖症【超重篤】 [▽難易度130]
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